不沈艦 スタン・ハンセン

 全日本登場

1980年 世界最強タッグ決定リーグ戦のハンセン

| BACK |

99年のスタン・ハンセン

あのこと僕はテリーがいつかハンセンに勝つことを信仰のように信じていた。テリーのバカ!!!

「ブロディのあとにウエスタンハットの男がいます。」「あー、あれは、ハンセンですね。」「うえ、えースタン・ハンセンです。」
当時の全日本プロレス中継は倉持アナと山田隆史さんだったが、この二人のわざとらしい実況に僕はどうしようって感じだった。その後に起こることが全く予想できなかったのだ。プロレスを楽しむことになれていなかったので、「まったく」なんて思う余裕がなかった。少年、まさに少年的なファンだった。
その中継は世界最強タッグ決定リーグ戦の最終戦で、あの頃はどういうわけか最終戦まで優勝が決まらず、最後に決まるというパターンだった。どこかのチームが最終戦をまたずに優勝するということがなかったように思う。場所は蔵前国技館。
これは椎名誠の本にも出てくる話だが、この世界最強タッグといえばそれまではテリーとドリーの兄弟コンビであるザ・ファンクスと、呪術師アブドラ・ザ・ブッチャーと火炎男ザ・シークのチームの因縁対決である。ハンセン登場のこの年の前の年も、最終戦でこの2チームが対決しブッチャーがテリーの左手をフォークでメッタ刺しにしたのだった。「本当に涙がでます、このテリーのがんばり」倉持アナは負傷した左手をかばいもせずに、きざきざのブッチャーの額めがけてパンチを繰り出すテリー・ファンクに声援を送った。実況ではなく声援だった。蔵前の
お客さんもテレビの前の人もみんなテリーが好きになってしまうのだった。情熱突進型の弟が敵の攻撃を真っ向から受け止めるのに対し兄のドリーは冷静で実にクレーバー。何度となく敵のコーナーで蹂躙されている弟を助けようとロープをまたぐがレフリーに制止されてしまう。ルールは確かにそうなのだが、守らなくてもどうってことないのに守るのはベビーフェースの条件であり、その後に訪れる復讐の劇を盛り上げるための序章である。
この前の年の決定戦は耐えに耐えたファンクスが逆襲、相手チームの同士打ちを誘い勝利した。怒ったシークはブッチャーに火炎を浴びせた。すごかった。本当に火を吹いたよ、って感じだった。ファンクスの優勝劇、すばらしいこの劇を見たらほとんどの人がファンスのファンになると思う。僕はほとんど信者になった。思えばいろいろな信者になったが、思い入れの深さではかなり深かったと思う。

そして次の年、初来日したブルーザー・ブロディとジミー・スヌーカーはとても強かった。二人はチームを組み、最強タッグに初参加した。ブロディーはチェーンを振り回し、独特のニードロップとブレンバスターを武器に暴れまくった。日本人でピンをとったのは馬場だけで、鶴田も苦戦していたと思う。スヌーカーはスーパーフライの渾名の通りボディーアタックを得意とする筋肉質の褐色の体が美しかった。
その二人は初参加ながら優勝戦に残るのであった。
そして相手は我らがヒーロー、不死身のファンクス。
荒れた試合にはなるだろうが、ファンクスは耐え凌いで最後は勝利するだろう、少なくとも僕はそう思ってテレビの前でドキドキしていた。ぼろぼろの勝ち方でいい、むしろそのほうが感動するのだ、などと勝手にドキドキしていた。
そんなところにハンセンである。なにハンセンって新日だろ、ラリアットだろう、なんで?セコンドだろう?まさか手をださないよなあ、だって優勝戦だぜ。プロレスをよくわかっていないので、倉持さんと同じリアクションである。倉持さんは本当はわかっていたと思うけど。

そして試合が始まった。予想通り力で押しまくるブロディとスヌーカーに対し要所を締めて試合を作るもとNWAチャンピオン兄弟、いい試合だった。試合が15分を過ぎたころだったか、場外にテリーが落ちる、紙テープに絡まりながらブロディがテリーを引き起こす。ドリーはまだ来ない。ハンセンが左腕をあげながらブロディに目配せするシーンがカメラにうつしだされると、次の瞬間ブロディはテリーをハンセン目掛けて投げ付けた。ハンセンの左腕がテリーの首をさらいテリーは吹っ飛んだ。とうとうやった。紙テープで一杯の場外を転げ回ったせいですっかりテリーの体は紙テープの中に潜ってしまった。
リングの上ではドリーが一人奮戦、ブロディとスヌーカーにエルボースマッシュを浴びせたり、ブレンバスターで投げたり、スピニングトーホールードをかけたりしていた。相手が怯んだ隙に場外におりて弟の様子を見るが、グロッキー状態を確かめるとエプロンを悔し気に両手で叩くと、意を決したようにリングにもどった。相手は二人掛りでドリーを痛めつけるが、ドリーもエルボーで応戦する。が、それもやはり長くは続かず、リング中央に倒れる。ブロディがジャンピングニーの助走にはいる。ドリー、かわしてくれー、心で絶叫。しかしヒット。そしてカバーの体制。かえせ、とまた心で絶叫。するとカウント2でかえした。嗚呼感動。こういうのを1年待っていたんだ、と思う間もなく、再度の空襲、さしものドリーもここまでであった。ブロディとスヌーカー、そしてハンセンの3人が手をとりあい勝利の喜びを分かち合った。ドリーはもちろん、テリーもまだ場外でグロッキー状態だった。
しかしそのリングに駆け上がってきたのは馬場と鶴田だった。これはもう伝説となっているが、馬場はハンセンを捕まえると脳天唐竹割りチョップを降りおろした。ハンセンも打ち返す。そのうちに馬場の着ていたジャージは馬場の腕に絡み付いているだけとなり、馬場が降りおろす度にジャージもハンセンの顔にかかるのであった。だからよくわからなかったのだが、10発もしない間にハンセンの額は血に染まり、それでもやめない馬場によって真っ赤な鮮血が顔中が覆ってしまった。ハンセンの白いシャツは血みどろになりストリートファイトのようだった。鶴田はたしかブロディを相手にしていたんだろう。当時の全日本プロレス中継には珍しく、カメラは控え室までハンセンを追いかけた。荒れ狂うハンセン。そしてリング上にもどると怒りの馬場が映っていた。「人の家を土足であがるような行為は許さない」という馬場のコメントを倉持アナが伝えていた。

これが全日本でのハンセンの始まりだった。