可視総合光線療法


光線療法の歴史




ニールス・フィンセンがノーベル医学生理学賞を受賞

1903年に、デンマークの医師ニールス・フィンセン
炭素弧光灯(フィンゼン灯)カーボンアーク灯による光
線療法で尋常 性狼瘡(皮膚結核)の治療に成功し、
ノーベル医学生理学賞を授与されています。当時は
光線に含まれる紫外線の効果が重視されていました。



日本の光線療法の歴史

昭和2年当時、日本では太陽光線治療所が全国に120か所
あり繁栄を極めていたようです。



可視総合光線療法の歴史

米穀肥料商だった黒田保次郎氏は、43歳時、友人の胃潰瘍や甥の
脊髄癆が太陽光線療法で完治するのを体験しから、太陽光線治療に
魅かれるようになりました。5年間研究し効果を確認した後、
同氏は昭和7年6月に(1932年)一般財団法人 光線研究所
開設されました。
フィンゼン以降、光線療法は紫外線が重視され「可視線、近赤外線」
が無視されてきました。黒田氏のみが、多くの実験により総合光線の
重要性(効用)を認識していました。黒田氏は、炭素弧光灯
(カーボンアーク灯)の光線は、紫外線、可視線、赤外線
を含んでいるの、「可視総合線」と命名したと、「光線治療物語」
の中で書かれています。

以後、同財団において可視総合光線療法の研究、考案、実践が行われ、
その歴史は90有余年に至っています。西洋医学で不治・難治とされる
疾病にたいしても多くの治療実績が積み重ねられています。