季報 唯物論研究  第68号 1999年5月 
 

「連帯する」ということについて

 
 もし、君が、疲れているのならば、たとえばかつて口にした「連帯」などという言葉に、輝きよりも、もはや恥ずかしさや欺瞞をしか感じられない、斜めの体勢しか今は保てないのならば、そこから再び、正面の体勢、力、輝きを取り戻し、その強度の中に生き始めるためには、ひとつの手だてとして、かつての一瞬の経験の後、今はそれぞれ孤立した「私」の片隅にしか存在していないかもしれない、いいかえれば、もはやそれが生まれてもすぐに崩壊する短い断片的ベクトル(力線)としてしか存在できていないのかもしれない、あの力、その今に残る痕跡を思い起こし、思考によって励磁し、増幅し、体内を渦巻く強力な根幹に育てあげる、という方法を取ることができる。
 もし、君が、「連帯」、などというのは人性上の不可能であって、それらは歴史上いくつも浮かび上がっては消えるユートピア思想の一つなのだ、と信じているのならば、その断定が本当に整合的なもの、不動なものなのか、その判断の根拠として感じている事柄をもう一度、現実生活の実状に即して、極限まで検証してみるだけの価値がある。
 それらのことのために、「この時代のある部分」としての〈〉、が思い起こすことのできる、いくつかのエピソードから始めることにしよう。

1 「公民(citoyen)」と「市民(bourgeois)」

 「使用者とわれわれ個々の労働者は、人格としてはもちろん対等である。しかし、われわれは使用者の指示、命令に従って働いている。なぜだろうか。理由は、われわれは国鉄と労働契約を結んでいるからである。…………われわれが『私はこれから国鉄職員として労務に服しましょう、一定の時間を決められたとおり働きましょう』、これに対して使用者は『その労務に対して月々何万円の賃金を払いましょう』、こういう労働契約が結ばれたから、ここに一定の業務上の命令、服従関係が生じたということである。賃金を得て、労務に服することを、自らの意思で約束したのであるから、自分の意に反する命令や拘束を受けているわけではないのである」(通信教育教科書「鉄道一般」日本国有鉄道刊、中央鉄道学園編集1951年初版、1975年44版改訂p119 傍点引用者) この文章を改めて読んだときほど、「自分の意思」、「対等」、「契約」等々による概念系列が我々がまさに乗り越えるべき支配の構成であることを、はっきりと思い知らされたことはなかった。旧国鉄においては車掌になるのも、出札、改札係になるのも、要するに入社以降どんな上位職に就くにもすべて試験に合格しなければならず、しかもそのすべての試験の中に共通科目として含まれていたのがこの「鉄道一般」であった。高校を卒業して働き始めた労働者群に対し、彼ら労働者が(すなわち我々が)、学校で受けてきた教育を真に受けて、「同じ人として使用者も労働者も対等ではないか、それなのになぜあの助役や駅長は俺たちに対して命令できるのか」、等と疑問を持ったり反乱したりせずに、現状を受け入れるように導くための「論理」がここに差し出されている。国鉄当局という「使用者」側の文書のくせに、想定読者である「労働者たち」の一人称として仮構された「われわれ」を主語として言説が展開されているのは、あり得べき労働者の反乱や疑問が、「われわれ」←→「彼(ヤツ)ら」という二極性の自己意識(主体感)の中で養われるものであるために、その反乱空間内の諸言説の形式である「われわれ」←絶対対立→「彼(ヤツ)ら」という構造に似せた、「われわれ」←契約調和→「使用者」という現状肯定の言説をそこに送り込み移植し、起点である「われわれ」の記号的同一性を利用することによって、諸々の方向で可能な反抗運動を簒奪し、労働者の主体を単調な自己回収運動としてのみ作動させるためである。
 人格としては対等・自由だが、現実である職場には命令と服従があり、しかもそれは自分が選択したものなので自分の意に反したものではないのだ、という、メビウスの輪、「自由」をたどる小径はいつの間にか「服従」の牢獄に至り、後ろで閉められた扉を振り向けば、「自由なる君の意思が選びし所なればこれは服従にあらず」、という格言が書かれていたというわけである。自由・対等、そのような個人個人という像が、というより、そのような像こそが、服従を正当化できる構成であることを、このような具体的な現実ではっきり確認しておく必要がある。この脈路は歴史的なものであり、その起点、とは言えなくても、その決定的な画期として歴史上に確実に指示できるのは、十八世紀の諸市民革命における「公民」「人間」「個人」等の概念であり、それらによる主体の様式である。
 「連帯」を語るとき、もしそれが、個人の対等、自由という抽象性、これら二百年前の個人概念に留まったままで、自由で、自立した個人同士の連帯、という像が描かれているのなら、それらの言葉としての「連帯」は厳密にどのような方向を目指して発せられたのかが検証される必要がある。「自立した個人」が、権力とか国家とか権威とかからの対称点として選択されただけの項目であるならば、それによる連帯などが成立できないことは、十八世紀の市民革命の半世紀後にはすでに十分語り尽くされていた。自由で対等な国家構成員(公民)とエゴイスティックな個人(市民社会の現実的人間)という一対性、二重化によって成立する主体の様式自体を批判する考えがすでに出現していた。
 七八九年のフランス革命から約半世紀後、マルクスはそれによって生み出された憲法における、個人概念の二重構造について、「ユダヤ人問題によせて」という作品(一八四四年独仏年誌に発表)で論じている。すなわち、政治的な解放により出自や財産等に関わりなく対等なものとして設立された「公民」概念と、その土台である現実のエゴイスティックな市民社会の成員としての「人間」概念、との関係についてである。広く流通し長く使われ、現在では自明なことと考えられてしまいがちな諸概念について、その創成期の脈路や成り行きを分析することはその自明性を揺るがし、別の概念、我々の別の存在の仕方、を創出する手助けになるだろう。彼のこの作品も、現在の、市民、自由、個人等々の概念が、政治的に実現され始めた生々しい時期への分析であるために、多くの示唆に満ちている。
 私の理解では、彼は次のようなことを言っている。*1メリカ革命やフランス革命以前の「古い社会」は、出身、身分、教養、仕事、所属団体、私有財産とかいう要素が直接政治的な性格を持ち、それらの要素が個々人の参政権の有無を規定していた。フランス革命などの政治的な革命は、国家との関係においては、それら、出身、身分、職業、私有財産などの区別、を無効化、廃止し、各人を国家に対等に参加する「公民(citoyen)」として規定し直した。そのことが「政治的な」解放といわれる所以である。しかしそのことは出身、身分、教養、私有財産などが現実的に効力を失ったことを意味していない、むしろ政治的な国家は、それらの効力が働いている市民(bourgeois))社会を前提にして、それを超えた想像的普遍的な対等自由な個人(公民)という抽象物が構成する共同体として、自らを弁別しているに過ぎない。自由、平等、安全、財産を自然で不朽の権利(人権)として宣言した政治的国家において(一七九三年、人間および公民の権利宣言)、自由は他人の権利を損なわなければ何をやってもいい権利であり、平等はそのような「自由」が皆に平等にあるということ、安全はそれらの権利・財産の保証としてのみある。だから、市民社会での「自由」の権利は人間と人間との結合にではなく、人間と人間の隔離に基づく私的所有の権利である。そのため市民社会では、各人は他人を自分の自由の実現ではなくむしろ制限とみなし、平等ということにおいて各人は均しくそのような自由を持った自立自存的なモナドとみなされてしまう。このように十八世紀の政治的革命は人間を一面においては市民社会の成員、エゴイスト的な独立的個人へ、他面においては、公民、精神的人格へと還元したのである。しかし、現実的な個体的人間が、抽象的な「公民」を自らの内に取り戻し、個体的人間としての彼の経験的生活、彼の個人的労働、個人的境遇の中で、「類的存在者」となったとき、人間が彼の「固有の力」を社会的な力と認めてこれを組織し、社会的な力をもはや政治的な力の姿において己から分離することをしないとき、はじめて人間的解放の成就があるのである……、云々。
 確かに我々はまだこの問題の系内から脱出してはいないだろう。このマルクスの分析を読んだ後では、「もし『連帯』が胡散臭く見えるとすれば、それは君が『市民社会』の中のモナド的な『個人』を基体として、それが結合していくという矛盾したイメージしか持ち合わせていないからである」、と言ってみたくなるほどだ。すなわち、「個人」が対立し支配・被支配の関係性を持つエゴイスティックな「市民社会」の現実生活に身を置きそれを現実的に解体できないが故に、「連帯」はまさに抽象的空想的にしか、たとえば「公民」のようにしか想定されていないからである、と。だがそのような「解説」で留まるわけにはいかない。たとえば高校時代、マルクスの初期作品に頻出する「類的存在」「人間」「自然」などという彼の時代の用語で構成される空間にみずみずしさを感じると共に、もはやこれらの語は(高校の物理化学の授業を受けただけの私にすら)今の我々にはもっと厳密さを持ってしか使用できないものであることもはっきり感じられた。そのために、彼の作品を歴史的脈路から外して我々の現在について書かれたものであるかのように読みこもうとしてしまうと(カントやヘーゲルについてはそうしないのになぜかマルクスについては、当時そのように直截的に読まれることがあった)、それらの語の相関関係を整合的に保つために空間は隔靴掻痒の薄膜に覆われてしまう、といういういらだちも感じなければならなかったのである。現在の我々は、当時のマルクスのような、政治的国家と市民社会という二重化モデルにおいて諸現象を描写・理解・陳述することではなく、直接的な我々の日々の諸言説、諸活動の脈路における具体的な分析において、マルクスが言うところの〈人間が彼の「固有の力」を社会的な力と認めてこれを組織し、社会的な力をもはや政治的な力の姿において己から分離することをしない〉具体的なあり方、今と別の我々のあり方を実際に示す、我々の集団的な力を発現する、その発現を制限するように働く構成を分析する、そうした欲望に突き動かされている。

2 諸「個人」の絶対性?

 先の国鉄労働者への使用者側の教育において主張された骨格は、自由な個人とその自由な選択があればそこに「支配」など存在しないということであった。この言説のキーワードは「不可侵の個人の意志」である。したがって「いや個人の選択には様々な要因があり、彼/彼女は生きるためにやむなくそれを選んだのだ」と主張することも、直ちには、「たとえどのような動因であれ、選んだのは〈君〉だ」という堂々巡りを完全に消し去ることはできない。もし、「その選択は外部動因によって百%決定されたものだ」、としてしまうと、今度は「選択する主体」が消失してしまい、これらの「論争」の脈路においては「自らの否定」だと感じられてしまうのである。この消去不能な「選択する主体」、すなわち、たとえ「外部」動因を分有しているにしても、必ずある地点では先験的な起点として設定される「個人」あるいは「自己」という、超越的に形式化された結節、に対し、そこからの脱却の仕方を鮮やかに示した思想の一つとしてニーチェをあげることができる。すなわち彼はそれまでの考え方、「〈我〉とは制約するものであり、〈考える〉とは客語であって制約されたものである、――思考というものは一つの働きであって、それには原因としての一つの主語が考えられなくてはならない」、という形式に対し、「もしかしたらその逆が真理ではないのか、つまり〈考える〉というのが制約するものであって〈我〉とは制約されたものではないのか、したがって、〈我〉とは、思考する働きそのものによって作られる一個の綜合物にすぎないのではないか」*2試みてみた。そして「一般の民衆が稲妻をその閃光(せんこう)から切りはなし、後者(閃光)を稲妻と呼ばれる主体の活動であり作用であると考える」ように「民衆道徳もまた強さを強さの現れから切りはなし、あたかも強さを現わすも現わさないも自由自在といった、超然たる基体が強者の背後にあるかのごとく思いなす。がしかし、そのような基体は存在しない。活動、作用、生成の背後にはいかなる〈存在〉もない、〈活動者〉とは、単に想像によって活動に付加されたものにすぎない、――活動がすべてである」*3力強く言い切る。
 実際彼がいうところの、活動の背後にあると想定された〈活動者〉、すなわち、主体、個人、他者でないものとしての私、等々、こうした概念によって我々は一つ一つ区切られた単位であり、そのそれぞれの「自己」(という基体)の、そのかけがえのなさによって、一人一人は対等であり尊重されなければならない、と、我々は教えられ続けて来たのではないだろうか。だが、そのような主体概念、「自己」概念が持つ方向線、各人が互いを輪郭線で区切る別々のモナドとしてそれぞれの核に凝縮していくという動態感、体感というものは、その方向の極限に、またそれぞれの「自己」と「自己」の間隙に、解決不可能な真空の闇を原理上内包している。実際に自意識を発動させはじめたいわゆる「思春期」には、考えれば考えるほどその解決不能な問題構成に打ちのめされてしまう場合がある。その場合にはそのような「自己」を自ら殺すことなくして、言い換えれば別の主体の様式へと押し出されることなくして、その後を生き延びることはできないだろう。「異性」であれ「同性」であれ、「その人」と「自分」を重ね合わせようとする衝動に突き動かされはじめてしまったとき、またその衝動が極限的な強度を持っていたとき、不可侵の基体としての「自己」はその欲望への決定的な矛盾として立ちはだかる。それは、今私がみている「赤色」と「その人」がみている「赤色」とは「同じ」であるのか?、それをどう確認できるのか?、といった種類の問題系列に属する迷路にさまよい込むことである。いくら「その人」の意思を忖度してもしてもしきれず、逆に不確実性ばかりが増殖していく、こうだと決定すれば次には、それは単に「お前=自分」が想い込んだことにすぎないではないか、「実在の彼女/彼」がそうであるという確言は如何にして可能なのか?、という反論に襲われる、そのような循環性で際限のない時間を過ごしていた。だからそのころ、たとえば一九六九年から七〇年にかけて、高校の紛争で教員室がバリケード封鎖された後、授業をつぶして行われていたクラス討論会などではどんな話が出ていたのかは全く覚えていないのに、ただ一つ覚えているのは、若い女性の英語教師が、ある日の討論のまとめとして?なめらかに喋ったこの言葉だけである。
『……、でもそれは、それぞれの人が持つ価値観の違いですから、……』
 この言葉から受けた衝撃は次のような点にある。
 @もし、各人がそれぞれの価値観というものを持ち、なおかつそのそれぞれが対等性の原理によって尊重されるものであるというのならば、しかしそこまでで論理が完結してしまうのならば、具体的な物事への判断というものは爪がかけられず宙に浮いてしまったままではないか?
 Aそのように具体的な物事への判断が異なり決着が付かないにもかかわらず、「価値観が異なる」にもかかわらず、その差異の脈路について分析することなく一挙に、その差異の存在自体をもって逆に、それが「各人」の対等性の証明なのだ、と調和的に転倒させてしまう循環性のレトリック。そのために動員される「各人」という輪郭、「主体」、それぞれの「私」や「自己」等という項目(アイテム)群が、自明な前提的基体として扱われ、その後も問題化されないで中心的な位置を占め続けていること。
 B結局、具体的な思考は何も進展しておらず、決着の付かない様々な意見として表現された現実の力の具体的隘路は、分析を免れることによって保存されたこと、さらにそのような状態が、この社会における常態であるらしいこと。
 
 このような基体性としての主体=自己意識、が前提される限り、究極的には「連帯」は実現できず、具体性によるそれらの主体様式の乗り越えの過程でのみ現実的な「連帯」は成立することを、経験した職場の例で、かつて論じた。*4かし、「自己」という形式性への直接的な批判は、批判対象を指示した上で行おうとすると、批判自体が抽象的な形式性を帯びなければならなくなる。したがってそのような主体様式への現実的で有効な批判=乗り越えは、〈思考によって作られた綜合物たる「主体」〉を対象として論ずることによってよりも、その「主体」を作っている様々な思考の具体的な脈路についての分析によってこそ実現されるだろう。それぞれの「自己」が「外部」と接続する具体的な諸活動が連帯的であるのかどうかを検証し、具体的な連帯的活動の仕方を作り上げていくことが課題となる。「連帯」は活動の相について言われることなのでその領域は人の全活動領域であり、たとえば物の生産、批評活動、介護、性、等々、どのように分節化したとしてもその全領域において「連帯」は成立するものでなければならない。

3 党派性、批評活動、理論における連帯性

 まず、批評活動、理論における連帯性、ということについて考える。これは党派性ということについて考えることであり、「連帯を主張する党派的主張」という滑稽な自己矛盾を回避する方法について考えることである。
 たぶん一九七〇年代末頃だったと思うが、国鉄労働組合青年部のある地区会議でのやるせなさを思い起こす。毎年春闘前に開かれる各分会代表の会議だったかもしれない。賃上げの要求額はアンケート調査の集約では、たいてい五万円くらいになった。しかし実際の労組としての要求額はそれよりずっと下がった額が掲げられる。そのことについて、なぜ組合は組合員の要求を切り下げるのか、というのがさっきからの発言者の主旨である。それに答える支部の青年部書記長は、組合本部の代行者の役割をさせられている。何度も堂々巡りを繰り返す発言に他の多くの出席者は下を向いていたり、ボーペンをもてあそんでいたり、うんざりした態度を隠さない。
 青年部の「活動家」は大筋で三つの党派性に区分され、それぞれが二人部屋の独身寮や同じ職場の先輩後輩という人脈で繋がっていた。役員選挙前には票読みを行い、自分たちのグループがその支部で主導権(代議員数の多数派)を取れば直ちにその党派の流儀にしたがった行動を取り始める。あるグループは支部の青年部の主導権を握るとすぐにデモ行進の際にはヘルメットをかぶることを提起したし、その色はなぜか「白」でなければならなかった。あるグループは家計簿付けによって労働者の窮乏を訴え続けていたし、あるグループは民主的な規制について訴えていた。ほかにもっと勇ましい数人のグループもあっただろう。そのそれぞれが「一般青年部員」の前で他のグループに対して張り切って敵愾心を燃やしているようにさえ見えた。そして同時にすべての党派性が、組合員の団結と連帯、を訴えていたのではなかったか。私はその誰とも特に親しい関係にはなかったが、すでにそうした活動家が枯渇してしまっていたある分会の代表として、組合機関の会議にすべて出席する義務を果たしていたから、彼らとは皆顔見知りであり、また乗務員として出向く駅の構内でも彼らと顔を会わせていた。
 そういった会議の何がつらく、何が切ないのか。要求に上限を設けるべきでないと粘着質に主張する駅の青年部長はかつて貨車の入換作業で片足を失い義足だった。義肢を作る仕事に就いた彼の弟のことを静かに聞いた夜があった。責められている書記長は私と同い年で、彼の小さな駅に私の乗務する貨物列車がまだ薄暗い早朝に到着すると、彼と合図を交換しながら私が機関車を誘導して入れ替え作業をするのだった。その仕事の後はいつも朝のお茶を入れてもらっていた。いずれにせよ我々は皆国鉄という仕事において関係しあい、同じように安い賃金で暮らしている者たちだった。そのことと、互いに張り切って敵愾心を燃やすこととは、どうしても誤った痛ましい結合であるとしか思えなかったからである。日々の生活における私たちの仲間としての関係と、労働組合の運動におけるそれぞれの主張――それは文字どおり全国規模でいくつかの流派に統御されていた――における「対立」という次元には断絶があった。上空から落ちてくる言葉に従いそれに依って互いに傷つけ合うことを捨て、仲間という集団性から出発する別の、地に着いた言葉を発明し、互いが自らの、我々の、日々電車を動かしている、〈力〉を確認することができるはずだったのだ。
 人はいうだろう、それならば君は意見の相違をなあなあの仲間意識で塗撫できるとでもいうのか? 方針は決定されねばならず当局と対峙する組織は一体で活動せねばならない、意見の対立は最後には多数決で決されなくてはならない、議論すべきはしっかり議論し、決まったからにはみんなで実行するのだ、と。しかし、私が言っているのはまさにそれぞれの「意見」が「対立」として認識され、その効力に従って互いを対立する「存在」としてまで分け隔てるようになる、その脈路の分析が必要だということであり、そのような論理力が不足しすぎているために、「意見の相違・対立」という最初の起点からは、ある者たち(すなわちある意見)が別のある者たち(すなわち別のある意見)を(たとえば人数によって)服従させるという解決像しか導き出せない、という行程に含まれている、単に論理的な錯誤を指摘したいにすぎない。
 さらに言えば、これは思い出への反省ではなく、特に支配への反抗として意思されるような現在の思考が内蔵すべき回路についての注解である。
 言説上の諸対立や敵対をある特定の脈路上の現象として限定することで、我々の「存在区分の如きものをそこには関与させないこと、それによってむしろ、対立や敵対として現れる諸具体的脈路を分析可能にする土台として、集団的な固有位置として、「我々」や「存在」というものを設定・使用することができる。
 より多くの対立があればあるほど、その対立の脈路が豊富であればあるほど、そこには世界の豊富さが渦巻きはじめている。ならば、その届けられた豊穣さを如何にして対立ではない別のものに変成できるのか、別の新たな整合性を生み出せるのか、それが課題になる。その問いを様々に言い換えるとすれば、たとえば次のようになる。@「対立」する諸項としてうち立てられているそれぞれの「主体」「個人」のいかなる構成要素がそのような(一見の)「対立」をもたらすのか。A現在の資本主義・市民社会の各成員の「位置」=他者と対立するそれぞれの「位置」というものはいかなる諸利害脈路の重層的な交点として成立し、また作動しているものなのか。Bそもそも「利害」によって規定され、「私」として成立させられるこのものはいかなる結節(もの)であり、いかなる歴史を持っているのか。
 そして、人々の「対立」の相において「各人」の何が願われているのか、論理的に混乱した主語と述語の結合の仕方を詳細に分析し、そのそれぞれの願いを精確に煮詰めて別の表現を得ること、が狙われる。「各人」の願いを矛盾なく実現する方法が必ず生成可能であるという確信こそが、これらの動力である。なぜ利害の「対立」が解体可能なのか、それは、「対立」する諸項として成立させられた諸「主体」自体、「各人」自体がこの過程で別の様式に変成されてしまうからである。
 我々は宇宙の一部分であり、それは在り方としては、路傍の石が宇宙の一部分として宇宙の全史を含んだ現在であるのと全く同じである。(連続濃度の無限空間)。しかし、我々が言葉として実現する〈具体性〉とは、弁別という抽象・記号化によってしか可能でないために、常に固有の位置による〈限定性〉を刻印されており、その限定性の表象、すなわち個・別的なものとして分離された諸塊が、いわゆる「個人」である。(可算無限の論理空間を経て、現実の言説は「記号」による有限性である)。したがって、物事を具体的に捉える限り、できる限りの多数多様な固有位置からの言葉や行動の組み合わさりによる変成活動が、限定性を普遍性に転化する通路なのである。
 ある特定の「個人」、たとえば「(男女の)彼」はこれこれこういう「存在」である、という陳述が、「彼」の(価値としての)(変化しない)「存在規定」として発せられているとすれば、その状態は自己循環的な固着・錯誤状態にあるために、「外」との新たな関係を持てず、その「彼」という存在は具体的な脈路を失った形式的なモナド、抽象的な基体、となってしまう。十八世紀の市民革命で実現され、現在も支配的な基体としての「個人」像とはそのようなものに見える。
 フーコーは、人を裁きたがるのは病であって、私は人を非難するのでなく、言われた言葉を保存しきらめかせる批評を夢見る、と言う。*5手をいかにうまく叩きのめすかを競うのではなく、世界の固有の位置を占めるそれぞれの場所(各人)が必然的にもたらす諸言説が含んでいる様々な方向性を延長し共振させ、他との対立や敵対として成立していた条件がどういうものであるかを明らかにし、それを解体し、別の、信頼と包容する〈力〉に満ちた集団性を指し示そうとすること、そうした批評活動に、「連帯」という言葉を与えたく*6

4 「提出」されるものにおける連帯性

 それを一つの在り方として考える以上、「連帯」とはいたるところに成立するものでなくてはならなかった。
 現在、「仕事」と「私生活」は分離され、「労働」時間と「自由」時間はせめぎ合い、そして最終的には「自由」時間は「賃金という残酷な制度」を仲立ちにして「労働」時間に従属している。日々の「仕事」はほとんど何かの先験的な枠(もちろん、「貨幣」とその増殖形たる「資本」概念のことだが)内での整序活動に等しく、それとの対比性として、「仕事」「でないもの」として「自由時間」が想定され、両者は相互規定する双対性(そうついせい)として機能している。「連帯」がそれらの仮想的に分け隔てられた領域を横断し、自らを実現していく時、具体的にどのようなことが現れるだろうか。自動車、という提出されたもの(「生産」物)を例にして考えてみる。
 日本の自動車メーカーが作る自動車は輸出向け仕様車と国内向け仕様車との間に安全上大きな差があったことはよく知られている。アメリカやEUに輸出する車は厳しい安全規格に沿った車を作り、国内向けにはそれらを省いた車をわざわざ作っていた。八九年にアメリカで乗員保護のための装備が法律で義務づけられ、欧米のメーカーが一斉にエアバッグの標準装備化に走ったとき、日本メーカーは米国販売車でも十車種あまりに標準装備しただけで、国内販売車に至ってはあるメーカーが「市場のニーズがどうなっているのか、つかめていないので装備する計画はまだない」と説明していた(朝日新聞89.09.14)。側面衝突の安全対策として、鋼製の板やパイプなどを横に渡した補強材(サイドドアビーム)があるが、「国内メーカーは規制でサイドドアビームの取り付けが義務づけられている米国への輸出車には取り付け、規制のない国内向けには装着していなかったことが二年前に問題になり、最近の国内向け新型車にはほぼすべて装着されるようになった(朝日91.07.20)」。仮眠中に排ガスが車内に進入し一酸化炭素中毒死する事故の続発が問題になったときも、国内販売車には何の警告表示もしていないのに、「十年以上前から、米国を皮切りに欧米への輸出車には、中毒死事故の危険について取り扱い説明書で警告表示し」対策も書かれていた。マフラーの腐食がその事故原因の一つで、「腐食しにくいマフラーのステンレス化も、輸出車には国内販売車より早く採用されて」いた、が、材料費が一台あたり千円高くなるにすぎないステンレス化について「あるメーカーの材料担当責任者は『百円のコスト削減に成功すると表彰ものだが、百円のコストアップは許されない。特に他社に比べて過剰品質となると厳罰もの』と明か」していたという。(朝日94.07.28-29)。
 さて、後から後からでてくるこのような問題について、これらの自動車を実際に作っている労働者はどういう気持ちだったのだろうか。国内向け、すなわち、自分や、友人たちが乗るかもしれない車は、もっと安全にできるにもかかわらず危険なものを作らされ、輸出車のほうはより安全なものを作るのである。そこにむなしさ、怒りを感じないわけがないだろう。自らが働くことがまさに、人々を傷つけるのである。千円のコストアップが人の命と交換されてしまう、そのような物作りの規範(ノルム)とは結局、少しでも利益を上げる、ということへ回収される諸々の行動様式の束なのだが、経営者にしても、その行動に従属する労働者にしても、そのような公理・規則群による自らの活動が他者を損ない、また他者の同じような行動が今度は自分たちを標的に傷つけにやってくることを十分知っているだろう。まさにマルクスの言う「他人を手段とみなし、己れ自身を手段に貶め、余所(よそ)の諸力の手玉にとられ」ている「市民社会」*7姿そのものなのである。
 これを、「欧米」では企業も安全を考えているのに比べて「日本」ってヤツは……、という類の比較の問題に固着させてはならない。日本車がようやく運転席エアバッグの標準装備をうたいはじめた頃、たとえば日産が「マーチにエアバッグがつきました。でも、お値段はそのままです」(朝日95.01.20)といっていた頃には、「日本にないものをつくる、世界のフォードです。……運転席・助手席エアバッグ、4W―ABSを標準装備。国産車や他の輸入車とは違う、フォードならではの安全思想、販売ポリシーを、お確かめ下さい」(朝日95.02.11)などと宣伝していた米自動車メーカーも、かつては、六九年に全米交通安全局(NHTSA)が、全車にエアバッグの装備を義務づける規則を提案したとき、取り消しを求める裁判まで起こして猛反対したのだという(朝日92.04.01)。だからここからは、「日本」と「アメリカ」「ヨーロッパ」という弁別をうち立てて、数直線上におけるそれぞれの進み遅れや差異を論じ整序する、という方向性よりも、「日本」であれ「アメリカ」であれ共通する問題、すなわち、自らが作り出す物について、技術の当然として考えられる安全策の採用を押しとどめるほどの強力な力、すなわち人々の「幸福」に公然と敵対しながらなおかつそれを正当化できるような脈路、はいかにしてその効力を自らの上に行使しているのかという問い、その力を解体する別の脈路の生産ということこそが実践的な課題である、ということが導き出せる。「日本」と「欧米」の比較論は、「遅れ」に対し「進み」の実例を対比することで、「進み」への圧力とする目的の中でのみ有効性を持てる戦術的な脈路である。
 また、安全な対策というものがすでに確としてあって、それを採用するかどうかが問題になっていたのだ、と思い込んでもならない。実際、その後エアバッグによる子供や小柄な女性の死者が目立ちはじめ、アメリカでは設計や使用法の見直しが始まったし(朝日96.11.23)、サイドドアビームが衝突の状況によっては乗員により大きなダメージを与える例も論議されていた(朝日千葉版90.12.20)。車の衝突時の乗員安全性が商品のセールスポイントになるというマーケティングの結論として日本においても、それまで欧米の試験で酷評されていた車体の強さを改良しそれら安全策を前面に出す広告が多くなり、今や(乗員の)安全と、環境に優しい、は車の標準的宣伝の土台にすらなっている。だが、他社と競う販売政策という軸の周りに組み立てられた「安全」は原理的にその域を出ることができず、常にその軸の従属性であることから免れず、「安全」をうたえばうたうほどそこに含まれる夾雑物がざらついた感触を我々にもたらし続けるだろう。結局、その装備をつければ売れそうか、という市場のニーズによってではなく、いかにしたら安全であるかという設問の空間でしか答えはないのである。「市場のニーズ」という規範空間、客と生産者、うちの会社とよその会社、すなわち自己と他者という形式での自己決定ゲームの線分内を、ひとたび「安全」という課題への移行によって脱したからには、その力線は、乗員の安全だけではなく、歩行者への安全、環境への安全、と、そのような必然的な延長拡張運動によって、一自動車会社の対応課題であることから、道路、救急体制、事故の分析体制、あらゆる社会的領域での問題に広がる運命を持っている。なぜなら「安全」の追求作業は、「市場のニーズ」という規範空間の内在動力である「どんな商品が売れるか分からない」という恐れ、他者への恐怖、を持たないが故に、むしろ、集団的な自らを組成していく内在力感に支配されるが故に、事物の具体的な空間、自由に一つ一つの課題の解決に向かって働ける空間――まさにそれが唯物論(マテリアリズム)の空間だが――を確保できるからである。双対的に規定された抽象的な「他者」と「自己」とが戯れる「市場」概念、賃金という抽象性、自己の家族の生活を確保するために、という経路を経て企業の百円のコスト削減へ回収されるような「労働」概念、それらから、ひとたび「自動車における安全」というような具体的な問題設定の空間に入り込んだとき、その解答を求めようとする様々な領域の活動から、統一的な方向性が抽出できるのだとすれば、それは、おそらく、限りなく、人のことを「気遣う」態度、であり、しかもその場合の「人」とは、「他者」として対象物化されない、集団的な一群、〈我々〉という形像を持っているだろう。
 あらゆる「生産物」に対し、あらゆる「仕事」に対し、自らが「生産」するものが人を傷つけるものでないか、役に立つものであるかを確かめるため、人は企業経営者だけの判断に介入し、決定への参加の権利を主張するようになるだろう。また「利用者」も同じように介入を始めることになる、というよりそれが必要不可欠な要素になる。その決定は「経営者」と「労働者」の一対、すなわち「生産者」だけでも、またそれに「消費者」を加えたとしてもまだ不十分であり、そのように分割され位置づけられた抽象的諸項間の交渉へは外部から常に新たな諸項が介入してくる。それ故に、安全で合理的な対策車あるいは交通システムというようなものを一人で、すなわち世界内のある一点だけから、「具体的なものとして」想定しようとするのは論理矛盾であり、不可能であるばかりででなく、また同じく、これしかないという唯一の究極的な答え、すなわち条件無しのこれが「もっとも」安全だ、という想定も無意味なのである。それらはすべて変動可能で、そこにあるのは人々が行う決定と運営という過程性のみであり、それが価値自体なのであると確信されるだろう。利潤、命令、服従、等々の垂直的な諸規範を、全くその外部から斜めに鋭く切り裂く直線が、たとえば、「安全なものを作りたい」という表象となった集団的な自己価値化の欲望が、打負かす。そしてそのような行程に割り当てられるべき言葉こそ、「連帯」という語ではないのか。そこでは当然、「生産」、「労働」、「消費」、「遊び」といった、人の諸活動の分節構造化自体も解体されてしまう。

5 「私有財産の廃止」?

 「この意味において共産主義者は、その理論を一言であらわすことができる。曰く、私有財産の廃止。」(『共産党宣言』塩田庄兵衛訳、角川文庫)
 この一五〇年ほど前の「異様な」一文は現在でも、各人がそれぞれの「私」に対して持っている関係性を試すリトマス紙として働く。この文に初めて出会った十六歳の私にとって、この「私有財産の廃止」という日本語はどうしても、それがどういうことなのかをうまく想定できない、不可解な言葉だった。「私有」に対して「共有」という語を思い浮かべてみたが、すべてのものが共有であるとはどういうことか、この文がどういう事態を指そうとしているのか、結局納得できなかった。一九一九年に生まれ、自作農の娘だった私の母親、敗戦によって一九四六年以降ようやく選挙権を行使できるようになった母にとって、共産主義=私有財産の廃止とは、生まれ育った家の農地や山林が国家に取られてしまうという恐怖だった。(したがって彼女は死ぬまで、その恐怖に対抗する方向で選挙権を行使していたと思う。)
 この「共産主義(キョーサンシュギ)」への恐怖が社会的変成への多数多様な具体的脈路を一括して封殺してきた。言い換えれば、「私」性の否定への恐怖が、その社会の編成を保守する基幹脈路となってきた。一方、「私有財産の廃止」というこの一文をも包摂する運動体の一員であると自認する者たちも、この一節の取り扱いには苦慮してきたように見える。搾取無きよう生産手段のみ「共有」にするのであって各自の御飯茶碗を共用や配給にするのではない……、様々な所有形態が認められる……、国有化ではなく社会有化するのである……、等々とそれは分節化された。しかしそのとき、「所有」や「私」という概念自体の系譜、その起源についてまで、問いは向けられていただろうか。いうならば、マルクスが「ユダヤ人問題のために」の中で一八世紀の政治革命における産物として記述した〈人間(homme)〉、あるいはフーコーが『言葉と物』の中で、一八世紀末に成立し今消滅しつつあるものとして描いて見せた〈人間〉という顔貌、その布置からの脱却が、この「私有」財産の「廃止」というスローガンには込められていると見なすべきではないのか。「私有財産の廃止」という言葉へのおののきと不可能感は、基体化された、すなわちそれ以上は分析不能とされてしまった諸「個人」=「私」という「主体様式」の地平線を垣間見させようとする〈力〉へのおののきであり、それらの「主体様式」にとって、自らの地平線の向こうには空虚しか見いだせないが故に、「私有財産の廃止」は「妖怪」に見えるのである。しかし、「私有制」の廃止とは、そのような主体様式、すなわち「国家←→自己」、「社会←→自己」、「非(私)←→私」、「規範←→自己」というような一対の極性を持つ自己循環的な主体様式の中で、一方の「私」「自己」という極が、もう一方の「国家」や「社会」という極によって占有されてしまうことなのではない。「自己」「私」を成り立たせるためにはもう一つの他極との恒常的な一対性を必要としていたそのような主体の様式が、その一対性を規定する双対性(そうついせい)(duality、輪郭線を共有して互いを完全に定義しあっている、いわばエッシャーのいくつかの絵のような状態)の脈路自体の分析を始めることにより、その「私」「自己」←→「国家」「社会」という一対性の主体様式自体を分解・無効化してしまい、その結果そのようなものとして成立していた「自己」は、それと相互規定されていた「国家」「社会」等と共に、そのようなものとしては消滅する。それ故、その道筋を指して、「私」「自己」の「廃止」!と言われるのにすぎない。「国家」や「社会」との一対性であったそれまでの「個人」という主体が感じていた地平線の向こうには、空虚ではなく、これまでの「個人性」、「自己意識」、「人称性」等とは全く別の、ある集団的な主体様式(固有化)が可能なのである。その主体の様式は地平線によって輪郭づけられず、むしろ「自ら」を世界の地平線と成すべく不断に自らを編制(変成)し続ける〈この〉運動性である。
 それは「個人」を「個人」たらしめることによって「従属を成立させる」様々な脈路、たとえば先述の「賃金」や「雇用」をめぐる言説や装置の配置、への闘争として、過程性の中にしか成立しないだろう。「連帯する」とは、そのような様々な制度や慣習による「個人化」を打負かそうとするあらゆる動き、その方向性のことであり、別の我々の在り方を作り出そうとする欲望であ*8  

6 経済、最終審級、限界効用

 市民社会のエゴイスティックな関係を規定している公理を「経済」と呼んでいるのはマルクスの時代も現在も同じである。連帯性がその領域を切り裂かないで済ませることはできない。
 休日には目覚まし時計が鳴っても気づかぬ内にそれを止め貪るように眠り続けるのに、出勤の日はたとえ一、二時間しか眠っていなくてもきっちりと起きる、夜勤の仮眠時間の終わりの時計のベルも、夢や頭痛やためらいを瞬時に一掃し、布団ごとバネ仕掛けのように体を九十度起こす動作を「私」に引き起こす。まだ百時間でも眠りそうなぼろぼろの体と脳なのに。そのまま眠っていたらどんなことが起きるのだろうか。五分では何事も起きないかもしれない。後五分では起床後の私の行動はかなり迅速でなくてはならない。さらに十分遅れたら、そこに新たな要素が加わる。点呼の電話が無いために「私」は探索対象となり、その収拾策が求められる、さらに二十分眠り続けたら、事態は全く構造を変える、他の労働者による私の代替という配置がとられなくてはならない、その時間に行うべき仕事をしなかったことによる懲罰、賃金への反映。このように、推察される事態の展開段階のあるところで、これ以上は眠れない、「それを超えれば、アレンジメントは今まで通りのものとしては存続しえない*9いう「限界」が、「私」という体を起き上がらせる。「私」は「従属」したのであり、「従属」が「私」を形作ったのである。こうした「限界効用」によって至るところで、「決断」と「交換」が成されている。失業という限界効用点、ギャンブルにつぎ込む金額や、サラ金からの借入額上に引かれた限界効用点。「それ」を超えたらこれまでの「自分」は終わり「死ぬ」。そこから先は今の自分では絶対に想定できない別の配置の中で組成されていく〈何か〉なのだ。そのことへの「私」の恐れこそ、「外からの力」として働く脈路、その経過が「権力」という効果の成立なのである。これらはまさに「日常生活の経済学」である。このような、「私」をして行動させ、発語せしめる限界効用の脈路の束、「私」に対する双対的な「外の力」として成立しているのが「経済」という装置である。「賃金」=「『私』を存続させる条件」、の約束がほとんどあらゆる愚かしさや裏切りをも正当化していく脈路は、日常生活への各自の反省が可能ならば、現在の至るところに見いださざるを得ない種類のものである。しかしそのような、「経済」を形成する諸言説や配置は必ず、論理的な錯誤によって自らを誤って限定してしまう自己循環性の中にある。連帯ということのためには、注意深く、徹底的にそれらを分析していかなくてはならない。
 デリダはアルチュセールに関するインタビューの中で「下部構造」あるいは「最終審級」の概念について、次のように述べている、――いま「経済は最終審級である」という代わりに、もし、「あらゆる『最終審級』は『経済的』である」というならば、…中略…これはすべてを一変させることになるでしょう。*10  
 経済は下部構造あるいは最終審級である」と言う時(一般化すれば、「A」と「〜」という二つの名詞を使い、「Aは〜である」と言う時)、開始する主語、主語の単一性として設立された限りでの名詞「A」は、(この場合「経済」、「経済」として指示された事柄は)、その原初性と単一性故に一つの分析不能な基体として扱われてしまう。そのため、それが具体的固有場面で「最終審級」として人々に効力を及ぼす脈路、まさにそれが「最終審級」である所以の、その具体的な脈路、何であれ「それ」が「最終審級である」ということの脈路、を分析させない。すなわち、「経済は最終審級である」という陳述は、話者にとって「経済」がまさにそのような分析不能な固有性の関係にあることを陳述している。一方で、「あらゆる『最終審級』は『経済的』である」という言い方にとっては、「あらゆる」という語において、様々な固有の場面で現れるそれぞれの、しかもすべての「最終審級」、(それが各人の思考において効力として成立する現象であることを示すために、それは引用符に入れられ、『最終審級』と表記されているのだが)、という複数性が、同じく複数性として引用された『経済的』に結合されたために、それぞれの固有の場面で、ある審級が自らを『最終審級』として成立させる脈路を分析可能なものとし、言い換えれば、「最終審級」とはどういうことか、を分析可能なものとし、また逆に、そのような分析可能な「最終審級」化過程が現在の『経済』概念であると規定することによって、「経済」概念の基体性、自明性をも分解する作業になっている。すなわちこちらの言い方は、そこで使用される名詞をすべて分析可能な結節として、「引用」として取り扱うことに自覚的であり、これからの自らの発語を、自明性(基体性)を含まない、どこからも入りどこへも抜け出られるような、いわば未来に向かう言葉として成立させようという、思考の様態を示している。
 「経済」概念は、「労働」という「外」への働きかけ、それに対応した「収入」という「内」への「回帰」、その循環の基点として成立する「個人」あるいは「個有主体」、といったものをその構成項目に含んでいる。すべては「個人」あるいは「個有の法人」という輪郭を透過し、そこにつなぎ止められなくてはならないものとして分節化されるために(所有され印づけられなければならないために)、物理的世界の連続性や、思考の連続性と常にぶつかっている。たとえば、もし、自らの思考が生み出した産物が真にすばらしいものであると思えるのなら、できるだけ多くの人にそれが届けられ理解され人々のものになることを望まない人はいないだろう。ところが実際には「他の」人々がその思考の産物を利用するためには高い障害が設定される。それは思考し産出した「個人」の「生活」を守るためだという。食料や生活必需品の入手のためには貨幣が必要で、その人の時間を主に思考に使用してしまった人はその産物のみしか貨幣に変える物を持たないのだから、その産物と必要な貨幣を交換しなくてはならない……、と。著作権概念と思考産物への値段付けは言葉という人々の共有物上に成立する思考自体の特性にもっとも対立する。人々の活動が速やかに結合し、相乗され、爆発的な展開を遂げようとするのを、このような、個人を基体とする公理、「経済、」「資本主義」は妨げているのである。さらに「労働」というものが人々の全諸活動(生まれたばかりの子供も今死にゆく者も含む、眠る、食べる、機械を動かす、考える、じゃれつく、書類を作る、歌う、等々の諸分節)の超越項として抽出され、「生」を支える基底として固有化されたとき、逆に言えばそのように支えられ制御されなければならないものとして有限な「生」という概念が成立させられたとき、「労働」と「非労働」、「生」を「支える者」と「支えられる者」という弁別項が、人々の活動における諸脈路の生成を統制し、自由な結合を阻止してきたのである。
 マルクス風にいえば、「市民社会」(経済が支配するエゴイスティックな人間)の自己意識上での「連帯」とは、幻想的な「政治的国家」における連帯である。それは人々がどんな職業に就いていようと、どんなに賃金額に違いがあろうと、それに触れないで、それぞれの「個人」の対等性と、その個性(個有性)のかけがえのなさ、その尊重を歌い続けることができる。それらの差異によって刻み込まれる「個人」というもの自体の基体性=自明性も疑われない。しかし、各人が得ることのできる貨幣量の大小が、各人の活動可能量を規定するものである以上、「企業」や「銀行」という「個有体」に集積された貨幣量の使い道を一部の者たちだけが決定できるとされている以上、すなわち、我々が現在何を為すかを我々が決定できない以上、そのことに抵抗し、自らの活動領域を増大させようとする〈力線〉はけっして消滅することはない。
 我々が求めているのはこの「エゴイスティックな在り方」自体の廃棄であり、それは形式的には、「近代」になって作られた「人間」概念からの脱出として現わされる
 「連帯」ということが根底的(ラディカル)であるならば、それは日常のあらゆる基体性=自明性を分解する具体的な動線、運動の過程として成立しているだろう。その動力となる欲望はいっさいの分節化を逃れ、むしろいっさいの分節をそれが生み出す、直接性、連続性であり、「現存」の限りない喜びに満たされているだろう。
 


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*1「ユダヤ人問題のために」『ヘーゲル法哲学批判序論』真下信一訳 大月書店国民文庫pp275-325から要約構成
*2『善悪の彼岸』信田正三訳 ちくま学芸文庫 p102  
*3『道徳の系譜』信田正三訳 ちくま学芸文庫 p404  
*4「雇用という言説をめぐって」『日本の〈保守〉を哲学する』大阪哲学学校編著、1994、三一書房、所収  
*5「覆面の哲学者」市田良彦訳、『哲学のポストモダン』1985ユニテ、所収
*6このことを次のように形式モデル化してみた。
 人々の意見、主張、そのすべてが錯綜する空間というものを想定する。様々な脈路で、様々な方向の線分上で、対立し、また協調する諸言説がそれぞれの「個人」を貫いている。コーヒーの好き嫌いから、日本経済の再建策まで、可能な限りの(可算無限の)言説上の対立軸を想定し、各「個人」というものはそれぞれの対立軸すべてについての判断位置を内包した集合である、と規定する。すると「個人」は可能な対立軸すべてにおいて重層的に分類されることになるから、ある「個人」の「存在自体」の分類は不可能になる。逆から言えば、ある「個人」がこれこれこういう「存在」である、という分類陳述が整合的であれるのは、その特定された対立軸上のある特定された位置に「あるということ」の表示として「存在」という語が使用されている場合のみであり、一方、価値としての総体的「存在」は、その位置を具体的陳述として言い切ることは(可算無限の元を含む以上)不可能であるから、非分類性=固有性としてのみあることになる。
 さらに〈世界〉は唯一であるという条件を加えれば、可算無限の元を持つ集合としてその固有性が表現される各人は、固有位置における世界の断面表現なのであり、世界の全問題をすでに内包していることになる。世界の固有性と各人の固有性とは同じことになる。また、「個人」間の諸対立軸上の位置の違いは現在の世界で「個人」というあり方をする場合に生じる差異であり、「個人」間で「敵対」的問題として成立するのは、その場合における「個人」という形態では未解決の問題がそこに提起されているということである。だから、世界の問題を解決するには、できるだけ多くの人が、すなわちできるだけ多くの固有位置が発言し、それらすべてを接合して新たな世界の整合性に組み替える、新たな整合性を創出することが必要になる。批評・活動とはそういう作業だということになる。  
*7「ユダヤ人問題のために」p289
*8フーコーは、八一年にゲイの雑誌のインタビューに答え、人々は同性愛の「法や自然に適合しない性行為を想像すること」よりもその「同性愛的な生の様式」に当惑させられるのであり、「法や規則や慣習のあるべき所に愛を持ち込むこうした諸関係」は「制度にショートを引き起こ」すため、「制度的諸コード」はそれを容認できないのだと述べる。さらに「われわれをわれわれに対して作業させ、現時点ではあり得ないと思われる存在様式を発明させるような」、「同性愛的禁欲の中を、われわれは進むべきなのです。」と述べていた。「生の様式としての友情について」『同性愛と生存の美学』所収 増田一夫訳 哲学書房1987 p12   
  私が考える「連帯」は限りなくこのことに似ている。
*9『千のプラトー』ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ 宇野邦一他訳 河出書房新社1994 p494
*10デリダ、「政治と友愛と」 『批評空間』第U期9.10号 1996年 安川慶治訳
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