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みことば黙想
〈25〉聖霊は罪と義と裁きとについて世に誤りを認めさせる
聖書
「5けれども今私は、私を遣わされた方のところへ行こうとしている。しかし、あなた方のうち、誰も『どこへ行くのか』と尋ねる者はない。6かえって、私がこれらのことを言ったために、あなた方の心は憂いで満たされている。
7しかし、私は本当のことをあなた方に言うが、私が去って行くことは、あなた方の益になるのだ。私が去って行かなければ、あなた方のところに、助け主は来ないであろう。もし行けば、それ(新改訳/助け主)をあなた方に遣わそう。8それ(新改訳/その方)が来たら、罪と義と裁きとについて、世の人の目を開くであろう(新改訳/「世にその誤りを認めさせます」)。9罪についてと言ったのは、彼らが私を信じないからである。10義についてと言ったのは、私が父のみもとに行き、あなた方は、もはや私を見なくなるからである。11裁きについてと言ったのは、この世の君が裁かれるからである」。ヨハネ16:5〜11
T.上記のみ言葉の背景と状況
★このみ言葉は十字架の受難の前に、主イエスが弟子たちに語っておられる告別の説教(ヨハネ13:1〜16:33)の中の一部です。
★主の御口から受難の予告を聞かされて、悲しみに沈む弟子たちに、「私が去って行くことは、あなた方の益になるのだ。私が去って行かなければ、あなた方のところに、『助け主(聖霊)』は来ないであろう。もし行けば、私は『助け主』をあなた方に遣わそう」と約束しておられます。
★その聖霊が来ると、その聖霊は「罪・義・裁き」について世の人の目を開く(新改訳/「世にその誤りを認めさせる」)と、聖霊の重要な働きを解き明かしておられます。
U.罪について
★「罪についてと言ったのは、彼らが私を信じないからである」(9節)。
★ユダヤ人にとって罪とはモ−セの律法に対する外面的行いの違反のことであり、それ以上でも以下でもありませんでした。我が同胞日本人も罪といえば法律違反しか知りません。
★しかし主は、「罪とはキリストを信じないこと」にあるとしておられます。イエス・キリスト、すなわち父なる神から遣わされた唯一の救い主を信じないことは、彼を遣わされた父なる神を信じないことであり、人間の造り主である神を無視し、逆らうことだからです。
★罪からの唯一の救い主を信じない者は、自分で自分を罪に定めることになります。
★そして、み言葉と共に働く聖霊が人に自分の罪を認めさせてくださいます。
★ペンテコステの聖霊降臨の時、使徒ペテロの説教と共に働かれた聖霊が集まったユダヤ人にキリストを十字架にかけた罪を悟らせました(使徒2:22)。
V.義について
★「義についてと言ったのは、私が父のみもとに行き、あなた方は、もはや私を見なくなるからである」(10節)。
★このみ言葉は「主イエスが十字架の死と復活と昇天によって神の義を成し遂げられた」ことを示しています。主イエスこそ、信仰によって受けるべき「神の義」であり、この方による以外に救いがないことを意味しています。
★宗教改革者マルチン・ルターは、カトリックの修道士であった時、さまざまな難行苦行によって神の義に達しようと努めましたが得られませんでした。英文学の古典「天路歴程」の著者・鋳掛屋伝道者ジョン・バニヤンJohn
Bunyan (1628-1688)も行いによる義と心の平安を求めて悪戦苦闘しましたが得られませんでした。二人とも新約聖書のみ言葉によって、信仰による義を発見したのです。
★「あなた方がキリスト・イエスにあるのは、神によるのである。キリストは神に立てられて、私たちの知恵となり、義と聖とあがないとになられたのである」(Tコリント1:30)。
★ヤコブが兄エサウの衣を着て年老いた父イサクの前に立った(創世記27章)ように、キリストという衣を着て、神のみ前に立つ時、神は私たちの罪とけがれを見ないで、キリストという義と聖の衣をご覧になって私たちを義人として受け入れてくださるという真理、これが上記2人の発見した信仰義認の教理です。
★「キリストに合うバプテスマを受けたあなた方は、みなキリストを着たのである」(ガラテヤ3:27)。
W.裁きについて
★「裁きについてと言ったのは、この世の君が裁かれるからである」(11節)。
★地上のキリスト時代のユダヤ人はイエス・キリストにありとあらゆる罪と汚名を着せて十字架にかけました。「神を冒涜する者(マタイ26:65)」、「偽り者(マタイ27:63)」、「悪霊に憑かれている者(ヨハネ8:48)」と呼び、十字架の死刑を受けるにふさわしい者とみなしました。
★しかし、ユダヤ人が罪に定めたキリストの十字架は、実はサタンの頭が釘で打ち抜かれた瞬間でもありました。
「主なる神は言われた、『・・・私は恨みを置く、おまえと女との間に、お前のすえと女のすえとの間に。彼はお前の頭を砕き、お前は彼のかかとを砕くであろう』」(創世記3:15)。
★上記ヨハネ16:11は新改訳の方が原語のギリシャ語に近いと言えます。新改訳はこう訳しています。「裁きについてとは、この世を支配する者が裁かれたからです」。ここで「裁かれた」と訳され、聖書協会口語訳が「裁かれる」と訳しているギリシャ語「ケクリタイ」は裁く「クリノー」の受動態完了時制です。「ギリシャ語完了時制は過去の動作にもとずいた現在の状態を表す」とメイチェンの「ギリシャ語入門」が解説しています。ですから、正確には「裁きについてと言ったのは、この世の君が裁かれてしまっているからである」ということになります。
★元天使であったサタンは、神に反逆して裁かれ、天から追放され、キリストの十字架によって頭を砕かれ、キリストの前には全く無力な者とされました。ですから、悪霊共はキリストのみ名に屈伏して出て行くのです。
★しかし、サタンとその配下の悪霊共は、終わりの日に火と硫黄の燃える池に投げ込まれるまでの間、この世の不信仰な人々を支配し(Tヨハネ5:19)彼らの間で悪行を続けることを、神の深遠なご計画により許容されています。
★「邪悪で罪深いこの時代(新改訳/このような姦淫と罪の時代)」(マルコ8:38)と聖書が断罪する今のこの世にあっては、罪のない神の御子イエス・キリストは罪人として十字架にかけられ、キリスト者はうとまれ、迫害されます。ただし、聖書に忠実な福音を熱心に語り、世の罪を暴くことをしないなら、今の日本では迫害を受けることはありません。
★このような邪悪な時代にあっては、聖書にあくまでも忠実に生きようとする教会とクリスチャンは裁かれ、この世と妥協する教会とその信徒たちは歓迎されます。
★しかし、この世の君(サタン)はすでに裁かれ、滅びが決定しているのです。聖書と共に働く聖霊なる神が、聖書を謙虚に読む人々に、そのことを悟らせてくださるのです。
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キリスト紀元2007年 5月 20日公開



