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信仰偉人逸話集


〈1〉信仰の使徒スミス・ウィグルスワース
    
Smith Wigglesworth
     A.D.1859〜1947

   キリスト紀元2005年 5月 30日更新


 
聖書のことば 「もしできれば、と言うのか。信じる者にはどんなことでも出来る」マルコ9:23。

 ★聖霊のバプテスマを受ける前 彼は、1859年イギリス・メンストンの貧しい家庭に生まれ、6才の時から農園で働かされていましたので、学校へ行ったことがなく、読み書きを習い始めたのが、20代に結婚してからで、その学習は救世軍士官だった妻ポリーの指導によるものでした。
 ★彼は、8才の時、祖母の感化を受けてメソジスト教会で洗礼を受けました。結婚してから、妻と二人三脚で開拓伝道を始めましたが、説教は妻ポリーの担当でした。スミスが、たまに説教台に立つことがあっても、すぐにどもって立ち往生してしまい妻に交代してもらうのが常でした。
 ★二人は生活のために、配管工事の請負をしていましたが、これが繁盛して、スミスの心をキリストから引き離し、一時は妻の教会行きを阻もうとするまでに霊的・信仰的に後退していた時期もありました。しかし、妻の忍耐と祈りと愛とによって、キリストに立ち帰ることができ、彼は、後に「キリストにあって私が持っているすべてのものは、妻ポリーのおかげである」と言っています。

 ★聖霊のバプテスマ以後 この彼が自ら切望して与えられた聖霊のバプテスマによって、一夜にして劇的に変貌し、川の流れのように淀みなく、獅子のごとく雄雄しくキリストの福音を語り始めたのです。主は彼を通して初代教会の使徒たちに勝るとも劣らない奇跡の数々を成し遂げられました。彼の伝道生活は実に、新約聖書・使徒行伝の続編そのものであり、しるしと不思議の伴った活けるキリストの証人として世界各地を駆け巡り、数え切れない人々をキリストの救いに導いたのでした。
 ★彼は文字通り「一書の人」であり、彼自身、「私は聖書以外の本はほとんど読んだことがない」と言っています。彼のように強力なキリストの証し人になるためには、彼同様、一書の人にならねばならない、などとは誰も思いませんが、聖霊と共に働く時、聖書にはそれほどの権威と力があることを、すべての人々が知らなければなりません。

 ★警察官が彼を逮捕しにやってきた話 彼はスウェーデンのストックホルムで伝道集会を開いていた時、無許可で病人を癒した咎で警察に逮捕されたことがありましたが、以下はスイスの伝道旅行で信仰の友の家に滞在中の出来事で、彼の説教「神を信ぜよ」の中でスミス自身が証している体験談です。
 ★二人の警察官が、その友人の家にスミス師の逮捕状をもってやって来ました。容疑は、例のごとく医者の免許無しに病人を癒したというものでした。「当人が伝道奉仕中なので彼が帰って来る前に会ってもらいたい人がいる」と友人は警官たちを近くの家に案内しました。その家は彼ら警官たちがよく知っている家でした。なぜなら、その家の女性は酒癖が悪く、酒によって喧嘩騒ぎを起こしては逮捕されるという事を繰り返していた女性だったからです。友人は警官たちに言いました、「彼女が酔って伝道集会にやって来た時、体の二箇所が骨折していました。スミス師が彼女の骨折箇所に手を置いて祈った結果、骨折も酒癖も癒されたのです」。そこに、当の女性が家から出て来て、証言しました。「その通りです。神様は私を救ってくださり、その日以来、私はお酒を一滴も飲んでいません」。警官たちはぶつぶつ言いながら帰って行き、それ以来訪ねて来る事はありませんでした。

 ★老夫婦の足癒される イギリスのベルファストの集会でのことです。一人の兄弟が彼のところにやって来て言いました。「うちの教会に霊的・信仰的に恵まれたすばらしい老婦人がいるのです。この姉妹の祈りと存在によって私たちの教会は大いに恵まれているのです。この姉妹が半年前に怪我をして大たい骨を骨折し、医者がギブスをはめて数ヶ月後にこれをはずしてくれたのですが、うまくつながっていなかったためか、また転んで骨折してしまったのです。」スミス師がその兄弟とその老婦人のところへ行くと、その姉妹はベッドに寝ていました。姉妹は言いました、「医者は『あなたは老人だから、骨がうまくつながらないのです。あなたは残りの生涯をベッドの上で過ごさなければならないでしょう』と言うのです」。
 ★スミス師は尋ねました、「あなたは神様を信じますか?」。老姉妹は答えました、「信じます。神にとって不可能な事はないと信じています。あなたが祈ってくださるなら、私は癒されると信じます」。スミス師は言いました、「私が祈ると、何かが起こります」。姉妹の夫も老人で、この4年間座ったままで、一歩も歩いていませんでした。彼は叫びました。「私は信じないし、信じたいとも思わない。あなたでも私を信じさせることは出来ない」。師は「よろしい」と言って、主イエスの御名によって祈り、その手を老婦人の上に置きました。その瞬間、神の力が姉妹のからだを貫きました。姉妹は叫びました、「私は癒された」。師は言いました、「私は、あなたを助け起こしません。神様がそれをされます。主イエスの名によって歩きなさい」。すると、彼女は自分で起き上がり、主を賛美しながら部屋の中を歩き始めました。
 ★これを見ていた夫はびっくり仰天して、「私も癒してください。私も歩けるようにしてください」。師は「罪を悔い改めなさい」と諭しました。老人は罪を認めて、へりくだりました。主は哀れみ深い方です。誰でも罪を悔い改めて、へりくだる者を受け入れ、願いを聞いてくださいます。師が彼の上に手を置くと、神の力が彼のからだをも突き抜け、4年間動かなかった足が癒され強くされ、彼のからだをあちこち思い通りの所へ運んでくれました。彼は言いました、「主は、今夜私たちに偉大なことをなさった」。

 ★水がガソリンに変わった出来事
 第二次世界大戦の頃、スミス師は80歳代でしたが、戦時下のイギリス国内各地を伝道旅行していました。燃料の石油は、食料や衣類と同様配給制度のもとに管理されていました。石油は不正売買を取り締まるために、当局は種類、生産地、配給地毎に別の色に染めていました。
 ★ノッチンガムシャーのある教会の牧師ハリソン師は、スミス師を自分の教会に伝道集会の講師として迎える約束をしていました。その条件は、直前の伝道集会開催地(隣町)からハリソン師の車でスミス師を自分の教会まで乗せて来る事でした。
 ★その車がロビンフッドで名高いシャーウッドの森の中でガス欠のためにえんこしてしまったのです。教会までは16マイル(25〜26キロメートル)ほど離れていました。ハリソン師が途方に暮れていた時、スミス師は祈りを通して天からの指令を受けていました。スミス師「水を持っていますか」。ハリソン師「ラジエーター用の水が一缶あります」。スミス師「それを燃料タンクに入れなさい」。
 ★そんなことをしたら、大事なマイカーが台無しになることを承知の上で、他でもないスミス師の威厳のある命令なので、彼は逆らわずに、2リットル入りの水の容器を取り出し、燃料タンクに注入しました。
 ★ハリソン師は車の前部にクランクを取り付け、恐る恐る、しかし力一杯クランクを回しました。一回、二回、三回。すると、驚いたことにエンジンが息を吹き返し、元気のいい音を立てて動き始めたのです。
 ★車はその後支障なく走り続け、目的地に時間内に到着し、スミス師は予定の奉仕を無事に済ますことができました。後で、燃料タンク内に残っている元水だった燃料をプロの整備士に見てもらうと、間違いなくガソリンであり、しかもその色がハリソン師に配給されているものと同じ色でした。この奇跡を報じる海外のサイト。

 ★聞かれない祈り
 祈りと主の御力によって人々の病いを癒したスミス師でしたが、祈りが聞かれない体験も数々ありました。愛息が死去し、聴覚障害者の愛娘アリスは生涯癒されることがありませんでした。スミス師の祈りで一旦死から蘇生した妻ポリーは「主が私を呼んでおられる」と言って天に召されて行き、彼を悲しませました。自分が腎臓結石と診断され、手術しないと命の危険もあると警告されても、手術を拒否して、癒されるまで6年かかりました。その他、坐骨神経痛、脱腸、心臓発作に悩まされ、癒しを求めて彼の元にやって来る人々より、病んでいることもあったのです。
 ★地上に居られた時の主イエスにも力ある業を行うことの出来ないときがありました(マルコ6:4〜6)。ただし、それは相手の人々が不信仰な時に限られていました。そうでない時には、主はいつも、癒しを求めて来る人々を皆癒されました(マタイ4:23,24)。
 ★しかし、人に過ぎないキリスト信仰者が信仰と祈りによって人を癒す時には、その内の何%かは癒しが実現しない時、祈りが聞かれない時があるのです。それは、神の癒しの道具でしかない人間に謙遜を教えるための神の御配慮なのかも知れません。


 ★結び 彼の奉仕の特性は神への揺るがぬ信仰であり、神にとって不可能はないとの固い確信と祈りによる、9つの聖霊の賜物
(1コリント12:7〜11)の実践でした。彼はまた、すべての栄光を主に帰し、自分がほめられることを嫌いました。彼の奉仕には数々の奇跡が伴い、彼の奉仕で死からよみがえった死人の数は1ダース12人以上に及びました。
 ★彼スミス・ウィグルスワースの存在と働きは、初代教会の時代の後、聖霊の賜物はなくなったとする不信仰な人々に対する強烈な反証であり、ノックアウトパンチであることは言うまでもありません。ただし、聖霊の賜物を信じなければ人は救われないなどということは決してありません。人を救う力は、イエス・キリストの十字架と復活による罪のあがないのみ業にあり、救いを受けるためには罪の悔い改めと信仰が必要かつ十分条件なのです。


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