市民フォーラム21/1996年02月24日(土)/都立一橋高校での報告
  

報告レジュメ

      

東急「こどもの国線」通勤線化問題のこの5年

−−「公共性」というものについて−−
 フォーラム21/1996.02.24(土)/一橋高校/  報告者: 東急「こどもの国線」沿線住民会 ・・・・ 

1)経過 
A:旧軍隊の弾薬庫への貨物引き込み線/占領米軍の使用/1960返還…元地主の買い戻し要求拒否/1965年皇太子結婚記念「こどもの国」開園/1967「こどもの国線」として開業
B:1975区画整理事業用地買収開始/1979通勤線化の初陳情/1983区画整理工事開始/1987通勤線化要望/1988市長通勤線化方針
C:1990沿線住民会結成…東急と交渉/1993急カーブ区間にスプリンクラー設置/1993横浜市と通勤線化について話し合い開始/1995騒音振動対策提起、沿線調査/1996事業枠組み決定
 
2)問題の構成と展開
 
  私たちの知らないところで「通勤線化」が決定されたこと。
  振動・騒音が朝早くから夜中まで続くことになること。
  「通勤線化」が住民からの要請であるとされたこと(住民間対立とされたこと)
 
◆「地域住民間の対立」として表現される問題構成の遷移
 
@「通勤線化反対」「通勤線化阻止」というスローガン、感情、要求の自明性。
  A:『通勤線化反対』=『騒音・振動』がひどくなるから
       VS
  B:『通勤線化』を早くしろ                         
 ここから導かれる言説の系:「鉄道は低公害、自分たちは他の鉄道は利用しているのに反対するとはAは地域エゴ」/「君は絶対反対なのか条件付き反対なのか?」/「個人や地域間の対立はいつの世でも解決できない問題だ、そしてその対立に審判を下す装置として「公共性」があるのだ」という平板化・永遠化、etc
 以上は『通勤線化』という語をこれ以上分解できない事柄として神秘化し自明化する事でのみ成立している。
 
       Aそれぞれの『要求』の分解と接合         
          A:『騒音・振動』の分解
                ↓     ← 鉄道騒音・振動に関する勉強・知識
           その原因/線路構造
           鉄軌道自体の問題
                ↓ これらの否定
           −−−−−→  ゴムタイヤを使った交通システム/渋滞の少ないバス路線の開設
                          ↑ これらの肯定
            定時運行/長津田へのアクセス
                ↑    ← 要求の追体験 (沿線の現地調査1995.5〜9)
          B:『通勤線化』の分解
 
 
       ◆市、住宅・都市整備公団等『権力』の一方性をめぐる問題構成の遷移
 
@彼らこそが問題を解決できるしまた解決すべき義務を負った存在として彼らを扱い、問題が存在するとして彼らを責めるが、そのことによって、彼らを審判者の位置に据え続けてしまう循環。
 このことの系:被害の大きさを競うこと/どうしてくれるのだと身を投げ出すこと/公・私の区別化による秩序受容、要するに彼らを『権力』として振る舞わせることetc

A主権者概念の極大化によって、いかにすべきかを自らで、また自らのみで、判断しなくてはならないものとしての「私」「我々」。かつ、市役所職員も税金を払っているし、主権者であることを、その「我々」に繰り込むことにより、特異点の消失。
 このことの系:鉄道、建設、等々、分業の一つとしての公務員/対等性/知識の独占の打破
 
3)「公共性」=「私たち」を変容させる
 
  あらかじめ規定されたもの、あるいはこれが「公共性」だ、という規定文形式の内容ではなく、人々の、ある生成の過程を「公共性」というべきでないか。
@空間的分割、すなわち長津田駅付近の沿線住民(この鉄道は利用しない住民)と、「通勤線化」要求を出している住民との、それらすべてを含む唯一性としての「我々」(国民、市民という抽象性でなく)というものへ編成していくことを「公共性」というべき。
A「行政」とそれに対する「私たち」という、一対になった弁別(パートナーとしての「行政」という考え方もギリギリのところでそれに属するだろう)でなく、それらの弁別自体をなくし、いかにして諸条件を満たす現実を実現するかの具体的な活動に編成していく過程を「公共性」というべき。
 以上
 
 

「Forum 21」 第 35号、36号 1996年
(市民フォ-ラム21、1996年2月24日の報告に加筆

           

「公共性」ということについて 

――東急「こどもの国線」通勤線化問題のこの五年――


目   次

はじめに 
一、経過 
二、運動の展開の論理的意味 
 1、地域エゴ? 
 2、先住権?      
 3、赤字?       
 4、諸「要求」の分解と接合
三、公共性 
 1、それは「彼ら」がすべきだ? 
 2、「公共性」=「私たち」を変容させる 
終わりに
 
 

はじめに

 我々が生きている限り、そのそれぞれの「私」にとって、やって来る様々な固有の問題を解決していこうとする過程そのものが「生きる/生活」ということの定義になってしまうのではないだろうか? 「生きる」、ということをそのように考え始めた視点からは、次のような「闘争」のイメージは決して導くことができなくなります。すなわち、「職場」とか「地域」とか「家族」とか「経済」とかの区分された闘争領域の範疇があらかじめ存在すると考えるような「闘争」のイメージです。そのタイプの「闘争」イメージの中では、「闘争」が行われる諸領域の範疇をめぐり二つの理解の仕方が、ある時は対立するように、ある時は補い合うように成立しています。まず、@闘争が行われる領域への命名である、「経済」とか「思想」とか「家族」といった、ある一つの範疇は別の少なくとももう一つの任意の範疇に対して、強くであれ弱くであれ規定性や被規定性を持っている、という理解であり、一方では、Aそうしたそれぞれの範疇は「固有」の内的空間を持っているという独立性の主張、という二つです。その二つの一見相反する理解を同時に成立させておくことによって、どちらか一方に偏らず「現実の社会」を立体的に写し取ることが出来るのだ、というように、主張は締めくくられるわけです。「社会」あるいは「生」を部分領域に区画する諸範疇の打ち立て、という行為が自らの主張(思考動作)の基盤となっていることへの無自覚性によってこうした過程は成り立っており、ただその範疇間の関係付けにおいて、前者ではその支配従属関係に、後者ではその多義的な関係付けに、重点が置かれているという違いにすぎないと思われます。
 そのような「闘争」イメージを放棄してしまうことによって次のような効果をもたらすことができるように思います。
@闘争の領域が区画を失い全周に極大化されるので、「職場」闘争がうまくいかないから「地域」闘争へと「転進」するというような、「闘争課題を求める」態度や、「敵の弱い環」を巡るそのたびごとの自己合理化の「努力」が「不要」となる。
A闘争の全周化により「家族」、「地域」、「職場」、「国家」「経済」等々の範疇区分自体が「前提」ではなく逆に「分析対象」となってしまうため、その分析作業自体を含む闘争過程は、それらの諸範疇のもとで作動している限りでの「我々」から、別の「我々」へと移動・創出する一つの倫理性、主体化の過程となる。
 言い換えれば、既にその主体の自己像を成している構成意味から引き出されて「闘争」が組み立てられるのではなく、理解できないこと、納得できないこと、許せないこと、そういった単純な契機だけが、どこまでも「我々」を導き、逆に既存の諸範疇、諸概念(自己像を形成している)を分析させ、今までそれによって成立していた「我々」とは別の「我々」を生成・創出するようになる、というようなことです。
 これから私が述べようとするのも、そのように、「私」がそこに住まい、暮らしていたという固有性以外に何の「契機」もないことがらであり、ある遊園地までの足として昼間だけ運行されてきた鉄道を、主に終着駅周辺に住む「沿線住民」の要望だとして「通勤線化」することを行政が計画し、それに対して始発駅周辺の「沿線」に住む私たちが「振動・騒音が激化する通勤線化には反対!」を掲げて始めた、ささやかな「住民運動」の経験から理解してきたことがらにすぎません。しかし、そうした具体性・固有性から取り出してきたことがらがもし、もっと多くの人に共通性として感じ理解してもらえるのならば、その具体性・固有性の経験は「部分性」「地域性」や「特殊性」ではなく、〈固有〉であることによる究極的な普遍性として、強い大きな喜びに変わることができます。
 

一、経過 

 1、東急「こどもの国線」と通勤線化計画

 東急「こどもの国線」は、横浜市の西部、東京都町田市との境に位置します。JR横浜線と東急田園都市線が交差する「長津田」という駅と、一九六五年に当時の皇太子の結婚記念として開園した「こどもの国」との間三・四キロを二両編成の電車が単線で結んでいます。朝八時半頃から夕方六時半頃まで片道一時間あたり二〜四本、休園日の月曜日は一時間に一本です。
 「こどもの国」はもともと旧軍隊の弾薬庫で、近くの農家の娘であった私の亡き母も勤労動員によりそこで働いていたことがあると言っていました。敗戦後は占領米軍が使用し、朝鮮戦争を経て一九六〇年日本政府に返還されました。元地主たちは買い戻しの要求を出したそうですが既に「こどもの国」予定地として定められていたようで要求は拒絶されたそうです。「こどもの国線」はこの弾薬庫への貨物引き込み線として朝鮮人労働者も含む(地元の年輩者からそう聞いています)突貫工事で建設された線路が廃線となっていたものを、一九六七年に「こどもの国」への足として改修したものです。開業に当たっては、線路用地は国から無償で、当時は特殊法人であった「こどもの国協会」(現在は社会福祉法人)に貸し出され、こどもの国協会が鉄道の免許を取り、線路の建設と電車の運行は東急に委託し、線路の所有者は「こどもの国協会」にするという、当時としてはこの路線だけの特殊な形態が法的な裏付けを作ってまでとられたそうです。(こうした経過からは、戦前・戦後を通じての天皇制度の持つ強い――しかし不合理な――構成力を感じます)。東急は年間約一億円の赤字だと言っているとのことですが、もちろん利潤追求(固着した自己強化)をノルムとする組織体である「企業」がただで転ぶわけはなく、東急は路線の途中の水田を埋め立てて東急の全車両を対象にした電車の修理工場を作り、現在「こどもの国線」はそこへ出入りする車両の引き込み線として重要な機能を果たしているのです。運行ダイヤにない工場職員輸送専用の列車も朝八時頃に運転されています。
 この横浜市西北部はかつては里山と谷戸田が幾重にも重なるのどかな丘陵地でしたが、東急電鉄が計画した宅地開発が一九五四年から始まり、山を切り崩した区画整理と鉄道=田園都市線の建設により今日では東京への通勤者を中心にした巨大な住宅地になっています。
 これは後で調査によって知ったのですが、「こどもの国」周辺でも一九七五年には区画整理事業の用地買収が始まり、一九七九年には通勤線化の初陳情が横浜市に出されていたのだそうです。その後一九八三年に住宅・都市整備公団による区画整理工事が開始されます。そして一九八七年には沿線自治会による通勤線化要望が出されていたということですが、長津田駅に近い私たちは、「市長がこどもの国線の通勤線化方針を議会で答弁した」という一九八八年の突然の新聞記事で初めて、庭先をかすめて走る「こどもの国線」の通勤線化計画を知らされたのです。区画整理の進行に合わせて方針は決定されており、議会での答弁の形を経て発表されたということのようでした。朝六時から夜十一時まで電車が走るようになったら・・・、と考えたときの憂鬱なやるせなさはよく覚えています。そしてこんな「重要」なことがなぜ「当事者」のはずの私たちに一言も無く、新聞で読まなければならないのか、ムッとした気持ちで記事のスクラップをつくったのも覚えています。そうした感情をどのような行動に移せばよいのか、どのように対応すればよいのかそれがわからない、ということが自らの無力感として思い知らされ、よけい苛立ちと不機嫌さを増強した、と思います。このような問題についてどう対応すべきなのか、学校でも習わなかったし、それまで私が経験した限りでの労働組合運動(日常的には当局と組合という一対性)のパターンとも違っていました。実際子供の頃からずっとそこに住んでいるとはいっても、当時の私の生活は職場と家の往復で、また子供のいない暮らしだったということもあり隣近所と挨拶はしても何か問題の解決のために協力したという経験も無かったのです。地域には活発とはいえない形通りの「自治会」があるだけで何の手がかりも無い、としか思えなかったのですから。    

 2、沿線住民会の結成

 八八年に新聞発表があってから、特に何も事態は進展しないまま時間が流れてきたように思えました。ところが九一年の一月、「こどもの国線」の振動・騒音について東急に対策を求めようではないか、賛同の方は連絡を請う、という主旨のビラが家に投げ込まれました。そしてわかったのは、長津田駅にもっとも近い半径百六十五メートルという運輸省の規則ギリギリの急カーブ区間の沿線住民が中心となって、九〇年十二月に「沿線住民会」が結成されており、既に東急との間でその急カーブ区間の耳をつんざくようなキシミ音(100デシベルを超えていた)や夜間の工事列車の運行などについての抗議と話し合いが持たれていたということでした。
 後で結成のいきさつについて聞いたところでは、最初、急カーブ区間に敷地が隣接するある住民が線路に向けて自宅の生け垣に「減速!」とか「振動・騒音させるな!」というような手書きの看板をくくりつけたのだそうです。それを見た線路の反対側に住む住民が彼に連絡をとり近所とも話し合い、一人で抗議しても力にならないから「会」を作ってやっていこうということになったのだ、ということでした。最初看板を出したのは国鉄を退職した人でした、会を作って行動すべきだとリーダーシップを取ったのは体の具合で横浜市を早期退職した人で、彼は下水道関係の工事で住民との折衝、苦情処理という業務を経験してきた人でした、その他中心になった数名も皆会社を定年退職した男性でした。
  

二、運動の展開の論理的意味

 1、地域エゴ?

 最初、会で語られたことは、「通勤線化されたら、とても住んでなんかいられない」「絶対通勤線化など認められない」という互いの気持ちの確認が多かったと思います。また、東急に対して騒音や振動の改善を迫るのにも、現状の騒音・振動のひどさを訴えることで、それなりの成果を得ることができました。
 しかし、いよいよ市が通勤線化のための調査費を計上するという報道(九三年二月)に対応すべく、市に対して「陳情書」を提出する際には、その文言をどうするかという問題が出てきました。というのは、通勤線化は「こどもの国駅」周辺の住民の要請に基づき行政である横浜市が計画を推進するという理屈になっていたからです。「通勤線化反対」という訴えをしたら「それは君たちの住民エゴではないのか?」、そんな風に言われないだろうか?、でもそれなら反対に、我々がなぜ黙ってこの振動や騒音がもっとひどくなるのを我慢しなければならないというのか?、いや所詮多勢に無勢、勝ち目はないのではないか、・・・等々。このうち「住民エゴ、地域エゴ」という批判に対しては役員会での論議の末、次のような解答が出されることになりました。もし沿線の私たちが振動・騒音がひどくなるから「通勤線化」には反対だというのが「住民エゴ」だというならば、沿線の振動・騒音の激化で苦しむ人がいるにもかかわらず自分たちの利便性向上のために「通勤線化」してくれというのも「住民エゴ」だということになるのではないだろうか。確かに我々も日々通勤に電車を使っているし、今まであまり自覚したことはなかったけれど、その電車が起こす振動・騒音で沿線の住民に迷惑をかけているに違いない、そのことに気づけばその振動・騒音を無くしたり、削減するために乗客である我々も協力しようと考えるのが筋であって、振動・騒音の被害を訴える人に「地域エゴ」だなどと言うのは変ではないか。ましてや、「皆さんは、自分たちも電車を使っているくせに、自分たちが乗らない電車の通勤線化には反対するというわけですか?」、というような揶揄があったとすればそれは「週刊新潮」的な言葉遊びにすぎず、自分の無力感を人への攻撃で満たそうとする弱々しさの醜態ではないか。我々は自分たちが乗車しないから通勤線化に反対し、乗車するなら通勤線化に賛成するというのではなく、振動・騒音の激化自体に反対しているのだ・・・等々と。(こうした論議は、後に「通勤線化」ということと「振動・騒音反対」ということとの主旨を厳密に分析し両者の両立は可能だという理解に至るための思考トレーニングになりました。)
 結局九三年三月に提出した横浜市への「陳情書」(この「陳情書」という表題は当時の会代表で元市職員だった方の「市へのこういう文書はこう呼ぶことになっている」という解説で採用されました)の内容は、会の紹介、経過、現状の振動・騒音被害を訴えた後、以下に引用するような、私たちを直接当事者として認め今後私たちと話し合い無しには通勤線化計画を進めないように求める文言としました。それは次のようなものでした。
・・・私たちは、「こどもの国線」が通勤線化されることによって利便を得るであろう「沿線住民」、現在運行業務を行なっている「東急電鉄」、交通アクセスについての見通しもなく大規模宅地開発を行なってきた「住宅公団」、行政としての「横浜市当局」、といった人々、機関だけが「関係者」ではないと考えます。私たち、通勤線化によって振動、騒音の被害を一方的に受けることになる「もうひとつの沿線住民」こそ一番切実で直接的な関係者であり、その私たちの意見を聞くことなく通勤線化構想が進められるならば、それは、住民を無視した行政です。「多数の受益者のためなら少数の犠牲はやむを得ない」という考えは行政としてなすべきことではなく、私たちはそうした手法には絶対反対します。
 私たちの横浜市では市民自治の原則にそって「市長への手紙」「区民会議」など市民の声を直接聞く道筋も早くから作られ、また「住民の意見を計画当初から反映させて都市施設を創ろうという新しい方向性」も打ち出されています。このように、地域住民の様々な意見に基づき、互いに納得できる施策を決定していくことこそ市民自治の原点であるはずです。
 「こどもの国線」の通勤線化については困難な大きな問題が山積されております。こうした重要で地域に密着した施策の決定過程は、私たちを含む直接の関係者の意見に基づくと同時に市民に公開されなければなりません。
 私たち、沿線住民会は振動、騒音を激化させる「こどもの国線」の通勤線化には絶対反対です。そして、横浜市がこれから「こどもの国線」通勤線化問題を検討する過程に、私たちも当事者のひとりとして加えることを申入れます。・・・
 要するに、「住民エゴ」云々という攻撃に対しては、すべての当事者の意見の集合、話し合いによってしか物事は決定すべきでないという原則的な立場の主張によって、それぞれが互いに相手を「住民エゴ」だと罵り合う場面から、内容の実質的議論のできる舞台へと転換させようとした、ということになると思います。それはまた、「エゴ」の対立を仲裁する超越的規範を自認する限りでの「公共性」あるいはその代人をかたる特定の個人の思惑によって物事を決定させないために必要なことです。
 この「陳情」への市からの回答は「・・通勤線化についての検討を進めるにあたっては、沿線の住環境に十分配慮したいと考えています。」「・・地元の皆様のご理解が得られるよう努めてまいりますので、ご協力をお願いします。」というような「通勤線化」という施策の遂行を前提としたありふれたものでしたが、それ以降実質的な横浜市との話し合いの場が設けられるようになったのです。  

 2、先住権?

 「通勤線化反対」という主張の、最初の理由付けは、私たちが普段日常的に出会う、あるいはどこかで出会った理由付けを借用しています。(*1)
 そのようにして収集してきた理由付けの一つに「先住権の論理」とでもいうべきことがあります。
 これは、戦前、あるいは戦後まもなく、あるいは、要するに「こどもの国線」がまだ廃線状態であったり、電車が定期的に運行される以前から我々はここに住んでおり、そのような先住者の意志や利益を後から来た「電車の運行」が妨げるのは(妨げてきたのは)「不当」だというものです。これは、基本的には、君たちは「それ」すなわち「鉄道の振動・騒音という一般性」を「認めて」そこに住んでいるのに、なぜ「後から」それに文句を言うのか、という論理、言い換えれば、「君という主体は自らが受忍すると承知した事柄に抗議している矛盾体だ」というタイプの攻撃への、反射的反論として準備されてしまう形態のようです。
 しかし、この「先住権」の論理は直ちに岩に乗り上げてしまいます。なぜならこのような時間的順序が決定権の大きさや受忍の程度を決めるものであれば、どんな契機で時間をその前と後に切断するかによって、その人という「主体」がどこまで抗議の声をあげられるかが個々に規定されてしまうという反作用を含んでいるからです。
 具体的に言いましょう。もし、ある住民会の会員が「私は線路ができる以前の戦前からそこに居住していたのだから後から来た線路に何で苦労させられなければならないのか」、と言ったとして、では「こどもの国線」が開業した後になってから、---といってもそれからもう三十年近くも経過しているのですが---、それからそこに住むようになった人は、あるいは十年前に線路に隣接する家を「自らの意志」で買った人は「振動・騒音を〈承知〉で自由に選択したのだから」!?、抗議の声をあげられない、のでしょうか?。住民会という同一性は崩壊するのでしょうか。
 その不合理感を解決するために、今回の問題に関して言えば、「先住性=現状=昼間だけの運行体制」は、「後着性=将来=運行時間・本数の拡大」に対して優位の決定権を持たなければならない、そして「我々」は「前者」だ、というふうに「先住権」の論理は拡張されます。現状の振動・騒音は少なくとも現在の会員は皆受けているのだから、これ以上の振動・騒音に対してはみな「先住者」だというわけです。すなわち、過去と未来が「鉄道の振動・騒音被害を受けている」という抽象においては同一であったとしてもその「程度」においては変化の前と後という時間的切断が導入され、住民会会員の「先住」性としての同一性は形成されるわけです。しかしそうであったとすれば、では現状の振動・騒音なら、我々は認めなければならないのでしょうか? 実際多くの人が通勤線化された後との比較級の問題設定を立て、現状のままで収まるならば、と考えていたかもしれません。それが「通勤線化反対」というスローガンへの吸引力の一要素でもありました。
 しかし、先住性を定義し直すに当たって振動・騒音の「程度」という概念を導入したことは、「認める」と「認めない」、あるいは、ある時より「以前」と「以後」、というような二者択一性に分岐させるだけの抽象的記号であった「鉄道の振動・騒音」という一般性ではなく、その「振動・騒音」の具体的なメカニズム、それはどのようにして起こる現象か、したがってどのようにその「程度」は変化できるのか、という、全く別の原理で作動する物理的実質へと問題を移動させる道も切り開いていたのです。「振動・騒音」という実質があるのではなくむしろある物理的実質、すなわち鉄の車輪と鉄のレールの接触の仕方、車体の重量、等々のある「組み合わさり」が引き起こす効果が「振動・騒音」という表現の脈路を可能にしているのだ、と。したがってもはや容認すべきだと押しつけられる抽象的な「振動・騒音」のレベルなど存在しません。ただ、物理的な実質において事態をどのように変化させられるか、その実現だけが問題となります。その中にはもちろん「通勤線化」計画の中止も、地下鉄化も、「振動・騒音」対策の様々な技術的検討もすべて含まれることになります。
 君はそれ(鉄道の沿線に住むこと)を「選択」したことによって、それ(振動・騒音)も「選択」したのだ(*2)、というような論理、すなわち「過去」から「現在」へ流れ込み人々の〈現在〉を硬直させる規定装置の構造、それを分解粉砕する事は、ただ現在を、すなわち、静かな暮らしをしたいとか、私たちに相談なく決定するのはおかしいとかいう、希望や怒りである〈現在〉を、我々の〈力〉を全開させ、未来を自由として構成していくことに他ならないのです。

 3、赤字?

 さらに「通勤線化反対」の理由としてすぐにあげられたのは、「赤字」になるのではないか、そしてそれに税金をつぎ込むことになるのは許せないというものでした。
 これは「こどもの国線」の走る姿を普段見ている者として、電車の利用者も平日など数人しか乗っていないこと、年々利用者の数が減っているらしいこと、などからの類推です。たとえ一万人規模の新たな宅地が開発されたとしても現在の最寄り駅との位置関係やバス路線を見ると「こどもの国線」をどれだけの人が利用するのか疑問だという直感からでした。「こどもの国線」の乗降客(一人が往復乗れば二人と計測される)は九三年で一日平均一二五一人でさらに減少傾向にあるということでしたが、横浜市がコンサルタント会社に委託した「通勤線化」後の需要予測では「厳しい条件で見積もって」も一日平均六〇〇〇人程度になるということでした。(私たちが別におこなった現地調査から見るとその予測は現行のバス路線網との競合への留意が足りず利用者の居住範囲を広く見積もりすぎています)。一九八〇年代、国鉄「赤字」が諸施策の梃子に使用された時には、一日一キロあたりの輸送密度(こどもの国線の場合現在は途中駅が無いので乗降客数と同じになります)八〇〇〇人未満は地方交通線として幹線より高い運賃に、四〇〇〇人未満は特定地方交通線としてバス転換が適当、まず二〇〇〇人未満が廃止、とされました。ならば、と「通勤線化」を阻止する「理由付け」を採集中の人は勇んで言うかもしれません、赤字になる鉄道の計画など許せない、それに「税金」を投入するなど許せない、と。実際もしこの需要予測数でこの路線位置に新たに鉄道を建設するなどという計画だったら、だれもまともに相手にしなかったでしょう。
 しかし、これでよいのでしょうか?
 この「赤字」という行動規範性=ノルムは我々が現在至る所で出会い、締め付けられているその当のものです。そして「一部」の人間に「我々=全体」の税金を使うのは許せない、というのも頻繁に出会う言い方です。その規範としての強力さ、自明さが、こうしたときの自らの武器としてスムーズに選ばれようとした理由です。自らへの攻撃のされ方を、他者に向けること、そういった相互性がその規範性をさらに確たる自明性として持続させます。
 さて、「赤字」概念は、ある流れ(貨幣の流れ)をせき止めるその作られた輪郭の設定によって初めて可能な、入―出、債務―債権、蓄積量、等々の仮想的な演算ですから、そのような輪郭基体を前提とした仮想的演算「表現」とは別の、「実質」の演算がいつでも可能で、「赤字かもしれないがこれは人々に必要なのだ・・」という言い方が、「赤字だから廃止」という言い方とは常に表裏を成して併存しています。しかし、そこまでで終わるならどちらも「赤字」が物事を回転させる蝶番になっていること、陳述を規定する「地平線」になっていること、に違いはありません。
 まだ、横浜市がこの通勤線化計画について(鉄道事業として行うには需要者が少なすぎるために)、どのような形態で実現すればよいのか方法を模索していた頃、そのような「赤字」を巡って会の中で言われたある論法は次のようなものでした。
 @「赤字」になる→A市が税金を補填することになる→B税金は我々の全体の金なので「一部の人」しか利用しないものに使用するのは許せない。
 この論理運行はその錯誤を分析されなくてはなりませんでした。この場合にも、分析対象である「論理の構造」を「自身」に適用してみることで「その」(論理=自己の)裂け目をあらわにしそれを切り開いていくことができます。
 ‥‥まず、「一部」の人しか利用しないものに「全体」のものである税金をつぎ込むな、という「通勤線化に反対する」言い方は、裏を返せば、「一部」の人が利益を得るだけの、「こどもの国線の振動・騒音対策」に税金や他の線区の利用者の運賃を使うな、という、我々から見たら「暴論」も成立させてしまう構造ではないだろうか? もしそうなら、そしてしかし同時に我々の振動・騒音に反対する気持ちが正当であるとしか確信できないのであれば、遡って、「一部の人に‥‥全体の‥‥を使うな‥‥云々」の論理形式のほうに誤りがある、それは我々の主張として放棄しなければならない、そう考えるしかないのではないか‥‥。
 この、「一部の人」と「より多数あるいは全体」とを対比させる論理形式による限り、誰であっても、物事を規定する脈路によってはいつでも、「君は全体から見たら一部の人だ」として片づけられてしまう、という単純なことが最初気づかれなかったのです。その理由は、「通勤線化」計画が向こうからやってきたものであって、我々の「現状」を改変しようと襲ってきたその勢いに反射的におののき、「通勤線化」か「現状」かという対比に固着してしまったために、我々の側から様々な施策案を提起してその実行、--もちろんそれにはお金もかかります--、を追求するという場面もあることなど、まだ想定もできていなかったためだろうと思います。
 「赤字」になるからそれは行うな、というのならば、一部の会員が強く主張した「全線地下化」などはもとより、振動・騒音対策にお金をかけるということさえ、その「こどもの国線通勤線化計画」という「事業運営」の「採算性」、を悪化させるはずですから、横浜市は受け入れてはならないということになってしまいます。これは「通勤線化」か「現状」かという二項対比の世界に限定して物事を考えていた状態ゆえに主張できてしまったことにすぎません。これらの論理矛盾を解体し、我々の、振動・騒音の激化に反対する立場を貫き、実現していくためには、結局、こうした「黒字対赤字」と「全体対一部」という二つの対比構造を掛け合わせて語られる「良いと悪い」の判断軸とは、別の「良いと悪い」の判断軸で、「自ら」が作動していなくてはならないのです。(*3)
 それを考えるにあたってもう一度、先ほどの赤字論に立ち返ると、「赤字になる」ということの〈悪い〉と、「一部」の人の「利益」ために「全体」の人の金を出費するのは〈悪い〉、という前後の項を接続し掛け合わせている脈路には、「我々の金は我々が使用を決定すべきなのだ」という脈路も隠されています。ところがその「我々」は、前項においては「赤字」概念を成立させるための事業輪郭によって、後者では「全体」と「一部」を対比させるために導入された輪郭性によって、要するに、恣意的に切り取られた輪郭性によって、常に「我々」と「そうでない者たち」という分割対比によって輪郭づけられ特定化されたいわば受動的な「我々」、言い換えれば対象物化とその補集合としての「我々」であって、真に、「他」と対比されないで成立する唯一性としての力強い〈我々〉ではないのです。しかし、「赤字=悪」から出発したこの論理運行に潜み税金の使用を否定させる脈路として見いだされた、「我々の金(=力)は我々が使用を決定すべきなのだ」という脈路を逆に出発点に据え、その脈路を極大化していったら、どうなるでしょうか? 
 すると、〈我々〉が出発点に据えられることになるために、「我々」を主語とする陳述として可能なすべての脈路がその〈我々〉には流れ込んできてしまうことになります。いかなる前提もなく、直接的に設立されている〈我々〉は、その内に諸々の、一見対立すらするように見える、「我々の希望」(たとえばその具体性としての、「我々は振動・騒音に反対する」、たとえば「我々は早期通勤線化を要求する」、たとえば「我々は○○踏切の渋滞解消を要求する」‥‥、たとえば‥‥、)をすべて内包してしまうはずです。そして〈我々〉は特定可能な対他的な輪郭性の自称ではなくなり、すべての「我々」が互いに主張する「対立・矛盾」したあらゆる「願望」や「意見」を収斂させていながら、かつ、ただ一つの整合的な〈我々〉という自称で維持・生成可能であることを課せられた「分析作業の場所」への〈自称〉となり、また、その作業のためにのみ「自ら」を使用し、またそれによって「自ら」を変貌させていく、そのような集団的な動態、力動、〈力〉として設立される〈絶対的な固有性〉にすぎなくなります。
 それと反対に、「赤字」をノルムとする判断様式とは、たとえそれが貨幣の流れの量と方向に対する演算の形で表現されていたとしても、「部分」と「全体」、あるいは「部分」と「他の部分」とを区切ってそれぞれの輪郭線内に様々な欲求の陳述(たとえば通勤線化要求、振動・騒音削減要求)を割り振り、それぞれの欲求の内容は相容れないものとして基体化し、その欲求の主旨内容について分析することを阻止することによって、それら「絶対対立する諸主体」の区別性を仮構し、その上に君臨し調停するものとして「自ら」を打ち立てようとする態度に他ならない、と思います。それはまさしく「支配」に他なりません。それは、「原理的に相互対立する宿命たる諸主体たち」を調和させる上位審級として自らを打ち立て、たとえば「公共性」「社会的秩序」「人々の最大幸福」などという文様を自らの顔貌性として持つでしょう。(*4)
 かくして我々は、「赤字だから‥‥」という判断様式に乗ることで導かれてしまっていた「具体的現実的な諸欲求に対する思考停止状態」を抜け、ある一つの「事象」を軸として「対立」や「反対」として対称点に陳述されるに留まっていた「諸欲求の具体的な主旨」、すなわち「力動」について分析する作業を迫られることになります。しかもその作業はその力動の内在性自体であるという関係にあります。 

 4、諸「要求」の分解と接合

 九五年度末までには通勤線化の事業枠組みが決定しました。その内容は、横浜市の巨大臨海開発区域「みなとみらい21」内に敷設する地下鉄の事業主体として既に設立されていた、横浜高速鉄道という第三セクターに線路を保有させ、東急に運行をさせるという、いわゆる「上下分離方式」で、こうした儲からない鉄道を運営するには現在の制度上ではこれしかないという方法でした。
 さて、我々の運動をアピールするために最初に沿線に掲げられた看板のスローガンは「通勤線化反対」と「振動・騒音させるな」でした。しかしそれらは通勤線化計画の具体化と運動の展開に従って、漠然とした抵抗、反対の心情に留まることを許されなくなり、厳しくその意味が問われるようになりました。
 これまで述べてきた、運動上の言説への自問自答もその過程ですが、その延長上にさらに大きな転換・展開が必要となりました。それは、もし「通勤線化」が「阻止」出来なかったら、運動は敗北か? という問いに始まり、我々は何に反対しているのか、我々が反対している「通勤線化」とは何のことなのか、を自らが明らかにするよう迫りました。
 我々は「通勤線化」、すなわち運行時間帯の早朝から深夜までの拡大と運行本数の増大、による「振動・騒音の激化」に反対していたわけです。通勤線化がなければ現状の振動・騒音水準での維持がされると考えられるわけですから、「振動・騒音の激化の阻止」というスローガンは「通勤線化阻止」と同値とされていました。通勤線化→振動・騒音の激化、と接続するならば、逆に、振動・騒音の激化に反対→通勤線化の阻止、と接続するというわけです。
 しかし、これは反対すべき事象とされた「振動・騒音」のさらに根本原因と規定された「通勤線化」を、それ以上分解できない基体と見なし、そのために行政が主張する「通勤線化」の内容をそのまま前提的に受容してしまう傾向を持ち、その、厄災としての「通勤線化」を神秘化し、また実体化してしまい、その内部へ立ち入らずその周囲だけを経巡る思考態度を導いてしまいます。
 しかし、この希望されている「通勤線化」とはそもそもどういうことなのでしょうか? そして同じ言葉「通勤線化」、に「反対する」とはどういうことなのでしょうか?。
 また、通勤線化を要求しているとされるこどもの国線の終点付近は私が中学生の頃までは同じ中学校の校区であり、そこの住民には私のかつての同級生も含まれるし、私の母方の叔父や従兄弟達は通勤線化を要求しているとされた自治会の構成員でもあるはずでした。古くから住んでいる人ほどそうした関係を沿線に持っていました。しかし、今となって我々は「通勤線化」という一つのことを巡って「対立」する関係に変化したということになるのでしょうか?。
 「通勤線化」を軸にした「対立」と、同級生や親族という「親和性」、どちらにも忠実に、これを切り捨てないで我々が活動するにはどう考えを進めて行くべきでしょうか?。
 「通勤線化促進」、と、「通勤線化反対」、この同一の「通勤線化」という語を含み対立している二つの表現を、その、語の水準における形式論理ではなく、表現された具体的な脈路に解放し、その力動がめざそうとしている方向性を分析することがそれに答えていく第一歩でした。いわば言われた語の「同一」(記号的同一)から遡って論理づけるのではなく、「相手」のその表現への共振性を自らが作動させるということです。単調な、同一記号を中心に回転する論理ではなく、可能なあらゆる脈路と語をそこに導入して精緻化するということでもあります。
 我々が反対していたのは振動・騒音でした。ならば振動・騒音とは何なのでしょうか。電車の構造、鉄の車輪と鉄のレールとの接触、そういったものから発生する空気や地面の振動が我々が反対している「振動・騒音」です。その発生メカニズムは物理的なものでありそれを消去する方法も物理的なもののはずです。
 一方、通勤線化を要請しているとされる住民達の要求とは何なのでしょうか。それは鉄道の特性である定時運行性の確保と、この線の起点である長津田までのアクセスの確保、という二点に集約されるのではないでしょうか。
 すると、振動・騒音がなく、しかも定時運行性を持つ長津田までの交通機関が可能であるならば、少なくとも「通勤線化要求」と「通勤線化反対」の要求とをともに満たすことになります。
 そのようなものの実現可能性を追求するという要求に、我々の「通勤線化反対」は変化していかざるを得ません。それはしかし、やむなく、というのではなく、むしろ現状よりさらに低騒音低振動の交通システムをめざすという、より積極的な方向だとも言えます(*5)。そしてその一例として住民会ではゴムタイヤで走行する交通システムを想定し、調査の結果「デュアルモードバス」(*6)方式を検討するように現在横浜市に要請しています。(九六年六月現在)
 これらの提案に至るまでにはそれなりの研究が必要でした。
 鉄道を前提とした振動・騒音対策については鉄道総合技術研究所(旧国鉄の技術研究所)発行の研究紹介誌を参考に車両構造、線路構造、橋梁の構造など一般的な対策方法があることを九五年に市に紹介し、市もそれを受けて鉄道総合技術研究所に振動・騒音対策案の検討を委託し実地調査の上報告書が九六年三月末に提出されています。
 一方、通勤線化要求の主旨を理解しまたこの通勤線化計画自体の利便性上の評価をするために、住民会として、九五年五月から八月にかけて大がかりな現地調査も行いました。これは本来横浜市などから需要予測などが出されるべきところなかなか出てこないので自分たちで現状を把握すべきだということになったものです。沿線の区画整理区域の状況、現行のすべてのバス路線のダイヤ、朝のラッシュ時間帯のバスに乗車しての渋滞調査、各地点からの通勤線化を想定してのバスとの利便性の比較等々、地図も含んでA4版五〇頁ほどの報告書は市、東急、地区選出の十一名の市議、通勤線化推進の自治会などに送りました。
 この調査を行ったことによって、沿線状況をはっきりつかみ、こどもの国線の位置関係(開発地の東の端に位置する)では必ずしも新宅地の交通路線の基幹にはなり得ないこともわかりました。また、バス路線との競合が激しく、利便性の向上という点からは路面電車のような多くの停留所を持つ運行方式が求められるだろうということ、こどもの国線の通勤線化よりも、開発地域の中心部を貫いて新たに造られた道路にバス路線を開設する方が多くの人に利用可能ではないか、なども調査の結論として挙げられました。
 こうした調査には、「いつから住民会は条件付き賛成になったのだ?!」などという反論もあったのですが、我々の運動に厚みと広がりを与えてくれたのは間違いありません。少なくとも、「地元からの通勤線化要求があるので・・」という言い方に対しては、我々は通勤線化要求を出している本人達よりもむしろこの地区の総体的な交通状況については詳しい、という自信を持って対応できるようになりました。そして我々の言葉が同じ「通勤線化反対」であっても、そうした事柄も組み込んだ上での「通勤線化反対」であるような意味上の変化もこの調査によって自動的に迫られたわけですから、その分我々の言葉は豊富化されざるを得なかったはずです。一つの「未知」を解消していくことは、その分だけ我々の「力」を増すことになる、というわけです。
 運動の初期、沿線の振動・騒音は長津田地区だけではないはずで、通勤線化要求を出している地区であっても、線路に隣接している人は振動・騒音に苦しんでいるはずだから、会への参加を呼びかけてはどうか、という提起をしましたが、それは実現できませんでした。それだけの力量が無いというのが理由でしたが、「通勤線化反対」というスローガンの主旨について、まだ十分に理解しきれていなかったために「通勤線化要求」とそれは敵対すると考えられていて、そんな要求を出している地区に入っていくとしたら、自分たちのことをどう話してよいかわからなかった、というのが実際だろうと思います。しかし、デュアルモードバス方式の検討を市に要請することを決めた九六年五月の総会では会員から、通勤線化の要求を出している地区の沿線住民にも我々の運動への参加を呼びかけていこうという提案がなされ、さっそく次の土曜日には今までの経過と成果を含む勧誘ビラの作成と配布を行いました。そのビラには「私たちは反対するだけの団体ではありません。通勤線化要求と振動・騒音に反対する要求は両立する、と考えています」「こどもの国線の低騒音低振動化をめざして力をあわせていきましょう」、と書かれています。そしてついにその地区からの新たな会員も迎え、我々は文字通りの「沿線住民会」になりました。
 現在(1996年)横浜市は、当初より二年ほど遅れて九八年度中に通勤線化したい、と表明していますが、マスメディアへの発表でも「騒音対策の目途がついてから・・」、などと必ず騒音対策についてふれるようにしており、私たちとの話し合いの中でも九八年度というのは無理矢理それにあわせるというのではなく十分騒音・振動対策について話し合いをしていく、と言っています。後はそれを具体的にどのように実現するかです。
 我々の運動の成果の一つと考えていますが、今年度は、全線にわたる振動・騒音測定が行われる予定で、測定地点については我々も意見を述べ協力していく方針です。
 デュアルモードバスの検討についてはこれからの話し合いですが、どんな状況に展開したとしても、振動・騒音の激化に反対するという初心を貫き、成果を必ず出す、という方針のもと、鉄道システムを前提とした場合における具体的な各地点毎の詳細な対策案も、並行してこれからまとめていく予定です。具体的であればあるほど、話はかみ合わざるを得ないはずなのですから。 

三、公共性

 1、それは「彼ら」がすべきだ?

 九五年五月に我々は鉄道システムを前提とした場合における振動・騒音対策案について非公式な形で市に提示するのですが、これに至るまでには大きな抵抗がありました。
 いくつかの反論が出されました。
@それでは条件付き賛成になってしまう。そういう要求は一番最後に出すべきだ。
A当局がどんな対策を出すか見てからこちらの考えを出すべきだ。
 「住民会は絶対反対なのか、条件付き反対なのか」という問いに類縁するものです。
 いずれも、振動・騒音削減の要求は運行時間帯の拡大を「認めた後で」成り立つことであり、運行時間帯の拡大としての「通勤線化」を阻止するという要求とは、同時に両立しないではないか、という脈路によっています。これらの考えは、前に述べたとおり「通勤線化」という言葉がそれ以上分析できない神秘化された抽象的な基体として理解されているために「通勤線化」は「運行時間帯の拡大」という当局の言い分そのままの抽象性で固着してしまっており、それを「認める」か「認めないか」の二者択一を迫られている「自己」、という緊迫した磁場が作られてしまっています。「施策」は象徴化され、まだ抽象的な「施策」内容と「当局」の意思は分離不可能となっており、反対(認めない)以外のいかなる身動きも「当局」という「他者」によって「自ら」が犯されることに他ならず絶対に受け入れがたい、ということになります。これがこの枠組みにおける「絶対反対」と呼ばれるあり方です。一方で、「認める」か「認めないか」という問題設定のままでは未決定の緊張状態は(未決定のままで)持続する事は不可能です。設問は二者択一ですから、「絶対反対」でないあり方を選択するとなれば、もう一つの可能な回答とは、どんな条件や修飾がついたにせよ当局の言い分を「認める」ということでしかないことになります。したがって「絶対反対」以外の選択をした場合、自己認識としては、ある他者の規定する空間内に自己が囲われたという被規定感を印されることになります。これがこの枠組みにおける「条件付き反対/条件付き賛成」といわれるあり方です。もちろん「絶対反対」に比べれば「条件」が参入する分だけ自分たちは「より自由な」選択を行っていると感じられ、その点が自分たちの積極面だとして主張されたりもするわけですが、被規定感の刻印は「絶対反対派」を納得させないでしょう。一方「絶対反対派」もそれを文字通りに永遠に貫徹することは出来ませんから「結局は当局の言いなりだ」という無力なルーチン化の認識で自らの力を空洞化させ、被規定感に閉じこもっていくことが多いのです。(*7)
 そしてどちらの抵抗も、自分たちが語りかける、対応する相手、すなわち経営者、行政当局、等々こそが、様々な施策、主張を提起する第一次的な優先権を保持する事を自明として容認しており、それ故にこそ、逆に彼ら(行政や経営者)は我々の困窮を解決する義務があり、それがうまく出来なければ彼らは我々が認めている彼らの「地位」にふさわしくないと非難できる権利を我々は持つ・・・、という図式にはまりこんでいます。彼らこそが問題を解決できるし、また解決すべき義務を負っている、そのような存在として彼らを扱い、「君たちの施策ではこんなに問題が存在する、何とかしなさい」と責めることは、彼らを審判者の位置に据え続けてしまうこと、要するに「支配するもの」として振る舞わせること、を排除していないばかりでなく、むしろそれを成り立たせている一部分ですらあるのです。
 条件付き反対/賛成派が絶対反対派を非難するにあたって、彼ら絶対反対派の言説の単調性(それは反対するという事の強度を反復する直立性であるために言説の平面には広い影を残せない)をあげつらい、どんなに自分たちの言説の豊富さ(言説の分岐節は条件という具体性の方に偏倚する分だけ多様になることは可能)を誇ったとしても、それは、自己と他者(自己への審級)の布置自体は問題化していないわけです。誰か主導的な「他者」は自己以外におり、それが唱導する主導的な枠組みの中で「自己」のもっとも有利な行動を導こうとする、という生の様式は資本主義の公理の一つであり経営者や行政にも共通だ、と感じます。
 もしこうした「絶対反対」という立場と「条件付き反対/賛成」という立場との一対が、我々が取り得るすべてであるかのように問題のたびに立ちふさがるのを解消し、別のあり方が可能だとすれば、それは「自己」と、自己以外の主導的な力を持つものとして現れる「他者」、たとえば行政、経営者、「経済法則」などと呼ばれるもの、との分割関係を解体していくことで可能だと思います。
 運動の中での印象的な場面の一つとして、我々の一員が市の担当者に何か抗議をしたとき、その回答のなかに、「・・いまおしかりを受けたわけですが・・云々」という一節が発せられ、大変居心地の悪い思いをしたことをあげられます。「おしかり」という語は慇懃さの中に彼らと我々とを分割し、彼らを執行者の位置に置くものだと感じられたからです。対等に扱われていないという怒りです。
 逆に、公務員と対話するときの常套句に、(君たちは)我々の税金で食っているのに・・・、云々というパターンがあります。この言い方は公務員に対して恣意的な希望が通らないときに投げかけられるもののようですが、これも大変居心地の悪い言い方です。
 我々が税金を払っているのと同様、公務員も税金を払っており、「私は税金を払っている」という言い方は、「公務員」と「我々」とを弁別できる指標になり得ないからです。もちろんそのように言えばこんどは、彼らの税金は我々の税金で支払われた彼らの賃金からの支払いだから、根源的には我々の税金なのだ、という風に「時間的遡行による根源の確定」という論理形式で主張は展開されるかもしれません。しかしこの言い方は「税金」の概念、すなわち仮想的な徴収者としての「彼ら=公」と、払う人としての「我々」とに根源的に弁別されているという原理を反復主張しているだけです。その弁別の前提がなければどこまで遡っても一人の人が支払う現実的な「税金」に含まれてしまう現実的な一人の「公務員」の負担分を、消去することはできない、すなわち「公務員」と「我々」の同質性しか見いだせないからです。重層的な現実の時間性から切断されて絶対的な起点とされた「最初」の税金の支払いの場面には税金を支払う平等な一般性としての「国民」など「我々」のみが存在し、その後我々が規定するものとして「彼ら=公務員」が登場するという順序が主張されていますが、その論理運行の起点においてその「我々」は既に「公務員」と「非公務員=我々」という極性によって規定されているのです。このような他との被規定関係においてしか動作できない「我々」は必ず支配と被支配の関係を現象させます。むしろ公務員を「我々」と弁別するところからしか出発できないのなら、その弁別の慣性軌道の周回ではなく、「我々」と「公務員」の同質性が露出する瞬間を活用すること、同じ「国民」という均一性の規定にありながらなぜ公務員と非公務員という弁別はあるのか、そして「公務員」を対象化する視線によって「我々」が生成しているというのなら、公務員に求めることがなぜ「我々」に求められないのか、公務員に認められていることがなぜ「我々」には認められないのか、なぜそのような特殊な人々が「国民」の中に「我々」とは別に存在するのか、そのような問いへと転化させることが豊かな実りをもたらしてくれるはずです。(*8)
 もし、振動・騒音対策の方法やこの通勤線化に関する情報の一切を施策の遂行者だけが握っており、我々の立場は、沿線の住民(我々)にとって最適な手段を彼らが考案することを求める、というものだとすれば、その「求め・要求する」強い我々と、「求められ・審判される」弱い彼らという外見とは逆に、我々は土台を持たず、常によりよく支配されること(制御されること)を求める立場に自らをおとしめてしまうことになるでしょう。
 公務員、何らかの専門家、そういった一切の立場の者を「我々」に繰り込み、そうした「我々」が決定していくこととしてのこの「通勤線化」問題、という捉え方への転化が、「我々」に堂々たる自信を与えてくれたと思います。そこでは要求はきわめて具体的になり、専門家達の振動・騒音対策に関する研究の成果はそのまま我々が施策として提起し、共同的な具体的な検討素材にあげられるべきものとなったのです。
 そこでは当初の「絶対反対」の「絶対」と「反対」は、市当局などの一方性を「絶対」許さない、振動・騒音の低減化は「絶対」勝ちとる、という具体性に分節化され、そのことによって〈我々〉をして、他者の決定を一部分であれ「認めざるを得ない」受動性を刻印された者としてではなく、決定を生み出す主体化過程として実現しようとしました。その結果、市当局の「(行政官としての)我々」という意識が持つ住民を操作対象化する作動様式(支配の様式)も機能出来なくさせてしまい、支配と被支配に分割配置されていた一対性を解体しよう、という戦略が狙われたわけです。
 

 2、「公共性」=「私たち」を変容させる

 「公共性」という考え方は様々にそれぞれの主張の正当性を根拠づけるためにもちだされるものです。そして他の概念と同様、対峙するものである概念、「私性」「プライベート」という概念との一対で問題圏を構成しており夥しい言説がその圏内に生成されてきました。
 こうした一対の概念に対しては、先ほど税金をめぐる、「我々」と「公務員」の戯れの例で述べたように、どちらが「優先するか」とか「根元的か」という問いはその一対性の圏内での運動にすぎません。各人の持つ「私たち」という意識はそれぞれが持つ「公共性」という概念とも関係して作動しており、一方だけを取り出すことは出来ないのです。このことは、「公共性」ということに関する考え方の変化とは、同時に、「私」「私たち」「我々」などという一人称で指されようとする動態の変化であり、知識として、「私」を変えずに「公共性」概念だけを別のものに取り替えること、は出来ないことを意味します。もしそのようにして取り替えることが出来る「公共性」概念があったとすればそれは図式上のものであって現実に彼の日常的態度として作動することは不可能です。
 そのような観点から整理してみると、この運動の過程で、もし幾分か「公共性」=「我々」の概念について変化をもたらすことができたとすれば、「こうすることが公共性だ」、たとえば、「より多くの人に当てはまることが公共性だ」、というような規定文形式の内容、が公共性なのではなく、ある生成の過程を「公共性」と呼ぶべきではないかという方向への変化です。
 通勤線化を望む住民と、振動・騒音に反対する住民、そうした空間的分割や利害と呼ばれるもので様々に分割対立する諸主体の輪郭をそのままに、互いに譲り合い折り合いをつけさせる力や技術、ではなく、それらの諸輪郭を成り立たせている利害や対立の脈路を分析する事で、そうした輪郭自体をいかにしたら解体し、唯一性としての〈我々〉を現実に実現できるか、そのための物理的条件を全力をあげて追求していく、そうした過程こそが「公共性」と呼ばれるべきだと思うのです。だからそれは唯一性としての〈我々〉(国民でも市民でもなく)を編成していく過程性だということにもなります。 

終わりに

 最後にいくつかのエピソード的な感想と、解き得ないでいる問題について述べさせてもらいたいと思います。
 一つは、技術というものの「権力」との関係性です。
 鉄道の振動・騒音対策について調査するために、鉄道総合技術研究所の研究紹介誌のバックナンバーを数年分見たのですが、技術というもの、研究というものがいかに技術者、研究者の意思によってではなく、どんなテーマで研究するかを方向付けるたとえば企業経営上の判断、などに規定されるものかということを痛感しました。新幹線の公害訴訟によって設定された環境基準の実現化のための研究を除いては、鉄道の騒音・振動対策推進を直接の目的としたものは「皆無」といって差し支えなかったと思います。たとえばコンクリート枕木の底にウレタンゴムをカバーして結果的に振動が少し減少する「有道床弾性枕木」というのがあるのですがこれも、線路保守の省力化という主題抜きには成立しなかったでしょう。技術というものはどんなことを実現するかというテーマによって初めて現実化されるものであり、結局もっとも重要なのはそれの決定権です。振動・騒音の削減というそれ自体では鉄道会社の利益向上にはつながらず持ち出しにしかならないことを研究するには、企業輪郭を越えた力が必要です。そして、そうした力の有無は町なかの鉄道の騒音の大きさなど我々の環境自体、物理空間自体を別のものにするのです。技術的に不可能だ、という言い方を簡単に物理的に不可能だということと取り違えてはならないし、その不可能には社会的な力の様相が表されているのです。
 二つめは「公共性」を実現していくにあたって情報が完全に開かれていなければならないことの決定的な重要性です。
 鉄道の振動・騒音に関する環境基準や指針は一九七〇年代中頃に東海道新幹線の振動・騒音を巡る訴訟を契機にして新幹線だけを対象に設定されたのみで、しかも騒音に関しては結局実現できず、暫定基準として設定されなおした緩い値が基準達成の指標とされているほどです。在来線については遅れること二〇年、九五年十二月に、新設又は大規模改良線にのみ適用される「騒音対策の指針」が設定されます。これらの内容と問題点についてはふれませんが、この在来線の指針を入手するにあたっての経験を話したいのです。
 在来線についての環境基準が検討中であることは九二年に環境庁が検討会を設けたという新聞記事で承知していました。今回指針が出されたという記事を読んでさっそく記事だけでなく全体の内容を知りたいと考えたのですが、「国民」である自分が政府機関のこうした情報についてどうアクセスするのか、今まで経験も知識もなかったことに気づき愕然としました。こうした政府の「方針」などはいつも新聞やテレビの「ニュース」として間接的に接するだけで、しかもそのことに大きな疑問も持ってこなかったのです。意を決して環境庁に電話したところ検討会の報告書を郵送してくれるということで案外簡単に手に入りました。振り返って思いますが、中央政府や地方政府の持つ情報は基本的に誰にもどこでも無料で入手できるようにするべきだと強く思います。現在の通信技術で十分に可能だと思います。また子供達の学校では、こうした政府や企業の持つ情報へのアクセスの仕方やその実習を行うべきです。
 当事者間での情報量の一方的な片寄りは合理的な判断を阻害するだけです。このことに関して、逆に私たちの会の会報(現在二四号まで発行)を市、東急、市議、に送付することにしたのも同じ理由です。当初、市などに会報を送付するようにしたらどうかという提起に対して、市当局が情報を全部公開しているわけでもなく、我々の「手の内」をさらけ出せば弱点を突かれてしまう、などという意見も出されたものです。しかし、むしろ逆に、市、東急などが読んでも十分評価に値し、なるほどと思わせるような内容水準、活動を練り上げれば、こうした情報の公開自体が、我々の力になるのだという説得で実現したものです。実際、我々の活動内容や得た情報を細大漏らさず会員に周知するようにしている会報が交渉の相手方にも読まれるということは、活動内容自体を常に相手との対話的な脈路で自覚的に構成していくように強制してくれたように思います。・・・・残念ながら我々の思いも今のところ片思いのようではありますが。
 地域の、会員以外の人(振動・騒音は受けるが会費を払っていない人)に対してはフリーライダーだという反発も会設立の苦労を担ってきた人ほど強いようで、情報をタダでやるなどけしからんという強硬な意見もあったのですが、たとえ運動に参加してくれなくても我々の活動内容を広く知っておいてもらうことが力になることもある、というわけで、やはり会報は配布しています。
 三つめはこうした活動のための物理的基盤の重要性ということです。
 人々に考えを伝えるためには話したり聞いてもらうこと、書いたり読んでもらうこと、などが必要です。そのための時間と媒体が必要です。わずか七〇名ほどの会員であってもそれはかわりません。方針を決めるためには話し合う場所と時間が必要です。会報はワープロ打ちで、印刷は市の地区センターで両面印刷一枚六円でできます。会議は同じく地区センターを借ります。当たり前のことを言っているのではありません、私の周りではこれらは皆ここ十年ほどの間にそろったものなのです。こうした設備がもし無ければ我々の活動はずいぶんと違ったものになっていたでしょう。コピー機、印刷機、パソコン、こうしたものが誰にも自由に低廉に使用できるかどうかはこうした活動の実現、それを私は「公共性」を形成する過程だというのですから、言い換えれば「公共性」の実現、のためには決定的な要素になるのではないでしょうか。また、名古屋で建設中のガイドウェーバスについては、横浜に住む我々は読むことがなかった名古屋版の新聞紙面にしか掲載されておらず、新聞記事データベースの検索によって初めて読むことができたのです。
 こうした「もの」以外に重要なのは、これらの活動に使用できる「時間」です。会の結成に中心的役割を果たしたのは皆定年退職後の男性だったことは述べました。人と話すこと、資料を探すこと読むこと、分析すること、すべて物理的時間がかかるのです。そもそも先代の代表が急死し私が代表を努めることになったのも、当時私が(相対的に)「若い」失業者で時間があると見られたからでした。我々には、会社の中で以外に、もっともっと話したり考えたり決定を下すべきことが山ほどあるのです。そのための時間を我々は確保しなければなりません。一度こういう運動に関与すれば、現在のテレビ番組の多くがそうであるような受動的な音や映像で時間を満たしてしまうことが絶望的に貧しいことに思えてくるはずです。
 最後に、うまく解き得ない問題についてふれます。
今までの話ではあたかもこの運動が、通勤線化要求を出している人々と振動・騒音に反対する我々の要求とがともに実現可能な方向性を「発明」してきた立派な道筋であるかのように整理抽出して語ってきました。確かにあえてこうした小さな固有の運動について語ることの意味など、何らかのそのような普遍性に通ずるものを抽出できないのなら、無いのかもしれません。しかし、この通勤線化計画には実際には横浜市や沿線住民だけでなく、沿線の宅地開発を進めてきた「住宅・都市整備公団」、憲法に定められている天皇制の中で現在天皇をやっている男性のゆかりである「こどもの国」、この線区の途中に車両工場を設置しそれを絶対に維持しなければならない「東急」、といった項目が登場しています。したがって「通勤線化」計画には今までの話ではすくいきれない要素と力関係が含まれているはずなのです。しかし、今回それらについてふれることができませんでした。それらについて発言し運動できるだけの情報と力量を我々は持てなかったためですが、実は、そうした過程から我々が除外されているということこそが、もっとも決定的な被支配の相です。「東急」、「こどもの国」、「市」、「住宅・都市整備公団」といった法人格の行動への分析が具体的に行われなければならず、それによってこうした法人の輪郭も、我々の各人の「自己」と同様分析されなくてはならないのです。
 おなじように、ある限界性というものがこれから問題になってくるかもしれません。というのは低騒音低振動の「こどもの国線」にするのには、もし鉄道であれば、本当なら地下鉄化とか、沿線の両側八メートル以内には住居を置かない緑道とするとか、などの物理的な対応が必要なのですが、我々はそこまで提起しきれなかった、その実現可能性を見通せるところまで進めなかったからです。「鉄道は低公害の交通機関だ、と『一般的』には言われますが、文字通りそれを実現するには、毎日その近くで暮らす私たちこそが発言し、具体的に改善していかなくてはなりません。」(九六年五月二五日の勧誘ビラから)という主張を掲げたとしても、物理的な条件が実現できなければ、結局我々は「やられた」ということではないのか? 
 しかし、ある決着の時点で、想定可能だった物理的に十分な対策が実現しなかったとしても、運動の経過において、当初には一見相反するように見えていた「通勤線化促進」と「振動・騒音反対」とがともに実現できる物理的な方法は可能だということを集団的に見いだした経験は、この運動を敗北だと総括させることも、これですべて終わりだと総括させることもなく、それを十分に実現させえなかった「限界」の脈路への分析と解体に向けて再び自らをそそぎ込む勇気を生み出してくれる、と確信しています。
 1996年07月23日
 
 
その後の経過2003年         追記2017年   諸論考の目次へ戻る

(1)そもそも、第一種住居専用地域の静かな住宅地でこんな振動・騒音、夜中の十一時過ぎまで我慢できるか、とか、何で庭先三メートルのところを走ってる電車の運行時間や運転本数を激増させるというような大事な話が俺のところに一言もなく「決まった」りするんだよ! というような直接的な怒りや疑問は、その理由付けなど必要としないからこそ直接的なのです。しかし、それを「こうすべきだ」という施策の形態、たとえば「通勤線化反対」というスローガンで表現しようとした時、施策というものはできるだけたくさんの理由付け、根拠での修飾が必要だと考えてその体裁を整えようとした我々の行動様式、身にまとおうとした反対の根拠の論理自体は、確かに、すでに我々が政府や会社の施策発表とそれへの抵抗のニュースの中で日常出会っていた様式から学習したものにすぎず、ある布置の中に収まってしまう位置を印されていたかもしれません。
 にもかかわらず、我々がそれらの直接的な〈感情〉を、「感情とは〈個人的〉なものである」とする範型から解放し、それが現在の社会におけるある固有の位置における社会全体の力の連関作用が収斂した具体的な姿として、その社会的な全関係を表現している〈絶対性〉であると考えるとすれば、社会的な新たな結合や展開はそれらの感情を動力とする活動によって始まっていくということになるばかりでなく、その場合、直接性としての感情はやはり、社会的な言葉・行動を生み出さなくてはならないのであり、その生み出されるべき言葉・行動が、どのように、そのような感情をもたらした社会的な連関に裂け目を開きその結合構成を解体して別のそれへと(社会=自ら、を)変成=編成していけるかが、直ちに賭けられるべき方向性となる、ということにかわりはありません。だから、たとえその最初の我々の「反対の理由付け」がどんなに「稚拙」で、どんなに「身勝手」であろうとも、〈反対〉と叫ぶ感情の力と方向性(ベクトル)は否定されるべきでなく、むしろただそのベクトルの不徹底さ、生み出された言葉と行動の論理的不徹底さだけが、攻撃されるべきであるにすぎないでしょう。このことは現在のすべての諸闘争の過程と同様に、ではないでしょうか。
 ここで「感情」とは、「〈私は〉怒っている」「〈彼は〉喜んでいる」といったような、「ある主体」・の・感情として、「ある主体」・の・抱くものとして、「その主体」を修飾し規定するものとして、最終的に「主体」内の現象としてそれに回収されるものとして理解されているもの、ではありません。言い換えればそのような「主体」を前提とするその属性、ではないのです。また、「〈私〉は/〈彼〉は/〈市〉の一方的なやり方〈に〉怒っている」というような主語と述語、目的格を含む陳述によって整序され分節・表現されて「自ら」を提示した後の「感情」でもありません。すなわち、「諸」主体、「諸」事象の布置を布置として成立させている特定の分節・弁別構造の脈路に従い、その中で主語、目的格、動詞等の位置を割り振られた諸分節の組み合わさりとして陳述され、現前化され、対象化・分類化可能なものとして理解されている「諸」感情、ではなく、その〈現存〉ということ自体に自己の〈固有性〉と〈価値〉を見いだしている非分節的で直接的な次元における〈力動〉の自体性をここで〈感情〉(あるいは〈情動〉)と呼んでおきたいのです。それはいずれの〈現在空間〉においても、そこにおける「諸主体」や「諸事象」を地平線(自明性)としてそれら諸項間の相互規定として作動しているもの、ではなく、逆にそのような諸項への分節化の仕方自体を常にはみ出しており、それらの布置自体の脈路を理解・分解・変成してそれらを自らの内在性へと糾合しようとする〈力〉、むしろすべてをその内側に生成しようとする〈力〉であり、〈地平線〉自体となった〈我々〉という力動=場所なのだと、私には感じられます。それは、「地平線・内」の「存在」としての「我々」ではなく、自らをその時代における〈地平線〉と成すべく、刻々と生成の努力を続けているものとしての〈我々〉、という体感でもあります。
 さて、現在の政府や企業が施策を発表する場合に理由付けが必ず必要とされるのは、それらの「施策」が、利害対立を分解して、すなわち実質的に対等な「人々」を形成するようなものとして決定されたもの、ではなく、利害対立する立場を前提としてそのような対立する人々の内の一人が提起するものとしてその施策が提起されているために、提起者はその自己合理化の技術、言い換えれば、害を被る立場の人を説得する技術、が必要だということによっていると思います。それらの技術としては次のような手法が活用されているようです。
@「単位化・基体化」の手法。誰もが対等な基体として「それ」に「包含され」、また誰もが「それ」を「構成している」基体であるという完結した相互規定性により閉じた輪郭線、すなわち「内」と「外」から共用されるものである「輪郭線」、「包含規定感=被包含規定感」を生成する手法。これが比較演算を作動させるために必要な、「部分」と「全体」という二極性の空間構造を基礎づけている。
A「比較」の手法。たとえば部分(の損失)と全体(の利益)というような、比較操作とその演算によって、「その施策」への「+」評価をいかに増強して導出できるか。そのためには比較されるそれぞれの「輪郭」を如何なるものとして創出・設定するか、という技術が土台をなしている。
Bそれらの輪郭規定を前提とした上で、その施策は「人々全体」=「個人」の幸福につながる、という善悪の判断で締めくくられる。
 これらは現在の支配がその技法として装備しているものです。しかし、我々もこれらとは別の「説得」の脈路を発明しなくてはなりません。これらの技法が「操作対象輪郭」を成立させる脈路、すなわち「支配」を成立させる脈路に貫かれているのに比べて、我々が発明すべき脈路は、内在的な平面ですべてを包摂=生成しようとし、その動力は物質性としての現存の〈力〉、分節化「以前」の「情動」、として感じられる直接的な〈力〉、でしょう。またその脈路は、支配の技法、支配の論理モジュールの解体を狙い、新たな〈我々〉の存在様式を生成しようとすることに他ならないし、ここで紹介する住民運動から私が取り出そうとするのもそういう視点からの最大限の理解です。
 
(2)このような理屈は、@「そこ=その家」に住むというその「人」の「選択」は「そこ」のもつ特定されたある属性、たとえば「電車の振動・騒音を持つ家」として抽象・抽出される属性、をその「人」が認め、「選択」したものである、A「選択」とは「選択する主体」の「意思」の表れである、Bかつ、「意思」は「人間・主体」の「本質」である、Cゆえに「人間・主体」たる「彼」は自己の本質として「電車の振動・騒音を持つ家」を含んでいるのであり、その「振動・騒音」に「反対することは「自己」矛盾である、という論理運行により成立しており、そのような「人間=主体」観に根拠を持っています。しかし、その人の現存としての〈選択〉とは、「そこ」から特定化されて抽出された「ある属性」に限らず、「そこ」から抽出可能なすべての属性の〈選択〉である、というところまで論理的に徹底されるならば、すなわち、「人」を、主語と述語による有限な構成意味であることしかできない「意思」を本質として規定するのではなく、そうした「意思」の諸相をもその地平線内に構成しているような過程性として「人」を理解するならば、彼が選択したのは、その頻度や大きさなどを捨象したある特定の抽象たる「鉄道の振動・騒音一般」ではなく、その頻度や大きさ音質などで規定される振動・騒音(もちろんこの言い方も実は同じ粗さにすぎませんが)、また固有の風景、家の間取り、その他、庭の桜の木肌の小さな傷、その他〈すべて〉の要素としての〈現実〉だということになり、かつ、そうである限り、それらの要素は日々変化しているわけで、いずれにせよ彼が〈選択〉した(し続けている)要素は可算無限個だということになり、ある任意の時点での選択が将来を特定性(他との比較可能性)で規定するとか、現在の君の「自己」はある特定の規定を受けているものだ、などと言うのは論理的な誤りだということになります。我々の〈選択〉はその現実性においては、様々に仮構可能な論理空間内における特定性(=他との比較可能性)ではなく、固有性(=比較不能な現存の唯一性)、の次元において成立しています。
 
(3)これは、「黒字(良)↑:↓赤字(悪)」、「全体(良)↑:↓一部(悪)」というような輪郭、尺度、方向をそのままにしてそれに従った上で、こうすれば黒字(良)になるとか、これは(私の主張は)実は一部の人の利益(悪)ではなく全体の利益(良)なのだ、と反論することが無意味だというのではありません。むしろ、支配的な行動規範、たとえば行政や企業経営者が自らの施策の正当性を根拠づける論理のスタイルが「それによっていかに全体の〈生〉が幸福に導かれるか=反対するものがいかにその幸福を阻害する存在であるか」を主張するという形態をとるようになった現在の支配様式(フーコーの言う「生きさせる権力」)にあっては、それらの施策・言説に対抗する活動は、その対抗する自分の立場こそが、逆にいかに「全体」に寄与するものであるかを主張しようとして一歩を踏み出すという場合も可能だと思うからです。そうした反論の試み・努力こそが、黒字―赤字、全体―部分、といった範疇自体を改変せざるを得なくしていき、全体を作り替えてしまうような別の価値尺度を我々が打ち立てるところまで行かせる、その決定的な最初の一歩でありうると思うからです。もちろん「最初の一歩」はこの様態以外にも様々に可能です。たとえば、「いくらこれが全体の利益だと言われても私にとっては不利益だ」というところ、たとえば、消費税率引き上げの必要性の理由付けがどのように言われようと(国家財政の危機、あるいは福祉財源の確保・・等々と)、低賃金労働者である私にとっては賃金の効力=活動の可能範囲を切り下げる不公平な暴力そのものであるというところにこだわるならば、支配のために仮構された「全体」と「部分」の内包関係、たとえば「国家」というものの一体性とその内包たる「自己」、という自己規定の極性を裂開し、また、国家財政とは何なのか、賃金額の違いはいったいどんな理屈がそれを正当化できるというのか、またなぜ現在、人は、一人一人の活動内容の限界を定めている規定力たる貨幣の使用権限に大小の差異があるにもかかわらず、互いに自分たちは「人間として、市民として」対等で平等だなどと、それを当然視していられるのか・・、などなどと展開していってしまう、そのような「最初の一歩」も可能です。
 そうした論理的闘争過程を逃避し、一挙に「黒字―赤字」の論理と全く別のものを対比して架空しようとすれば、それは「黒字―赤字」論への反動(否定)であることによって、「黒字―赤字」という対比範疇生成の脈路自体は温存され、その「別の」「新しい」「もう一つの」「オルタナティブな」「黒字―赤字を乗り越える論理」もつまるところ「黒字―赤字」という太陽を見つめながらその周りを回転する惑星系の一つであることを規定されてしまうように思います。もちろん、たとえそうであったとしても具体的な闘争過程がもたらしてくる課題に忠実であるならば、必ず、そうした系内からの離脱をせざるを得ないエネルギー水準にまで励起されてしまうものだと(経験的、理論的に)理解しています。なぜなら、固有の、未分節な「野生」の情動は、既に世界のすべての課題を含んでいるのであり、したがって、情動の襞を論理に多く組み込めば組み込むほど、そこから選出されてくる言説と行動は我々がまだ理解していなかった脈路をあらわにし、新たな概念を発明せざるを得なくさせるからです。そしてその入口は(出口は)、現実の空間のあらゆるところにあるのです。
 
(4)赤字論による「通勤線化反対」の主張では、自らを多数派(普遍性・全体性)となし自らが反対する相手(事柄)を少数派(全体に服すべき部分)として仮構するために、その自らが反対している相手「以外のすべてを」指す自称として「我々」(の金=税金)という立場を導入しました。しかしその「我々」を逆に起点として使用することで、赤字論の場合のような、その時々の脈路による特定の対他性を起点にしてその補集合として規定成立されている「我々」とは違った、全く別の〈我々〉の脈路が成立することを述べてきました。そして前者の「我々」の脈路によれば、「我々」たる「人間」とは、それぞれが独立した不可侵の基体すなわち「個人」の集合であり、その「個人」が主語となり、目的格となるような陳述によって充足されている空間ですべての問題は決着される、と見なされています。それに対して後者の〈我々〉ではそうした「個人」のような基体的なものに概念が陥ることを徹底的に論理回避し、いわば物質の持つ無限の属性、接合の仕方、豊富さのすべてが動員されるべく、横断的で集団的な力動によって問題は変形・展開されていきます。
 
(5)ただし、今まで電車が運行していなかった時間帯にたとえ低くても騒音・振動が加わるという点ではマイナスであり、それについてはやはり運動の力不足だという評価があります。
 
(6)ドイツなどで実用化されているシステムで、バスとバス以外の走行システムを持つ交通機関。専用軌道区間は鉄道のように高速で走行し一般道に乗り入れるとバスとしてきめ細かいサービスが出来る。日本では「ガイドウェーバス」として名古屋市で九九年開業を目指して建設中。
 
(7)これらは労働組合運動において合理化を巡る運動上の対立として一九五〇年台中頃から始まり一部を除き一九七〇年代末までにほぼ後者の勝利、前者の言説の空洞化で終了した過程における二つの立場そのものです。どちらの立場も、当局、経営者、資本側、というような主導的な「立案者」を対極に持って自己を成り立たせています。たとえ「労・使はパートナーだ」と言ったとしても、そのような「労・使はパートナーだ」という公理を打ち立て、労働者を「労」の位置に配置したのは彼以外の他者である、という構図に納まっています。現在ではもはやそのような水準ではなく、言い換えれば、彼らの言うことを受け入れるか入れないかという緊張で対象化されていた集団的な「労」と「使」の対はもはや無く、資本が要求する行動は誰にとっても自明なことであり内面化されたそれを前提として、それと自分の欲求や願いと対照して、資本が要請する行動や思考をどう批評するのか、その過程でどんな新たな「我々」を生成していけるのか、という問題の次元に移行しているように見えます。
 
(8)これらの疑問は、互いに平等対等なものとして規定された「国民」が、基体として不可侵の輪郭性を持つ基本粒子たる一人一人の(一粒一粒の)「国民」の集合として設定されたことにより、それゆえに基体=基本粒子の持つ「恣意性」を消去できず、それらとは別の「公的」な意思としての部分が「国家」の中には存在せねばならなくなり、そのための「司祭」として官僚制が必要とされるという経緯から流れ来ています。そのような基体としての「国民」や「個人」概念を現実に制度的に実現したアメリカ革命やフランス革命から半世紀後、その革命が生成した、公人と私人という分節、国家と社会の分離について、マルクスは「ヘーゲル法哲学批判」、「ユダヤ人問題によせて」でふれています。

その後の経過                      2003年9月現在

   定時運行性確保と沿線の環境を両立させる一手段として提起したガイドウェーバス方式や停留所を多く持つライトレール(新型路面電車)の導入は結局、主に「こどもの国線」の途中にある車両工場に東急の電車が出入りするので、他の運行方式との共存は不可能だという理由で不採用となりました。
   その後も会では、少しでも低騒音低振動の鉄道にするために、具体的な対策を追求してきました。96年暮れの路盤改良・ロングレール化試験工事を皮切りに、対策工事にあたっては、事業者側が委託した鉄道総合技術研究所の調査報告内容も参考にして、事前の騒音・振動測定→試験工事→事後測定(効果判定)→本工事という手順で行なうこととし、それぞれの段階で事業者側と住民との話し合いを行なってきました。
   対策自体は、路盤強化、重量レール化、ロングレール化、防振枕木、振動遮断壁、無道床鉄桁橋の防音パネル、防音壁、低騒音型の新車の導入など、それまでひどかった線路を現在の一般的な鉄道の水準にまで引き上げたに過ぎない、とも言えます。騒音振動対策は、乗客の乗り心地の改善にもつながり、しっかりした線路を造っておくことで、今後の保守費用負担が鉄道事業者に過重にならないようにという、計画を主導し実質的に建設費のほとんどを負担した横浜市の配慮とも一致していたのだ、とも言えます。
   2000年3月29日の通勤線化後も、防音壁設置など懸案事項が残っていましたが、話し合いをねばり強く進めた結果、2002年3月までには、ほぼ要望どおりの対策を実現することができました。
   特に印象的だったのは、通勤線化後、電車区との話し合いを重ねる中で、2001年に、運転士さん自身が、騒音振動が少ない運転方法について検討してくれたことです。列車によって騒音振動に大きな差があるという経験則から、それまでも運転方法の均一化を求めてきたのですが、東急本社レベルの話し合いでは、運転士が100人もいるから運転方法の均一化など不可能だ、と言われていたのです。しかし、実際に運転している人たち自身が運転方法を検討し、さらに詳細な運転標識を全線に取り付けることで、運転方法を均一化し、地区によっては満足のいく結果も出せたのです。 この経過については、運転士さんたちが2002年11月、日本鉄道運転協会の運転業務研究発表会で発表し、その際住民会としても資料提供に協力しています。現場の「労働者」は「仕事」の中身に於いて「外部」と関係しなければならず、互いに意見を出す中で「仕事」の内容が決定されて行かなくてはならない、という国鉄闘争から得た私の理論的な見地からみてこれは、小さいけれど充実した出来事でした。
   残念ながら、運動の発端となった、急カーブ区間のレールと車輪のキシミ音は、塗油などの対策にもかかわらず、1年を通した安定的な効果までは得られていませんが、度毎に東急に対応をお願いすることで推移しています。


追記  2017年2月現在

 急カーブ区間の騒音対策は2007年5月から摩擦緩和材を車上から散布する方法(鉄道総合技術研究所発行「RRR」2011/11)で現在対応している。しかし、必ずしも安定した効果があるわけではなく、最終的な解決法として、現在の車両制作時には、まだ実用化されていないとして否定されたが、2012年4月から東京メトロ銀座線の新車両に採用され効果も実証されている「自己操舵台車」(東京メトロ)の採用を求めている。現行車両の改造は考えられないということなので、実現するのは10年20年先の車両更新時ということになるだろう。
  なお、 2006年にこれまでの活動内容を収めたCD-ROMを会員に配布し、一部の資料を除いた対外版を交渉相手だった横浜市、東急、横浜高速鉄道などの関係箇所、地域の小中学校には郷土資料としてお送りした。また、2014年3月には対外版増補「こどもの国線沿線住民会 運動の記録 1990年〜2013年」を発行し、横浜市立図書館にも寄贈したので、興味のある方はご覧ください。




 

諸論考の目次へ戻る