ゴスペル よい知らせ キリストをあなたに @31church.net
〈16〉奇跡について
キリスト教案内
  ★主イエスは言われました。よく聞いておくがよい。誰でも幼子のように神の国を受け入れる者でなければ、そこにはいることは決してできない。」(ルカ18:17)。幼子の純真さ、親に対する絶対の信頼は我々キリスト者の神に対する姿勢のまぎれも無い手本です。幼子のもう一つの特徴は物事に新鮮に感動する心です。「これ何、なーに?」とか「何で、どうして?」と親に尋ねます。「そんなこと当たり前」と何事にも感動を忘れた大人をたじたじとさせます。
 ★聖書の中に出てくるさまざまな奇跡の話を、現代人に納得しやすくするためそれらを合理的に、手品の種明かしをするかのごとく説明しようとする神学者や牧師がいます。しかし、聖書から奇跡を取り去ったら、聖書は人が書いたただの道徳の書でしかなくなるでしょう。奇跡の記事は聖書が全能の神のことばである重要なしるしの一つです。聖書の奇跡は種も仕掛けもない文字通りの不思議な、現実に起きた出来事なのです。聖書の数ある奇跡の中の最も重要なものが主イエスの二度と死なない栄光のからだへの復活です。「
イエスは言われた、『人にはできない事も、神にはできるのです。』」(ルカ18:27)。主イエスは言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は死んでも生きる(ヨハネ11:25)
 ★もし、私たちが万有引力の法則を発見したアイザック・ニュートンのような探究心、幼子のような柔らかい心で世の中を見廻すなら、奇跡としか言いようの無い出来事にあふれていることに気付かされて驚くはずです。時計の時刻合わせの元になる天体の動きを考えて見てもこれらの動きを司る神様の存在抜きには考えられない不思議な動きです。母胎の妊娠と出産の出来事も、人が不遜にも「子供をつくる」と言えるほど当たり前の出来事では決して無い不思議な出来事です。人の顔の造作を考えてみてもそこに創造主の入念な考慮と愛情のもとに生み出されたデザインを見い出します。もし、顔の造作が上下逆さだった場合を考えてみれば、そのことは一目瞭然でしょう。
 ★被造世界で日常的に起きている出来事を法則的に起きる奇跡とすれば、聖書の奇跡は神がご自身のつくられた法則にとらわれることなく行われた奇跡と言うことができるでしょう。そして、聖書の時代の奇跡は決して一部の神学者が言うように現代には起こらないこと、或いは聖書の完成した後必要が無いから起きないといった類のことではありません。法則的奇跡と並んで超法則的奇跡の数々が、今日の世界各地で信仰者の祈りによって現実に起きているのです。それは、
イエス・キリストは昨日も今日もいつまでも変わらないお方(ヘブル13:8)だからであり、主イエスのわたしを信じる者はわたしのしている業をするであろう。そればかりか、もっと大きい業をするであろう。」(ヨハネ14:12)という御言葉が真実だからに他なりません。Q&A Q13今でも奇跡は起きるのですか? 信仰偉人逸話集〈1〉信仰の巨人スミス・ウィグルスワース ご参照


URL http://31church.net
キリスト紀元2003年 6月 1日公開

17