不沈艦 スタン・ハンセン

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1999年 世界最強タッグ決定リーグ戦のハンセン

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99年のスタン・ハンセン

スタン・ハンセンだけが残った、っていう言い方はどうだろう。

ブロディが天に召され、天龍が去り、馬場と鶴田が引退し、ハンセンだけが残った。これらの出来事は10年の間に起きたことだ。そしてハンセンも歳を重ねた。人間は歳をとる代わりに失うことがある。ハンセンというレスラーにとって戦友達を失ってゆくのは悲しいことだろう。自分の衰えも悲しいことだろう。衰えながらハンセンは残った。そう、ちょっと衰えて三沢や小橋に追い付かれて追いこされているのかもしれない。たそがれの不沈艦なんていわれ方もする。

ハンセンだけが残った、思わずこう言ってしまうのはハンセンの孤独が見えて仕方がないからです。

正直悲しいものがある。僕は馬場の引退を未だにうまく受け入れられていないから余計にハンセンのことが寂しく見えるのだろう。あんな形の引退だったからなおさらそうなるのだろうけど、馬場がいないことのマイナスのことばかりが思い浮かんですぐに悲しくなってしまい、うつむいてしまう。馬場とハンセン、このことについては改めて、自分の思い入れをどこかに残しておきたいと思う。

友が去り、衰えた自分だけが残るのはどこの世界でもおこることだけど、この全日本のリングの上での歴史は特別だなのだ。そして結果的にその語部となるのはハンセンになってしまった。本当は馬場であったはずだ。しかしその口はもう地上にないのである。いつかもっと先に、全日本プロレス旗揚げ40年記念の年に、ハンセンと馬場と鶴田とドリーが自然に昔話をしてくれるイベントがあったらいいなあ、、などと思っていた、なんて改めて書くとまた寂しくなるなあ。

とにかく20年プロレスを見てきた今、本当にハンセンは特別になってしまった。三沢全日本のなかで一番信頼できる父性を馬場にかわってハンセンがになうことになったのである。そのことが認知されていることは最強タッグ優勝戦の武道館の観客の反応が証明している。対戦相手の小橋・秋山組は世界タッグ王者であり優勝の大本命ということが、判官びいきの材料になったこともあるが、圧倒的にハンセン・田上組の勝利を望み声援をおくったのであった。

これが最後のチャンスかもしれない、テレビの実況に教わらなくてもみんなわかっている。昨年もベイダーと優勝戦にすすむも、同じ小橋・秋山組に敗れている。もっと遡れば馬場と組んだ年も決定戦で三沢・川田組に阻まれた。10年間最強タッグ優勝を手にしていない。壊れたダンプカーとは馬場がハンセンを評しての言葉だが、今やそのダンプカーは全日本の良心でさえある。ハンセンを通して馬場や鶴田、ブロディ、スヌーカー、ゴディ、ファンクス、を見ることができる。ハンセンがいなかったら全日本ファンと言えない人が少なくないのではなかろうか。僕は今のところそうだし、あの声援のなかでその想像はあながち外れていないことを確信した。それどころか馬場と叫ぶかわりにハンセンの名を叫んでいるのだ、とさえ思った。

また田上が黒のガウンなんかででてくるから、泣けるのである。赤いトランクスの長身が放つハイキックは十六文キックを思い出さずにはいれないのであるが、さらに馬場が描いた「ハワイの海に沈む太陽」の油絵を背中にあしらったガウンを着てきたのった。嗚呼、全日本的な戦いの佇まいが熟してまさに枝から落ちようとしている。余計なことを一言いれるが、この完全無欠のドラマつくりをさり気なくやってくることに気がついて、それに感動するか嫌になるかは全日本を愛せるかどうかのテストみたいなものである。また来年、全日本を見る気になるかどうかの試練でもある。ずっと肯定的に見ていられることは難しいと思うが。

試合が始まれば予想に反してハンセン組は7割方押しまくっていた。しかし負けてしまった。それもラリアットを秋山に読まれて、カウンターのジャンピンニーを喰らってしまった。そこに小橋のラリアット。ドンピシャだった。あの時高山に浴びせていったラリアット、乾坤一擲、まさに渾身の一発。ハンセンはもんどりうってリング下へ。その隙に田上が捕まる。小橋のケサ斬りチョップから秋山のエクスプロイダー、一度は返したもののハンセンはまだリング下、ロープをつかんで立ち上がる田上のがら空きの背中に秋山の膝がくる。そしてエクスプロイダー、今度は角度の違う落ち方するやつだ。小橋がレフリーと一緒になってカウントをたたく。ハンセンはようやくエプロンにひじをかけリングにあがろうとしていたところに、田上のフォールを見ることになった。わずか3分もない間のことだ。またハンセンから勝利が逃げていった。

そして場外マットにしゃがみこんで力一杯目をつむった。涙を我慢しているように見えた。いったい何を思ったのか?そしてハンセンはリングにもどり、ダメージの残る田上にを抱きかかえた。とてもやさしい感じだった。ブロディの死の直後、天龍からうばったPWFのベルトを肩にかけ「ぶろおでぃー」とリングで何度も絶叫していた。そしてことしの馬場の引退興行でも「ばーば」とくり返した。これらふたつのシーンを思い出させるような表情だった。なんて悔しさがにじみでているのだろう。そして傷付いたものに対して無防備なのだろう。

試合後のコメントではまた寂しくなるようなことを言っていた。「田上はもっと若い奴と組んだほうがいい。川田とだったら勝てただろう。でもヘルプがいるなら喜んでまた組むよ。田上、よくやった、ゴメンナサイ」ハンセンに肩を担がれながらそのコメントを聞いていた田上は、うんうん、とうなずいていた。

田上はハンセンを「ぐちゃぐちゃおじさん」と言っていたが、「組みやすい、意外にいい人」と例のとぼけた口調で言っていたらしい。川田が戻ってくる来年早々からは田上葉ハンセンに教えてもらったことを生かして暴れて欲しいと思う。

ハンセンはアメリカに戻った。子供の世話もたいへんなんだろうと思う。次は誰がパートナーなんだろうか。ウイリアムスが戻ってくるなら、終生のパートナーとしてあがってくれないか。なんだかとても心配である。

スタンをもっと使ってくれよ、三沢社長。ハンセンが壁となって鍛られた人間がきっと21世紀の全日本をになうだろう。小橋のように。