不沈艦 スタン・ハンセン

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最近のハンセン

20001.1.1

プロレス大賞において、「特別功労賞」の受賞。アメリカでリハビリを続けるハンセンにとってまた励みが一つ増えた。

最近明らかにされたところによると、ハンセンを引退に追い込んだ膝の痛みと腰の痺れは、手術を経て順調な回復をみせているという。140キロの体を支えてきた膝は激しく磨耗しているうえに、激しい戦いのなかで骨がゴルフボール大の破片に砕かれていた。腰の痺れは背中にできた直径15cmの巨大なほうしゅが、せきついを圧迫していた。

2000年の11月に2度の手術が行われ、膝に人口関節移植、背中からほうしゅの切除が施された。いずれも全身麻酔をともなう大手術だった。

それからは驚異的な回復をみせており、1月28日の「ジャイアント馬場三回忌」東京ドーム大会への来日には問題がなさそう。

「長年日本マットで活躍したことを評価してもらい大変感謝している。残念ながら1・28の引退セレモニーでマットに別れを告げるが、その時までにはしっかりとケガを回復して、元気な姿で日本のファンにお別れを言いたい」

さらばハンセン

さらば不沈艦

さらばテキサスロングホーン

さらばブレーキの壊れたダンプカー

ハンセン引退を表明

2000.11.19

m2000

日本で人気となった外人レスラーは列挙に暇がないが、その中でもっとも息の長い活躍と貢献をしているレスラーをスタン・ハンセンであると言えば反論には時間がかかるだろう。

99年末、馬場のいない世界最強タッグ決定リーグ戦、ハンセンはとてつもなく大きな存在だった。「ウィーイ」プロレス宇宙にこだまするテキサスロングホーン、馬場にもとどいているだろう。それは僕の心にももちろんとどいて、プロレス、馬場がいて鶴田がいて、ブロディがいて、テリーとドリーがいて、そしてハンセンがいるプロレスをもとめずにはいられなくなる。だけど、もうハンセンしかいないのだ。

初の自伝

「魂のラリアート」

双葉書店刊

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デビューから全日分裂までを赤裸々に!(帯より)

本人がすべてタイプしたことはほぼ間違いがない。

貴重な資料であり、この中で語られる友情の物語にはとても心をうたれた。

1999年 世界最強タッグ決定リーグ戦のハンセン

1981年 世界最強タッグ決定リーグ戦のハンセンと馬場