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   みことば黙想


〈27〉今後キリストを肉によって知ることはすまい

 
14「なぜなら、キリストの愛が私たちに強く迫っているからである。私たちはこう考えている。一人の人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのである。15そして、彼がすべての人のために死んだのは、生きている者がもはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために、生きるためである。
 16それだから、私たちは今後、誰をも肉によって(新改訳/人間的標準で)知ることはすまい。かつてはキリストを肉によって(新改訳/人間的標準で)知っていたとしても、今はもうそのような知り方をすまい。17誰でもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである」Uコリント5:14〜17

T.上記文脈の中での16節の意味

 ★
「それだから、私たちは今後、誰をも肉によって知ることはすまい。かつてはキリストを肉によって知っていたとしても、今はもうそのような知り方をすまい」(Uコリント5:16)。

 ★誰でもキリストを信じている者は、キリストにあって古い自分に死に、新しく創造され、新しく生まれた者である。その者らはキリストにあって全く新しい人生観・世界観を持つ者達である(17節)。
 ★だから、私たちキリスト者は主イエス・キリストを、さらに誰をもキリスト者以前の目で、人間的標準で知ることを止め、主にあって霊的な見方をしよう(16節)、という意味になります。

U.キリストを肉で知ること
 ★「キリストを肉で知る」の「肉」(ギリシャ語サルクス)は文字通り「肉」という意味の他、「人間性」「生来の人間的力・能力」という意味を持っています。
 ★ですから、「キリストを肉によって知る」とは、新改訳のように「キリストを人間的標準で知る」とか「キリストをただの人間と見る」といった意味になります。
 ★主イエスの故郷ナザレ村の人々は彼を「ただの大工のせがれ」と見ていました
(マタイ13:53〜58)。主イエスの兄弟でさえ彼を将来キリストとして立つ人とは見ていませんでした(ヨハネ7:3〜5)
 ★彼がキリストとして公生涯を歩まれてからも、彼を救い主キリストと信じる人々は決して多くはなく、ただの「預言者」、あるいは殉教の死を遂げた「バプテスマのヨハネが死からよみがえったのだ」とか、旧約時代の預言者エリヤやエレミヤの再来だとか言っている人々がいました
(マタイ16:13,14)
 ★今日も、キリストをただの道徳的教師、預言者、多くの宗教の中の一派の教祖と見る人々が大勢います。こういうキリスト評価が肉によってキリストを知る知り方です。
 ★弟子ペテロが「あなたは生ける神の御子キリストです」と信仰告白した時、主イエスは「あなたにこの事を現わしたのは血肉(新改訳/人間)ではなく、天にいます私の父である」と言われました
(マタイ16:17)
 ★父なる神から来る聖霊によらなくては、誰も「イエスは主キリストである」と信仰告白することは出来ません
(Tコリント12:3)。また、上記Uコリント5:17にあるように、キリストを信じて新しく生まれ、新しく造られた人とならなければ、肉ではなく「霊」でキリストを知るようになることは出来ません。

V.キリストにある新しい「人の見方」
 ★キリストにあって新しく造られた人々となったキリスト者は主イエスばかりでなく、お互いを肉によってでなく、霊によって知るようになります。
 ★今の自衛隊の話ではなく、旧日本軍の話ですが、召集令状の赤紙をもらった人は否応なく検査を受けて、入隊・従軍しなくてはなりません。
 ★いったん入隊すると、一民間人であった時の地位・身分を捨てなくてはなりません。大学教授も弁護士も社長も一新兵として他の新兵と同じ扱いを受け、上官の命令に絶対服従しなければならなくなります。
 ★1865年に英国のメソジスト派牧師ウィリアム・ブース師によって始められた救世軍はキリスト教会の一面であるキリストの軍隊という特徴を強調したキリスト教会の一形態であると言えます。キリスト教会はサタン・この世・肉という霊的な敵と戦う使命を帯びたキリストの霊的軍隊です。
 ★ですから、キリスト教会に受洗して入会した者は、いかなる人もキリストにある新兵であることを自覚しなければならないのです。つまり、教会の中ではこの世での地位・身分は通用しないのです。
 ★某英会話学校のテレビ・コマーシャルが、職場では上司と部下であっても、学校の中では生徒同士は互いに対等であることを教えているように、キリスト教会の中にこの世の序列を持ち込んではならないのです。
 ★つまり、大学教授や医者が教会員になった場合、、教会のなかでは一信徒であり、「先生」ではないのです。
 ★受洗して新入会員となった医者や大学教授や弁護士やそれに類する社会的地位をもった人々は、キリストが地上で神の在り方を捨てられたように
(ピリピ2:6〜9)、教会では先生の身分を捨てないと、その人の信仰の成長は望めません。
 ★昔、あるクリスチャンの衆議院議長が教会では自ら進んで下足番をしておられたという話は有名です。

 ★また、逆にこの世的に恵まれていない人々が、教会の中で信仰的、霊的に恵まれ、富んだ人である場合があります。

 
「兄弟たちよ。あなた方が召された時のことを考えてみるがよい。人間的には、知恵のある者が多くはなく、権力のある者も多くはなく、身分の高い者も多くはいない。それだのに神は知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強いものをはずかしめるために、この世の弱い者を選び、有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。それは、どんな人間でも、神のみ前に誇ることがないためである」(Tコリント1:26〜29)。

 「愛する者達よ。よく聞きなさい。神は、この世の貧しい人たちを選んで信仰に富ませ、神を愛する者たちに約束された御国の相続者とされたではないか」。(ヤコブ2:5)。


 ★キリスト教会はキリスト再臨後に始まる新天新地での生活の前味を味わわせる神の国のモデルとなるべき使命を帯びています。キリスト教会での新秩序以上に、新天新地においては、地上の秩序とは異なる秩序が展開されることになります。



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キリスト紀元2007年 6月 10日公開


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