Evangelion Genesis y:x 更新日誌(2002 年 2 月)

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2 月 28 日。
ここ の「活字中毒者に50の質問」の回答を置く

50 答えるだけでもけっこ面倒いねぇ。本関連の 50 or 100 questions は他にも幾つかあるようだが、 ひとっつ答えると他のやつに答える気ぃなくなるや。


2 月 27 日。
絶不調の上流サーバってことで、すっかり錆びついた予備回線と化していた asahi-net 方面へのラインを臨時に確保。 どれくらい錆びついていたかというと、ppp 経由での asahi-net への発信 routing を firewall で遮断していた位。あぅ。

某料理屋さんでの昼飯な話。
味イマイチというのが標準的な評価だったが、最初に食したサラダがけっこ旨かった。 掛けてあるドレッシングに僅かに辛子の味があり、.... 「ここの厨房に辛子が置いてあるなんて知らなかったぞ」などどかなり酷いことを思いながら褒めたりした (ふつーもっとベッタリした味付けするとこだから)。 魚さんの調理もちょい変わって「白身の味が出るようになったな」と。 そのわりに牛さんの味はなんの変化もなかったけど。まぁ、もともと 野菜 > 鳥 > 魚 > 牛、的な順のあるトコではあるんだが。

さて、夕飯。
煮魚。見事に味が抜け、何の肉であるかさっぱり分からんモノになっていた。
昼の料理屋さんに向けて懺悔することになった。魚を煮るってよーわからん ...

『フィギュア 17』 #4、「羽ばたく心をもっていますか」
1 時間枠というのものの可能性 ... 凄かった (でも微妙〜に作画のレベルが #3 以前より落ちた?)。
もちろん 30 分枠でも描けそうな内容しかないけれど、 時間的余裕を空間的な広がりに転化させる演出の上手さ。 「主よ、人の望みの喜びよ」をぜんぶ弾いて脇に何にも詰め込まないとか。 似たようなことは『シュガー』でもやってたが、あちらさんも虹の扱いやら上手だったけど、 こーしてみると窮屈だったのね。

全体につばさと翔の会話のときにどちらが先に話し掛けるかに着目して観てた。 つばさは普段ヒカルに引っ張られてるだけで、翔が気になるっつうてもハタから見てるだけのことが多いということと、 翔のほうもどこまで考えてつばさを音楽室に連れ込んだ(をい)のかが言葉と表情だけでは読めなかったからだが、 翔からのアプローチは買い出しの時と米研ぎ〜音楽室の時だけだな。あとはすべてつばさからになっている。 なんもせんくせに要所だけは外さない奴 > 翔。

どーせなら萩原の心理がもちょい表現されると楽しそうなんだけどな。そういう話ではないにしても、 そこまで描写密度あげても破綻しない余裕はある話っしょ。 これだけ小学生日記していながらつばさとヒカルが関係しない人間関係で描写があるのが 萩原〜青山と萩原〜飛鳥くらいで萩原の地位はロクに本筋に絡まんわりにけっこ高い。

ところで、テントの中で大富豪とおぼしきトランプゲームやってたけど、 ジョーカー上がりも 2 上がりも禁止してないんね。3 による革命もなさげで、弱者による逆転は大変そう。

「なんかワクワクするね!」
「え ... なんで?」
「わかんないけどワクワクするぅ!」
名シーンはヒカルが目で尋ねてつばさが自分指して諦めて頷くところと↑だけど、 頷くほうはセリフなしなのでこちらから。もっともこちらも台風接近が表現できてねぇぞ ... ぜんたいに仕種と行動だけで表現する成分が多い話だから、セリフ抜くだけだとほとんど何も表現でけんのだな。
2 月 25 日。
昨日 ── というか今朝早朝、Internet への異なる経路 3 本が各々メンテを理由に 3 本とも切れた。 そりゃぁもう綺麗さっぱりすっぱり。あうぅ。
2 月 24 日。
「コピー機」を書いた ... スキャナ(ES2000) からプリンタ(LJ 4PJ) にそのまま流すだけのアプリを書いたという意味だが。

スキャナ買うとオマケに付いて来るソフトだし、いかにもそのへんに転がっていそうではあるが、 (Linux スキャナドライバ/アプリの)SANE がスキャナのボタンをサポートしたのは去年のことで、たとえば Debian sid に入っているバイナリなどは まだ ES2000 のボタンをサポートしていない。 したがって linux 上でコピー機と同等の動作をさせるプログラムはそれほど出回ってないはずだ ... ってことでたいしてしらべもせずに自前で書いた ── つうか、どーやって探したらいいんだ? 「コピー機」で検索したら本物のコピー機がヤマほど当たるに決まってる。

もちろんコアは 5 行たらずのプログラムだったが、 「コピー機」として使うためには PC に触らずに必要なことができなければならず、 使えるボタンが一つしかないから出来るだけ人の意志を読みとる必要がある、 あるいは web ベースで操作できるようにしとかな、などとコアが簡単なぶんだけ余計なトコまで手を入れることとなりし。

プリンタから用紙サイズを取得する方法 (IEEE1284 で繋いで PJL スクリプト)とか、 スキャナの電源投入と同時にコピー機デーモンを動かす方法 (usbmgr は出来ない。murasaki 必須) とか、 スキャナ上で landscape のイメージを portrait に直して印刷するのに netpbm ではダメ (pnmflip は 4000x6000 前後の PBM ファイルを rotate できるだけのバッファを持っていない)で専用に書く必要があるとか、 小品のわりに書いてて面白かった。

つまり「出来ることになっている」というのと、「書くための必要な資料あるいはテスタがあること」の差 ... というか、IEEE1284 程度だって「それで繋げる」し、実際それで繋がなくては動かないプリンタドライバも出ているが、 だからといってプリンタの情報を見るためのコマンドすら未だ一般には出回ってない、 ような気がする。IEEE1284 接続で検索しても何が嬉しくて IEEE1284 にしてあるのか分からん。
また、usbmgr と murasaki の差も、カーネル 2.4 では murasaki を推奨することになっているとは言い条、 2.4 の普及率のわりにほとんど usbmgr のまま (google 上で 2800 件 vs 580 件) ってこともあって、 murasaki の利点がおもてに出たケースは他に見当たらなかった。 ... そら USB LAN 使えば murasaki のありがた味はあるんだけど、ふつー使わんだろうしな。

縮小拡大でのコピーの場合はモアレが出るのをふせぐために grayscale で吸い上げて拡大縮小後に二値画像化しているが、 (等倍では二値画像で拾えばよいところを) 8 倍ものデータ量になると USB 接続の細さが目に見えるレベルになる。 SCSI 接続だとカラーで吸い上げててもそういうのは気にならなかったんだけども。
もっとも SCSI 接続ではそもそもコピー機を書く気にはならない ... SCSI で繋いだ状態で スキャナの電源だけを入れたり切ったりすることができない (できなくはないが認識が安定せず、scsi module の切り離し再接続など PC 上での操作が要るケースが多い) からで、 一長一短。USB 2.0 or IEEE1394 が希求されるわけである。

更新が続いた PC ハードも安定してきたので機器構成のページを更新。


2 月 23 日。
大阪っちゃあ、環状線のアナウンスのアクセントだよね〜とは向こうへ行くたびに思うことであった。 「環状線」が先頭アクセントだもん。
2 月 19 日。
いくつか書くことあったんだが、そっちより先に二つ。

ソースコードの見れるPalmwareへのportal」なるページが palm-unix-j で宣伝されていた。 いろいろ言いたいことはあるが、とりあえず出来たことは喜ぼう、ってことでお祝いに 2 つほど 言及されてなかった URL を BBS に書きこんでおいた。もちろん PALM 階層からもリンクはしておいた。

PsiLinux (Psion 5mx 用 linux) で CF LAN カードが動作したっつうレポートが本家 ML で上がってきた。 割り込み線が実装されてないはずの Psion5 の CF スロットで LAN カード動かすって、 「理論上はありえるなぁ」とは思ってたが、ほんとにやるやつが出て来るとは、 5mx 用 linux 陣営も実装に余裕が出て来たんだなとちょち感心。 フレームワークさえ出来上がれば 5mx pro で 32MB もつハードだし、意外と応用広いかもな ... つーか、誰か無線 LAN card 動かしてくれないかな。


2 月 18 日。
メモ。
君主が統治するタイプの国の種別。
... 単に、「帝国」というんは、単に君主が統治するというだけのことしか 表さないはずなのに、なんで「強い」とか「拡張主義」とかゆうイメージがでるんや、 という昼飯な話から。さらに元はアメリカの外交な話だがそこまで遡ると記録する意味はなかろ。

頭と尻尾入れ換えて、拡張主義な君主が居ったら「帝国」だと定義することにする ── まぁ、ローマ帝国の(全盛期の)君主にあやかって称号つけるとこなら心理的にそれほど外してないだろうと。

その場の連想は 3 つだか 4 つだかで終わったが、 今思えば「帝国」vs「公国」よりは「某国」vs「亡国」のほうが芸があったかしらん。


2 月 17 日。
K6-III/400 + MVP3 から P3/667 + ApolloPro133A に変わった atropos だが ──
むちゃくちゃ AGP パフォーマンスの出ないチップセットだとは聞いていたが、 これほどまでに むちゃくちゃ AGP パフォーマンスの出ないチップセットだとは思ってもみなかったぞ > ApolloPro133A

メモリが 192MB 100MHz, CL2 → 256MB 133MHz, CL2 で hdparm -T が 70MB/s → 175MB/s になったのは良しとしよう。だいたいメモリバスの氏素性の分くらい上がってる。 CPU もメモリも条件が良くなった効果は出ている。

にもかかわらず xengine 値が 24bpp 時 1500 → 900rpm と悪化したのはどういうわけだ。 ビデオカード(MGA G200)とソフト(XFree86 4.1.0)は変わってないぞ。

MVP3 時、mtrr 加速を外すとだいたい 800 まで悪化するところからして Pro133A 側の数値は一見 mtrr 加速が効いてない状態に見えるが、 mtrr 加速をほんとに外すと 700 台に悪化するので 900 台でも一応 mtrr の write-combining は効いている。 逆に見ると MV3 時 mtrr 加速の効果が 800 → 1500rm だったのに対し、 Pro133A は 700 → 900rpm とほとんど改善してない。 Pro133A ってバーストライトをまともにサポートしてなかったのか ...

── などと思っていたが、これだけでは済まなかった。 旧 atropos の部材かきあつめて suezo を作り直し、K6-III/400 + MVP3 + Mysteque (PCI) なマシンとしたら、 こちらの xengine 値 1700rpm.

P3/667 + G200 + AGP が K6-III/400 + Mysteque + PCI に負けてどーするっ!


2 月 15 日。
アニメの "Kanon" の評価についてよくわからんことがある。

まず作画が気に入らんてのはある。(同じ形できちんと安定してるという意味で)「綺麗」な作画ではあるが、 もともとのデザインがあまりにも変なので、気持悪い。特に裕一だが、 香里、北川などサブキャラの手抜きも激しい。
第二に、声の解釈が変で、今の段階で栞が裕一に甘えると栞シナリオを辿った時に話が崩壊するやろ、 とか香里の反応が激しすぎるとか、てのがある。
第三に、すべての出来事が裕一の目の前で起きるというシナリオの ... というかカメラワークの不自然さ、 てのがある。シスプリだってここまでカメラワークは不自由ではなかった。

ところで、これらの条件がどれくらい致命的かというと ... ぜんぜんそんなことはない。

たとえば作画。原画と比較してみれば良く似せた絵になってると思う。 そしてゲームの絵にはほとんど嫌悪感はない。
声の解釈は、もちろんこれからの話次第。"To Heart" だって声は必ずしも合ってるとは言いがたかったが、 それが理由で "To Heart" を切りはしなかった。
カメラワークは、ゲームの構造を引き継いで一人称主人公の物語になってるだけだ。 世に一人称主人公の小説、三人称主人公の小説てのがあるかぎり、これも非難にはあたらない。

ついでに言えば、上で原作と比較しているが原作至上主義ではないつもりだ。 比較はするが、原作と違うからといって批判はしてない ... と思う、たぶん。

複合技、なんだろうな。第一の理由によって裕一が目に入るとゲンナリする。第三の理由によって、 裕一がシーンに登場する機会は多い。これにによって、観ている間ずっと一定以上の緊張を強いられる。 神経過敏になってるとこで、第二の、声の演技への微妙な違和感が気になって気になって ... という形?

ただ ── 「ゲームの構造を引き継いで一人称主人公の物語」とは書いたけど、 ゲームはマルチシナリオの構造を得て、一人称主人公特有の視点の狭さをカバーした。 アニメは一本道のとこに、 なおかつ舞シナリオ、真琴シナリオなど複数のシナリオを重層してしまって 物語空間の狭さがよりいっそう目立つ構造にはなっている。このへんはまぁ、すごく気になったけど。

ぜんぶひっくるめて「"Kanon" 描いてる連中センスねーぞ」としか言えないとすれば、 それはそれで何かこちらの敗北という感じではある。むぅ。

録画を外してなかったらしく、いつのまにか HDD にファイルが増えてたのでつい。 ... いや、録画を外すのも外すので面倒なんだな、これが。


2 月 13 日。
『ギャラクシーエンジェル』を観た。けっこいけると 2ch の解説を見にいって ── これってパイロットフィルムかぁ? 1/3 どころか 1 割も分かってなかったことに気づく。うぅ。

橘裕『人形師』(6) と草川為『ガートルードのレシピ』(2).
5 巻ん時に叩いて そろそろ切るかと思っていた『人形師』だったが、6 巻は素晴らしかった。 もともと 1 巻につき 1 話くらいしか出来を期待しておらず、 そのかわり月間ベストノミネート級を期待するシリーズだが、3 話中 2 つ当たってくれば文句なし。 『ガートルードのレシピ』のほうは本誌移行という環境の激変があったからしょーがなかろうが、今一つ。 買う前はまだしも『ガートルードのレシピ』のほうが良いくらいかなと思っていたのだが。

一昨日の口直しに『人魚の傷』を発掘して読んだ。上記二人とは格が違うのだよな、こーして読むと、やっぱり。

以上、一昨日からの記録。いや、昨日ここに書くの忘れたから ...

w3m + canna パッチ。
あまり質の良いパッチでもなかったのでちと苦労したが、とりあえず動いた。 なかなか快適 ── とはいかないのは 変換中に BS が効かないというどっかで聞いたようなバグ持ちだからだが、 まあ、とりあえずは仕方あるまい。

そんなことより! いつの間に w3m + inline image で gif image (7bits per pixel; 珍しいといえば珍しいが) がバケるようになった? Imlib がサポートを外したのか?


2 月 11 日。
ごちゃごちゃいろいろするつもりだったが、まず最初にと auto-apt のバグとったら、 久しぶりに真面目に動き出した auto-apt update が CPU 占領してしまって他のことが出来なくなった。 なんでこんなに重いねん。
ちなみに CPU 温度は 80 度に達した (それはちょっとまずいだろ ...)。

mtv1000 での録画でたまたま 2GB を越えた。samba 越しでどうなるかといえば、 2GB のところでファイルを区切ってきた。しかもちゃんとヘッダが付いてるようである。 二つ目のを再生するとちゃんと時間表示が録画開始時刻からの時間を指していた。 へぇー、まぁ、良いんじゃないかな。これなら。

で、その録画だが、るーみっくわーるどの『炎トリッパー』、『人魚の森』、『人魚の傷』だ。
前二つは素晴らしかった。原作の出来の凄さも感じとれただけに、 トリの『人魚の傷』のヘタレっぷりがどーにも印象に悪い。せっかくの高橋留美子最強の原作を ...

確かにあの真人の演技は子役な声優には超絶に難しかろうが、 難しいなら難しいなりに使える声優つれてくりゃーいいものを棒読みさせやがって。 実年齢の制限のないアニメはこういうとき実写より遥かに有利な筈なんだぞ。

と、観ながら叩きまくってたのだが、監督が浅香守生と知ってひっくりかえった。 人間て上手くなってくもんなんだなぁ。... こういう底冷えする話造りは不得手だったり?


2 月 10 日。
atropos の Pen3 級移行開始。
反 wintel を標榜してるくせに主機が Pen3 になってしまうのは俺のせいじゃない ... と声を大にして言いたい。 mobile Athlon があるんだから後は AT マザーさえあれば K7 級ファンレス移行が出来るのに、 AMD もっとしっかりせい。
ulicul, kuhn, atropos ... intel の侵蝕が続くよぉ。AMD の牙城は suezo と予備役の est だけになっちまった。

『フィギュア 17』の感想の続き。ちょっと書き忘れたので。
つばさの驚愕モードは目を見開いたままで固まるほうであって縮こまるほうではないから、 フィギュアん中でも固まった時に目ぇ見開いたまんまというのはつばさにとって自然なモードだ。 だからいちおーそのぶんはさっぴいて考えておかないといけないが。

ヒカルの転入のタイミング。
周囲の人達にとって、ヒカルが叔母に預けられてつばさだけ先に父親とともに北海道に来た ── というのは、 その逆より「正しい」。つばさとヒカルじゃつばさのほうを先に北海道に慣らしておくべきだ、 というのは衆目の一致するところだろうから。 父親やヒカルのコントロールのないとこでつばさの環境を激変させるのはちと不安だろうし。 そーゆー意味で、ヒカルだけ後から ... というシナリオは良くできていると思う。
なんというか、厚い造りの話だ。


2 月 9 日。
風邪ひいた。てことで感想書きしたら寝る。

『フィギュア 17』 #3b、「勇気をだしてみませんか」
つばさとヒカルの関係がほとんど完全に「親友」になってしまってるな。 物語的な嘘として許容できる範囲だけど、 細かいこと言や、 かつての記憶を共有してるのなら、 ヒカルがいない時代のつばさと今のつばさの変化をヒカルは知ることができるから、 つばさがヒカルからの圧力に負けてるとこでヒカルから鼓舞するなんて危険な橋を渡る必要はない。
今回の戦闘中につばさは恐いながらも目を閉じなかった。 目を閉じてはいけないという状況判断が出来てるということだし、 萎縮圧力を耐えて跳ね返すだけの勇気を持っているということでもある。必要な素養はあるんだから。

DD も大人だよなぁ ... あまりにも力不足だってのがナンだが、 その判断は敬服に値する。 大人っちゃあ崇拝の対象(秋子さんとか)か軽蔑の対象(コナンで出てくるほとんど)などと 極端に記号化されてて感情移入困難なものだが、DD は何かこー応援したくなる。

ところで、サブタイトル的に『水色時代』を思い浮かべるのだが、 偶然かいな。それともさらに元ネタがあったりするんだろうか ...


2 月 8 日。
『君の歌は僕の歌』の続き。
ところで、これ、 『ラスト・ビジョン』ん時の絵が気に入っていて(というより、この時も挿絵で手にとったのだが)、 それでちょっと覚えていた。 表紙のカメラワークがまったく同じなんで、同じ人だろうと。 つまり挿絵描き(ヤスダスズヒト)つながりで買ったことになるが、 ... この人って挿絵描きに恵まれてるな。前回は鈴木雅久かい。 そういやぁ、なんか記憶にあるな。あの時はパラパラと中を見て、 それで買うのを止めた記憶が微かに。

スペースキーの話。
本来 PALM 階層ネタだが、心理モデル的な問題を含むのでその件はこちらに。

T400 のファーストインプレッションにおいて、日本語入力する時に

かな漢字変換するのに変換ボタンをタップしなければならないのは煩い。
と書いた。もちろんこれ以外の方法で変換することはできるのだろうと当時も思っていたが、 それより先に調べておくことが一杯あったので palm 使いのおふたかたから「スペースでええよ」と教わる今日まで後回しになっていた (ほんとに今日まで知らんかった。Thanks > A さん, S さん)。

一方、同種の問題であるはずの漢字変換の結果の確定に「決定ボタンをタップしなければならないこと」 については触れていない。同種の問題だから省略しただけだろう ... と普通は読むんじゃないかと思うが、 実は改行を graffiti で入力すると「決定」になることは知っていた。 だから、決定ボタンをタップするという煩雑さは全くなかった。

言われてみれば、たしかに変換するのに「スペースを graffiti で入力すればいい」というのは 確定するのに改行を叩くのとあわせて変換キーをもたないキーボードで日本語入力する時の作法だから、 もともと変換ボタンをもたない palm が先祖のシステムではそういう作法になっているのが自然だ。

ここで、改行が「決定」であるということに気づきながら、 どうして変換が「スペース」だということを知らないという中途半端な状態が出来たか ...

実は、確定が改行であることを確認した時点ではスペースの入力法を知らなかった (その証拠にファーストインプレッション中のリアルタイムメモでは改行過多のわりにスペースは一つもない; ... って、"screen" の直後にスペースがあるじゃん。どーやって入力したんだ?)。 だから、変換がスペースだろうと暗黙のうちに推測しながらも、確かめることができなかった。

そしてスペースの入力法を覚えた時点では、すでに日本語キーボード的なモデルが身に付いてしまっていた。 変換するのに変換ボタンをタップするモデルに頭が切り替わってて、 (「うう煩雑だよぅ」と思ってるくせに) スペースを graffiti 入力するなんざ思いつきもしない ──

以上、三段論法による盲点の発生となりし。ま、世の中いろいろあるものである(結論はそこかい)。

えーと、なんかインプレッション書いた翌日にえらそーなこと書いてるんですが。 モードはコンピューターに切替えさせるべきだって。おもいっきり人間が切り替わってるじゃん ...


2 月 7 日。
某ライトノベルを読んだ。 ここに書くほどではないので書くつもりはなかったのだが ── つまり、話そのものはそこそこなんだけど、どーも作者の視点に気色悪さがあって、 それを差し引くと評価ほとんどゼロ、という構造。 が、その気色悪さというものについてちょっとメモしておきたいので書く。

桜庭一樹 『君の歌は僕の歌』 ファミ通文庫

ラストのほう、相手の構えた日本刀に主人公が震え上がる描写は武道やってる人らしく素晴らしかった。 再読にはちときついがそれなりに読める本。
問題なのは、文章の視点が主人公達を見下ろす位置にあり、しかもどーも愛でる観点が入っていること。 事実の描写よりも作者の視点からの主観評価が微妙に先行する;

「あそこに可愛い子がいるよ(主観評価)、見てみ? (客観的情報の指示)」
と語りかけられているに近い感触がある。 語り順を逆にした「見てみ? あのこ可愛いやろ」というのとの違いをここでは言うているのだけども。 それにしてもなんつーたとえを出してるかな ...

これが気のせいでないのは、作者の代理として置かれた人物が基本的に無謬を約束されているにもかかわらず、 物語に強く干渉することからも明らかだ。すくなくとも作者は、主人公達の言葉に耳を傾ける気がない。
... いや、主人公が考え無しに設定されてるからべつに話を聞く意味はないんだけど。 でもたとえば行動からは得るものがあるわけで、すくなくとも得るものがあると指向しなければ物語にならない。 話の構造はキャラ萌えだけではないことを指向しながら、作者の態度によってキャラ萌え(それも人形萌えに近い) 以外を否定しているという構造が、どーもなにやってんだかよくわからんかった。

PALM 階層のカウンタ。
diary の二日目の「注意書き」と題したページのカウンタが 0 だった。 しょせん注意書きなんてそんなもんさと昨日までは思っていたが、カウンタの表示の設定がミスっていただけで、 じつは初日の T400 のインプレッションと大差なかった。

うぅ、「注意書き」と称するページまでちゃんと読むもんなのね。 他人ん家の copyright notice なんてロクに読んでないぞぅ(をい)。

もちろん注意書きしかしてないわけではない(日記の一ページだし)し、 今の時点で PALM 階層を知ってる人は 他のページの存在を知ってる人に限られるから、 「注意書き」が copyright notice のことではないのは分かるわけだが。

『Palm OS4 バイブル』を真面目に読んで T400 のフォント入れ換えの目処を立てた。 ただ、ふつーそうするだろうという素朴な方法を、 strings で中を覗くかぎりにおいて hrFontMapper は使ってないようだ (だからこういう時に逆アセンブル禁止するなってーの、ぶちぶち > nsofix)。 挙動的にも実装センスいまいちなので、わざわざそーしている理由がみえない。 なんか標準的な手順には罠でもあんのか? いかにもありそうで恐いのは確かだが。

それにしても、やっぱり「バイブル」は関数索引がないのがとても痛い。 結局 html ファイルで検索しつつ本で相応するページを開く、なんつうことをしている。面倒。

ところで、www2pdoc で html ファイルを doc に落として T400 で見てたりするのだが、くだらん落し穴があった。 www2pdoc は perl で html を一度 text に直してるのだが、この自前の変換エンジンが table タグを認識せず、 中身をまるまる無視してしまう。つまり、table タグで整形してるよーなページは中身が空になる。 使いもんにならへん。せめて CPAN のコード使っておくれ。改造しがいがないっしょ ...

予定通り『カノン』を切った。脚本も絵も演技もぜんぜんだめ。


2 月 6 日。
某方面に口だししてて疲れたので寝る ...
2 月 5 日。
もらいもん二つ。
先月中旬に Psion 5mx を貰った。正しくは無期限無償無利息貸与だが、「貰った」の範疇だろう。たぶん(いいのか?)。 「ページの更新期待しちょるよ、ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ」ってことなわけだが、 しかして今もって s5 のほうが現役でページの更新はない。 w3m に canna パッチが出てきたり s5 用の 2.4.x カーネルがでてきたりと 興味をひくネタがでてきたので近々作業するとは思うが、 とくにネタないとこで「T400 の影にかくれてどっちも出番ねーや、あは」なんて書くわけにもいかんしな。

しばらく出番のなかったやっぱり貰いもんの K6-166 が今月頭から suezo で現役復帰した。 風が吹けば桶屋が儲かるごとくこれも T400 を買った影響が波及したもののひとつだが、 ... USB の調査してるうちにキーボードコネクタのヒューズを飛ばし(をい)、 K6-2 が使えるマザーの予備がなくて仕方なくってとこだが、それはともかく。
この K6 ってば確かバグ有り K6 だと思ったんだが 2.4.17 では「多分だいじょうぶだよ〜ん」な opening message が出るようになっていた。 そーか、そうだったのか .... けっこう昔の因縁についても作業してんのね。
もらいもんってことでディスコン扱いでも動態保存してあったのが功を奏したのだった。

ヤフオクでのある二人。
AT マザーのチェックしてたら、二人ほどよくわからない方がいらっしゃるようだ。 かたっぱしから AT マザー落としまくってる。各々 1 年で 5-6 枚ほど。 片方はここ 1 ヵ月で 2 枚も落としてなお 2 枚にエントリしてる。 それらのマザーが別名で流れた様子もなく、ほんとに自分とこで使ってる雰囲気なんだが、 今時 AT マザーを 5 枚も 6 枚も手もとに置いてどないすんだ?
AT 電源の確保もしてたりするんで、本気で AT システムのメンテしてるようではあるが。

なかなかやっかいなことに、自分達が絡んだマザーは高騰しようがなんだろうが落としにいくタイプのようで、 去年の時点で新品が 8000 円台で売られてた AT マザーの落札価格 15000 円なんつーのがある (競った奴も相当なもんだが ...)。 こんな価格を覚悟して落としにくるのが勝負相手かよ、などとがっくりしたのはもちろんだが、 そんなに出すんだったら ATX のマザーとケースを新調したほうが早いのではとか、 余計なことを思わないでもなかった。


2 月 4 日。
オーパス・ワン訳 『Palm OS4 バイブル』 日経 BP
を買った。高価かった (13000 円)。そして、重かった。うぅ。

いきなり気づいたこと。関数名索引がない。 これで reference manual 名乗る気なのか ...
しかしそれでも英語の PDF or html ファイルより 日本語の紙のほうが検索性や一覧性に優れるというあたりで なんかちょっと終わってる気分になった。

ぱらぱら眺めただけだが、よく言われている酷さはしっかり残っていることは見てとれた。 「xxx を使うと yyy ができます」な記述がよくあるが、 いいかえると xxx 以外の、yyy ができそうな方法 zzz では実は yyy できないってことなわけだ。 zzz の項のとこで yyy には使えないって明記せえよ。

... ってことさえ、英語の PDF 眺めてたときは分からんかったもん。


2 月 3 日。
アニメ散見補足。HD の中を覗いたらなんか増えてた。 録ってたことも忘れてるくらいだから期待度は低いのだが。

『ギャラクシーエンジェル』
職人さんが作ってんだなぁとは思う。 モチーフの SF ネタ、たぶん 1/3 も分かってないし。裏で遊びつつ表でバカ話、 息抜きのために息を抜いて描かれた話だが、すまん、こういう息抜き話では息抜きにならんタチだ。 あまりに考える部分がないと頭が別のことをやりだす。

『カスミン』
けっこ面白かった。

『おじゃ魔女どれみ どっかーん!』
見るとこなし。

『i wish you were here』
見るとこなし、その 2.

ちょっとした linux kernel の version up の遍歴の話。

Clie の T シリーズはクレードルが USB 接続で、こいつを繋げるマシンを用意する必要があった。 ulicul (Win2k 機) はふだん寝てるマシンで、同期させるたびに起こすのはしのびない。 kuhn (linux; TP240) はノートで、クレードルを繋げておくようなマシンではない。 となればメイン機の atropos しかない。

そこでまず version up しやすかった kuhn の kernel を 2.2.19 から 2.4.17 (+ Rik VM patch) に上げた。 2.2.x 台のカーネルの USB で、最新の T シリーズ用のドライバを使う(書く?)のは いろいろとトラブルがありそうだったから。 で、こいつはうまくいった。T400 を繋げて hotsync することもできた

次にカーネル付属の pcmcia ドライバの出来をみるため parteno のカーネルを 2.4.17 化する。 .... 綺麗に動いた。いつのまにかカーネル付属のドライバってまともになったのね。 でも無線 LAN 挿しても orinoco ドライバはロクな動作をしなかった。 *BSD の pcmcia ドライバ程度には動くのだな (ちょっと暴言か?)
当分の間は parteno 以外では pcmcia-cs 付属のドライバ使うことにする。 何が使われるか分からんから。parteno は LAN カード挿しっぱなしで良いからねぇ。

次に、実際にクレードルを繋げる予定の atropos のカーネルを 2.4.17 に上げる。 よーするに本番である。すると alsa が動かなくなった。

確認したら kuhn でも alsa ネイティブの pcm を使うものが動かなくなっていた。 kuhn では oss エミュレータを経由するものがほとんどで、こちらは正常だったため気づくのが遅れた。 atropos では DVD 鑑賞などサウンド負荷にシビアなケース向けに alsa ネイティブのアプリが多い。

「2.4.x では alsa 0.5 はサポートしてないのかよ〜」とぶつくさ言いながら 0.99 台に上げる。 こちらは alsa ネイティブの pcm も動いた。「よしよし」と言いながら alsa 使ってるプログラムを再コンパイルして (必然とはいえこれが巨大なもんばっかで、K6-III/400 の遅さに初めて本気で切れそうになった)、 その途上で alsa 0.5 にしか対応してないアプリを発見した .... xayusys (xkanon)である。

xayusys のソースをつついたがそのスパケッティぶりにダウンし、alsa 0.5 に version down する。 alsa のソースをつついて「分かんないよ〜 ;_;」と泣きつつ alsa 本家を覗いてみれば、 kernel 2.4.10+ での不具合対策で新作 0.52a が出ていた。

「うぅ、つまらん時間を食った」とはおもてむきは一言もつぶやかずに 0.52 に version up して、動くことを確認。

さて、とばかりに USB を繋いで atropos で動作チェックして ... 動かん。 「さすが MVP3 (USB トラブルの多いことで知られる)」と思いつつ電圧チェックしてみれば、 そもそも 5V ラインに電圧でてないぞ ... 壊れてやんの。
つーか、このマザー買ってから 1 度も USB 使ってなくて、 初めて使おうとして使えないことに気づいたってことだな。 良く見れば USB コネクタそばのコンデンサが破裂しとる。

「そーいや、大昔、このマザーをどっかショートさせてポンってコンデンサ飛ばしたことがあったなぁ ... なんかふつーに動いてるから今の今まで気にしてなかったや、あはは」

と韜晦しつつ、ケースの蓋を閉めた。

さて。現在 atropos には都合 7 枚のカードが挿さっている。 残る 8 つ目のスロットには PS2 マウスの口のブラケットが入っていて、 ようするに新しく USB I/F カードが挿さるスペースはない。

シリアルの口は一つ空いてるので、マウスをシリアルにしてブラケットを一つ空けるか、 USB マウスにして同左とするか、あるいは適当に PCI カードを一枚抜くか、 さもなくば USB が生きてるマザー(スロットが 7 つ以上あること) をどっかから調達してくるか。

シリアルマウスは絶滅すれすれ(絶滅しちゃった?)だし、 USB マウスはロジクールの USB マウスにまともな 3 ボタンものがない。 そして今時 AT マザーボード、それも AGP が付いて PCI スロットも一杯あるなんて手に入るのかしらん? ... atropos をまるごと (micro) ATX マシン化するという道もないことはないが、 これも旧 Silencer に優る ATX (or SFX) 電源が見つかったらの話。

着目したのは SCSI カードだ。いま atropos に繋がってる SCSI デバイスは PCMCIA カードドライブだけだ。 CD-ROM ドライブ(チェンジャ) は HDD の容量増大で、 ぜんぶ HD に放りこむようになってチェンジャとしてお役御免になったし、 SCSI HDD も同上。 確かこの PCMCIA カードドライブ買った時は PCI スロットが無駄にならなくていい (どーせ SCSI デバイスが他にある)ということで買ったはずだが、時代は変わったのだった。

USB 接続のクレードルに合わせて USB マウスや USB 接続のカードドライブが登場し、 その陰でひっそりと SCSI デバイスが退場していくのだから ...

といいつつ、秋葉よるチャンスがなくてまだ買ってない。 つうとこで、T400 はロクに同期していない。うぐぅ、なんのための kernel version up だったんだ。


2 月 2 日。
蜜柑の話。
先月だか先々月だか忘れたが、新聞に蜜柑の房の数のことがちょっとでていた。 曰く、
「蜜柑の房の数を当てるのが仲間内でブームになってんの」
「... ンなの 9 個か 11 個に決まってるやん? 知らんかったのか?」
ってなやりとりだが、9 or 11 を検証するのに長いこと房を数えるのが習慣になってたそーな。

一読して不思議に思う。9 というのならともかく、11 というのは蜜柑の花が 11 回回転対称性を持つということだが、 それほど特殊な回転対称性を持つなら教科書に出てくるはすだが見たおぼえがない。 第二に、10 はどーした? 奇数が抜けるということはあっても偶数が抜けるというのは やっぱり形態対称性から考え辛い。

でまあ、よくある話として蜜柑をたべるたびにいちおう数えてみた。 たしかに 11 あたりにピークがあるようだが、10 もかなりある。下は 6 から上は 13 までいろいろ。 ... 上限が 13 ってことは 13 回回転対称性を持ってるということで実は謎が深まってるのだが、 数え間違いかな? 1 例だけだし。

調べると蜜柑の房の数を当てるゲームというそのものずばりが存在し、「闘柑」というらしい。 事実のほうも 6 〜 12 として良いとして、逆にもともとの話のほうが問題になる。 どーやったら「9 or 11」と断言できるような体験ができるんだろう? どんな蜜柑にも共通の性質ということらしいが、普通の蜜柑でもそうはいかない。

新聞のほうで続報(つうか、生物屋の解説) を期待してたのだが、その後そーゆーのがでてくる気配はない。 うーむ。

いつのまにかワタルさんが復帰していた。 かなり長いあいだ地下に潜ったまんまで表が更新されてなかったので見に行ってなかったら、 10 月あたりから日記と称した感想ページが続いている。ココロ、シュガー、ヒカルの碁、などを観られているらしい。

ということで、関係あるようなないようなアニメ散見ふたたび。

『フィギュア17』
個人的にポスト「CCさくら」とも評価しつつある。 絵のタッチと対象(モチーフ)の取り合わせのセンスが感動的。 アニメとは絵を動かしたものであり、 そしてその「絵」であるということを十分に理解した絵になっている。 ... つうか、アニメとは(動く)絵画だったのだなぁ。 ここんとこアニメとはプレゼンテーションである、というやつが多かったから。 ガイナのやつはもちろん『フルーツバスケット』とか。
それにしても、ビスタを活かした風景多用のカメラワークで 4:3 に切られるとけっこきついぞぅ。

『ちっちゃな雪使いシュガー』
『フィギュア17』の密度に慣れるとこれくらいの話でもきつい。 彫刻とレゴブロックくらいの描写密度差を感じる。

『ヒカルの碁』
そろそろ切るつもりでいたが、とりあえずインターネット篇は観る。 おちゃらけ佐為とか、微妙に原作風味になってきたので。
... しっかし、和谷と三谷の CV は交換して欲しい。

『学校の怪談(再)』
『ラーゼフォン』録った時に ED が入って、再放送やってることを知った。 1,2 話と最終話だけ観てないので 1 話観られんかったのは痛いんだが、 まあとりあえず最終話のためだけに録画継続。

『パトレイバー(セレクション)』
セレクションをさらにセレクションした状態で観ている。 単に巡り合わせ的な問題で、録画テストをこの番組でやることが多く、 てことはつまり録画に失敗して観られないことがあるというだけだが。 動きの速い遅いの差が大きくて mpeg テスト向きなんだわ。
内容は ... 内海さんと黒崎さんとバドの声なんとかしてくれ。

『地球防衛家族』
これ、何時の作品? 内容的に 80 年代後半だが、絵がかなり新しい。
... っておい、新作かよ。
ってことで切った。

『ラーゼフォン』
脚本下手すぎ。以上、終り。
これ観たあとで口直しに『マップス』の外伝買いにいったりした。 監督が新聞やらなんやらで何か書いてるが、そーゆーことはそれなりのモノを作ってから言いたまい。

『カノン』
世には『ラーゼフォン』より下があるという驚異の事実よ。 栞を観るために次回までは観るが、それで終りにするだろう。


2 月 1 日。
日誌を正常モードに移行。おまたせしました ── なのか、見捨てられて数か月なのかは よくわからない。 ただ、これまでたまに日誌に埋め込んできたボタンが押されてきているのを見るにつけ、 再開圧力を感じていたのも確かだ。Thanx.

予定としては ( 1 ヵ月遅れの、ではあるが。日程的な予備枠ぜんぶ使いきった。うぅ ...) 予定どおりだし、裏の作業も最低限はクリアしたのだが、 せいぜいそのていどというのがナンだ mOm。 「日誌」というものが記録も兼ねてるので失われたメモという部分もけっこうある。 しばらく 2, 3 日はそのメモの再記が続くと思う。

話の終り方というものは、話の始め方や話の盛りあげ方とはやや異なる面を反映する、らしい。 始めるだけの動機がなければ始まらないからこの部分には作者の何事も反映せず、 中核には精神的な高揚を。
一方、「終る」というのは決断だ。話をそこで終えなくてもいいという選択肢がつねにある。 終ってしまえば、それを読者は当然のものとして受け入れる。 もちろん、もっと早くに終れよとかまだ続くだろとかはあるにせよ、終ってしまったものは受け入れざるをえない。 議決事項について愚痴るようなものだ。 作者にとってはそうではない。終った時点ではまだ終っていない。 そこで話を切断する意志が要る。

お伽話の定石で「... こうしてお姫様は王子様と結ばれました、めでたしめでたし」なる終り方があるが、 一般的な(?)感覚として 「これで末永い幸せが続くわけでもあるまいに」という反発があると思う。だが、ここで

「ではどこで終るのか? もっと前か? それともまだしばらく続けてからか?」
という自問をしたのは、今回が初めてだったかもしれない。 陳腐とはいっても、陳腐だからこそ、定石相手に反論するのは至難だ。

登場人物のそれぞれに課された問題が、同時にすべて解決した瞬間。 素朴に考えれば、そういうことになる。「すべて」でなければならない。余韻を残すことは許されても、 宿題を残すことはあまり褒められたことではない(続編が要請される)。 「同時に」でなければならない。問題が早めに解決してしまった人物は、 物語が終るまでヒマを持て余すが、その間にあたらしい問題が課されないというのは不自然だ。

にもかかわらず、「同時に」と「すべて」を両立させるのがどれほど不自然であることか。 外的同期要因(卒業など)なしに、複数の人間の抱える問題群が同時に解決することがあるのか?

逆にいえば、「物語のラスト近くには必ず外的同期要因がある」 ── この命題は真か? 登場人物が(個人としてでなく)パーティとして動いているような ライトノベルならともかく、個人が個人として非同期に動いている一般の物語での 尤もらしさはどの程度だろう ...

PALM 階層を設置。
SS 階層の下のほうに名探偵コナン SS、 「ブラインドゲーム」階層設置。... もっとも、中身はない。 PALM 階層の整備してたら力尽きた。本末転倒や ...

えーと、宿題は y:x と、こいつだな。 ページを用意するつもりでいた 「シュガー」Jornda 階層はディスコン確定。 もともとやる気のなかった jornada はともかく シュガーのほうは、もう一化けしてくんないと書く気がおきない、 ってあたりはまた明日。


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