足利学校門・他  

足利市昌平町、足利学校 




 日本最古の学校として国の史跡にも指定されている足利学校は、いつ創立されたのか明らかで

ないほど古い歴史を誇る学校ですが、大学としての制度が整備されたのは室町時代のようです。

江戸時代になっても武家の子弟のための大学として存続していましたが、明治になると町の大火

を受け大半の建物は焼失してしまいました。現在も残る江戸時代からの建物は正面に建つ二つの

門だけで、方丈などの主要な建物は平成になってから江戸時代の姿に再建されたものです。

 ただ城好きの私が足利学校を見ると、構内の建物よりも豪族館のような周囲の濠と土塁の方に

目が行ってしまいます。隣りの鑁阿寺は足利氏館跡として濠と土塁に囲まれていますから、足利

学校の地も足利氏一族の館跡だったのではないか、あるいは貴重な大学の蔵書を野盗などから守

る為に城のような構えにしたのか、さらには身分のある家の子弟も学んでいたので不測の事態に

備えたものなのか、江戸時代に徳川家の庇護を受けていたので格式を示す為の濠なのか、いずれ

にしても武家屋敷としての雰囲気を色濃く残す屋敷構えのように思います。




    入 徳 門


 足利学校に入る第一の門で

当初の門は焼失したので裏門

(通用門)を移築したもので

す。小さいながらも城館に多

く見られる高麗門形式の門で

格式の高さを見せています。








    学 校 門


 第二の門で右手に濠があり

ますが、本来は左手にも濠が

あったはずで、土橋を渡って

ここからが本郭となっていた

のでしょう。門も一回り立派

な高麗門で濠との取り合わせ

は城門のようです。







    方丈と玄関


 この方丈の右手にも庫裏が

あって、それらの建物は平成

二年に江戸中期の姿に再建さ

れたものです。どうせだった

ら大学が確立した室町時代の

姿の方が良いと思うのですが

資料が残ってなかったのかも

知れません。






     濠と土塁


 ひときわ目を引くのがこの

濠と土塁で、どう見ても豪族

城館の構えです。これも中の

建物が再建されるのに伴って

修復整備されたのでしょうが

西側の濠部分は埋まったまま

なのが残念です。