水戸藩校弘道館正庁、他
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正 門 四脚門形式の門で弘道館創建 時に建てられたままの門です。 この正門が開かれるのは、藩主 の来訪時の他は諸行事の時だけ だったそうです。幕末の動乱を 見てきた門で、柱には藩内抗争 時の弾丸の跡があります。 |
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正 庁 弘道館の中心となる建物で、 藩主が臨席して試験が行われた 正席の間を中心に、番頭詰所や 諸役会所等いくつもの部屋に分 かれています。藩主も臨席する という事か、ただの藩校の建物 というより本丸御殿かと思うほ ど立派な建物です。 |
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至 善 堂 藩主が諸行事に臨席する時の 休息所となった建物で、正庁と は別棟ですが大廊下で繋がって います。また最後の将軍慶喜が 明治維新で江戸城を出たのち、 この至善堂の御座所で謹慎生活 を送りました。 |
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孔子廟正門 弘道館の敷地を出て、北側に 回り込むと孔子廟があります。 本殿は先の戦災で焼けてしまい 戦後の再建ですが、この正門は 檄門と呼ばれ、創建当時のまま の建物です。ただ孔子廟は普段 は非公開のようです。 |
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弘道館北側の土塁 弘道館は城内三の丸にあるの に、さらに弘道館の周囲に土塁 と堀が築かれています。藩主が 弘道館に来訪する事がある為で しょうが、湯島聖堂や足利学校 も同様な構えなので、何か共通 点があるようです。(注) |