更新記録

  

 

日野ワンワン倶楽部タンポポ隊1号

 

 

 

 

特別付録:こんなページまで開いた人の労をねぎらい
日野ワンワン倶楽部多摩川遡行隊の子供の時の写真を一挙公開
(知人のところのワンちゃん達です)                


     【更新履歴】&ワンちゃん達の写真館
   
 

2011年1月3日:昨年は大変な年でしたね。夏なんぞ、よくぞ生き延びたなという感じでしたし。実際、訃報も多かったですから。
 さて、此処数年の間、記事が更新できないでご無礼をしております。ご免なさい。以前書きましたように下書きは幾つも作っており、またその後も追加するべく画像データの処理などしてあるのですが、なにせ頭がアッパラパーになってしまっていて収拾つかない状態なのです。

 また、身の周りの環境もドンドン変化しております。2010年の前半には引越をしました。貧乏人の癖して持ち物があまりにも多いため、整理や処分をして引越をするのに仕事もせずに毎日引越に関わる作業をして、実際移動するまでに2ヶ月以上掛かってしまいました。 (^-^;;  それから、秋以降林業に参入してとてもハードな日々を過ごしております。

 山での仕事は10年ほど前にもやったことがあるのですが、この歳になって本格的にやることになろうとは。自給的生活には、山の樹を切って出し位できないとなどと能書きを書いてしまったら、自分自身の仕事としてやることになろうとはね〜。ああ、怖っ。でも、山の仕事は面白い。ネタ作りの意味もあるのですけど、どの位続くことやら・・・取り敢えず春までやってからですね。今までのWebを使ったビジネスとの二足の草鞋で静と動のバランスが採れるようになると良いのですが。

 発信したいことは沢山あれど、いま暫くは地力をつけることに注力するということでご勘弁。当サイトをブラウズして下さる皆さん、年賀状も出せずに不義理をしている仲間の皆さんゴメンナサイ。

2010年、大変な年になりそうですが、皆様方のご多幸をお祈り申し上げております。ま、大転換期ですな。光は心の中に....高澤拝

 

10月20日:昨年の11月29日に、下記を書き込んだままアップせず。ご無礼をしております。アップしたいことは沢山あるので、ページの下書きは幾つもしてあるのですが、なかなか仕上がらずに今に至ってしまっております。困ったものです。この辺で、すこしだらしない性格をなんとかしなくてはね。

1月1日:昨年5月に発刊の全林協刊、森と暮らす「ノウハウ図解 山仕事の道具」では、70ページ程に、道具の楽しみとリペアの方法について書かせて貰いました。本書は林業者や山主向けの質が高い書籍ですが、ワンランク上のエコな自給生活にもピッタリ。
 山の奥に分け入って、豊かな森から恵みを分けいただいてこそ実感できる大自然の精妙さと、その生きた恵みの精の強さ。街のロジックに翻弄され、意識の底まで依存的になってしまった我々は、自然に対して畏怖し感謝することを忘れがち。隷属的意識を解放するには先ずは山や大自然に足を踏み入れること、そして出来れば其処で短期間でも自給的に暮らしてみることかと・・・今こそ森林保全の大切さが心から理解、実感出来る時代になったのではないでしょうか。高澤拝


2009年

11月29日:うおっ、おお〜、やってしまいました。だらしなさ全開! なんと、2006年の3月23日日から更新履歴の本ページをアップロードしていなかったんですね。大変失礼を致しました。って、このページを見る人も居ないと思いますが、もしご覧になった方が居られたらスミマセンでした。
 その上、2007年の1/5分と4/22分は、PC内のページには書いてあったものの、其れをWebにアップロードしていなかったという顛末。偶には更新履歴も書いておかないと思い、念のために自分のサイトを見に行って、このページを見たら2006年のままストップしていました。一体何をやっていだのでしょうね。以前から時間が経つのが早い感じはあったのですが、この数年は加速度的に早くなって


2008年

4月22日: 当サイトを放ったらかしで大変ご無礼をしております。 なんだか、この大地のエネルギーが暴れまくっているみたいで凄いですね。体調が思わしくない人が沢山います。当地では断層が近いせいか、地震が活発化しているときとリンクして空気が澱んだ重たい感じになるのは気のせいでしょうか。

1月5日:明けましておめでとうございます!
本年も皆様方にとって良い年になります事を祈念させて頂きます。

 と、やっと書けたのが本日1/5になってから。遅い更新でご無礼を致しました。私事ながら昨年11月頃からやたら忙しくてゆっくり座っている時間がない位でした。といっても、自分の仕事の事ではなく(仕事もやれば稼げる状態なのに其れも出来ずに手つかずの事があまりに多くて...)、人様の手伝いばかり。また、援農も多くて、仲間の作業に駆り出されていましたね。
 さて、年明けから残念なニュースですが、あまり時間がないので、先ずはお知らせ。
 下記のリンクで紹介している鍋屋金物店さんが今年で廃業されるそうです。また詳しく案内のページを作りますが、理由は、扱っていた良い鋤鍬を作っていた鍛冶屋さんが廃業されたり、その他の鍛冶屋さんも廃業されるところが増えた上、名工達の刃物を扱っていた新潟三条の卸の方までが廃業されてしまった事が大きいそうです。他にも卸業者の方で廃業されるところがあったりして、良い製品を提供できなくなった事が、鍋屋さん主のお歳と重なって廃業を決心される動機となられたようです。此の3月までは最低続けられるそうですが、其の後、どの位営業されるかは検討中のようです。廃業の際には建築資材などについてはセールをされるみたいですけれど、刃物や農具類の質の高いものに関しては特にそういったことは行わない模様。質の高い道具類を手に入れたい方はお早めに算段をされて於いた方が良いかも知れません。幾らインターネットが発達しても、そんなものがカヴァー出来ない世界というのはありますから・・・
 かく言うわたくしめもその恩恵を受けていますので、こんなサイトをご覧になられる方には早めの手当をお勧めしておきます。農的な自給生活には、鍛冶屋の作った質の高い道具は大事だと思われます。。。これだけ書けば案内ページは要らないかな???
 もう一つニュースで、今度は明るい方。鍛冶屋さんは廃業されることばかりですが、同じく下記のリンクしたページで紹介させて貰っている、群馬の天野刃物工房さんから年賀状を戴いたところ、お父様が昨年亡くなられて、其の後は息子さんが四代目として継がれたご様子。若い鍛冶屋さんの誕生です。嬉しいですねこういうお話しは。


2007年

 頂きものの捏ね鉢。

3月23日:相変わらず貧乏で生活費がないから小遣いも当然無い。けれども良いことは色々ある。自分の仕事のお客さんで島根の人が蕎麦の捏ね鉢とそば粉一式を送ってくれた。捏ね鉢は右画像の1kgのそば粉が捏ねることが出来るもので直径54cm。取扱説明書には一応漆器となっていたがちょっと軽い(5kg位)のでホンちゃんではないだろう。殆ど使った痕がが無く、聞いたら新品とのこと。無償で頂いてしまった。有り難いことです。m(_ _)m
 島根の人には貧乏な人からお金は取れません等と言っていただいたが、どうも話の流れではその方も捏ね鉢を貰った様子。いきなり大中小と沢山の捏ね鉢大尽になって仕舞ったという。それで買ったばかりの自分のものを私に上げたらと旦那さんと話をした結果送ってくれたと言うことらしい。
 以前に聞いた、町に美味しい手打ち蕎麦屋さんが出来て女性二人(母娘)でやっていらっしゃるお店が暫くして廃業してしまったというので、そこの道具を分けて貰い自分達で購入したものが浮いてしまったということらしい。其処のお店は可成り美味しいお蕎麦屋さんだったそうだが、御母様の具合が悪くなってしまって無念の廃業らしい。勿体ないね。
 捏ね鉢は欲しいことは欲しかったのだが、どうせだったら良いものが欲しいし、場合によっては自分で作ろうかと思っていた。鍛冶の師匠の小山氏も自分で削って作っているしね。近所の金物屋さんでも臼刳りチョウナを求める人も居るようで、少なからずそう言った作りものをする人達もいるから材料が手に入れば(此が難しいけど)一度はやってみたいもの。
 それはさておき、焦って手に入れなくても向こうから捏ね鉢はやって来た。いまは此で充分すぎる。ご縁の問題ね。向こうからやって来るもの、タイミング良く現れるものは何かしら意味がある(最終的にポジティブになるのかネガティブなのかはその人によるが)。此の件もそうだが、当家ではお金を使わず、使ったとしてもとても少ない額で良いものがやってくる。昔からそう。頂きものが多い。なので、今のお金が無いと何事も立ちゆかない生活に縛られることはない。そんなのは田舎だと当たり前だろうし、農家だったら更にそうかも知れないが、街場の生活でもそうなるところが凄いと思う(自画自賛?)。
 あれが無ければダメ、お金がないといざというとき困る、保険を掛けておかないと癌になったら入院費が、、、とかマインドコントロールに掛かって、ネガティブな未来を自分自身の潜在意識にプログラムする真似さえしなければ、、、実際そうならないので、、、、其処に余計なお金をそそぎ込む必要がないし、コマーシャリズムに乗せられないで、自分の道を歩むこと、それは自分の閃くこと、自分の役目を今出来る範囲でこなしていくと、不思議と道は開けていく。必要なものも手に入る。其の時々の流れというものがあるのだが、其れに気づかずに、大きな流れに抗って自分のエゴが発するノイズに惑わされ動き回ると、余計なお金も必要だし、要らないものばかりが身の回りに増えるし、トラブル、怪我、病気を逆に呼び込みかねない。不安、恐怖を元に行動を起こすと邪が忍び寄る。そうなると湧き起こるは妄念ばかりなので、間違った現実認識をして他人を誤解したり、世の中の本当の動き、裏の動きが見えなくなる。そうすると、更に自分の殻を厚くして守ることばかりにエネルギーを注ぐ。ああ真理から遠ざかるばかり也。踊らされてばかりの隷属的魂が増殖中。しかし、そうではない目覚めた魂(宗教などにも踊らされない)も増えつつあるようだし。期待しよ。

 自宅で蕎麦打ちをやると準備と後片付けが面倒くさい。特に独りでちょっとだけ打って食べたい時にはそうだ。自分一人で片づけまで全部やるとなるとね、、、
 
 その為に最低限の道具で、そして片づけながら作業を進める事に。小さいボウル、秤、90cm麺棒1本、台所用まな板、蕎麦切り包丁、コマ板、刷毛と塵取り、タオルなど

 独りだから200gでいいので、野菜を洗う時の小さいボウルを使って水まわしを行う。やりにくいけれど粉が少ないので問題はない(茹で上がりに冷やす時にも使うし)。
 ただ、今回は面倒な為に篩を使わずに粉を入れているので、二八の場合蕎麦粉と小麦粉を手で良く混ぜる必用がある。
 普段ボウルはホームセンタで買った直径36cmのもの(1500円位)を使っている。そば粉500g(十割蕎麦)は此でも充分。

 量が少ないので切るのが楽だね。のしの時も、切る時も打ち粉や道具類をその都度片づけながら作業を進める

 もうちょっと綺麗に盛れば良かった。可成り細めの江戸前に打った200g。この時点で蕎麦打ちの道具はタオル以外片付いている。
 あとは茹でて食べるだけなのだが、まだ葱も刻んでないしつゆも用意できていない。葱は浪人時代に友達が蕎麦屋をやるというので住み込みで手伝った事があり、その時の修練の結果、長ネギの空中切りが出来るのでチョイチョイと。つゆは、桃屋とか、鰹出汁とか秘伝のつゆが色々あるので、其れにさらに嫁さんのお店のカエシも入れての、五種類位をブレンド(^-^;;
 ところが、更に手抜きで大鍋でなくて飯盒で200g茹でたものだから、茹でで失敗。締まりが無くて美味しくなかった(;_;)
 1時を少し廻ってから蕎麦打ちを初めて、食べ終わり、片づけから洗い物、床にこぼした水を拭いて一通り掃除をしてから一服。お茶を飲み始めたのが2時半。手際よくなった

2月22日:久々の更新になってしまいました。結婚したりすると忙しいものですな。ええ歳こいてやっと解ったってえ状況もちょっと何ですね。尤も同居し始めてから2年ちょっと経っていますから、既に自由は少なくなっていたのですが。それでも結婚して良かった事は多少無いでもない。(^-^;; それは、嫁さんの実家が蕎麦屋なので旨いもののお裾分けがあること。あと蕎麦粉を分けて貰える事ね。それにソバつゆとカエシも偶に貰う。なんといっても50年近く蕎麦屋(修業時代を含めて)をやっていたオトッツァンだし、未だに毎日枯れ節からダシを採っている仕事の仕方だから美味しくないわけがない(巷ではそうじゃない蕎麦屋が多いらしい)。それに野菜も自分で畑で作っているものが多い蕎麦屋だから可成りの良心的蕎麦屋だ。だけど蕎麦ウドンは機械打ちなのが残念。でも、手打ちなんかやっていたら、、、只でさえ寿命の短い蕎麦屋仲間だそうだけど、、、、身体が持たないから、また値段が高くなってしまうから手打ちはやらないと言う理由も解る。それから蕎麦粉は精が強いから十割蕎麦なんてしょっちゅう食べたくは無い。日々の食事として食べるならそこそこのものの方が色々な理由から食べやすいというのも実感する。
 で、自分は分けて貰ったお店の蕎麦粉と割粉で二八の蕎麦を打って食べている。元の蕎麦粉は高めの良いものを使っているので、その辺の手打ち蕎麦屋で食べるよりも全然美味しい(やっぱり手打ちにした方が美味しいのが解った)。またそば粉十割の蕎麦切りを行う際には生産地や生産者のハッキリした信州産や色々試してみているが、此又大変美味しい。旨い蕎麦屋を求めて行脚する気なぞとうに失せてしまった(此は、その労力とお金があったら自分で打つ練習に向けるという意味と、そこそこ美味しいので結構満足してしまう為。勿論、ほんとに美味しいお蕎麦は高いお金を出して食べる価値はあると思いますが...)。結婚してから自宅にはお祝いのお客さん達が多いので(結婚式も披露宴もやらなかったのが其の理由)、蕎麦を打って出す事が多いが、皆さん大変喜んで頂けるのが有り難い。その上、嫁さんの店のソバつゆとカエシを出した日にゃあ大絶賛。
 そりゃあ当たり前でしょ、お店でも出さないカエシの量を増やした手打ち蕎麦向けの分量にしているし、もとからコストをかけたダシの採り方をしているソバつゆだからね・・・嫁さんに言わせると、お店でお客さんが気軽にソバつゆのお代わりと言われると青くなるそうだ。一番お金が掛かっているのが此のソバつゆだからだそうだ。あと、少し蕎麦打ちをやってみて、自分の技術は棚に上げておいて言わせて貰うなら、蕎麦粉でお蕎麦の味が全然違うと言う事。高けりゃ良いって事ではないけれど、蕎の素性が良くて製粉も良く、保存状態が良ければ出来たお蕎麦は美味しい。自分みたいな大したことが無い人間が打つのでも蕎麦粉が良ければ美味しいね。
 さて、そんな中、1月になって雪が降った日に、わたしが外で雪かきをしている間に、嫁さんが独力で蕎麦打ちを完了した。見た目は一応ちゃんと打てている。わたしは口出しはじめると五月蠅いので、分量と水の割合だけ教えて後はノータッチで雪かき。 嫁さんはムック本付属の蕎麦打ちのDVDを観てイメイジトレーニングして、それからタップリ昼寝してから、蕎麦打ちをスタート。んで、太さのバラツキはあるもののちゃんと繋がった蕎麦を打った。二八蕎麦だが。それで、食べても可成り美味しかった。なので、凄いね〜、天才だね〜と大絶賛。
 これを我が家では二匹目の猿現象と言っている。形態共鳴、Formative Resonanceと申しますが、形態形成場という智慧の場が出来上がっていると、時空を超えて智慧が繋がりのない他者に伝播することを言う。群だと臨界数を超えたときに起こる現象で、直接コンタクトの無い者同士で智慧が伝播される不思議なもの。うちの群は二匹だけ(二人とも申歳:嫁さんとは一回り違う)だけなので、いきなり臨界数を超えて、わたしの得た蕎麦打ちの技法が直接教えないのに伝わっていた訳ね。。。
 なんちって...(^-^;; 一応、嫁さんはわたしのやっているところを遠目には観ていたし(近くによると煩がるので)、それとなく眼の端には入っていたからね。 それから、手打ちでは無いけれど、一応蕎麦屋の娘だから親父さんが粉混ぜるのとか練っているのは観ているし。其れでも、DVDで蕎麦打ちの段取りと水の回し方とか(わたしは見せていない)観ただけの誰にも手取り足取り教わらないで出来ちゃったから凄いね。それにしても、よっぽど場の力も良かったんだね。
 その後、二回二八の蕎麦打ちをやって、何れも綺麗に美味しく出来上がっていた(DVDも観ずに、本をサッと観て復習しただけで)。今度は十割の生粉打ちに挑戦だな。
 蕎麦打ちって難しいって風潮があるけれど、ホントは簡単なんじゃないの。蕎麦屋が業界を守る為にそんな風聞を流しただけだったりして。ただ、嫁さんから聞くと定年退職した凝り性のお父さん達が手打ち蕎麦屋を開いて長続きせずに廃業してしまうケースが多いらしい。蕎麦屋の組合でも業界紙でもそんな話が話題になるらしい。
 商売もやったことが無い人の心の機微が解らない人が、ひたすらお蕎麦のクオリティのみを求め体力勝負をして討ち死にするパターンが多い様だ。石臼から粉を挽きはじめてお蕎麦を打って、その上天麩羅やら料理などの仕込みなどを他人を使わないでやっていたら、先ずは体力が続かないって。都内だったら高くても何とかなるだろうけれど、街場を出たらよっぽどの場所でなければ儲けなんか出ない可能性が高いのでは。きっと儲かるのは蕎麦打ちの道具屋さんや設備屋さんだけだねと話になる。こういうマニアっぽいお父さん達は良い道具を揃えたがるしね・・・って。それにしても普通の出前蕎麦屋さんの業界も相当厳しいらしくて、大抵は身体を悪くしていたり病気で亡くなっている人が多いそうだ。嫁さんのオトッツァンも去年は組合仲間のお通夜や葬式に何度も出ていたし。いまは私みたいに自分で蕎麦を打つ素人も増えていて、普通のお蕎麦屋さんには行かなくなっている事もあるかも知れないね。
 因みにうちで使っている蕎麦打ち用の道具でどうしても専用のものが必用と揃えたのは先ず綿棒ね。これが無ければ伸せないからね。それとステンレスの大きなボウル。お金無いので最初はそれだけ。でも、台所包丁ではどうしてもかったるいし、麺も太めになってしまうので、無理して蕎麦切り包丁を買った。
 当サイトの“手打ち鉈他、造林用の良い道具類を手に入れる`01/2”に書いた鍋屋金物店さんで親父さんに相談すると、1万1、2千円位で九寸のがあるという。此処の鍛冶屋のは値段の割に物が良いのでこれで良いじゃないかと言われた。ホントは尺の物が欲しかったんだけど予算からして今回は我慢。新潟三条の廣朋のもので手打ち刃物ではないけれど素人が蕎麦切りするのには充分な物だった。それにまな板も台所で使っている狭いものなので九寸で充分。ついでにコマ板も自作した。伸し台はテーブルを使っているし、他にはテーブルで使う専用のちり取りと刷毛を買ったくらいか。
 そんなわけで、来客時には食卓になるテーブルで蕎麦打ちをやるもんだから、うっかりノンビリ準備しているとテーブルの向こう側にお客さんを座らせておいて目の前で蕎麦打ちをする羽目に。その横で嫁さんが天麩羅の揚げたてを出すもんだから意に反して至れり尽くせりの持て成しになってしまう。本当は自分がノンビリ一杯やりたいんだけどね・・・(;_;)

 

 明けましておめでとうございます。今年も皆様方にとって良い年でありますよう!

 さて、左の画像はリビングの電話台(60*40*40cmの水槽を横にしたもの。因みに黒電話は現在未使用で、将来ADSLに付けようかとキープ。電気が止まっても使えるし、何よりも丈夫だそうです。友人のリサイクル屋さんに薦められました)の中です。

 暮れに掃除をしていたら、私の持っていた100円ショップのレトロ家具と嫁さんの持っていた食玩が20cm角の水槽に丁度入ることを発見。掃除を放ったらかして二人でレイアウトして遊んでみました。それにしても、今のオモチャは良くできていますねえ。此の雰囲気を倣って、家にも長火鉢があるので炭を熾してノンビリした正月にしましょうか。
 本年もよろしくどうぞ・・・

 今年の年賀の画像は面白いので(自分で勝手にそう思っているだけかも知れないが)、更新記録に移して残す事にした。

2006年

8月16日:今年の夏は過ごしにくい。うちはエアコンが無いので天候の変化は直撃。この所、家で仕事をしている事が多いので1日の中での変化も良く解る。風もなく猛烈に蒸し暑いと思ったら、割と乾燥した爽やかな風が吹いたりして。それが1日の内で何回も繰り返すなんて日も何日かあった。
 そして、ただ暑いだけでなく、空気が気持ち悪い。それも湿気とかいうレベルではなく、ドローッとした感じで身体が拒否反応を示す。都会だったら空気が悪いで済ませるかも知れないが、此処は近くに山々も連なる標高200m以上の高台である。何か地磁気が乱れていたり、断層から電磁波が放射されて空気がプラスイオン化されているのではないかと考えてしまう位に体調もおかしいのだ。自分だけでなく皆周りの人間もそうである。
 車で走っていても雀や他の鳥も異常接近してぶつかる寸前になる事も度々。そういえば6月に都内浅草に仕事に出た時に乗用車に飛んでいる鳩がぶつかってお亡くなりになるのを目撃。ツバメも8月になってもこの近所を飛んでいるし、蜩とかアブラ蝉の出てくる順番も違う。一昨日辺りの夜はもう秋の風が吹きコオロギが盛んに鳴いていた。
 体調もいまいちで冴えない所で、久々にこのサイトのページを追加したり更新したりした。去年、友人に譲って貰ったバイクのCT110の整備がざっと終わって調子が良くなったので、其方のページ。それから金物屋さんのページに追加をした。他に四駆軽トラのページをもう一つ作って2月に大体書いて於いたのが校正が終わらずそのままになっている。今年は出張が多く、何故か岐阜、愛知、静岡方面ばかり。おっと福島にも行っていたか。なので時間がなく手つかずでそのまま。早くアップロードしたいのだが。
 それからこのページのワンちゃん達の画像もちょっと増えたのが変わった所か。他に変わったと言えば、個人的な事なので余り関係のない話だが、バイクのページにも書いた様に同居人のGFが昇格して妻となった。・・・が、生活になんの変化も無く、特に結婚してどうこうという自覚も無い二人だ。

2005年

12月6日:一昨日の夜は台風の強い風が吹き荒れていた。そして昨日今日は12月とは思えない暖かさ。この間の中越地震といい台風といい大変なものだ。つい先日、NHKで火山の大爆発で滅んだイタリアのポンペイの街の遺跡と当時の文化について番組を流していたが、何十年か前に読んだ本にもポンペイの事が取り上げられていた。その本には人間の意識の在り方と自然現象がリンクしていて、社会のモラルが乱れ意識が荒れてくると其れにリンクして天候異変や天変地異が現象として現れるとされていた。多くの人は、人の意識のパワーを過小評価しているが、いわゆる科学が発達して明らかになったことは、外的宇宙(物質次元の)と内的宇宙(人間)の事はまだまだ分からないという事。ただ、ミクロの量子物理学の世界では人の意識の在り方が量子の振るまいにも影響を与えうる事は分かった。尤も此の物質への意識の関与はインドのウパニシャッドから部派仏教、唯識までヒンドゥーでも論じられていた事なのだが。なので強ち自然現象と人間の意識の在り方が無関係とは言い切れないはず。
 ところで、マクロの眼で歴史や人と地球との関連を観ていると、内と外とは相似的に現象が起こっていることが解ると思う。別に統計学として分析しなくとも、何かしらの法則があることぐらいは明晰な意識と素直な眼をもって観さえすれば良く解るはずなのだが。
 そういう今の時代の中、大分以前から街の中での暮らしではなく自然の中で自分たちで切り拓いて自立的に暮らそうという方向性において活動している人達が増えている。勿論のこと色々な理由があるが、深い部分では危機感が潜在的にあり、今のテクノロジーのみに偏った生活に疑問を懐いている人が多くなっている事がある。気づいた人達は自身の身体意識や感覚、直観を大切にして行動し、奥深くに潜む不安と恐怖が並べ立てる様々な(ヴィジョンを実行)出来ない理由、左脳的なロジックを壊す訓練をした方が良いだろうと思う。
 当たり前の事に気づく事の出来る素直な心というのは、技術の習得や机上の勉強とは異なり、その人の魂の歴史に関わる問題だから、知識や知能、能力とはまた別の話になる。素直さというものは、とても自我を守る為にロジックの殻を重ねて塗りたくり分厚くしているようでは到底得られない境地だ。生き様が死に様。死に様は生き様。混沌とした大変革の今の世は身も心も軽く、余計なものを背負い込まないように、手放す、捨てるを基本姿勢に持ちたい。奔流に巻き込まれても軽いものは水面上を飄々と流れていく。重たいものは速度の速い底の流れの中で翻弄され浮かび上がる事さえままならない。重たい欲や汚れで沈殿した意識にならないよう、心を軽く保ち魂がくすまないように。皆様方の素直な魂が尚一段と光り輝かんことを願って。

10月22日:台風23号で被害に遭われた方々にお見舞いとお悔やみを申し上げます。今日は名古屋で生命保険業を営む知人に電話を入れた。彼は大手の生保会社の営業所長を長年勤めていたのだが、保険の在り方に疑問を持っていた為に新しいシステムを元に会社を作った人間だ。それで、別の用事で電話を入れたのだが、今日日の挨拶には今度の台風は平気でしたという常套句が入るので、自然「今回の台風で(損害)保険会社は大変なのでしょうね」と続く。そうしたら彼が、「アメリカの再保の会社は大変だと思いますよ。」という。良く聞いてみると、日本の損保の会社は、自分のところで保証しているわけではなくて、大抵は海外の再保の会社に出しているのだそうだ。例えば3億円の保証物件があるとすると、それを1千万円で請けるなら、それに見合う金額で孫請けする保険会社を探すのだそうだ。悪くいえば競馬のノミ屋と同じ仕組みだそうで博打と変わらないという。大抵はアメリカの会社などに出すのでは無いかな、と言っていた。此が本当だったら???

10月20日:また台風が近づいている。数日前に札幌在住の女性に会った時に聞いたところ8月末の台風では散々だったそうだ。札幌のポプラ並木の木が根こそぎ何本も倒れたり、倒れた木に車が押しつぶされたり、また倒れた木で札幌市内が通行止めになっていたそうだ。北海道でそんな台風の被害を受けたのは初めてじゃなかろうかと言っていた。こちらでは北海道がそんな事になっているとは知らずにいたが、遠いところの事はあまり詳しく報道されない事を再認識した。

10月11日:今年は(現実から目を背けるのが得意な人達)誰にでも分かるくらいの異常気象。それは根本的な部分の意識の在り方、生活の仕方が問われている(そんな余裕は既に無く突きつけられていると言った方が良い位)という事なのだが、実際に受け取り方は色々だろう。こんな世の中で、わたしは超貧乏だがお金が無い割には取り敢えず楽しく暮らしている。皆様のお陰。

島根のお客さんご夫婦とそのご友人の道志村のお宅へGFと遊びに行った
その方達と信州上田までお蕎麦を食べながら蕎麦切りの講習を受けに行った
その又、ご友人の方に陶芸を教わり登り窯で作品を焼成している

 お世話になっている島根のお客さんのその友人ご夫婦が家から近い山梨の道志村に仕事を引退して住んでおられるので今年になってから何度もお伺いしている。皆さん年代は私とは一回り二回りも違うしGFに至ってはもう一回り違うが何故かみな話が合うので何時も盛り上がっている(原因は山陰の海の幸と道志村の山の幸や菜園の収穫物、そして自家製濁酒等などか?)。が、蕎麦打ちが上手く行かないでスプーン蕎麦なるものばかり食す羽目になっているということから、自分も蕎麦は嫌いじゃないので講習を受ける事を思い立った。
 友人のS氏が探してきたNPO神田雑学大学の江戸ソバリエの講座をS氏と一緒に受ける事にしたのが此の春。それから仕事で行った信州上田で食べた蕎麦が美味しかったお店に、そのお店に出入りしているという上田の友人を通じて頼んで貰って、上田でも講習をして貰う事にして島根のお客さんご夫婦と道志村のご夫婦とで上田に行く事にした。
 ソバリエの講師は神田錦町更科の四代目で、蕎麦打ちの研究グループの人達が二人に一人が付く割合で指導してくれた(1期200名)。また上田のおおにし蕎麦は非常に珍しい更科100%生粉打ちを水捏ねで行うという大西氏のお店だが、そこのお弟子さんに挽きぐるみ粉100%を湯捏ねで行う蕎麦打ちを5人で教わった。それぞれ方法が結構違うので面白かったね。その後、蕎麦切りは少しずつ上達中。
 勢い同時進行で器の製作にも手を出した。粘土はお客さんで益子の陶芸家の人から沢山貰ってきてあったので、少しずつ粘土を友達にもプレゼントしていたが、ついに自分も作る事に。きっかけは、登り窯だったから。男はやっぱり焚き火でしょ、直火を見ないと燃えないもんね。

 ヒャア〜!駐車場の白い板に“教育長”とか“収入役”とかデカデカと書いてある〜...
陶芸の窯出しに行った日に思い出し、走りながらデジカメのシャッター押した。反応の遅いデジカメだけど辛うじて一発勝負で写真が撮れた。バックミラーの陰に隠れて見えない板には“村長”!と書かれている...

 道志村は、全線砂利道で崖崩ればっかり起きていた頃(両国屋の親父さんは三十数年に亘って都留との間のバスの運転手をしており、雪の峠を全輪チェーンで運行していたり、崖崩れしたカーブをリアのダブルタイヤの外側を崖の外に落としながら走ったという!!)からバイクで通っていたので、今の様な全線に亘って商売商売した景色になってしまってからはバカにして車で通り過ぎるだけのところになってしまっていたのだが、知り合いが出来るとちょっと遊びに行くには便利だ。ところが、お知り合いになった方は住所も移し住み始めてもう4年になるというのに、部落の長老の一言でTVの線が引けないで居る(自分たちでもお金を出し合ってアンテナを山の上に立てたので、それを新しく入った人にまで分けるのが嫌だとか)。別にBSのみで困らないそうだがその村人のメンタリティがね〜と。結構驚くね。
 でも、それもさも有りなん。道志みち沿いの役場の駐車場の各駐車スペースには、走っている車からも良く解る程に大きく役職名が書かれた板が垂れ下がっている。通りすがりの無関係者ながら恥ずかしくて汚いひげ面の頬を赤く染めてしまい、心臓をドキドキさせて仕舞うのは混沌とした社会で練られてきた都会者の余計なお世話? こんなところ俺には住めないわ。なんといっても道志村は未だに土葬だそうで、確かに自分の母方の爺さんは横浜の田舎の方(桐蔭高校って高校野球で名の知れた学校の直ぐ近く)だが、死んだ時は土葬だったから別に驚くほどのことは無いのだが、そんなんで成仏していないんじゃあないのかのー。だから重々しい荒れた雰囲気が感じられるんじゃあ? なんちって...
 もっとも、数年前に少し小金があった時に田舎の安い土地を買おうかとあっちこっち回ったのだがが、F県の海側の山奥に行った時も、人は悪くないんだけれど狭い世界で権威にすがっていたり、上っ面で互いに煽てたり煽てられたりしているその姿をみて、直ぐに撤退してきた覚えもある。日本全体が腐っているのもこういう部分の相似的な要因があると思う。こういう部分を適当に、そしていなしながら暮らせないと大自然の中で自給生活は出来ないのか。。。ああ脆弱な都会人の夢・・・

妹(末娘)とお兄ちゃん(長男)

4月27日:この春は可なりの回数で土筆採りに行った。袴を取るのが大変だけど、食べた人がみんな美味しいというので、ツクシを調理して配ったりしていたのだ。自分も結構食べた。そして時期が重なって、友人から北海道から送ってきたという蕗の薹も沢山貰ったので、ロッジの鉄鋳物のスキレットで焼くピザの中に菜の花と一緒に入れて山菜ピザを作って何回も食べていた。そうしたらある日突然胃と腸が痛くなった。でも下っては居ない。食事を控えたりしてもなかなか直らない。でも、食事自体は美味しく頂ける。
 それでやっと理解した。山菜食べ過ぎで灰汁に内臓が負けてしまったんだ。そうそう、山菜の食べすぎはイカンのだよねえ。1週間ぐらい経ってやっと回復。大体、冬から春にかけてスキレットを使うことが多かったので胃に重たい料理が多かったのも祟った。
 ロッジのスキレットもそうなのだが、100円ショップの小さいスキレットが結構使えるので、面白がって同居人と二人で夜遅くまで鉄鋳物鍋(スキレット)料理を食べていることが多かったからね。ところで、サイトのページに載せた100円ショップの14cmスキレット用の蓋を付けたセット、格好良く出来ましたでしょ。同居人にも大受け。これでまたスキレットでの調理が増えてしまうのだろうか。。。

3月7日:鍛冶屋関連のページに画像を追加。山弘の尺突き鑿だ。プライベートではこの所石窯作りに専念している。大谷石を石鑿ではつったり、ダイヤモンドカッターで切ったり、粘土を捏ねたりしている。工程は遅れ遅れのものの一応順調に仕上がっているので楽しい。木も面白いが石も面白い。近くに海外でも活躍する石の芸術家の人が居るので、石の目の見方(触っても分かる)を教えて貰ったりするが、大自然の作り出す世界が奥深いことを改めて認識する。
 石窯の脇には小さな炉を作る予定なのだが、そこで食い物焼いたり、鍋を置いて料理をしようと考えている。そのまた更に脇に土台を作って置いて、必用な時にだけ鞴(ふいご)を設置し、桐のパイプとステンのパイプを繋いで炉の下に風を送り込み鍛冶の真似事をしてしまおうかと企んでいる。が、食い物と共用では鍛冶の神様の罰が当たるかもと悩んでいる。なんと言っても住宅街にそんなものを置いてしまうのだから目立たない様に運用しなくては。。。

1月9日:ずっと天気が良く、且つ暖かいのでハッピーな気分が持続している。初日の出は目の前の山から顔を覗かそうとする直前には観ていたのだが、ベッドから顔を出してみていた為、うっかり再度寝てしまい結局見そこなってしまった。
 暮れにはダッチ・オーヴンやスキレット、コンボ・クッカーを買ったので嬉しくて料理の回数が増えた。その勢いで、今年の目標は庭に石窯を作ることになった。出来るだけお金を掛けないで作るのが目標だが、焼き床になる大谷石の板は2枚貰えることになったものの耐火煉瓦だけは買わないとダメかも。あとは粘土がどの位手に入れられるかだな。燃焼室と焼き床を別にしたものにしたいので可なりの量が必用か。


2004年

7/18:珍しくこのところで2回程ページを追加した。時々暑い日があるが、ズーッと涼しいですね。山に近い当方では町に比べて涼しいのですが、それにしてもです。それに、この所、細かい地震が多いし。直下のモノもあるし。近くにある幾つかの湖の水量は少ないし。変な事件は多いし。世界中で天候異変だし。
 確か、聖書だかノストラダムスだかなんかの予言にあったよなあ。雨が多く洪水の被害が増えるっていう内容のものが。自然環境だけの話ではなく、人工環境の電磁的な場の乱れも、人間の変質も含めて、色々な意味で予言されていたようなサバイバル的状況が実現しつつあると思うんだけど、皆さんはどう考えどの様に行動しているんでしょうね。
3/2:年食うと、月日の経つのが早いね。去年一昨年は商売が忙しくて時間が無かったが、いまは落ち込んで貧乏人なので、これまた忙しい。起死回生しないと先がないぞって。ベースのない気ままな仕事をしている自営業者は大変だー。売らんが為の手法は好きでないので、言いたい事言って仕事しているからお金にならん。処理しなきゃいけないWebサイトも幾つも抱えているんで、プライベートサイトはどうしても疎かになってしまう。でもー、こんなサイトに何を見に来られるのか解らないが少しずつカウントは上がっている。少しは更新しなくては。。。それに去年は、山の見える景色の良い高台の一軒家に引っ越したのでやる事がたくさんある。まだ6畳一部屋は、もう一寸したら1年になってしまうのにもかかわらず、引っ越してきた時の本の山で埋もれたまま。裏の駐車場脇にはビオトープを作ったものの庭は手つかずで殺風景。その上、家の前の空き地で畑をやらしてくれるというので耕し始めたが、忙しいのと花粉が酷いのとで、何にも進まず顰蹙をかっている(バイクにも乗りたいが暇無しで殆ど乗っていない)。本当は、もっと山奥に住みたい(鍛冶小屋を建ててトンテンカン音を気にしないでやりたいですね)のだが、経済状況も、そして仕事でやるべき事があるのとで、とても許される状況ではない。でも、もし経済破綻したら、車でモバイルしながら野宿旅行が出来るかもなんて考えてしまうのは、基本的性格が甲斐性なしなのであろう。それって10年前にやったばかりだろう。自分のスパイラルパターンは、10年スパンなのか。(^^;;
2003年

1/4:このところズーッと忙しくて、何も書き込めないが、11月の半ばに指先をチョッキンしたのをアロンアルファで修理してほぼ完璧に回復したことを本日追加レポート。暮れも正月も仕事をしているので、このくらいがやっとだ。
 去年は仕事に追われて遊びも出来ず、沢登りは2回だけ、キノコ採りは4回だけ、裏山歩きは2回、ボードクライミングは1回だけに終わってしまった。あとは休日らしい完璧な休日は、数日有ったか無かったか。今年こそは、身体を動かさないと足腰の筋肉が落ちてしまうばかりなので、今年はもっと山に行くぞ。
 その山に行っても仕事が出来るようにと、単三電池駆動のモバイルギア、PDAのザウルス、ソーラチャージャ、濡れてもOKの日本無線製のiモード携帯電話(これが電池の保ちが悪いんだ。ユーザインタフェースの設計がまるでアホやん。余計な絵が出るし、ランプはピカピカするし、液晶のバックライトは消せないし、まるでインドアオモチャ仕様)、ついでにハンディGPS(山の地図を作ろうと遊びで買ったのだが、仕事にも使えそうなので期待大)、そしてついには、今までのモバイル用にしていたMacintosh PowaerBook DUOをリプレイスしてついにibook combo まで揃えて、山の頂上でモバギで仕事した後、降りて車で寝泊まりしているときでも仕事を出来るようにして、あちこち各地に仕事を兼ねてロードに出ようとばかりに機材だけは揃っている(都内への打ち合わせには、以前に比べて重量が飛躍的に軽くなった機器のお陰で、気楽に出かけられるようになった)。
 何処かに書いたかも知れないが、一昨年だったか木曾の御嶽山や秋田側の白神の山を登っていたときも電話が通じてお仕事になっていたことで味をしめてしまったのだよ。北海道を車で旅行していたときも、ほぼOKだったなあ。。。電話とメイルとファクシミリ(メイルをプロバイダでファクシミリに変換して送信できる。fax受信は殆ど無いので無視)が通じれば、日々の仕事の対応が出来るスタイルを作り上げたので、ワシに追い風の世の中になった。ますますハッピー!
 そうそう、それから雑誌ラピタに連載されていた鍛冶屋の探訪記の内、22軒分が1冊の本になって出ている。「ニッポン鍛冶屋カタログ」かくまつとむ著小学館刊。期待していたとおり出版されたが、全部網羅していないのが残念。でも凄くいい本だ。
2002年

11/30:このところ、チョコチョコと新しいページをアップロードしたり、記事を更新したりしている。秋のキノコ狩りシーズンも終わってしまい暇になったというわけではなく、仕事が忙しくて本当はそんなことをしている暇は無いはずなのだが。
ところが、自分は、Webサイトを使った仕事なのだが、モニターとキーボードを目の前にすると、肝心な仕事はせずに、遊びのページの方を開いてしまい、いつの間にか手を加えている始末。なのに天野刃物さんのレポートページ作成までは手が出ない。注文している包丁が出来てきてからかな。
自分のトピックスとしては、指をスッパリ切ったのが、アロンアルファで修理して、その後順調に再生しつつあることと、メガネをプラスティックフレームのものに変えたところ、目的通り、かなり電磁波の影響を受けにくくなったようで、頭部と眼球横のの皮膚の緊張が大分収まった感じになったこと。
電子機器に囲まれて仕事をしている時間が長いので、その変化は大きいと思う。また、世の中の環境自体が、人工的変動磁場をもった電磁波が多いので、昔に比べて悪影響が強くなっている。智慧を使って自衛すべし。
10/20:火造り打ち刃物製作過程レポート98+の最後に最近読んだ鍛冶屋関係の本のリストの所に追記したが、雑誌“ラピタ”小学館刊を古本屋で23冊買ってきた。1995年から1998年までのもので、間の号が抜けているが、それでも、かくま氏が連載していた鍛冶屋のシリーズから、鍛冶屋の凄さに改めて驚かされた。このかくま氏の記事は、鍛冶屋に興味がある人にはまたとない参考文献であろう。足りない号は、今度神田の古書街へいって探してこよう。
10/6:先月は、群馬の鍛冶屋さん、天野刃物工房さんに2回お邪魔した。1回目は、出版社の方の取材に割り込んで、話を聞かせて貰った。2回目は、鍛冶の師匠の小山氏と、鉄砲打ちの野島氏が連れて行けと言うので、玉鋼の包丁を作って貰う予定だったこともあり、忙しかったが、予定をつけて行ってきた。鍛冶屋さんは楽しいねえ。先日、天野工房さんへのリンクボタンを作ったが、本日は小さい写真を貼り付けた。今月中くらいには、ページを作れるだろうか。
家の斜め向かいの農家の親父さんに昔の農具を見せて貰った。此の60年位でガラッと道具が変わってしまったことが良く解る。

3/10:昨日、鍛冶の師匠と都内の中古工具屋さん巡りに行ったが、帰ってきてみればチベットの忿怒尊の仏像に呼ばれていったようなものだった。何軒も古道具屋を回っていて、そのうちのやましなというお店で自分の買い物が済んだ後に、普通 は用事がないお店の二階に上がった。変な古物が置いてあるスペースなので、此のお店の来る客には用事がない場所なのだ。其処へ上がっていって、いろいろ眺めていたら一見して直ぐに分かる大型のチベットの仏像と眼があった。他にも私を呼ぶものが一つあったのだが、チベットの仏像は強烈にアピールしてくる。どうせメチャ高いのだろうから手が出ないと思いつつ一応親父さんに声を掛けてみる。親父さんはご丁寧に2階に上がってきた。80歳の親父さんだ。で、聞いてみると親父さんは佛さんは好きでないという。息子さんが勝手に仕入れてきたそうだ。うん万円で仕入れたのだけれど、うん万円だったら良いよと言う。えー!貧乏人のわたくしめはそんなに出す気になれない。うん万円だったら財布にあるなあ、といったら、それで手をうってくれると言う。それならシャンシャン。はい。。。
家にはチベットのものが他にもある。ドルジェ(独鈷)や鈴(れい)やタンカを紙に印刷したもの。ダライラマ猊下が日本に来られたときの写 真だ。その時にダライラマ猊下に随行されていたチベットのお坊さん達の顔は、日本の土方のオヤジと大して変わらなかった。ただ、眼の美しさと身体から発する清浄なオーラだけが違っていた。それにしても親しみが湧く顔顔だった。自分は昔からチベットには惹かれるものがある。過去世に善業悪業を重ね、今日本の片隅で可もなく不可もなくカルマの消化をしながら平和に暮らしている自分。いや!間違えた。。んんん、思い出した、という方が正しいか。。。平和どころではなく、未だに悪業も重ねている現実だ。輪廻の暴流から今だ抜けきらず。忿怒尊はそんな我に対するメッセージか。げげげ・・・

2/21:昨日は以前より欲しかったものが格安で手に入った。鍛冶に使うフイゴだ。嬉しいので、仕事しないで昼間からレポートを書いていた。殆どの人には興味がない話であろうが、興味がある人にとっては!!! いいだろー。。。

2/9:去年は、此のページに更新記録を書くというレベルではない、チョコチョコとした各ページの手直しをしたことと、幾つかの簡単なレポートをアップしただけで終わってしまいました。それは、商売が忙しかったことと、9月に車で旅行に出掛け、3週間ほど楽しく回ってきた後に、ちょっとした毒気にやられてしまいプライベートのことでは殆どダウンしていたのでした。今年になってやっと元気になったのでレポートを一発。鍛冶屋さんのお弟子のところへはちょくちょく行き、いろいろお願いをしているので、そのある日の風景をレポートにしてみました。こんな火造りの方法もあるということです(貧乏人がやっとデジカメを手に入れたのです。Webサイト用の写 真を撮るにはやっぱり楽。商売にも役に立っているので、デジカメの代金出費は直ぐに元が取れてしまった感じです)。
さて、去年の旅行で、長野、北海道から東北を回ってきて、一番水が美味しかったのが、ニセコの昆布温泉の北側にある湧き水です。大きなホテルの目の前にあるニセコアンヌプリ山からの湧き水なのですが、これは柔らかい味でメチャ旨かったです。それもタダで、誰でも自由に汲めるのがすばらしいですね。此の水は、誰に飲ませても美味しいと言います。羊蹄山の京極の湧水地にも行きましたが、こちらと比較にならないくらい(水だけでストレートに飲むにはと言う意味で。。。京極の水はかなり固い味で、水割りとかそういうのにはよいと思いますし、美味しい水であることには間違いないです)美味しかったです。また、わたしも高いお金を出して買ったり、あちこちで飲んだりしましたが、それよりも、ただだった金沢の人間に貰った井戸の水(飲んだとたんに頭も身体もスッキリパワフルに、そして詰まっていた鼻がスーッと通 ってしまった)が一番良かったのです。そしてニセコの水はそれと同じくらい美味しかったです。
2001年

6/28:最近は、レポートの鍛冶屋のお弟子さんのところに出入りをしていて、いろいろお世話になっています。先日も和鉄の小刀を貰って、天然砥石でシャコシャコと研ぎ、刃紋を浮き上がらせて遊んでいたのですが、件のレポートについては苦言を頂き、間違っているところを教えて貰っている最中なのです。鍛冶屋の親方は、他にちょっといないくらい器用な人だったそうですが、理論については、かなり危ういことを言うので自分でチャンと勉強しなさいと、専門書まで頂いたりしました。それに、作刀の伝統技法を読んでいるんだったら解るでしょう、とも言われたけれど、ちょっと頭が・・・なので、レポートのあちこちにいい加減なことを書いてしまっているのです。今後、少しづつ手直ししていく予定でございます故、ご覧になる方がおられましたら(プロにはお解りでしょうが)、全面的には信用なされない方が宜しいかと存じます。スミマセン m(_ _)m 直します。

4/6:どうしてか解りませんが、最近カウンターの数が増えています。検索エンジンのロボットに登録されているので、キーワード検索して見に来てくれる人がおられるようです。でも、一般的受けする面白い記事は無いと思うので、多分鍛冶屋さんの鍛造ナイフ作成レポートの頁に来られる方が多いのでしょう。最近は鍛造ナイフが流行ですからね。そこで、鍛冶屋の勉強をし始めのころに聞きかじりで書いたレポートの勘違いや間違っている部分を、解るところから修正または追加して行きたいと思います。後は、放ったらかしで中途半端になっている他の頁も仕上げなくては、、、いけませんね。
それに最近になって励ましのメイルを何通か頂いてしまい、青くなったり赤くなったりしています。自己満足の垂れ流しのような内容の頁が多い上、義務教育中にちゃんと勉強をしなかったので、まともな文章が書けていないからです。そもそも文章書きの練習のつもりでサイトの各頁を書いているのですからちょっとちょっとといったところです。友人からも文章が下手だと評価を貰っており、朧気ながらその自覚症状はあるのですが、果たしてどうやって書くものなのか???? 具体的に何処が悪いのかがはっきり認識できないところが困ったもの。。。でも、誰かに読まれてしまう、という状況を作っておいて文章を書いてみるのは、日記を書くのと違って、少しは真剣になるものです。カウントアップのご協力ありがとうございます。
3/23:更新記録を更新。ついでにこの頁はワンちゃん写真館に変身。知り合いのところのワンちゃん達です。昔、子犬が4匹居たころは、それはもう可愛くて可愛くて。。。。。v(^-^)
2000年

9&10:チタンフライパン、ステンレス多層鍋についてのページをアップ
6/末:キュウハ沢で滑落したので、そのレポートを
1/末:鍛冶屋さんは無事?四国へ引っ越した
1999年

12/?:鍛冶屋さんのレポートをアップロード
7/14:古い記録ですが、沢登りのレポートをアップ。その他、加筆。
1/1:ヒッデー!丸一年近く更新していないのでしょうか。タイトルの写真だけお正月向けに。書くことはいっぱいあるはずなのですが、アウトプットする時期ではないのかと・・・
1998年

1/21:全然、更新していません。マイナーチェンジだけです。再度、見に来て下さる方、スミマセン。でも、居ないか???そんな方は。大体このページってASAHIネット以外どこの検索エンジンにも登録していないモンね。数カ所のWebでリンクを張って下さっているだけですわ。
ASAHIネットと商用のMMJPの双方で7000円弱/月。それでもメイルアドレスは冴えない奴を一つだけしか発行してくれない。高いからどこか良いところを探して他に移ろう。
夕べは久々に入金があった(売上リンクのマージンで暮らしてます)ので、自分にご馳走をしてあげた。1升/7000円の熊本の30年もの焼酎が旨いんですよ。それにしても、準備中や作成中ばかりのWebになってしまっているな。

1/7:あけましておめでとうございます。やっと、特定場所へ飛ぶリンクの作り方がわかったので少しだけ使ってみました。大分ゴチャゴチャしてきたのでそろそろ作りなおしでしょうか?
1997年

12/16:多摩川中流域に鷹?(見たこと、気がついたこと欄)
12/14:多摩川原人/チンチンサック男の写真追加(良く見えないよ)。超日常新聞96/12/9号追加。少しお化粧した。
11/25:多摩川原人/チンチンサック男目撃談、超日常新聞95/12/10号追加。大分サボっていました。なかなか気がのらないときもありますね。
9/30:体裁を整えました。当初は「ヤリチンおじさんの独り言」から始まったのですが、他のWebとのリンクの関係でどちらかというと真面 目っぽく成ってきてしまいましたので、合わせました。summaryも変えようかな。ページの名前も変えたほうが良いのでしょうか。Asahiネットの「ヤリチンおじさんの独り言」なんてページをクリックする人は何が書いてあると思うのでしょうか? おふざけのはどこか違うところでやろうかな。見たこと、気がついたこと増設
9/25:ブキチプロダクション、空書、6/11号超日常新聞を追加
9/23:野菜の保存方法追加
9/22:簡単キノコ料理を足す。他にちょこちょこ文字校正
9/21:レイアウト変更
9/20:赤紫蘇ジュースレシピを【以前掲載していたもの】に移動。代わりに、独身者の為の簡単で美味しいお蕎麦の食べ方をアップ
9/19:イベント情報(10/6 於,井の頭公園:異種格闘ペインティングのお知らせ)超日常新聞9/10号(ブキチプロダクション発行)を新規掲載
9/15:お役立ち情報:土筆の調理法、独り言コラム:川面を叩くフライマンを追加更新記録を作成。Webのタイトルを変えようかなあ?今は日曜の明け方の4時ですが、北海道の鮭の干物、とば?と言うんだっけ? それと輪島の清水酒造店の能登誉/純米酒/千枚田を頂いています。両方ともうまいっス!  
96年8月:スタート

こんなサイトを見に来て下さった方々、ありがとうございます。

Room full of mirrors サイトマスタ:Recycler  m(_ _)m

 

長男の貰われ先に行って、久々に兄と妹の再会 


◇◇◇ 子犬たち ◇◇◇

みんな仲良く何時もくっ付いて寝ます。

ある晩、知人宅に泊まりに行った時のこと、わたしのお腹に乗ったり周りで
転がって寝ていた子犬達の、ワンワンと吼える声で目が覚めました。

気がつくと、わたしの胸の上や顔の横で周りを取り囲んで、なんと!、みんな
わたしに向かって吼えているのです。(^-^;;


そう、子犬達は、わたしのイビキにびっくりしたんですね。(^-^) 
起きて声を掛けてやったら、“なあんだ!何かと思った、おどかさないでよ・・・”
という顔をしてみんなすぐに寝てしまいました。


末娘(上の4枚のうち、最後の写真)だけは父親の系統の顔なので他の子とは違っていますが、
他の子達のちっちゃい時は、みんな真っ黒で不細工な顔(左から順に長男、次男、長女)をしていました。
長女の幼名は、クロちゃんというくらい黒かったんです。でも、上の写真は全般に明るく撮れていますね。

でも、大人になったらみんな美男美女になったんです。

やんちゃ坊主の次男

幸せそうな寝姿でしょ

その子(次男)が大きくなって、こうなりました


◇◇◇ あととり娘 ◇◇◇

みんな貰われていって、残ったのは末娘のわたし一人

・・・だから、いつもお母さんと一緒・・・

あの白い丸いの(ゴルフボール)、わたしも欲しいなあ・・・娘
お前にゃ、未だ、ちと早い。このボールはやらんもんネ・・・母

   

   

大きくなって、やっと独りで遊べるようになりました

池のアメンボを追いかけるのが大好きです

そして、この頃には、自分を猫と勘違いしていたのか、1m20cmはあるのではないかというブロック塀の上(十数cm巾の狭いところに)に飛び上がったという実績のあるスーパーお転婆娘に成長しました。そして 多摩川のページの写真を見ても解るように、2mくらいはある土手の上からも軽々と飛び降りるくらいです。兄、姉に鍛えられていたせいもあるけれど、小さいときから他の子よりジャンプ力があって、囲いにしていた段ボールも、この子だけ越えて出てきてしまうことがしばしばあったくらい

美人に育ちました

<<< 母 ----- 娘 >>>


◇◇◇ 母親 ◇◇◇

一方、母は・・・

おっと、落っこちちゃった。
そして登ったと思ったら、危うく前側に落ちそうに。。。
でも、何とか渉れたわ(ちょっと恥ずかしげな表情で)。(^-^;;

肥ってしまったので、若いときには走れた丸太渡りが、今はちょっと辛い・・・


母の若かりし頃

小さいときから山や河原やあちこちに遠征し、のびのびと育ったご幼少の姿

フィールドでは綱を付けないので自由に飛び回っていた

母娘共に、家の中では自由に動き回り、野外フィールドに出掛けたときは、
綱はつけずに自由に飛び回っている。そんな彼女らは、結構幸せな犬生を満喫しているのでは。

 

ところが、(前出の)子供を4匹生んだら、娘同様にスマートだった
上の写真(母が少女だったとき)の体形がこの下の写真の通りに・・・

歳月が可憐な柴犬娘を、迫力のある肉弾オババン犬にしてしまい、
そして吼え声も太くなり、よその犬にも押しが効くようになって自信満々・・・

 

今は散歩に行っても用が済めば自分だけ家に帰ろうとする横着横柄な性格に変身。
なだめてもすかしても歩かないときは、
仕方がないので折り返し地点まで、この重い体を担いで連れていく羽目に
しかし帰り道になると、うって変わって途端に歩きはじめ、そして歩みはメチャ速い
渓流を泳ぎ、山を登り、多摩川に落ちた、あの元気は果たして何処にいったのやら

でも、肥ってて可愛いんだよなあ。歩くときのお尻も尻尾も可愛いし。そして此の体は枕代わりにもいい




 そうそう、思い出したんだけれど、此の母犬が若くて元気で利発だった頃、件の知人宅に電話を入れた時に、プルルルル!!!「ハイ。只今出掛けておりますのでメッセージのある方は・・・」と留守伝が応対するので、スピーカで相手に聞こえるよう(留守録メッセージが流れている間でも、こちらがしゃべると、相手に声が聞こえる電話機だった)に、モーシ、モーシと言っていたのです。すると、「ガチャ、、、ガサゴソガサゴソ・・・」と、受話器が外れる音がした後、続くはずの応対の声がないので、また再度、「モーシモシイ!!!」と、大きな声で盛んに繰り返したら、「ワワン、ウワワン!クウクウウン・・」と、やっと出た応対が人間のものではない。。。 あれえ、、、○○チャンなの?と母犬の名前を言い、お○○さんは?と聞くと、「ウワン!」と、言ったきり誰も出てこないのです。
 後で聞いたら、出掛けて誰もおらず、スピーカから馴染みのわたしの声が聞こえるので、この母犬が気を利かして電話に出たらしい。でも、犬は残念ながら受話器を元に戻すことが出来なかったそうでした。

 そして最近、この母犬は子宮の具合が悪くて、動物病院に1週間ほど入院した(飼い主は大事な用事でその間一度も病院に行けなかった)のですが、迎えに行った帰りの車の中で、飼い主に向かって、「ウワワワ、ワン、ワニャウニャ、ウニャワニャ、クウクウ、クンクン!!」と、家に着くまでの間の車の中でずうっと、人間が文句を言うような調子で、自分一人で入院させ放ったらかされていたことを犬語で文句言っていたそうな。それも、飼い主の顔に鼻面を近づけて、思いっきり言っていたらしい。
 母娘二匹とも家の中で飼っているし、その上いろいろ話しかけているので、人間とのコミュニケーションが得意です。言うことを聞く聞かないは別として、取り合えず人間の話していることは大体解っているようなのであります。

 ただ、よくある困ったことですが、可愛がられ大事にされすぎた犬は、自分を犬と認識していないようで、先の4匹の子供を生むときには、母犬の犬としての自覚が足りなかったのでちょっと困ったのです。というのも、明け方の出産だったのですが、長男が生まれたときには、臍の緒は自ら切ったものの、被っている皮を取らないものだから、出産した赤ちゃんが泣きもせずにそのままだった為、わたしが呼び出されて家に行き、胎盤の皮を取り長男を泣かせ、そして二匹目の次男坊は、臍の緒がそのままだったので、焼いて消毒したハサミで切って、その切り口を木綿糸で縛ったりしたのです。
 そう、、、初めての出産で見知らぬものがお腹から出てきたものだから、慌てふためいてしまった母犬だったのですね。そして、同様に飼い主も動物に慣れておらず自分もあたふたとしてしまったから、犬の方は余計にどうしたらよいかうろたえてしまったのだろうと思われます。でも、落ち着いた後の残りの二匹は無事手順通り出産を済ませ、全部で4匹の可愛い子犬が生まれたという本能を少し忘れかけた飼い犬のお話・・・・・でした。(確か出産は4時間ぐらい掛かったんじゃないだろうか)

連れて行けるもんなら、連れていってごらんなさい、、、ムンッ!!!
それでも引っ張ると、次の段階は、引き綱に前足をかけて頭を振り思いっきり暴れる。
もう..........誰に似て、そんなに我侭になっちゃったダヨ??? (やっぱり飼い主だよなあ、ウンウン....納得)

ああ、アンニュイな昼下がり......... (実のところ、お腹が空いているだけ.......)


みんなで泊まりながら遊びに来ました。

多摩川から出張して、今回は相模川の河原のお散歩です。
後日、飼い主一家の方々は法事その他の用事で長期不在の為、
当家で1週間位二匹を預かり毎日相模川にマーキングをして歩きました。

 

 このシッポはタヌキのもの?  ハニャニャニャァ〜・・・耳が痒いワンッ! 

 

 この頭から首に掛けてのフォルムは柴犬を超えているね。  賢そうでしょ。人間界で暮らして15年。テレパシーでお話しが出来ます。

 

 久々の夏の多摩川河原のお散歩です。  アジジジジッ...フヘエ〜...死ぬワンッ!

 

・・・・・!?@*##!!!

 昔は多摩川河原のこんな所をズーッとズーッと向こうの方まで歩いて走って、そして川を渉って上流まで行き、何時間も遊び回って居たのにねぇ〜。歳食うと行く気にならんもんね。その上、多摩川の河原も台風で荒れて歩きにくくなったり、また架橋などの工事で通行禁止になって人が入らなくなると段々と荒れてきてますます近づきにくい雰囲気になってしまっているし。

   

 

  

 

 タンポポ隊2号の幼少の頃