昌平坂学問所入徳門  

文京区湯島、湯島聖堂 




 江戸時代に犬公方として悪名高き五代将軍徳川綱吉は、儒学に傾倒して学問を奨励しこの地に

孔子を奉る孔子廟を建てました。その後の寛政9年(1797)に学舎等を整備して幕府直轄の学問

所を開設しましたが、孔子の生地の地名から昌平坂学問所と命名されました。そして明治以降は

文部省、国立博物館、図書館、師範学校等の教育機関が置かれました。ところが関東大震災や戦

災によりほとんどの建物を焼失し、江戸時代から残る建物は宝永元年(1704)建立の入徳門だけに

なってしまいました。そこで大成殿を始めとする諸堂が鉄筋コンクートで再建され、湯島聖堂と

して江戸時代からの教育の歴史を伝える史跡に指定されました。




     入 徳 門


 構内唯一の江戸時代からの建物

で、本殿である大成殿の入り口に

建っています。ただ藩校等に見ら

れる武家屋敷門の形式ではなく、

聖堂の門らしく寺院の山門に多く

見られる四足門形式の門です。






     杏 壇 門


 大成殿へと至る最後の門で、門

を潜ると回廊に囲まれた内庭へ出

ます。現在は鉄筋コンクリート製

ですが、中国様式の堂々とした門

です。名の由来は中国の孔子講堂

の跡地に杏が植えられたので杏壇

門と名付けられたそうです。






     大 成 殿


 孔子が奉られた本殿で、儒教が

宗教と学問の両方の側面を持って

いる事を物語る堂宇です。一見す

ると南を向いているようですが、

幕府直轄の建物として江戸城本丸

の方向を向いて建っています。






     石垣と土塁


 お城好きとしては気になる東南

角の石垣で、この学問所が武家屋

敷のような屋敷構えだった事を物

語っています。当時の絵図を見る

と、西側の敷地は現在は医科歯科

大となり、残った聖堂の敷地は東

に拡張されたようなので、この石

垣も移築されたのかも?