Genesis y:22 赤い、眼
"She is sobbing, but nobody knows her grief."


新富士市。
第三新東京市の南西に隣接するこの街は、 かつては第三新東京市建設の基地となり、 使徒襲来中は新横須賀市と並んで対使徒迎撃要塞都市「第三新東京市」 のバックアップとして機能していた。
使徒や N2 爆雷による被害が出た新横須賀市と違い、 新富士市は無傷で成長を続けていたが、 ここへきて新市の工業生産能力の増大にともない、 その繁栄にも陰りが見え始めている。
そして第三新東京空港は新富士市の海上にあり、 セカンドインパクト後に着工、完成をみた最初の空港だった。

「‥‥‥ まもなく、第三新東京国際空港に着陸します ‥‥ 当地、 新富士市の気温は摂氏 28 度、湿度 70 % ‥‥」
「うーん、無事、着いたか ‥‥」

空港に飛行機が着陸し、アルは背伸びをして、そうつぶやいた。
この飛行機に乗っている人の半数の目的地は第三新東京市であり、 もし第三新東京市に被害が出ているのなら、アナウンスが必ずある。
作戦が成功したということらしいのを思って、アルは一安心した。

「そうね ‥‥」

アスカもまた、アナウンスが無いという、その意味するところを理解していた。

「しかしなんだね、この格好では暑そうだ。28 度か ‥‥」

陽が落ち、気温が下がるまでまだ少しある。
アルはもちろん日本まで来るつもりはなかったから、 寒いドイツに合わせた服装。
アルが持っている紙袋にはセーターが一枚入るくらいだから、 コートは手で持たなければならないが、両手を塞ぐ訳にはいかない。

「そうね。でも本部まではしょうがないでしょ?」

着の身着のままでこっちに来たはずのアスカだが、 こちらはコート一枚脱げば半袖。

「日本に長居するつもりはないが ‥‥ 耐えられないほど暑いと思うか?」

二人は飛行機から桟橋を渡ってターミナルへ向かう。その通路でも外が見渡せる。
ドイツと違い、雪のかけらも無い外に目を向けて、 アルは既に半袖になっているアスカに日本語で尋ねた。

「‥‥ あなたの鍛錬次第ね。あたしならごめんだわ」

空港のビルには冷房が入っていて、二人は外の空気にはまだ触れていない。
一瞬、驚いた表情を作ったものの、 アスカも日本語に切替えた。

「日本語しゃべれたのね」
「本部の言葉だし、国連の公用語だからな。 ローマの中ではローマ人のするようにせよ ‥‥」
「『郷に入れば郷に従え』」
「そう、それ」

アスカの訂正にアルは頷きつつ、
二人はそのまま到着手荷物受取所の脇を素通りした。


到着ロビーにシンジとレイが着いたのは、飛行機が来る少し前。
ソファーに腰を落ち着けたところでシンジは何度目かになる質問を、 またレイに尋ねた。

「ほんとに大丈夫なの?」

医者が、さもありなん、 という顔でレイの退院を許可した時に驚いたのはシンジだけだった。
退院は良いことには違いないが、 過去に自分の身体を顧みないことの多かったレイだけに、 シンジには一抹の不安が残っている。

「だから、大丈夫だって。そんなにお母さんの仕事が信じられないの?」
「‥‥ そういう訳じゃないけど」

実はレイが信じられない、とは言えないシンジだった。
そしてまた、ユイの「仕事」に、微かに疑いがもたげてきていたのも事実。
昼のユイとの会話は、シンジを満足させるものではなかった。

「碇君?」

煮え切らないシンジにレイが首を傾げた。
病院を出てからのレイの呼びかけはすっかり「碇君」に戻っている。


条件から言えば、到着ロビーにて黒髪に混じる空色の髪のレイが一番目立つ。
アル、アスカの乗っていた飛行機の人々の構成からは二人はそれほど目立たない。
だからアスカがレイを発見したのが早かったかといえばそうでもなく、
レイがアスカを見出すのが一番早かった。

「あの手ぶらの二人組の片方、アスカじゃない?」

手に見覚えのあるアスカのコートとおそらくは本人のコートを持った、
アスカより頭ひとつふたつ高い痩せた金髪の人と並んで アスカが到着ゲートからこちらに向かっている。
その彼と話し込んでいてアスカはまだ二人に気が付いていない。

「‥‥ そうだね」

シンジはレイの指す方を見て、そう一言だけ答え、 時々簡単な手ぶりを混ぜながら楽しそうに歩いているアスカをぽけっと眺めていた。
なんとなくシンジが視線を彼にずらした拍子に、ふと顔を上げた彼と目が合う。
慌てて顔を逸すシンジ。
何かごまかすようにアスカに目を戻すと、 こちらを示す彼の指に、 振り向いたアスカの表情が一瞬だけ喜びで満ち溢れたのがシンジの目に留まる。

「アスカ」

一息ついて、シンジはアスカに小さく手を振った。


視線がこちらへ向いている気配。
アルは少しだけ周囲に目をまわしてみた。
一応、迎えをよこすように本部には連絡を入れたものの、 作戦の出来の事と次第によってはこちらに人を回す余裕は無くなるだろう、 ということでアルは必ずしも迎えを期待していなかった。
だから視線が迎えのものとは限らない。

「ふん?」

到着ロビーのソファに座る二人の子供がこちらを見つめている。
薄青色の髪のおそらくはアルビノの日本人? の少女と黒髪の日本人の少年。
ファーストチルドレン「綾波レイ」とサードチルドレン「碇シンジ」。
実に分かりやすい二人組。

「迎えが来てるよ」

アスカに二人の位置を指し示す。

「ええ!」

アスカの安堵の返事。
ということはつまり、作戦は完璧に成功したということになる、とアルは思った。
作戦開始から僅かに 10 時間そこそこ。
みたところ子供達は無傷、しかも空港へ遣る余裕がある。
チルドレン全員がここにいてはエヴァンゲリオンは一機も動かないから、 エヴァを必要とする事態がしばらくは無い、つまり槍の処理も終った、 ということを示していた。


「発見された零号機のコアは総量の 2 % 、弐号機のコアはまったく発見されていません。 零号機のコアも変質してしまっているようです」
「再生の目処は?」
「零号機もかなり厳しそうです。
そもそも、初号機の損失部分、および零号機、弐号機の総量の 12 % しか回収できていません。
かなりの部分が蒸発した LCL に融けこんだか、あるいは ‥‥」
「そうか。初号機修復優先で頼む。それと槍の回収はどうなっている?」
「あと 3 時間ほどかかります」
「槍の件ですが、
あれを貸せ、 と日本重科学共同体、戦略自衛隊、 それに第二東京大学から申し入れがありました。
すべて断っておきましたが」
「ほお、戦自や共同体も心を入れ換えたようだな。いまさらだが結構なことだ」


アスカに声を掛けた時から、シンジはアスカに射竦められていた。
目をぴったりと合わせられたシンジは、 アスカのなんとも言われぬ迫力にやや戸惑いつつ、 視線を外すこともできず、 照れ臭そうに声を掛けた。

「や、やあ、‥‥」

気の抜けた声。
二歩ほど離れたところで立ち止まり、アスカは苦笑いした。

「なによ、このあたしが帰って来たのよ。『おかえりなさい』位 いいなさいよ」

シンジも立ち上がって、ようやく微笑むことができた。

「おかえり。アスカ!」
「たっだいま!」

それに答えて、アスカも満面の笑みを返す。


アスカがシンジに直行したのを見て、 そちらはアスカにまかせ、少し離れた位置に佇むレイにアルは話しかけた。

「綾波、レイさんでしょうか? はじめまして」
「‥‥ あなたは?」

ちらと少しだけアスカとシンジの方に目をやって、レイは答えた。

「僕はアスカを臨時に護衛してきた、アルブレヒト デューラーっていいます。
アルって呼んで下さい」
「アルさん?」
「はい」
「‥‥」
「‥‥ ところで、迎えにきたのは君達二人だけかな? もしかして」

黙り込むレイとその視線の先にあるシンジを交互に眺め、アルは尋ねてみた。

「ええ」
「ガードの人達は?」
「知らないわ」
「そんな筈はないと思うがな ‥‥」

もちろん 24 時間監視がついているはずだった。
実際、ざっと周囲の気配をみる限りでも、 それらしい人は 2 - 3 人いる。
ただ、ここからはアルの仕事ではない筈なのに誰も引き継ぎにこない。

「ま、いいか。それならそれでも」

セオリーから言えば、この場から動きたい。 しかし、いずれにせよ土地勘の無いアルには何処にいても、 事件がどんなに些細であっても対処しようがない。
何かある場合には彼ら二人について来た連中がかわりに動くと思い、 アルは気楽に割り切って三人の後をくっついていくことに決めた。


2 ヶ月ぶりのシンジの顔にみとれているうちに、 微かに恐怖心がアスカの背筋を這い昇って来ていた。
身体の芯から震えさすような恐怖。
確率 1/2 でシンジがここにはいなかったという可能性。
一転して表情に陰の差したアスカにシンジがいぶかしんだ。

「アスカ?」

実際には無かったことだと、結果オーライだと自らに言い聞かせ、 アスカはその恐怖を打ち消すように声を上げた。

「あんたねぇ、他人のエヴァ持ち出して何かするんだったら、 作戦前に一言あってしかるべきじゃないの!
連絡一つよこさないで!
アルが教えてくれなかったら、あたし作戦のこと何にも知らないままだったのよ!」
「あ、ごめん」

みんな必死だった。あの父さんでさえ。この 4 日間のことをシンジは思い返す。
考え込みながらゆっくりと、一言々々指折るように言う。

「みんな、必死、だったんだ。父さんも、母さんも、僕も、日向さんも、レイも。
みんな、みんな ‥‥ だから」

言葉が切れた時、アスカは一歩踏み出したものの、目を伏せた。
先刻とは別の恐怖感が加わる。これは身に覚えのある恐怖感。

「だから、そんなひまなかったっていうの ‥‥?
あたしに連絡して呼び戻す暇も?」

顔を上げて、シンジの眼を覗き込む。

「シンジ、あんたまで?」
「え、だから」
「‥‥ シンジ」
「?」
「キスして」
「え、ちょっと、ちょっと待ってよ、こんなとこで」
「うん、あんたがそういうの知ってる ‥‥」

ふわっとシンジに抱きついた。

「シンジ ‥‥ そんなにあたし、役立たず ‥‥? 思いだしもしないほど ‥‥?
パパもアルも振り切って ‥ アルはついて来ちゃったけど ‥‥
こっちに戻ってきたら、
あんたはあたしのこと思いだしもせずに へらへら笑ってるし ‥」
「えと、その、そうじゃなくて ‥ ごめん」
「何も言わないで。お願い。抱きしめてくれるだけでいい ‥‥」
「え、うん」

おずおずと軽く触れるか触れないかのようにしてアスカの背中に腕をまわす。
しかし、アスカを抱き寄せて真っ赤になっているシンジの他に、 冷静に観察しているシンジがそこには居た。
こういうアスカをシンジは今まで見たことが無かった。
疑い始めると本当にきりがない。 シンジは自分のあまりの嫌らしさに次第に吐き気がしてきていた。
自分からアスカに触れていて良いような気がしなくなり、 シンジは一度はアスカの背にまわしていた腕を下ろす。
自分の首にまわされたアスカの腕から伝わる震えが、 まだおさまっていないのを知ってはいたけれど。

「昨日だったら ‥‥」

こういう迷い方はしなかったとシンジは思わず呟く。
もっとも、疑い、冷静になる部分があるからこそ、こうしていられる。 昨日だったらパニックを起こしていただけで 抱きしめたい、といったことはそもそも思いつきもしないだろう、 ということも分かっていた。

「‥‥?」

シンジの雰囲気が違うのを感じて、アスカも身を離した。
別に抱きしめてもらおうと思っていた訳ではないが、 このリアクションもアスカの想像するところにない。
シンジの、少し大人びた表情の中に ‥‥ これは何?

「一昨日は監視が厳しくて抜けらんなかったのよ」

内心、首を傾げながら一歩離れた。
まだ少し頬も眼も赤く、視線は合わせていない。

「あ、うん。あれ? てことは、アスカ、ドイツの方は ‥‥」
「とーっくの昔に終ってるわよ。そんなの」
「終ったらすぐ帰って来るって」
「だから帰る許可が降りなかったんだってば!」
「じゃ、終ってないんじゃないか」

言い合いのさなか、互いの表情から翳が消えていくのを感じとり、 二人とも心が晴れていく気分を味わった。
‥‥‥ 一時的なことにすぎないにせよ。


レイはシンジとアスカの方を見つめたまま黙っていた。

「ちょっと帰ってくるのが予定より早かったのだけど、 こっちは別に困らんよね」
「アルさん ‥‥」

話の接ぎ穂に尋ねたアルに、 振り返らずにシンジに目を固定したままレイが口を開いた。

「はい?」
「どうして早くなったの?」
「いや僕のミスで飛行機に乗られちゃってね。
だから呼び出しがあればアスカ、もいちどドイツへ ‥‥ ということなんだけど」

小声で付け加えた。

「多分、無いだろうけど」
「何故?」
「用は無い筈なんでね。単に居て欲しい人が向こうにいただけだから」
「‥‥」

やや不満顔に見えるレイに、 アルは考え落していたファクターが無いかどうか状況をさらってみた。

「まだ、こっちは帰ってきて欲しくなかったのかな?」

日本側の事情までアルは考慮にいれていない。
日本とドイツの間でなんらかのネゴシエーションがあったのかどうか?
なにしろ支部への承諾の電話はろくに話も聞かずに切ってしまっている。
本部への電話に至っては伝言だけ。

「あー、まずった、かな?」

もちろん、止めることがそれほど重要なことなら、 支部に連絡を入れた時に支部が飛行機を止めてしまったろうから、 それほどのことでもない。

「ううん。そうじゃないの。そうじゃないけど ‥‥」

言い淀むレイ。
その視線の先では、アスカがシンジに抱きついている。

「ふむ。個人的な都合?」
「‥‥‥」
「あんまり再会を楽しんでないのはそういうことか?」
「‥‥‥」

三人の仲がどうだったか、ということまでアルは一々調べていない。
この場での態度から想像するだけだった。

「二ヶ月。アスカがドイツに行って二ヶ月あったんだろ?」
「‥‥‥」
「迎えにきたからには、喜んでやれよ?」
「‥‥ うん ‥‥」
「‥‥ 本部と支部に、合流したことを報告しとかなきゃならんが、 日本で使える携帯は持ってない。電話のあるところに案内してくれないか」
「‥‥ これ」

レイはそういって、自分の携帯電話を取り出した。

「いや、電話のあるところに案内してくれると、嬉しいのだけど?」
「‥‥ はい」

公衆電話。二人からは死角。
碇シンジについた護衛がいるから大丈夫だろう、とは思うが、 あまり離れたくはない。
携帯電話でもいいのだが、公衆電話の場所からそれでは、さすがに間抜けに見える。
アルはネルフのカードを取り出した。

「眼の前に携帯電話があるのに、公衆電話。 実質はこっちの方がバカバカしい気がするねぇ」

そう思いつつ、受話器をとり、ボタンを押しかけて、 ふと振り返りレイに告げる。

「僕から見えないところで今のうちに泣いとけよ?」


「始めます」

槍が零号機に突き刺さる場面からスタート。
零号機をとりまく赤く輝く AT フィールドが槍に貫くその内側に、 さらに小さくAT フィールドの壁が零号機の胸を水平に切り裂いている。

「消えかけているのが零号機の AT フィールドで、 零号機を裂いているのが、多分、初号機の AT フィールドです。
‥‥ 背後の初号機はこの時点でそれらしい AT フィールドを展開していませんから、 初号機の AT フィールドの間合に零号機が割って入ったというところでしょうか」

それとは別に弐号機に映る槍の影が蜃気楼のようにところどころ途切れている。
よく見れば、その影と影でない部分の境目では弐号機の身体に歪みが出ていた。

「弐号機が回収できなかったのはこれが原因ですね」
「‥‥ 何だこれは?」

時間を進める。

小さい AT フィールドが零号機の首から胸を本体から削ぎ落した時、 槍がその AT フィールドに刺さるのが割れた零号機の隙間から見える。

それとはまったく別個に、 弐号機が斜めに入った影にそって吸い込まれるようにやせ細って行く。

「この刺さり方で何故、零号機のエントリープラグが無事なんだ?」

槍はコアの上部を裂くように刺さってきている。この角度なら、 エントリープラグの下部に槍は直撃するコース。

さらに時間を進めた。

「!」

その瞬間、弐号機が急激に押し潰され、 零号機エントリープラグ周辺が消えた、と同時に画面がノイズに変わる。

「映像はここまでです」
「弐号機は分かる。槍の影は例の奴だろう?」
「空間の屈折率、分散の異常等から見て、 ディラックの海であることは間違いありません。
ただ、弐号機全体を吸い潰すには時間が不足したはずで、 そちらについては調査中です」
「その場に居た二人に訊いてみたのか?」
「綾波レイにはまだです。碇シンジには訊いてみましたが、 平衡感覚が無くなったのを覚えているだけだそうです。
空港から戻ったらレイにも訊いてみますが、‥‥」


「あたしが終ってる、って言ってんだから終ったのよ!」
「アスカ ‥‥ でもそれじゃ誰も帰って来いなんて言えない」
「分かってるわよ。それくらい。
あんたが分かってないだけよ。
ほんと無敵のシンジ様なんだから。
ドイツに居たってあんたの愚痴、聞く位いくらでもできるわよ。
なんであんたそういう時に弱音の一つも吐かないのよ」
「ごめん ‥‥」
「しかもまた何か知らないうちに悩んでるみたいだし! 言う気も無いくせに」
「ごめん ‥‥」
「いいかげんあたしも怒るわよ」
「あ、ごめん、じゃなくて、えと、その」
「‥‥ ちょっとはマシになったかなって思ったの、錯覚だったみたいね」


電話を置いて振り返り、アルは感心した。

「‥‥ 赤い眼って便利だねぇ」

泣いたんだか、普段どおりなんだか良く分からない。
赤い瞳の印象が強すぎる。

「でも彼らだと見分けつくのかな?」

泣いて充血するのは白眼の周辺。 ここはレイといえども赤くないから充血すれば分かるし、 実際、良く見れば確かに腫れている。

「‥‥ 見たことないから大丈夫だと思う ‥‥」

アルは肩をすくめた。

「本人がそういうなら、大丈夫なんだろな。じゃ、戻るよ。 そろそろ二人も正気にかえる頃だろうさ」
「アルさん ‥‥」
「なんだい?」
「私のこと、どれくらい知ってるの?」
「‥‥ 碇ユイと綾波レイの写真を並べて、 そこから推測できることは事実として知ってる」
「二ヶ月、使えたと思う?」
「っと、そうか、それは悪かったな ‥‥ ふむ。
すると最近まで君自身も知らなかったのか」

アルはそう言って、レイの頭をなでた。


「どこ行ってたのよ!」

アルとレイが戻って来るところを見つけてアスカは怒鳴った。

「電話しに行ってたのさ。アスカ持ってないだろ?」

肩をすくめて平然とアルが答える。

「この人が ‥‥ アルさん?」
「そう。こちらがアル。ネルフ、 ドイツ支部の人であたしのガードで日本までついて来た人」
「はじめまして。碇シンジ君ですね? アル、アルブレヒト デューラーといいます」
「あ、はい、はじめまして ‥‥ アルさん? あんまり恐くないですね ‥‥」

シンジはネルフの護衛の人達のことを思い浮かべた。

「臨時だからね。アスカの家出を止められなかった位だし」
「あ、やっぱり家出なんですか? これ ‥‥」
「何よ、あたしの言うこと信じてなかったの!」
「‥‥ ユイさんから簡単な事情は聞いてるもの」

レイが口を挟み、孤立無縁になったアスカはアルに詰め寄った。

「アル! あんた何て説明したのよ!」
「わがままでせっかちなアスカが人の言う事もきかずに飛び出した ‥‥
どこか変か?」
「止めるチャンスはいくらでもあったのに止めなかったあんたの責任は!?」
「そういえばそうだな。
心優しいアル君はアスカの心痛をおもんばかって見逃してあげた、
といったことは伝えてないや」

言われて気が付いたふりをして、にこやかに付け加えるアル。
本性を引き出したつもりのアスカはアルを指してレイに告げた。

「レイ! こいつはこういう奴なの。言葉そのまま真に受けないようにね!」
「それは心外だなあ、アスカ。嘘は一つもついてないが」
「そうね ‥‥ 多分、嘘じゃないと思うわ」

一向に堪えていないアルを見上げたレイの答はアスカにとって理解不能なものだった。
得体の知れないものを見る目付きで、レイに静かに尋ねる。

「‥‥ あんたいつのまにこいつに丸め込まれたの?」
「じゃ、どこが嘘なの?」

それこそ何を言っているのか理解できない、 という表情で返されてアスカは思わず絶句してしまった。


マヤの置いていった車があるのを知ると、 アルはシンジに停めてある場所まで案内させた。

「これですけど ‥‥」

シンジが何をするんですかと問う間もなく、 鍵をこじ開けてしまう。

「ほら、乗って」

三人を手招きし、エンジンをスタートさせる。

「いいんですか ‥‥?」
「無駄な駐車料金を払い続けるよりいいだろう?」
「でもマヤさん帰ってくる時に困るんじゃ ‥‥」
「電車で戻ってくれば良かろ?
そもそも、 伊吹博士が日本に戻って来る前に僕はドイツに帰ることになるだろうが、
その時にこれ乗って空港の駐車に置いておけば僕は助かる、 君達も助かる、博士も駐車料金が安く上がって助かる、 ほらみんな丸く収まるじゃないか」
「運転免許 ‥‥」
「国際公務員の免許は国に制限されない。知らなかった?」
「知るわけないじゃないか ‥‥」
「シンジ。あんたの口で勝てるような相手じゃないわよ」

このあたしと互角なんだから、とまでは口にせずに アスカはさっさとシンジを車の中へ押しやった。

「アスカ。あなただったら勝てるの?」

車の反対側からそのやりとりを聞いていたレイが一言だけ聞こえるようにつぶやき、 後部座席のシンジを押し戻すように座る。

「‥‥ あんたもあいかわらずね」

アスカもそのまま後部座席に座った。

「じゃ、いくよ ‥‥ ところで、道、知ってる?」

アルは三人とも後部座席に座るのを苦笑して眺めていたが、 そう告げて車を出した。


病院。ゲンドウにとっては三ヶ月ぶりの新市。

「ユイ」
「あなた ‥‥」
「この 4 日ほどの市封鎖の件で市長から苦情が届いている」
「ごめんなさい ‥‥」
「問題は無い。エヴァ二体とレイの交換なら割に合う」
「シンジやレイの前でそうおっしゃって下さればいいのに ‥‥
でも、二体とも、ですか ‥‥ アスカちゃん悲しむでしょうね」
「弐号機はレイの自己防衛の犠牲で死んだ。空間を螺曲げてだ」
「そうですか ‥‥」
「最初の人間だ。殺したくは無い。 出て来られるようになるまであとどれくらいかかる?」
「予定では 9 月。早ければ 7 月ですけど ‥‥」
「北京移行の後か」
「あ、決りました?」
「ドイツを見て、な。もう止まらんな」
「ネルフが無くなっても、もうかまわない、ですか?」
「ああ」

用件の終ったゲンドウは、しかしドアに向かい掛けたところで振り返った。

「ところで、お前、幾つで出て来るつもりだ?
‥‥ そもそも、今、幾つなんだ?」
「女性に歳、訊くもんじゃありませんよ。あなた」

にっこり笑って、ユイは答えなかった。
ゲンドウも口だけで苦笑する。

「‥‥ それは狡くないか?
27 より前というのだけは反則だからな」
「はいはい。分かってます」

にこやかにまったく話を聞いてない風のユイを眺め、一言付け加えた。

「今日は帰る」
「‥‥ はい」


首都高速に乗って、 アルは後部座席に座る三人に当てはまる諺を思いだそうとしていた。

「えーと『両手に花』で、よかったっけ? アスカ?」
「‥‥」

返事はない。
シンジが静かなアスカに目を向けると、 規則的な寝息。

「アスカ寝ちゃってます、アルさん」
「おや」
「時差惚け?」
「午前中から眠くなったりはしないだろ。 ‥‥ けっこう気、張り詰めてたというところだろうね」

寄りかかるアスカの寝顔をちらと見て、シンジはレイに振り返った。
前席のアルに聞こえないように囁く。

「やっぱりアスカもなんだろうか ‥‥?」

レイもまた憂いを含んだ表情。

「‥‥ そうよね。それが、やっぱり問題、よね ‥‥」
「でも、アスカが気がつかないなら、 ‥‥ アスカについては、‥‥ そのままにしてあげたいな ‥‥」

強烈な嫌悪感は忘れようにも忘れようがなかったから。


第 23 話 自らの、心の歪みに気付く。 次回 歪められしもの
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