Evangelion Genesis y:x 更新日誌(2002 年 3 月)

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3 月 28 日。
某方面に出した query.
「remote でどーやって login するん?」
「へ? ふつーに ssh で入れるけど」
「入れねぇよ ...」
結論としては、ssh で入れないのではなく、ftp で入れないのであった。 パスワード送ってもらったのはいいけど telnet でも ftp でも入れないから ~/.ssh/auth* あたり適当に設定されてて ssh の password auth (← 使ったことないからどういう反応するのか知らん) で入れるのかと思っていたのだった。 そうではなくて単に ftp の返事が異様に遅いだけであった。
ふつー ftp かけて 10 秒も無応答だったらポート閉じてると思うよね ... 国内宛ての ftp の返事に 1 分も掛かるなんて思わん。

昨日のやつだが、「たかが60冊」と宣いし大人物は今んとこ居らんよーである。 「無理」と「なんとか」がとんとんで。
ま、さすがにね、60 冊はね、驚異っつうか脅威っつうか。

公共の図書館がそんなに貸し出して大丈夫なんかとか、 借りる人の数そんなに減ってるのかとか、さすが東京区部は文教予算の規模が違うとか、 いろいろ考えることはあるんだけども。


3 月 27 日。
「 ── 計 60 冊を 2 週間まで借りられます ...」
久しぶりに訪れた某区立図書館の貸し出し規則。 まずその数字に目を剥いた。桁一つ間違えたんじゃないかと。次いで畏れおののいた。 つまり、図書館員がこの文が空文でないと思っているということが ... 60 冊を 2 週間借りる奴が居ると思っているということが。

ここで問題: 2 週間で 60 冊を消化してください。

読むということ以外の部分、 たとえば 本の選び方、読書に割く時間の確保そのほか全てにわたってありとあらゆる手段を使ってもよいとします。 ただし「本」には漫画、ジュブナイル(ライトノベル)を含めてはいけません。 この図書館、そーゆーの入ってないんで。児童図書室のほうにはあるのかもしれないけど。

個人的には、やってできないこともない数字ではある。 1 日 av. で 5 冊 (1 日だけなら 10 冊位なんとかなっても翌日がどうにもならん。 頭にバーストロードするだけでなく、消化するにかかる時間というものがある) として 12 日で 60 冊。 条件整えればできないこともない。

かつて 11 冊なら借りたことがある。この時は 1 週間で返したから、 2 週間なら 22 冊を消化できるということだ。この 3 倍。うむぅ、... とばかり いろいろ条件設定を頭ん中でいじったが、もちろんどーにもならず 7 冊借り出すのがやっと。
外に出た時には何かに敗北した気分だった。ついでに雨降ってるし。

ところで。60 冊どーやって持ってかえんだという問題のほうが大きいかもしんない。


3 月 24 日。
今月のアニメ散見。

『フィギュア 17』
#5 でわずかダレて、「GA」、「シュガー」が抜く好機と思いしが、 どちらも中休みで「フィギュア」が 1 位維持、そして #6 で快調に引き離す。 #6 〜 #9 の流れからみてもう 3 月組は敵ではないだろう ... 4 月組がどうかってところ。

#5, #6 についていくつか。

学級委員にヒカルが推薦される前後の飛鳥の感情変化をシーンの切替えだけで描いてみせたあたり、 絵に自信があるんだなぁ。正しい自信だと思うけど。

つばさとヒカルが双子として扱われるシーンにおいて、どちらが主となるか ── ん〜、ちと説明が難しいのだが、たとえば #5 において二人が牛に餌やる場面、 実際にはつばさが餌やってヒカルがそばで見てたわけだが、 ここはヒカルが餌やってつばさが見てるんでも良かったわけだ。 こういった、二人が交換可能ではあるがどちらがどちらであるかで有意に差が出て来る状況の時に 実際にどちらが何をしているか ── ということが、ヒカルがいなければ(DD が墜落してこなければ) つばさがしなければならないであろう仕事、体験は 常につばさが担当する、というルールで描かれているように見える。
ヒカルのほうが物事にアグレッシブなので、 つばさの教育/体験機会をヒカルがどのくらい奪うかが実はチェック事項の一つだったりしたのだが、 その程度のことは適当に流しててもちゃんとできるものらしい。おみそれしましたぁ。

#5 において「恐いことしなくて済んだ、よかったぁ」、 #6 において「つばさちゃん、... ダメかもしれない」 ── #5 のネタふり(やっぱり戦いは恐い) は #7 以降で意味をもつもので #6 (本当に恐かった) との対応関係は直接は無いのだろうが、 でもやっぱり微妙に倒置してあんだろうな。
順方向「本当に恐かった → 恐いことしなくて済んだ」に話が進んでも つばさの呟きが深く同情できてしまうし、それはそれで物語的に合ってると思うんだけども。

このあたり、戦いを実生活にフィードバックする方法論がすこし甘いと思うことはある。 ヒカルですら死を覚悟した戦いをつばさが切り抜けた → ならば学芸会の主役もなんとかなるかもしれない、 という流れがあまりに記号的にすぎる。
つばさの問題にヒカルしか関わることができない ... ヒカルの立場からは「出来るよ、やってみようよ」 以上のことは言えないので、つばさの中での昇華を助ける役に立たない。 昇華する流れを表現する方法がないから、記号的に一律な表現にならざるをえない。 DD に口挟む余裕あるわけないし、父親の役割なんじゃないかと思うのだが。 もすこしこー、戦いを時間的に前倒しして、戦いのケリがついてから翌日までに つばさが決心するまでの流れも描いてくれてもバチはあたらんと思う。 せっかくの 1 時間枠、前半の小学生日記に時間おごりすぎるのも考えものだぞっと。

『ギャラクシーエンジェル』
OP, ED がぐるぐる頭ん中を回る。 当たり率は 5 割をちょい下回る位だが、中途半端に率が良いのが効を奏す。 どシリアスネタから始まってもギャグで落すとは限らず、シリアスのままでベタ終わりするとも限らず、 そもそも落ちがつくのかどうかも分からない。うまいぐあいに先読みを許さない。
放送時間帯も大正解っすな。

『ちっちゃな雪使いシュガー』
#21 〜 #23 という大ヤマでしくって 3 位転落。 ソルト、ペッパーが戻って来た経緯は次回で話されるとしても、 ピアノとシュガーの話が絡んで始まったのに終わりはバラけて。逆にしなきゃヘンだろ?

『CC さくら movie I』
DVD で持ってるので、圧縮率を普段より高め(2.5Mbps)にしてチェック。 ん〜、もすこし上手に圧縮していただきたいな。 こういう上下をマスクする絵の時に上下の圧縮率を高めにする仕掛けが jpeg に欲しいぞ。 どーも上下の黒塗りのぶんの bitrate を無駄使いしてる気がする。

『不思議の国の美幸ちゃん』
初見。はて、原作もこういう話だっけ? 記憶にないが、似たようなもんかな。
負けたら脱ぐという条件で自分のコピー相手にチェスするとこ、 自分が勝っても結局同じという点に気付くのは勝負が決まるぎりぎりにするもんだと思うが、どーかな。 序盤のうちに気付くと指し手が萎える。相手が自分のコピーで同等の力量の持ち主なら、 なにがしかのブレークスルーがなければ勝てないものだと思うが、そういう描写一切抜きで勝ってしまった。 勝負事がお遊びになってしまう、いかにも大川らしい脚本ではあるが。

ところで、こっちは「さくら」とは逆に圧縮率低め(5.5Mbps)にしてみたが、 元の画質が低かったらしくよくわからんかった。

『ヒカルの碁』
可もなし不可もなし ... 観たそばから内容忘れる空虚さがとてもすばらしいです。

『パトレイバー(セレクション)』
同上 :-)

『ポポロクロイス』
ヒュウの歌の回が出て来るまで継続。要るのは音だけなので、絵の圧縮率は高め :-)

『Kanon』
栞の最終回だけ録った。ついでに真琴のも録ったけど。 こんなんで良い ... ってのがいるってあたり、世の中広い。 確かに "To Heart" でのマルチの回のラストに近い流し方なんで、 これでよしとする価値観があるのは理解できないこともないが。

ところで、医者も匙なげた重病人のくせに遊びほーけてた不死身の栞だが、 「ブラックジャック」でそーゆー病が一杯あったのでこの点は全く気にならんかった(慣れた)。 実際にあるのかどーかは知らないが。


3 月 22 日。
カルシウム錠剤を摂取開始。単に歯の治療に合わせてってだけだが。
3 月 21 日。
TV つけたら梅沢四段が碁を打っていた。相手は杉内九段、女流棋聖戦。 当然だが『ヒカルの碁』でのヘラヘラしたのでなく、ごく真面目なカオで。 もっとも負け碁(杉内九段のポカで勝ったけど)だったので眉はへの字だった ...
いや、それだけ。
3 月 20 日。
関東以北で土星食
横浜にて 19 時 49 分 - 50 分に暗縁潜入、20 時 03 分 36 秒に明縁出現。
「入り」のほうは見逃した。 東京での予報値 (19 時 46 分) に 3 分も遅れるという事態に接触角の補正計算を見直そうとわずか目を離した隙に T_T
南限まで 10km たらずということで入りが異常に浅く、暗算では大した精度が出なかった。あぅ。

リベンジとばかり出現のほうは気ぃ入れて(明縁という条件の悪さのわりに)瞬間をちゃんと捉えた。 もっとも双眼鏡でだから、実際にはもう数秒早く出てたんではないかと思うが。
暗縁出現(日の出のようにぱっと輝く)と違い明縁出現(ぷくっと膨れる) にエレガントさは無いが、観望は遥かに難しく、立派な勝利といえよう (『あ〜る』読み返したらしい)。

ところで、ネスケの 4.77 for linux って「土星食」で google 検索すると落ちるのね。 「土星」 + 「食」としないといけなかった。


3 月 18 日。
昼飯時な話。生卵のカラザからの連想だったか、 「カラザくらいええやろ? 心臓が脈打ってるとかゆうんより」 から流れに流れて出て来た問いかけ:
「孵化直前のヒナの料理ってないな、そういえば ...」
食って食えないような気はしないし、中国あたりの料理にありそうなんだが、 中国料理屋のメニューで同系統(誕生直前の動物の料理)のものをみたことはない。 可愛いからとても食えんという発想をすることはなかろうし。

「痩せてガリガリだから食っても旨くないのだろう」 or 「食材確保が難しい」が その場の標準的な見解だが、 生まれたてのヒナが痩せこけてるってのも最初の餌を見出すまでのタイムラグを考えると 一つめのは疑問に思わないでもない。 魚類は生まれた直後にはまだ卵黄を残していて栄養的にも余裕があるわけで、 鳥類もそれにならっていてもおかしくなく。
二つめのもねぇ ... そんなことで諦めるような人達とは思えないのだが。 それに蚊の目玉のスープの食材確保より困難とも思われず。

四足で食わないのは椅子だけ二本足で食わないのは親だけ と豪語せし中国人だが ── まだまだ表にでてきてないものあるじゃん。

もひとつついでの fj での話。
CF の価格低下で、どーやら HDD を CF に差し替えて full solid-state マシン、 というのは誰しも一度は考えるものらしい。そして ──

となると。

まず誰もが忘れているのが CF (PCMCIA I/F) が ISA バス由来であるという事実。 Cardbus 専用の CF が出ればともかく、ISA IDE のドライブに何を期待すればいいのか。 フラッシュメモリそのものも決して速くはないが それは単に作り方の問題であって本質的ではない。実際 microdrive も遅い。

もひとつ忘れているのが、その CF で代替しようとしているマシンは何だ? というやつ。
今の HDD は 2.5inch 級でも 10G 〜 40GB ある。 この規模の HD を使い切るようなシステムの HDD を CF (高々 128MB 〜 1GB) で代替しようとは思わないはずだ。 CF を挿して使おうと思うからには 10GB あってもそのほとんどを使ってないとか、 いいとこ 1GB しか積んでないようなマシンであるはずである。 そしてそういう時代のノートの IDE は今の HDD の band width を使い切ることができない。 本来 10MB/s 〜 20MB/s から出る HDD だってそういうのに繋げば実は 1 MB/s 〜 5MB/s 位しか出ない。
... 実は CF と倍くらいしか違わん。

I/F 側が律速になる可能性を見落すと、こーゆーミスをやるという話。


3 月 15 日。
fj でまた出たディスク間コピーによるシステム移行の話。
fj に書けよという話もないことはないが、説明が面倒いのとオチまで含めるとネタがマイナすぎるのでこちら。

Linux であれ他のシステムであれ、 HD が一杯になってくるとシステムディスクの交換、 つまりシステムのコピーという作業が出て来る。
unix 系だと dd, dump/restore, tar -cvp | tar -xpC, cp -a あたりが代表的な手段になると思う。

個人的にめったに使わない dump/restore はミス起こしそうで没、 cp -a も -a なるオプションの挙動の詳細まで知らないので没。 tar の -cvp や -xpC はシステムコピー以外でも使う(ので挙動に慣れてる)ということもあって、 tar か dd を使うことが多い。

ところで tar や cp では MBR をコピーしない。MBR (とカーネルマップ) については別手段が要る。 FDD が付いてるマシンは少なく、HDD 間コピーだけでシステムを移行しようとすると lilo でもあまり使わないオプションを指定するなどという面倒い操作が必要だ。

一方、dd では MBR や partition table もコピーすることができる。 ... というか、デフォルトで勝手にコピーしてくる。 partition table は HDD のジオメトリに従って書かれてるため、 (一般にジオメトリが異なる) HDD 間でコピーすると partition table はしばしばボロボロになった。 ので、こういう目的には dd skip=1 などしてディスクの先頭を回避したりしてきた。
その "skip" が身に慣れないオプションだったということもあって これまで dd も使うことは少なかったのだが ... IDE HDD の容量増大で話が変わった。

近代の IDE HDD は cylinder 数を除き、ジオメトリは一致する。head 数 255, sector 数 63. よーするに EIDE 規格めいっぱい。 したがって dd で MBR や partition table ごとコピーしてしまっても、 CHS をもとにしてアクセスするアプリ (lilo, fdisk など) を含めて正しく動作する!

つまり、異なるサイズの HDD であっても、dd で MBR, partition table 〜 第一 partition (/ partition) までを一気コピーすることができるし、 また、こうすると MBR, lilo, kernel image の位置関係含めて正しくコピーされるので、 新 HDD で lilo の再インストールが省ける。
この時、ついでに幾つかの微妙な問題も同時に解決する。/proc や /dev などはコピーするのかしないのか、 あるいは (tar や cp で)コピーして正しく動作するようになるのか、という問題のことだが。

swap や /usr など残る partiton は tar や cp でもこういった微妙な問題はないし、 /usr など HDD 交換時点でもやや sparse な partition は dd より tar 使ったほうがコピーが速いので、 実用上は MBR, partiton table 〜 / を dd でコピーした後、 partiton table のうしろのほうを修正し、mkswap, mkfs してから残りを tar でコピーすることが多い。

余談。 第 2 partition 以後は dd したあとで HD サイズのバランスから切りなおすことがあるので、 それなりに妥当なサイズになっているが、 第一 partition だけは(切りなおす機会がまったくないので) 非常に古い時代のサイズをそのまま継承している ... 80GB のディスクで 第一 partition は 300MB しかなかったりする。 /usr も /var も /home も入ってないからこんなもんでも十分だが。

話を戻す。 というわけで、同一 HD 上での lilo の upgrade というのはしたことがあるが、 新しい HDD に新しく lilo を入れるなどといった作業は、ここしばらくまったくしていなかった。

── という話は fj でも書けるがここからが本題。
わりと最近マシンを一つ組んだ。 このマシンの HDD, たまたま head 数が 255 でもなく sector 数も 63 ではなかった。 まぁ under 8GB ならジオメトリの構造に余裕があるからねぇ ...
lilo の使い方忘れててもなんとかなるべとばかりに てきとーに tar でコピーして lilo -C /dev/hdc して /dev/hdc (新しいマシン用のディスク) に lilo 入れた。
そして組み上げてスイッチオン。... スクリーンには大量の 01 の列 (lilo の first loader のインストールエラー)。

忘れててもなんともならなかった。うぐぅ。

もちろん boot floppy の作り方すら忘れている。まぁ FDD 持ってなかったので 覚えてても関係ないのだが。そして、こういう時 google はほとんど何の役にもたたない。 「boot floppy 作ってそっちから boot せい」以外の回答が当たるはずはないから (いいかげん FDD なしでのインストール法をドキュメント化せぇよな ...)。 また、lilo のあのぶ厚いマニュアルを読むだけの気力はちょっと無かった。

かつて使ったことがある以上、どこかに痕跡があるだろうとばかりに手もとのディスクに "lilo.conf" の文字列の全検索かけてヒントを捜し出したのだが ... 別ディスクに install するための "disk" オプション:

boot = /dev/hda
disk = /dev/hdc
   bios=0x80
linear
image = /boot/zImage
   label = linux
   root = /dev/hda1
   read-only

な書き方なんて本当に久しく使ってねーだよ。 モバギのほうで苦労して使ってたが、挙動が分かったととたんに あちらでもスクリプトいれて自動化してしまったからな。


3 月 14 日。
この 3 日ほど考えていたことをコトのはじまりから書くとする。
鷹見一幸の『でたまか』(1) を読んだ。 文体はそこそこで物語的にも定石の配置が美しい話だが、 本筋に直接関わらないコトは 5 ページ以上離れると相互に矛盾がでるとか、 根本的なトコで大ぼけかましているあたり、 どっかの創作文教室で勉強した人が定石にのっとって一所懸命書いてみましたな話というのが基本的な印象だ。 てわけで、この物語に対する感想というものにちょっと興味を持った。 形式的には叩き辛い話だと思うので。

つらつらと徘徊してるうちに発見したのが これ だ。 なんで面白いと思えなかったのか首を傾げてる様子がほほえましく;

「うすっぺらな印象は受けない。だけど、ドラマがない」
「ドラマがない」ということの説明に苦慮していて結局「器用貧乏」なる語を持って来ているが、 それはちょっと違うだろと私は思うが今はそれは本筋ではないので省く。

この感想、google で直接あてたものだったので、ついでだからとサイトの上へ辿り、 そこ(「よみかく」) が電撃系の創作サークル的なサイトであることを知った。 文章書いちゃ相互に批評するというやつ。 けっこ面白かったので読みすすめてるうちに結局、感想 BBS から分室のログまでぜんぶ読んだ。
... ちゃんと読める批評書いてるのがのきなみプロばっかりだというあたり 何かが終わってる気もするがそれもまた別の話だろうから脇に置く。

いや、ほんとに面白かった。 多少なりと物書きをまともに学んできてる人には常識のうちだったのかもしれないが、 1 行プロット → 起承転結の構造 → 起、承、転、結それぞれのブロックについて さらに起承転結が入れ子に .... というトップダウンの考え方とか、 陳腐なシーンが物語に挿入されていく現場とか (陳腐でなければならない; 余計なことをしてはいけないという状況があるらしい)。

物語の解釈解析をするときは、私はこれまで空間方向にバラしてきた。 本筋/脇筋などと書いて来たもののことだが。
時間軸方向にはせいぜい「変化するかしないか」、「起承転結の存在」程度で、 その構造をさらに入れ子にして読むようなことはしなかった。 「よみかく」的な表現で書けば「解像度の低い」読み方だ。 これだと時間軸方向に流転することの多い話とか、長い話(もちろん山場が複数ある) の解釈解析に困るはずだが、... そういやぁそういう時は細切れの小さいブロック単位 ── 長い話なわけだからとうぜん複数冊にわたるわけで、 そのうちの 1 冊を単位としてしか感想書いたことなかったな。 空間方向にはいくら複雑怪奇な話でもちっとも困りはしなかったが。

発想の転換(というか、追加)としては小さいものだったけど、物語の読み取り精度はこれで格段に上がった。 コンテクストにばらけた一本一本を 1 行プロットに縮約してみたり (これまで「起承転結」という長さ以下に縮めて考えたことは稀だ)、 現時点においてあるコンテクストが起承転結のどのブロックのさらにどんな位置にあるか、等々。

各コンテクストの同期というのも自然に入る。 一般に、あるコンテクストと別のコンテクストに流れる時間は違う。 例えば(作者の必要に応じて)二つのコンテクストが出会った場所で それぞれの時刻を「転」ブロックの「承」の位置で揃えると、物語全体が 明確に「転」ブロックの「承」の位置になるだろう等。

なんつーか、コンテクストが「糸」で、 物語はその糸が織りなす布かなにかだとして、 その「糸」はこれまでのっぺりとした均一な色をしていたものが、 今は「糸」の上の色合いの変化(刻まれる時間)というものが目に見えて綺麗。
物語を交響楽に例えることもあった。第一〜四楽章と細かい繰り返し構造くらいしか意識したことはないが、 時間軸方向の分解能の無さ加減がちょうど対応していた。うーむ。

ついでにこれ、書くほうにも影響する。 時間軸方向には「起承転結」よりも細かい構造を意識できないということが、 1 話単位内での起承転結以外の構造を持たないという形で非常に綺麗に y:x に反映している。 ... 細かい構造も大まかな構造も時間軸方向に持てないということが 実は長いこと不思議だった (だから空間方向に構造を持たさざるをえなかった) んだが、 これでさっくり納得。 さらにこれまで自分でボツにしてきた内容がなぜ没であったかの理由もかなり立った。 これまで起承転結よりも短くすることがなかったが、どんなにヘンでも起承転結そろえば話に見える。 だが、それよりも短く (1 行プロットに) まとめることができないものは 作者の意図が破綻してる証拠で、読んだあとで「だから何?」と言っておしまい。

久しぶりに「目から鱗」なる体験をさせていただいた。

さて、多少の意識改革ののちに最初に戻って『でたまか』(1) を検討すれば、 トップダウンの考え方だけでは落ちる成分というものが見えてくる。

この話の本質的な問題はヴァルの万能性にある。 裏をかえすと主人公マイドの「天才性」の描写の無さということだが。

マイドの戦術的才覚が描写されうる機会は 3 回あった。 最初の模擬戦ではヴァルがシステムをクラックして相手よりも遥かに有利な立場にたった (故にマイドは何もしなくても勝った)。校内のシミュレーションゲームでは、 「勝った」というだけでその内容は描かれなかった。 最後のアウトニアの辺境の戦いも、ヴァルに「自分に何ができるのか?」と尋ねてる段階で終わっている (ヴァル主導ということだから)。

問題にブチあたったとき、 主人公に絶対的忠誠を誓うヴァルに「助けてドラえもん!」と泣きつけばすべて解決してくれる話に 読者は何を期待すればいい? 起起〜結結まで 16 に分割されたプロットの、各ブロックで何が描かれるべきかは その近傍を眺めているかぎりではこの話に変なところはない。 が、ぜんぶのブロックがぜんぶ問題をヴァルに丸投げしてた日には なにごとかを描写したことにはならないんである。 時間軸方向にブツ切りにしてプロット敷いてるから、 コンテクストに沿って初めて明らかになるような成分への考察が落ちてるのだ。

上でリンクした、ろぎ氏による感想ではこれを「なにが起こっても、予定調和」と表現しているが ... どうして予定調和の空気がこれほど安定しているかってことに踏み込んで欲しかったが、 言ってることに違いはないと思う。

もひとつついで。
「よみかく」の感想 BBS での批評書きのうち、読んでいて面白い順(面白いだろと期待する順) に記すと

はせがわみやび > 新木伸 >> 巻島翔史 > とんびの羽根 >> 羽矢野
つう感じになる。左二人はプロの物書きである ... 要約すれば「冒頭 5 行しか読めなかった」となるような批評であっても なにげに芸を埋め込まれてて面白いあたりやっぱりプロだと思う。
羽矢野氏の叩き方、しごくもっともだと納得するものではあるが、 赤ペンで横線ひいただけに限りなく近く、読む前に叩く内容が想像がついてしまって面白くないのであった。
... おもいっきり自らを省みてしまっただよ (^^;
3 月 11 日。
Cyber TVII の件の後日譚。
「どー考えても動いてるハズや」という段階までは追い詰めたにもかかわらず、 依然として映らない。
「こいつは windoze のほうで動くかどーか見たほうがええな (初期不良ちゃうんか?)」
と思っていたところ (心理的に追い詰められとりますな)、 当人から「あ、windoze でも動かないや、あははは〜」なるメッセージ。
うーむ、イマイチなオチだ。ってことで気が抜けた。寝る。おやすみなさい。
3 月 10 日。
月末にある横浜市長選挙の誰かの街頭宣伝車から。
「えぇ〜、こちらはちりがみ交換車ではありません ....」
ウケました。ええ。かなり。 本文のほうでは市政 12 年が長いとかどーとか言うていて、 12 年程度で「長い」とあげつらわなならんようではちと苦しいかな〜などと思うものの、 最初の一声がウケたのでそういうのが居るということは覚えた。 この程度の芸を見せていただければ、 街中を騒音たてて走り回るのを見逃してやろうという気にもなるのであった。

もっとも、名前も覚えてないあたり、宣伝の意味があったのかどーかは良く分からんが。


3 月 8 日。
やっぱり続く厄月間シリーズその 4。
右手中指の爪を割った。とりあえずバンドエイド巻いてあるが、 キーボード叩くと痛いぞ。指が立ち気味になる K' とか '<' とか。よく使うキーなのに ...

ところで、その 5 もありそうである ;_; まだ自覚症状もほとんどないが、 喉の調子からみて明後日あたり風邪ひきそう (or 花粉症)。

Sigmacom の Cyber TVII なる 878A な caputure card がある。 音声多重チューナをもつカードで、今使ってる kouwell の KW-606 の代替わりに ... とタマに考えることのあるカードだった。606 はモノラルで avi capture させる気がせんので。

が、音声多重チューナであるがゆえに、はたして linux で動くのか ── という懸念があった。 カーネルソースに cyber tvii の文字が見えるので動くだろうとは思っているが、 (同じく音声多重チューナを持つ 878A の) IO DATA BCTV 系だと BCTV 専用のコードが入ってたりとちょっと怪しい。

さて、先日「TVII が linux で動かん」なる話が某 ML で上がって来た。 おもいっきり明後日な方向に話がすすみかけていたので 口挟んで方向修正したらそのまま抜けられなくなった ... てのは本題ではなくて、 すこしつついてるうちに幾つかのことを知った。

1. xawtv の japan-cable は VHF の 1 〜 12ch を持っていない。
... いや、まあ、定義通りなのかもしれないが。VHF 側で正常動作することをみてから UHF チェックしてたから、"japan-cable" が実際に使えるテーブルだとは思ってなかった (つまり、ハイバンド UHF は見られなかった; 606 はそういうものだと思ってたぜい)。 1 〜 12ch みるときは "japan-bcast", C13 〜 C63 見るときは "japan-cable" に切替えればおっけーだと。
もちろん今は xawtv のソースに手ぇ突っ込んで "japan-cable" のテーブルに 1 〜 12ch 付け加えてあるが。

2. xawtv の full screen モードは 640x480 に切替えるという動作をする(ので、 やや使い辛いぞぅ) が、実はこの切替え先サイズは自由に設定できる。... あぅ、知らなかった。 1024x768 にして、モードが切り替わらないようにした。
ソフト拡大して知る Bt848 の画質の低さよ、 MTV1000 の録画 (mpeg2 3Mbps 程度ですら) を mplayer で追っかけ再生したほうが綺麗。 色の分離とか、ジッタののりとか。

3. Cyber TVII の音声出力は音が割れる。また、S 入力を持ってない。
心のうちで TVII をボツにした。素直に BCTV にしよう ...

4. Cyber TVII の音声出力は win2k でも WInDVR など標準的なアプリからでは音が出ない (ことがある? らしい?)、 付属のアプリからだと音がでるのに。もしかしてポートの構成が特殊? 現状では linux から音を出す方法がないとか?

以上、たまにある「情けは人のためならず」という話。


3 月 6 日。
隣家で無線 LAN を使ってることが発覚。
つまり、こちらから向こうの Access Point が見えたという意味だが。 ESSID に自分とこの名前付けてるようなのでどこかも確定。
見えたのは一瞬だけで、それ以後はまったく見えなくなってしまったが、 しかし逆にみればこちらのも向こうから物理的には見えてるわけで、ちと気持悪い ... というわけで WEP が使えると聞く orinoco ドライバ (pcmcia-cs 3.1.33) を試す。 wvlan_cs.o は Prism2 の WEP に対応しているフリをしているがフリだけで実装は入ってない。

だが、どーも新しめのカードでないとまともに使えないらしく ... たとえば 40bits WEP に対応してないとか。 128bits WEP 対応カードは 2 枚しか持ってないっす (マシンは 4 台あるってば)。 しかも遅いし不安定。ttcp で 50kB/s って何?

CF タイプ無線 LAN カードは orinoco_cs.o でテストされることが多いが、 こいつのパフォーマンスが出ないのってカードの責任でなくドライバの責任だったりするんじゃないか ...?

で、どーしたか。
wvlan_cs.o 使ってる。ad hoc モードだから向こうからは容易には見えんだろーし、 まあいいかと(ヘタレだ〜)。


3 月 5 日。
厄月間シリーズその 3 ── つうかあんまり続いてほしくないが ...
朝、タイルに後頭部ぶつけて半日ほど頭痛かった。 痛いぶんには硬膜の下でなし嘔吐感もないから別にかまわんといえばかまわんのだろうが。

半村良氏逝去。
どの新聞の報も「バーテンをはじめ様々な職を経て ...」な枕言葉で始まっている ... まあ確かにそういう印象の強い作家だが。 室内の密談に(主題と関係なくても:-) 微妙に描写の力点が置かれる傾向もたぶんこのあたりからなんだろう。 基本的にハズレの少ない物書きとして内容文体ともかなり好きな部類に入る。 『亜空間要塞』とその続編の「逆襲」、『産霊山秘録』あたりはほっといても挙がるだろうから、 『異邦人』を挙げておく。

これを読んだのは本のタイトルとか作者名を意識するまえだから 10 代前半のことだと思うが ... って 1990 年発表だと? そんなに新しいのか? この作家の名前を覚えるようになったのはこれより前だぞ?
コホン。本題に戻って。冒頭の井須賀市の都市計画のありかたの描写が、妙に印象に残っている。 人の集合としての街でなく、人の容れ物としての街。そういう考え方があることに ──

これ、去年ひさしぶり〜に読んで、その時に「ああこの話だったか」と思い出したわけだけど、 都市の描写は覚えてたのに本題のほうは覚えてなかった(だから、1990 年発表で覚えてないって問題が無いか?)。 閉じ込められた空間での食糧不足という超絶にハードな話が展開するが、 真面目に書かかれてる話のようで実はやっぱりバカ話の域を出てないとか、 何気にバーテンがいい味だしてるのもいつものことで、そういう意味では標準的な話で 特筆するような部分はないかもしれない。 それでも、ともかくも自分に対して強い影響力のあった話の一つではあった。


3 月 4 日。
早朝。左腹の激痛で目が覚める。原因三択で筋肉(本命)、腸(対抗)、膵臓(大穴)。 いちおー原因の心当りのほうは本命対抗ともにある。この程度で発症するんかぁという気分はあるが。

心拍呼吸に異常なし。循環器系ではないと。 背中側がなんともないので深部臓器(膵臓とか腎臓とか)ではなく、つうか 発熱はなく嘔吐感些少なのでそもそも消化器官でもない ... と思う。 また痛みは鋭いが脈拍の同期分はほとんどなし。それと脱水の前駆らしきもの。
この時点では筋肉痛であるかないかだけが焦点で ... 消化器官系であれば細かく自己診断するまえに さっさと病院行くから (常備薬で治るのを悠長に待てる痛さとちゃう)。

とりあえず筋肉痛用鎮痛剤塗って毒消し(梅干しとゆー)を飲んだ。2 時間以内に変化があれば筋肉、 それ以上かかれば消化器官てことで(悠長に待てる痛さとちゃうんやなかったんかい)。

七転八倒しつつ 1 時間後。痛みの引いてく過程で記憶にある痛みのタイプになった。筋肉痛でした。まる。

ま、昨日の宴会流れ由来の消化器官の変調も確かにあるようで、... それがちいとノイズになってたのだな。


3 月 2 日。
というわけで頭痛な日 2 日目。午後にはだいたい治った。ふむ。
3 月 1 日。
頭痛い。寝る ── と書きかけで寝てしまった。
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