Genesis λ:3 「決戦! 第三新東京市第一中学校」
The Day Tokyo-3 Junior-High School Stood Still


エアコンがタイマーで止まり、また少し寝苦しくなったところで僕は目が覚めた。
夏にもまだ早いというのに、連日の猛暑で熱帯夜が続いている。

「‥‥ ふう」

身体を起こす。僕は半分、布団からとびだしていた。
エアコンのリモコンに手を伸ばす。 月明りの中で確かめるまでもなく、それはもちろん切れていた。

「‥‥ もっと長くしとくんだったな」

ベッドから降り、カーテンを開けると、道路を挟んだ家の上に半月がのぼって来ていた。
窓から首をだして隣の家の窓を確認すると、電気は消えている。 まあ、試験前でも夜中すぎまでアスカが起きていることはめったにないけど。

「‥‥ 寝るか」

ドーン ‥‥
窓を閉めたその時、遠くの方で何かが落ちたか、爆発したかしたような音が響いて来た。

「何だよ ‥‥?」

もういちど窓を開け、首をだしてそれらしい方角を覗く。
学校の方 ‥‥?
もっとも、窓からでは何も見えなかった。 そのまま窓を閉めかけて、ふと反対側に首を回して、 ‥‥ これが失敗だった。 いつのまにかアスカが起き出していて、同じ方角を見つめていた。 暗がりの中、寝起きの割には生き生きとしたアスカの表情を見て、 これからの成行きが手に取るように分かり、僕はため息をついた。 そしてアスカのジェスチャーもそれを裏切らなかった。手招きして下を指さしている。

「はいはい ‥‥」

分かったと僕はひとつ頷いて窓を閉め、電気を点けて、タンスの引出しを開けた。 もちろん野次馬しに出かけるために。 眩しさに眼を細めながら時計を確認すると午前 2 時まであと少し。

「はあ」


学校まで行って何だか分からなければ可及的速やかに家に戻って寝る、 という約束だけアスカに取り付けて僕達は学校に向かった。 それが何だったにせよ、どうやら学校の方角らしいし、 あの辺で自由に入れて高くて見晴らしの良いところと言えば中学校になる。
さっきの音からこっち少しざわめきを感じるけれど、 普段知っている時間帯からは想像もつかないほど静かな街なみの間を ほとんど散歩のつもりで僕達は歩いていた。 サンダル履きのアスカに合わせ、少しゆっくりと。 ほとんどの家の明りは消え、寝静まっている。 遠くの方でヘリの音が時々するだけ。
青白い外灯でところどころ照らされた中、アスカのサンダルの足音がペタペタと響く。

「‥‥ 夜って恐いんだ」

アスカが小声でつぶやく。ほとんど何の音もしない中で、その声は案外よく響いた。 振り返ると、熱帯夜とはいえ、こうして歩いているとひんやりとした肌触りの中で 外灯に照らされたアスカが、少し小さくみえた。

「アスカ ‥‥?」
「明りが無いと、人が住んでる感じがしないわ ‥‥」

アスカの指す、今抜けて来たばかりの脇道の両側の家々はすべて真っ暗。

「ほら、こっちの方が落ち着くもの」

目の前の大通り沿いには、まだところどころに明りのついた家がある。 ただ、昼間は渋滞することもある通りも今は単なる空き地。 正面を見据えたアスカの声は少し震えていた。 彼女の横顔を見ているうちに、 感じている夜の恐怖といったものが僕の身体にも染み込んで来た。 努めて表情を変えないようにしつつ、背筋がゆっくりと冷たくなっていくその感じに耐える。 アスカとの間隔を詰め、歩調を合わせ、 知らぬふりをして一瞬だけ彼女の掌をしっかりと握って放す。 その手は、泣きたいほど小さく柔らかく、そして少しひんやりとしていた。

「‥‥ 帰る?」

立ち止まって尋く。アスカはこちらを見つめ、小さく微笑んで答えた。

「行く!」


それが何であるか、学校にたどり着くまでも無かった。 それは山火事だった。学校のすぐそばの森が燃えている。 学校に燃え移るのも時間の問題、というよりは、もう燃えていてもおかしくない。 ここからは良く見えないけど。 もともとの音からして、山に何か落ちたんだろうか?
街の中とちがって、山を取り巻くあたりは戦場だった。 もっとも主戦場は学校では無く、山の反対側にあたるガス基地の方だった。 ガスタンクが数基あり、そちらを冷やすのに今は全ての人手が割かれている。 こちら側は野次馬の山。 ‥‥ みんな寝てたんじゃないのか?

「誰よ! あんなところに学校造ろうなんていいだした奴は!」

この声はミサト先生。しっかり見物、ではなくヤジりに来ているらしい。 ビール片手にすごく楽しそうだ。

「私だが」

僕の背後から先生の方へ割って出た人がいた。 ミサト先生はこちらを向いて真っ青になっている。もちろん僕達のことは目に入っていない。 まあ、返事があるとは誰も予想もしていなかっただろうなあ。 見上げると、それは校長先生だった。

「こ、校長 ‥‥」

ささっとビールを後ろに隠すミサト先生。‥‥ 手遅れだと思う。

「ま、そんな訳でな、私にも愛着があるし、面子もある。
なんとかして貰えるなら嬉しいのだがね」

「そしたら今の暴言は忘れてあげよう」という隠れた声が聞こえたような気がするけど、 もちろんそんなことが語られた訳はない。 しかし、消火作業って間違いなく先生の仕事じゃないと思うんだけど。

「はい!」

ミサト先生はあっさりと頷いていた。ノリのいい先生のことだし当然だ。 だいたい考えていることも想像がつく。公明正大に遊べる、といったことに違いない。 うまくいってもうまくいかなくても後で困るんじゃないかなあ、 そもそもどうやって消すんだろう? と興味深く(どうせ他人事だ)眺めていると、 ミサト先生はおもむろに誰かを探し始めた。

「あ、いたいた、ぜったい居ると思ったんだわあ、リツコぉ!」

手を振って招いているのは、赤木先生。 冷静沈着の見本のような赤木先生がなんでこんなところに? まさか野次馬でもあるまいし ‥‥ 学校が心配といったところだろうか。 二人はなにやらぼそぼそと話をしている。

「さっすが赤木せんせー、もつべきものは心やさしき旧友ねぇ!」

二人が前からの知合いだとは知らなかった。と、その時、

「知らなかった?」

背後からいきなり声がかかる。あやうく驚きの声をあげるところだった。 かろうじて唾を飲みこんで、振り返った。
私服の綾波は初めて見る。長袖にジーパン、この熱気の中では少し暑いくらいかもしれない。 そして背中に大きなバッグを担いでいた。

「綾波ぃ、脅かさないでよぉ ‥‥
あれ? アスカは?」

隣で山を見上げていた筈のアスカがいつのまにかいない。
綾波は首を横に振って、

「アスカも来てるの? 知らないわ」
「まあいいか。ここにいれは戻ってくるだろうし ‥‥
綾波は一人?」
「赤木先生と一緒」
「え?」
「赤木先生と一緒に住んでるの。言わなかったっけ?」
「知らなかった。そうだったの。あれ、でも、名字違うけど ‥‥」

困ったような表情を見せたので、あわてて別の話を振る。

「それにしても、なんでバッグなんか ‥‥」

これからどこか別の学校に出かけて行って試合でもするような大荷物。
彼女は肩をすくめて、

「これ? これ、赤木先生の荷物なの」
「レイ!」

ちょうど赤木先生が綾波を呼ぶ。綾波が声の方を振り返った。

「荷物持って来てー!」
「じゃ、ね、また。アスカによろしく」
「え、うん。綾波も大変だね」
「えへ」

まあ、赤木先生が近くにいる時に頷く訳にはいかなかったかもしれない。 小走りに赤木先生のところへ向かう綾波をぼんやりと眼で追いながら、 彼女のちょっと困ったような表情に僕は なんだか悪いことを言ったような気分になっていた。

「んー、どうしよ?」

アスカのことも気になったけれど、僕は綾波の後を追った。 他に行くようなところもない。アスカのことを別にすれば。
彼女の駆けつけた先では赤木先生とミサト先生の作戦会議がまだ続いていた。

「こんなこともあろうかと ‥‥」

そこには、 ちょうど天に向かって拳をふりあげ、ぴたりと固まった赤木先生が立っていた。
‥‥ 誰これ?

「先生?」

話しかけると再び彫像が動き出した。

「『こんなこともあろうかと』‥‥ ああ、なんていい響き! ‥‥
え、ええ、いえ、ごめんなさい、そ、そう、
これです、これ。超高水圧ポンプ! これさえあれば、
ここから学校にだって水を掛けられる!」

綾波が運んで来たバッグから取り出したるは、 なんだかごてごてっとした黒光りする金属の塊。

「なーんか、あんたにしちゃまともな発明ねぇ」
「それ、どういう意味、ミサト」

ところでさっきのはなんだったんだろう? と隣を見ると、綾波は平然としている。

「綾波?」
「あ、碇君」
「『あ』じゃなくて、‥‥ 赤木先生って?」
「知らないほうが良い世界もあるのよ」

これから物凄く恐ろしいことを聞かされるような。
そんな僕の内心の感想にも関係なく、彼女は平然とした顔で続けた。

「でも、まあ、ちょっと知っちゃったし、もう手遅れかな。
家での赤木先生ってあんなもんよ?」
「じゃあ普段は、じゃなくて学校は ‥‥」
「学校でも、理科準備室とかだったら、あんなもんだと思うけど。
どっかの企業に売り込みに行く時の顔よ。学校の教室とか、廊下の先生は」
「あ、そ、そう、なんだ」

そういう赤木先生と普段一緒に暮らしていて、多分なんとも思っていない綾波は、 まるで異星人のように思えた。 そういう気分が表情に出たのだろう、綾波は少しふくれて、

「そういうのは酷いな。別に何かする訳じゃなし」
「あ、ごめん」

確かに、少し変かもしれないけど、いや、かなり変なような気がするけど、 でも TPO をちゃんとわきまえている赤木先生は綾波にとって良い母親なんだろう。 多分、ミサト先生が母親というのよりは遥かにましな筈だ。 そうに違いない、そうでないと恐くて綾波と付き合ってられない ‥‥
そんなことを思いつつ、赤木先生の方を見るとミサト先生とのやりとりはまだ続いている。

「電力が決定的に足りないわ」
「どれくらい?」
「だから、500 キロワット」
「‥‥ あの送電線から借りて来ればいいわ」

ちょっと物騒な会話。ここに来るまでとはまた違った寒気がして、 綾波に告げた。

「僕は、じゃあ、アスカ探しにいかなきゃいけないから ‥‥」

残念そうな顔をする綾波に別れを告げて、 そそくさとその場を立ち去ろうとすると、背後からミサト先生の声が掛かる。

「シンジ君!」

逃げたい、逃げたい。是非とも逃げたい。 しかし何かに呪縛されたように身体が動かない。
山の火とライトに照らされた僕の影も地面に張りついたようだ。

「ちょうどいいわ、ちょっとこっち来てくれる! レイも!」

それはまるで地獄の底からの召喚の声。 しかし、綾波が平然としているところへ僕だけが逃げることは出来なかった。
逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ ‥‥


聞かされた消火作戦の内容は、そのスケールを別とすれば、ごく単純なものだった。
赤木先生の持って来た携帯型ポンプで、手近にある消火栓から水をとり、学校へ水を掛ける。 ただそれだけのことだった。
スケールの点は置くとして、 でもなんで照準をつける役が僕に割り当てられるのかが分からない。

「なぜ、僕なの ‥‥?」

いや別にやって悪いわけじゃないけど、犯罪の片棒を担がされるような気がしていた。

「他に人がいないからよ」

赤木先生の冷たいお言葉。

「シンジ君、何のためにここに来たの? 単なる野次馬? 違うでしょ、消火で目立とうって 思ったからでしょ? 駄目よ、逃げちゃ。責任から。何よりも自分から」

えーと、そうだったっけか ‥‥?
何か違うような気がする。 ミサト先生の、ちっとも慰めになっていない説得。
綾波はと見ると、‥‥ わくわくしているらしい。
ミサト先生が声音を変えた。

「はっきりいうとねー、手伝うのは子供にしか出来ないのよ。
もし後でこれが問題になったとしたら、 子供だったら、私が巻き込んだ、で済むけど、 大人だったらそういう訳いかないでしょ?
私達が庇えるのは、あなたたち位までだし、ほんとは私達だけでやりたいんだけど、 やっぱり二人じゃ人が足りないのよ。ごめんねぇ」

僕は顔を上げた。 少し、感激した、かもしれない。 遊んでるだけじゃなかったんだ。 ちゃんと自分のやること分かってて仕事してたんだ。
僕は、逃げようとしていた自分が少し恥ずかしくなった。 特に、いざとなればアスカのことを口実に逃げ出すつもりだっただけに。 もっとも、今度は逆にアスカのことを口に出す訳にはいかない。 彼女はまちがいなく手伝うと言うだろうし、それはとめられそうにない。
ごめん、アスカ ‥‥ いまごろ、さっきのところで僕を探し回っているかもしれない、 などと決心を固めているところへ、

「やっほ、シンジ、何してるの?」

アスカ登場。ちょっと気が抜けた。
ミサト先生が簡単にアスカに説明している間に、僕は赤木先生からポンプの説明を受けた。

「精密機械だから慎重にね」
「でも、こんな小さなポンプ、役に立つんですか?」

学校まではかなりの距離がある。

「仕方ないでしょ。持ち運べるのはこれがせいぜいなんだから」
「大丈夫ですよね」
「理論上はね。でも ‥‥ やってみないとわからないわ。
こんな大出力で使ってみたこと、一度もないから」

アスカへの説明を終えたミサト先生がこちらを向く。

「本作戦における担当を伝達します。シンジ君?」
「はっ ‥‥ はい」

突然ミサト先生からおちゃらけた空気がなくなって僕は戸惑った。

「初号機で本射を担当」
「はい」

ポンプにはちゃんと初号機と書いてあった。つまり、これは最初の試作品?

「レイは零号機で防御を担当して」
「はい」

赤木先生が綾波に手渡したのは、防災頭巾。 綾波は平気な顔をしてそれを受け取った。
ずきんの額のところに「零号機」とマジックで大書きされているのには もう予想がついていた。 ‥‥ 慣らされつつあるなあ。
そして、「そんなもん何時の間に用意したんですか? それも一つだけ」‥‥ とは尋けなかった。 なんとなく、恐い答えが返ってきそうで。
赤木先生が話を続ける。

「これは零号機とレイのシンクロ率の方が高いからよ」

シンクロ率ってなんだ、って訊いたらいけないんだろうな。 説明はとうとうと続く。

「今回はより精度の高いオペレーションが必要なの。
水は、地球の自転、地場、重力、風その他の理由によって直進しません。
その誤差を修正するのを忘れないでね」

何を聞かされるのかと思えば。僕は呆れて、

「あの、赤木先生、それってあたりまえ ‥‥」
「大丈夫。あなたはマニュアルに書いてある通りにやって」

にっこり微笑んで、しかし僕の話はぜんぜん聞いていなかった。

「最後に真ん中にマークが揃ったらスイッチを押せばいいの。
後は機械がやってくれるわ。
それから、一度ブレーカーが落ちると冷却や再充電、 ヒューズの交換などで次に放水できるようになるまで時間がかかるから」

ここで一息いれて、すっと僕に近づく。

「スイッチを押す。ただそれだけを考えて」
「あの、‥‥」
「スイッチを押す。ただそれだけを考えて。いいわね?」
「‥‥ はい」

僕の方の話が一段落したと思ったのか、綾波が口を挟む。

「私は、‥‥ 私は初号機を守ればいいのね」
「そうよ」
「分かりました」

それだけで話が通じたらしく、綾波は一歩下がった。 しかし、その意味するところは ‥‥

「ちょっと待って下さい。それって、綾波がポンプの盾になるってことですか?」

赤木先生は平然と、

「そうよ。ポンプは精密機械、 それもあなたの想像もつかないような高水圧、高電圧のかかった。 火の粉がかかって、ショートしたりして爆発したら。 あなたもただではすまないわ ‥‥ ことによったら、死ぬかも」
「碇君は死なないわ。 ‥‥ 私が守るもの」

分かり切ったことのように肩をすくめた綾波の表情にはっとするひまもなく、 僕と綾波の間に割り込んでアスカが口を挟んだ。

「あたしはっ! あたしは何やればいいのっ!」
「アスカは ‥‥」

ミサト先生が困ったような表情をアスカに向ける。

「何よ ‥‥?」
「アスカは御留守番、‥‥ してくれないだろうなあ」
「あったりまえよ。だったら、留守番はレイにやらせなさいよ」

先生は屈んでアスカと目線を揃え、

「どっちかといえば、危ないことをなんでレイにさせてるか、分かる?
レイは零号機とのシンクロ率が良い ‥‥ 分かりやすく言うと、 このメンバーの中でレイが一番の厚着なの」

最初からそういう風に言えっ! と心の中で突っ込んだのは僕だけではないはずだ。ないと思う。 少なくともアスカもそう思ったはずだ。うん。 思わずアスカを見れば、顔を見合わせる格好になった。 「同志よっ」と手をとりたくなったけれど、それをしたら赤木先生と同レベル。

「ポンプを守るのに頭巾はあるけど、 いざとなったら身体で火の粉を払い除けて欲しい、 アスカ、それにあなたのその格好じゃ、火の粉の舞う山道を走る訳にはいかないわ」

ノースリーブ、サンダルのアスカに向かってそう告げた。

「じゃ、シンジの代わり ‥‥」
「シンジ君が承知すると思う?」
「う ‥‥」

もちろんアスカにやらせるつもりは僕に無く。 アスカが俯いたところで先生は立ち上がった。

「アスカはリツコの助手。ポンプへの電源の供給。
あたしは、水菅の用意、メンテナンスと、野次馬への説明、退去を担当します。
狙撃地点は二子山山頂、」

手前の小さな双子の丘を指し、腕時計をちらと眺め、

「作戦開始時刻は午前 3 時、以後、本作戦を屋島作戦と呼称します」


何故か「屋島作戦」の準備は順調に進んだ。 たとえば、送電線から電気を採ることについて、誰も何も言ってきていない。 よほど赤木先生の工事が上手だったのか。 それでも作戦実行時には数秒、街の一部が停電するらしい。

「分かりゃしないわ」

ま、そうかもしれない。 二子山の山道には、えんえんと電源ケーブルとホースが伸びている。 山道入口は工事中の札を掲げて封鎖してあるから、もちろん不審に思う人はいない。
‥‥ ところで、その工事中の札なんて、一体どこから持って来たんだ?

「エネルギーシステムの見通しは?」
「50 分には何とかなりそう!」

遠くからアスカの元気良い返事がモニタを通して響く。

「ポンプはどう?」
「設置、終りました」

僕は答えた。

「防御は?」
「問題ありません」

綾波が側で返事。すでに頭巾を着けている。
僕達は、しばらくぼうっと火の燃え広がる様をながめていた。
しかし、どう考えても山火事のことなんかどっかへ行ってしまっている。 みんな、ただのお祭り騒ぎに思えた。 目の前に火の粉を巻き上げている山があるというのに、非現実感が漂う。

「綾波は、‥‥ 何故この話に乗ったの?」
「おもしろそうだから」
「面白そう?」
「そう。赤木先生と暮らしてたら、他の遊びなんて。
‥‥ こんなスリル溢れるお祭りって、他に何もないもの」
「他には何もないって」
「時間よ。始めましょ」

そう。午前 3 時。時間だった。
僕も立ち上がってミサト先生を見つめる。
携帯電話を手にミサト先生の顔付きも変わった。

「時間よ。始めるわ」

そして、携帯の向こうにいる筈の赤木先生に告げる。

「第一次接続開始」

ポンプに繋がる金属ホース ‥‥ 超高圧でもびくともしない筈のホースが びくん、と跳ね上がる。
配水が始まった。 次いでアスカに連絡が飛ぶ。

「第二次接続開始」

と、同時にポンプがうなり出す。主電源が入った。

「最終安全装置、解除」

僕はノズルの蓋を外した。 それと同時に照準装置が動き出す。 狙うは、火が燃え移る寸前の校舎の壁と、その向かいにある斜面。 ノズルの照準と目標はかなりずれたところで止まった。 これで合っているということらしい。

「本当だろうな ‥‥」

赤木先生の言葉が頭に思い浮かぶ。 修正は機械がやってくれる。そして、僕はスイッチを押すだけでいい ‥‥
そして、スイッチを押す。
地面に打ち込んであったそのポンプが、反動で地面をえぐりとって後ろへずれる。 水は確かに弧を描き、そして風に煽られつつ向きを変え、目標に ‥‥ 届かなかった!
それと同時にモーターの焼け付き防止ブレーカーが飛ぶ。 大量の水は校舎から僅かに左に外れ、校庭を水浸しにした。 校舎に移っていた火は水しぶきでかろうじて消し止めたものの 斜面の火の勢いは止まらず、再び燃え移ることは確実に思えた。 ずれた理由は突然の突風。 広がった火が対流を巻き起こし、それで横に流された。

「もう一度!」

ブレーカーが入るまでにはまだ少しある。モーターの中が冷えるのを待たなければならない。 綾波がポンプの側で扇風機を動かしていた。 ポンプ動作中の時のために、一応、ウチワも用意されている。 ‥‥ 意味あるのかどうかは知らない。扇風機はともかく、ウチワはさすがにばかげているような気がする。
ミサト先生はケーブルに異常がないかどうか、山道に沿って確認しに向かった。

「碇君!」

綾波の悲鳴、見れば、この空き地のすぐそばのところの木にまで火が燃え移っていた。 そろそろと熱気が伝わって来る。

「まだなのか?」

ブレーカーを入れようと力を込めるが、ぜんぜん動かない。

「早く、早く ‥‥」

少し僕も焦りだした。 あの斜面の火を止めれば、この作業は終わる。 しかし、この空き地のそばの火がそれで止むわけではない。 この火の山からの逃げ道がある間に ‥‥!

「入ったあ!」

ブレーカーが入る。再び、ポンプの準備が整った。 今度の照準は早い。

「いっけええっ!!」

その時、僕は声にならない悲鳴を上げた。ポンプに向かって、火のついた葉っぱが二枚! 綾波がすぐさま身体でポンプに被った。 そんな綾波を目の端に止めつつ、ノズルを固定しながら水の行方を追った。 こんどは OK! なんと一発で斜面全体の火を消し止めてしまった。
そして、再びブレーカーが落ちる。

「綾波!」
「‥‥ 大丈夫。ポンプは ‥‥ 無事」
「そんなこと尋いてない、綾波は? 綾波は、火傷とか ‥‥」
「ん、ありがと、大丈夫、別に熱くなかったから大丈夫だと思う」
「じゃ、降りるよ、もうここにいたら危ない」

この 2 回の放水で使った水の量は ‥‥ 想像するのが恐ろしい。 たとえば、一回目の水の半分位は校庭に残り、校庭をプールにしてしまっている。
さて、手近の火を消すのにも、また同じだけの時間がかかる。それは仕方ないだろう。
僕はポンプを地面からひっこぬき、杭を外した。 つまみを回し、次以降の放水圧を下げる。 もう必要なのは身近の火の対策だけ。 そして高耐水圧の主ホースの金具を外し、通常のビニルホースだけにする。

「シンジ君、レイ! 大丈夫?! やったじゃない!」

山道を駈け上がって来るミサト先生。

「まだ道は大丈夫だから、レイは先降りてっていいわ、
‥‥ いえ、私達と一緒におりましょう」

そう。今はどうなっているか分からない。 先生は主ホースを端から巻きとりつつ、 先に立って降り始めた。 ホースの長さは 50m ほど、消火栓のところにおかれた副ポンプが吸い上げた水を、 この細いホース ‥‥ というよりはパイプに高水圧で突っ込み、 それを今僕がもっている主ポンプで吸い上げつつ、放水 ‥‥ 普通のホースより数桁高い圧力がかかっていたと思うけど、ホースはなんともない。

「これ、市の消防局に売るつもりだって」

僕がホースを見つめているのに気付いた綾波が、そう話し掛けて来た。

「へえ、‥‥ しまいやすそうだもんね」
「まあ、‥‥ ね。でも売れないと思うな。停電するくらいの電気が要るんじゃ」
「あ、それもそうか ‥‥」

僕達は道すがら脇の火を消しつつ、降りていった。
山の向うのガスタンクの方では、まだサーチライトが天を照らし、 戦争のまっただなかだということを知らせていた。


独り(赤木先生も居たと思うんだけど)山の下で僕達を待っていたはずのアスカが 下から山道を駆け登ってきて僕達と合流したのは、それからまもなくのことだった。
─── 僕は、その時の、僕達を見出した時のアスカのその笑顔をこれからずっと忘れることはないと思う。


あたし、アスカ。
シンジってば、
予告で気合い入れてただけのことはあったじゃない?
次回はっと ‥
「瞬間、心、重ねて」、
サービスサービスぅ!
‥‥ って、ちょっと、何をサービスすんのよ!
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