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   みことば黙想


〈26〉礼拝の祝祷を想う

 
「主イエス・キリストの恵みと、神の愛と、聖霊の交わりとが、あなた方一同と共にあるように」(Uコリント13:13)。

 ★キリスト教会の公同礼拝の終わりに牧師が手を上げて祈る祈りが祝祷です。この祝祷は上記の聖句にもとずいた祈りです。通常、次のように祈られます。
 ★「主イエス・キリストのめぐみと、父なる神の愛と、聖霊の親しき交わりとが、私たち(会衆)一同と共に限りなく(とこしえに)ありますように、アーメン」

T.主イエス・キリストの恵み
 ★他ならぬ「主イエス・キリストの恵み」とは、神の御子イエス・キリストが十字架と復活によって成就された救いのことであり、罪の赦し・永遠の命のことです。
 ★この恵みからこぼれ落ちることは、キリスト者にとっては致命的な災いであり、キリストの恵みに留まることは何よりも求められなければなりません。

 「律法によって義とされようとするあなた方は、キリストから離れてしまっている。恵みから落ちている」(ガラテヤ5:4)


 ★このキリストは
畑の中に隠されていた宝のように、長年隠されていたが、今の新約の時代に明らかにされた神の奥義であり、天地の主なる神が信じる私たちの中に永遠に共に住んでくださり、私たちと絶えざる交わりを持って、私たちを祝福してくださるというグッドニュースなのです。

 
「その言葉の奥義は、代々にわたってこの世から隠されていたが、今や神の聖徒たちに明らかにされたのである。神は彼らに、異邦人の受くべきこの奥義が、いかに栄光に富んだものであるかを、知らせようとされたのである。この奥義は、あなた方のうちにいますキリストであり、栄光の望みである」(コロサイ1:26,27)。

U.神の愛
 ★親に愛されている子供とそうでない子供は、一目りょう然です。愛されている子供は生き生きして、目が輝いています。
 ★すべてのキリスト者は「神に愛されている者達」
(ローマ1:7)、と聖書の中で呼ばれています。キリスト者は父なる神に愛されている「神の息子・娘たち」です。
 ★神の愛は私たちが神の敵であった時に、私たちのために命を捨て、十字架上に死んでくださったアガペーの愛です。十字架は信じる私たちにとって神の愛の不動のしるしです。

 
「しかし、まだ罪人であった時、私たちのためにキリストが死んでくださったことによって、神は私たちに対する愛を示されたのである」(ローマ5:9)。

 ★この神の偉大な愛から私たちを引き離すものは何もありません。

 「私は確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも。力あるものも、高いものも深いものも、その他どんな被造物も、私たちの主イエス・キリストのおける神の愛から、私たちを引き離すことはできないのである」(ローマ8:38,39)。

V.
聖霊の交わり
 ★交わり(ギリシャ語/コイノーニヤ)は「一つの同じものを共に受ける・与る」ということです。
 ★父なる神から出て、主イエス・キリストから遣わされた聖霊なる神は、私たちキリスト者の内側に宿り、御子キリストと私たちとの交わりと父なる神と私たちとの生きた交わりを実現させてくださるのです。

 
「私たちの交わりとは、父ならびに御子イエス・キリストとの交わりのことである」(ヨハネ1:3後半)。

 ★キリストとの交わりにおいて、私たちの罪・とが・けがれ・弱さ・愚かさを、キリストが十字架の上に引き受けてくださり、私たちの信仰の故に、キリストの中にある義(罪の赦しと天国に入国する資格)と聖さと力と知恵と命を私たちに与えてくださるのです。
 ★聖霊は文字通り「聖(きよ)い霊」(ギリシャ語/ハギオス<聖なる>プニューマトス<霊>)です。主イエスの十字架のきよい血潮によって清められ、聖霊との親しい交わりの中に入れられた私たちキリスト者は聖書の中で聖徒と呼ばれています
(ローマ1:7)
 ★聖徒と訳されているギリシャ語ホイ・ハギオイは「きよい者達」「聖なる人々」「聖人たち」という意味です。カトリック教会は殉教の死を遂げた人々や特別な功績のあった人々だけを聖人と呼びますが、聖書は私たちキリスト者をキリストにある「聖人」とみなしているのです。ですから、私たちは神の設定されたキリスト者の標準(キリストにある聖人)に向って、日々、み言葉と祈りと信仰と御霊の助けによって、聖化の道に励むのです。

 「愛する者たちよ。それだから、この日を待っているあなた方は、しみもなくきずもなく、安らかな心で、神のみ前に出られるように励みなさい」(Uペテロ3:14)。

 ★聖霊はキリストを通して神から来るすべての良きもので信じる私たちを満ち溢れさせてくださるのです。

 
「どうか、父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、あなた方の内なる人を強くしてくださいますように。
 こうしてキリストが、あなた方の信仰によって、あなた方の心のうちに住んでくださいますように。
 また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなた方が、すべての聖徒と共に、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。
 こうして、神の満ち満ちたさまにまで、あなた方が満たされますように」(エペソ3:19)。

W.三位一体の神

 ★私たちキリスト者の信じる神は三位一体の神です。すなわち、父、御子キリスト、聖霊の三神格で一者の神です。
 ★受洗の時、私たちはこの三位一体の神の御名によって洗礼を受けました。それはマタイ28:19の

 
「それゆえ、あなた方は行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマ(洗礼)を施せ」

 というみ言葉に従って行われます。この「名によって」と訳されているギリシャ語エイス ト オノマは「御名に入れて」と訳した方がふさわしい言葉です。
 ★つまり、私たちキリスト者は洗礼において、父・御子・御霊の中に入れられた者となるために洗礼を受けたのです。
 ★「三位一体の神の御名に入れられる」とは、ブドウの幹の枝となるべく、接ぎ木された枝のように神に結びつく者となることであり、神の家族の一員となることです。
 ★ここで注目して頂きたいことは、「父と子と聖霊の名によって(いれて)」の「名」は複数形でなく、単数形であるという点です。すなわち、この単数形によって聖書は「父と子と聖霊と」が一つであることを明らかにしています。このように、聖書には三位一体という用語はなくてもその実体があるのです。
 ★この祝祷も三位一体の神を前提にして、この神から来る祝福のすべてを一まとめにして祈る簡潔にして十分な祈りであると言えます。

X.あなた方一同と共にあるように
 ★冒頭のUコリント13:13のみ言葉は手紙の中の言葉ですから、差出人のパウロは受取人のコリント教会の人々が祝福されるよにと「あなた方一同」と祈るのは当然です。
 ★これに対して、礼拝における祝祷は祈る牧師もその会衆の一員として祝福を受ける立場にありますので、「私たち一同の上に」と祈ります。
 ★主イエス・キリストはその恵みのゆえに、信じる私たちを聖霊によって、父なる神と子なる神キリストとの生きた日々の交わりに招き入れてくださると共に、私たちを三位一体の神の宮としてくださるのです。

 「イエスは彼に答えて言われた、『もし誰でもを愛するならば、私の言葉を守るであろう。そして、私の父はその人を愛し、また、私たちはその人のところに行って、その人と一緒に住むであろう』」(ヨハネ14:23)。


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キリスト紀元2007年 5月 30日 公開


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