■優紀編■
4日目【7月24日】


 
 
「おじゃましちゃっていいのですか?優紀さんって…いわば家政婦でしょ。見つかったら怒られるんじゃぁ」

 綾部家別荘のリビングで俺はテーブルに座って優紀さんに話しかける。彼女は買ってきた食料品を冷蔵庫の中などにしまっていた。
 それにしても、別荘にはもったいないほど大きな冷蔵庫だなぁ。

「あら、心配してくれるの? 大丈夫。厳密に言うと仕事でやっているわけじゃないの。ちょっと訳ありでね」
「え? どういう事です?」
「うちの親がね。綾部宗一…旦那様の古い親友なの。だから昔から色々お付き合いがあったのよ。それで、花嫁修業をさせてあげてくれってここに預けられたの。そう言うわけでけっこう融通は利くのよね」
「そうなんですか。でも、親に無理矢理なんでしょ。嫌じゃないです?」
「そう…ね。納得しているっていったら嘘になるけど、それでも家でなんにもしないよりマシかなって思ってるわ。お給料も人並み以上にもらえるしね」

「他にいい仕事はなかったのですか?」
「ここのところ、新卒の女性は職がないでしょ? 実はわたしも就職浪人組だったの。家事手伝いなんて性に合わないし、家にいたってつまんないしね。多少の不満は我慢しなきゃ。あっ、コーヒーと紅茶、どっちにする?」
「じゃぁ、紅茶を」
「オッケ〜。ちょっと待っててね」

 優紀さんは台所に行って手慣れた手つきで紅茶を入れる。
 そうそう。美鈴は朝早くから出かけているらしい。まったく、何処をほっつき歩いてるんだか…。

 でも、よく考えたら広い家に二人きりなんだよな。
 …ってなに考えてんだ俺。

 優紀さんはただお礼として招いてくれたんだ。別に他意なんてあるわけないじゃないか。

「ん〜? なに? まこと君」

 ほら、変なこと考えるもんだから優紀さんが怪訝な顔をしてるじゃないか…。

「はい、どうぞ」
「あ、ありがとうございます」

 優紀さんが紅茶のカップを二つ持って俺の向かいの椅子に座り、その一つを俺の前に差し出す。

「あのさ、せっかくの機会だから話しちゃうけど、わたし、まこと君の事、昔から知っていたのよ」
「へ? そうなのですか?」

 突然の言葉に顔をあげると、優紀さんは頬杖をついて俺が紅茶を飲むのを見ていた。
 優紀さんと初めて会ったのは確か1年前、彼女が学校に美鈴を迎えに来た時だったと思う。その後、美鈴を挟んで何度か話をした事はあったが、直接二人で話をしたのは昨日の晩が初めてだ。

「私が学生の時、一回だけ会ってるわ」
「ええ?そうでしたっけ?…う〜ん、思い出せないなぁ」
「じゃあ、ヒント。わたしはあなたのお姉さんとは知り合いなの」
「!!」

 俺は驚いて紅茶を吐き出しそうになった。
 な、なんだって? 姉貴の知り合い??

「そ。高校以来のね」
「もしかして家に来たことがある?」
「ええ。何回か博子の家にはお邪魔したわ。どう? 思い出した?」
「う〜ん。姉貴の友達っていっても何人もいましたから…。覚えてないなぁ」
「ちょうどこんな時期だったかな? 博子に呼ばれて、パンツ1枚の姿でリビングにやって来て…」

 思い出しているのか、少し笑いながら俺に言う優紀さん。

「ああ! 思い出した! 俺、昼寝していた時だ。突然姉貴に呼び起こされて、リビングのドアを開けたら姉貴の友達が2、3人いて…。あの中の一人だったのか」

 くそう!あれはめちゃめちゃ恥ずかしかった事件じゃないか。姉貴の悪戯は悪質だからな…。
 うわぁ、優紀さんとの初対面がこんな事だったなんて…。だから覚えられていたのか。

 でも、待てよ。姉貴と知り合いって事は、昨日話していた好きな相手って、やっぱり…。

「もしかして…優紀さんの好きだった相手って康太郎義兄さん?」
「…やっぱり分かっちゃったか。そうよ。わたしの好きな相手は長谷川康太郎」

 さっきとは一転して深刻な表情になる優紀さん。俺は何て答えていいか分からず無言で優紀さんを見る。

「そして、それを奪ったのがあなたのお姉さん。…最初につき合っていたのはわたしだったわ。大学受験の時の家庭教師の先生が康太郎さんだった。その時に好きになっちゃって、大学合格の時に告白して1年くらいつき合ったかな?わたしが彼とちょっと喧嘩した隙に博子に取られちゃったの」

 優紀さんの独白に動揺を隠せない俺。俺に近づいたのはそういう経緯があったからじゃないのか…。

「何度も取り戻そうとしたけどダメだった。そのうち康太郎さんの方から博子にプロポーズ。それでもわたしの気持ちは諦めるどころか深くなっていったの」
「……」

「あ! ちょっと、誤解しないで。今ではもうなんともないのよ。昨日は久しぶりに会ってちょっと動揺してしまったけれど、もう結婚してしまったんだからね」
「でも、俺は優紀さんから康太郎さんを奪った女の弟ですよ。なにも感じていないなんて嘘でしょう?」
「…そうね。確かに昨日、誘った時は腹いせにからかってやろうっていうのは少しはあったと思うわ。でも、今は違うの。そうじゃないとこんな事、君に教える訳ないでしょう?」
「……」
「ごめんなさい。信じられないのも無理ないわね」