ゴスペル よい知らせ キリストをあなたに @31church.net
     メッセージ

〈24〉主イエスの宮清め

聖書
 
13「さて、ユダヤ人の過ぎ越しの祭りが近づいたので、イエスはエルサレムに上られた。14そして牛、羊、鳩を売る者や両替する者などが宮の庭に座り込んでいるのをご覧になって、15縄でむちを作り、羊も牛もみな宮から追い出し、両替人の金を散らし、その台をひっくり返し、16鳩を売る人々には『これらのものを持って、ここから出てゆけ、私の父の家を商売の家とするな』と言われた。17弟子たちは、『あなたの家を思う熱心が、私を食い尽くすであろう』と書いてあることを思い出した。
 
18そこで、ユダヤ人たちはイエスに言った、『こんなことをするからには、どんなしるしを私達に見せてくれますか』。19イエスは彼らに答えて言われた、『この神殿を壊したら、私は三日のうちに、それを起こすであろう』20そこで、ユダヤ人たちは言った、『この神殿を建てるには、46年もかかっています。それなのに、あなたは3日のうちに、それを建てるのですか』。21イエスは自分の身体である神殿のことを言われたのである。22それで、イエスが死人の中からよみがえった時、弟子たちはイエスがこう言われたことを思い出して、聖書とイエスのことばとを信じた」。 ヨハネ2:13〜22

 
15「それから、彼らはエルサレムに来た。イエスは宮に入り、宮の庭で売り買いしていた人々を追い出し始め、両替人の台や、鳩を売る者の腰掛を覆し、16また器物を持って宮の庭を通り抜けるのをお許しにならなかった。17そして、彼らに教えて言われた、『「私の家は、すべての国民の祈りの家ととなえられるべきである」と書いてあるではないか。それなのに、あなた方はそれを強盗の巣にしてしまった』。18祭司長、律法学者たちはこれを聞いて、どうかしてイエスを殺そうと計った。彼らは、群集がみなその教えに感動していたので、イエスを恐れていたからである。・・・・・
 
27彼らはまたエルサレムに来た。そして、イエスが宮の内を歩いておられると、祭司長、律法学者、長老たちが、みもとに来て言った、28『何の権威によってこれらの事をするのですか。誰が、そうする権威を授けたのですか』。29そこで、イエスは彼らに言われた、『一つだけ尋ねよう。それに答えてほしい。そうすれば、何の権威によって、私がこれらの事をするのか、あなたがたに言おう。30ヨハネのバプテスマは天からであったか、人からであったか、答えなさい』。
 
31すると、彼らは互いに論じて言った、『もし天からだと言えは、では、なぜ彼を信じなかったのか、とイエスは言うだろう。32しかし、人からだと言えば・・・』。彼らは群集を恐れていた。人々が皆、ヨハネを預言者だと本当に思っていたからである。33それで彼らは『私たちには分かりません』と答えた。するとイエスは言われた、『私も何の権威によってこれらの事をするのか、あなた方に言うまい』」。 マルコ11:15〜18,27〜33

はじめに
 
★毎年、正月に我が同胞たちは神道の神社で礼拝をして、気分を新たにされたつもりでいます。
 ★しかし、人が造った神々には人を清める力はありません。人を罪と汚れと悪から清める力を持つ方は、十字架と復活の主イエス・キリストの他にありません
(使徒4:12)
 ★キリストはエルサレムの神殿ばかりでなく、私たち罪人を清めて神の宿る神殿に造りかえる力と権威のある御方であることを、ご自身の死からの栄光の(死なない)身体への復活によって示されました。

T.主イエスの宮清め
 A.宮清めの意味

 ★神殿の境内で礼拝者の便宜のため、両替所や牛・羊・鳩などの売り場を設けることは律法にかなったことで違法ではありませんでした。申命記に次のような規定があります。

 
「あなたが種を蒔いて、畑から得るすべての収穫の十分の一を必ず毎年捧げなければならない。主が御名を住まわせるために選ぶ場所、あなたの神・主の御前で、あなたの穀物や新しいぶどう酒や油の十分の一と、それに牛や羊の初子を食べなさい。あなたが、いつも、あなたの神・主を恐れることを学ぶために。
 もし、道のりが余りに遠すぎ、持って行く事が出来ないなら、もし、あなたの神・主が御名を置くために選ぶ場所が遠く離れているなら、あなたの神・主があなたを祝福される場合、あなたはそれを金に換え、その金を手に結びつけ、あなたの神・主の選ぶ場所に行きなさい。あなたは、そこでその金をすべてあなたの望む物、牛、羊、ぶどう酒、強い酒、また何であれ、あなたの願う物に換えなさい。あなたの神・主のみ前で食べ、あなたの家族と共に喜びなさい」。 申命記14:22〜26

 ★それでは、主イエスは何を怒っておられたのか、その答えは上記聖書テキスト・マルコ11:17に見られます。彼らユダヤ人は「祈りの家である主の宮を強盗の巣にしてしまった」事でした。ユダヤ人の罪について、ローマ2:21、22はこう言っています。

 
「盗むなと人に説いて、自らは盗むのか。・・・偶像を忌み嫌いながら、自らは宮の物をかすめるのか」。ローマ2:21,22

 ★取税人が徴税業務の中で不正を働き、不当な利益を得ていたように、ユダヤの祭司長、律法学者、民の長老たちは、宮の境内で両替や犠牲の動物を売る人々と結託して暴利をむさぼっていたようです。彼らユダヤ人は異教徒の偶像礼拝を非難しながら、自らは貪欲という名の偶像礼拝
(コロサイ3:5)に手を染めていました。
 ★このように、主イエスはユダヤ人が「祈りの家」神礼拝の場である神殿を、金儲けの場に換えていた事に激しく怒られたのです。
 ★現代においても、キリスト教会の礼拝堂の中で、教会行事と関係の無い音楽会・講演会・バザーなどに場所が提供されているのを見ることがあります。
 ★教会のバザーは、信徒が持ち寄る不用品を販売して純益を教会に献金するのだから問題ないと言うかも知れません。しかし、不用品を売ったお金を神様は喜ばれるでしょうか。不用品を売ったお金を捧げることは、不用品(ごみ)を神様に捧げることに等しいのです。ゴミをプレゼントされて喜ぶ人は誰もいません。

 
B.主イエスの宮清めが行われたのは1回か2回か
 ★ヨハネの福音書が描く「宮清め」は主イエスが公生涯の初めの頃行われたことになっています。これに対して他の福音書(共観福音書)では、主の公生涯の終わりの頃行われた事になっています。
 ★ヨハネ福音書では、主が縄でムチを作って振り回されたことが書かれていますが、他の共観福音書はそれに触れていません。「何の権威によって」と言うユダヤ人の質問に対して、ヨハネは「この神殿を壊してみよ」と答えておられ、共観福音書は「ヨハネのバプテスマは天からか人からか」と問い返しておられます。
 ★このように、ヨハネの記事と他の福音書の記事に違いがあるので、二つは別の出来事に見えます。
 ★しかし、2回行われたパンと魚による給食の奇跡はマタイとマルコの二つの福音書で明確に二つの別々の出来事として描かれているのに、宮清めは2回行われたなら、なぜ、どの福音書も1回しか描いていないのか、と言う疑問が残ります。
 ★という訳で、宮清めは1回だったか2回だったか、確定することは出来ません。

U.何の権威によって
 
A.ヨハネのバプテスマは人から来たか、天からか
 ★主イエスの宮清めの御業は、これを目撃していたユダヤの民の指導者を始め、何者も逆らう事のできない神の威厳と威力に満ち溢れた業でした。
 ★ユダヤ人たちは「何の権威によって、あなたはこれらのことをするのか」と尋ねました。神政国家ユダヤには主イエスに宮清めの権威を授けた記録がなかったからです。
 ★これに対して主は「ヨハネのバプテスマは天からであったか、人からであったか、答えなさい」と迫りました
 ★この主の御言葉は、「これは私の愛する子、私の心にかなう者である」と言う天からの声があり、天が開け、神の御霊が鳩のように主イエスの上に下って来られたのは、ヨハネから洗礼を受けられた時だったこと
(マタイ3:16,17)、そしてこの時こそ、主イエスが天からメシヤ・キリスト(救い主)としての権威を公に父なる神に認証された時だったことを私達に再認識させてくれます。
 ★「何の権威によって」と言うユダヤ人の質問に、率直に「バプテスマのヨハネから洗礼を受けた際に、天からの声と聖霊によってその権威を神から公に受けた」と答えることをなさらずに、彼らに質問を投げかけ、答えを求められました。「ヨハネのバプテスマは天からであったか、人からであったか、答えなさい」と。
 ★主イエスのこの問い返しは、子なる神としての「知恵のことば」であると同時に、私たちキリスト者が模範とすべき主イエスによる、聖霊が与える「御霊の賜物」の一つとしての「知恵のことば」
(Tコリント12:8)の行使であったとすべきでしょう。
 ★主は今後迫害の時代が来た時、人々に特に国家権力の前で「どのように返答すべきか、思い煩うな、答えるべき言葉を聖霊がその時授けて下さる」と約束しておられます(
マルコ13:11)が、その聖霊が与える言葉とは、この時の主の言葉のように、敵に付け入る余地を与えない「知恵のことば」なのです。

 
B.この神殿を壊して見よ。
a.主はたとえで福音を語られた

 ★「何の権威によって」と言うユダヤ人の質問に、ヨハネ福音書では、主は「この神殿を壊したら、私は三日のうちに、それを起こすであろう」(ヨハネ2:19)と答えておられます。「この神殿を壊したら」と口語訳で訳されている部分は、新改訳では「この神殿を壊してみなさい」となっています。原語のギリシャ語は「この神殿を壊しなさい」と、より攻撃的・挑戦的表現になっています。
 ★主のこの言葉をユダヤ人は文字通りエルサレムの神殿のことを言われたと解釈し、「この神殿を建てるには、46年もかかっています。それなのに、あなたは3日のうちに、それを建てるのですか」と反問しています。弟子たちでさえ、その時、この言葉の意味が分からず、主の復活の後、この言葉の意味を理解したくらいですから、ユダヤ人が誤解するのも無理もないことでした。
 ★主はなぜ、誤解されやすい表現をされたのでしょうか。それは、主のたとえ話の目的と同じです
(マタイ10:13〜15)。不信仰と偶像礼拝と罪の生活に安住して、悔い改めようとしない人々から御国の福音の真理を隠すために、主はたとえを語り、わざと誤解されやすい表現をされたのです。
 ★キリストの福音は今日も心のかたくなな人々には隠されています。福音伝道とは伝道者と教会の熱心によって、信じたくない人々を無理やりに信じさせる活動ではありません。祈って、聖霊のお助けを求めつつ、福音をありのままに語り、信じる者に救いを与える神と教会との共同作業です
(Tコリント3:9)
 ★福音が聖書のままに純正に語られる時、不信仰者が福音を拒絶する時にも、信仰者が信じる時と同様、神は栄光をお受けになるのです。

 
「然るに、神は感謝しべきかな。神はいつも私たちをキリストの凱旋に伴い行き、私たちを通してキリストを知る知識の香りを、至る所に放ってくださるのである。私たちは救われる者にとっても滅びる者にとっても、神に対するキリストの香りである。後者にとっては、死から死に至らせる香りであり、前者にとっては、命から命に至らせる香りである。」Uコリント2:14〜16

 ★トラクト(伝道文書)を1万枚配って1人応答があるか無しかの我が国の田舎伝道は、効率主義に汚染された頭には無駄に思える働きですが、天の神は正当に評価しておられるのです。

b. 人が信じようと信じまいとすべての人々に福音は語られねばならない

 ★すべての人々に福音は伝えられなければなりません。しかし、命に至る門は狭く、その道は細いので、救われる人々は少数派です
(マタイ7:13,14)。不信仰ゆえに滅びる人々には、地獄に落ちた後、地獄に落ちた責任が自分にあることを彼らに悟らせるために、「教会が、キリスト者の友人が福音を語ってくれなかったから自分は地獄に来てしまった」と神の御前で言わせないために、彼らが地上にいる間に福音を聞かせる必要があるのです。
 ★あなたがクリスチャンなら、あなたの隣人に「あなたが福音を語ってくれなかったから、私は地獄に落ちてしまった」と言わせてはならないのです
(エゼキエル3:17〜21)

V.主イエスは人間を清めて神の神殿にするために来られた
 
A.主イエスは世に来られたまことの神の神殿であられる
 ★主イエスが言われた「この神殿を壊しなさい。そうしたら、私は三日のうちに、それを起こす」という言葉には、三つの重要な真理が含まれています。
 ★一つは、ユダヤ人に向って、この神殿を壊しなさい」と言われた言葉は、ユダヤ人が主イエスを十字架にかけて殺すことの預言です。そして、2つ目に「私は三日のうちに、それを起こす」と言う言葉は、主ご自身には、死から復活する力と権威があることの宣言です
(ヨハネ10:18)
 ★三つ目は、主イエスはご自分の身体を指して「神殿」と呼んでおられることです。主イエスは、地上を歩まれた生きた神殿、歩く神の宮でした。神殿は神の栄光が輝く所であり、人が神を礼拝する所です。主イエスこそ、神の栄光の真の表れであり
(ヘブル1:3)、信じる私達にインマヌエル「神が私と共におられる」という約束を実現してくださったお方なのです。
 ★真の神殿であられる主イエスの到来によって地上のエルサレム神殿は不要となりました。
 ★旧約聖書の律法の要求を主イエスはすべて成就し
(Uコリント1:20;ローマ10:4)、罪のあがないの御業を完成されたので、儀式律法は廃棄され、人が手で造った神殿は不要になったのです。


 
B.キリスト者はまことの神が内住する神の神殿である
 ★聖書はキリストを信じる私たちも「聖霊の宿る神の宮・神殿」であると言っています。

 「あなた方の身体は、あなた方のうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなた方はもはや自分自身のものでないことを、知らないのですか」。Tコリント6:19


 ★主イエスは、エルサレムの神殿を清める権威のある御方であると共に、神の宮となるべき私たち人間を罪と汚れと悪から清める力と権威のある御方であることを十字架の死からの不死の栄光の身体への復活によって証明されました。
 ★私たちキリスト者は主イエスのあがないの御業によって、一人一人が小さな神殿になったので、いつでもどこでも神を礼拝し、祈ることができます。
 ★天地の主なる神が私たちキリスト者の味方として、助け手として共におられます。


結び
 ★わが同胞の皆さん、人が手で造った偶像を拝む偶像礼拝は、サタン礼拝であり
(Tコリント10:19,20)、主イエスにつばきをはき、主を十字架にはり付けた罪に等しい大罪です。偶像礼拝者は死後、火の燃える硫黄の池に投げ込まれます(黙示21:8)。金銭を愛すること(これが貪欲であり偶像礼拝です/コロサイ3:5)はあらゆる悪の根です(Tテモテ6:10)。あらゆる悪と罪と汚れから私たちを清める権威を持つ主イエス・キリストを心の中心に今こそ迎えてください。
 ★人は生来、アダムの子孫として罪人です。罪を犯す者は、罪の奴隷であり
(ヨハネ8:34)、サタンの支配下に置かれています(エペソ2:1,2)。その目がサタンに暗まされているので(Uコリント4:4)、自分が何者であるか、どこから来てどこに行くのかも分からない、人生の孤児であり、人生の記憶喪失者です。
 ★人生の孤児、人生の記憶喪失者である私たち罪人を哀れんで、天の父なる神は、御子なる主イエスをこの世にお遣わしになり、御子イエスによる救いの道を備えてくださったのです。

聖書
 「アーメンたる(まことに真実な)者、忠実な、まことの証人、神に造られたものの根源である方(主イエス・キリスト)が、次のように言われる。・・・見よ、私は(人の心の)戸の外に立って、たたいている。誰でも私の声を聞いてその戸を開けるなら、私はその中にはいって彼と食事を共にし、彼もまた私と食事を共にするであろう」。 黙示録3:14,20

 「御子イエスの血潮はすべての罪から私たちを清める」。 Tヨハネ1:7




URL http://31church.net
キリスト紀元2007年 1月 10日公開


24