〜 「祝いの硬玉」 番外編 〜




彼岸花 〜 中編 〜






 はるかに高い、天涯までをも覆い尽くさんばかりの紅蓮の炎。それが、ぼくの目の前を勢いよく焦がしている。
 周囲の景色はそんな炎で覆い尽くされ、大地までもが真っ赤に染まっていく。
 赤、赤、赤、赤、赤、あか、あかの乱舞。…全てのものが赤一色。
 何もかもが赤の力に支配され、あるものは沈黙し、そしてあるものはバキバキと断末魔の悲鳴を上げながら、焼ける強烈な臭いと共に一つの支配色に飲み込まれていく。

 炎はいい。炎は素晴しい。
 どんなものでも手当たり次第に喰らい付き、そのことごとくを焦がし燃やし尽くしてくれる。
 好きなもの、そして大嫌いなもの。
 全てのものを灰色という一色に変えて、この地上から消し去ってくれる………

 だからこそ、どんなに落ち込んでいる時でも、炎さえ見ればぼくは元気が出た。全身から力がみなぎってくる思いがした。
 ゴウゴウと燃え盛るその様は、まさに力の象徴だ。ぼくにとっては、どんな神仏よりも輝かしく、その姿は神の座に近い。
 早春の野焼き、夏の浜焼き、秋の藁焼、そして、冬の暖には欠かせない野っ原での隠れての焚き火……
 そんな幸せな火なぞは糞食らえだ!
 火は大きく燃え広がり、強大な炎となってこそふさわしい。

「小僧!お前はここで何をしている?」

 そんな炎をもものとせず、言葉はいきなり響いてきた。
 有無を言わせない力の響き。従う様にして、ぼくは顔を上げた。
 そして、何で今まで気付かなかったんだろうと、まるで一山はありそうな、そんな馬にまたがる真っ黒な甲冑姿を見上げていた。

「聞こえぬのか?ここで何をしているのかと聞いている」

 大髭をかすかに揺らしながら、男はそう聞いてきた。
 先よりは穏やかな響き。けど、ぼくは再び威圧感に覆われていた。
 獣の強烈な臭いに鼻を掴まれ、身体は完全に凍り付き、息をしているという感覚すらも無い。
 ただ、心の臓だけがどくどくどくとうるさい程に耳に響いていた。
 まるで大酒でも喰らったかの様な真っ赤な素顔。目も爛爛と燃える様に赤く、そんな色に合わて、もじゃもじゃの顎髭が顔全体を覆っている。
 そしてその馬もまた、地獄の鬼が乗るにふさわしい漆黒の闇から生まれた様な巨大な黒馬だった。
 前足で一蹴りされただけで確実にあの世にいける。ぼくはそう思った。

「…ひっ……ひっ……ひっ…………」

 自分の声が、まるで妖怪の様に気持ち悪かった。
 けど、そうする以外に何が出来るというのだろう。死は避けられず、それは確実に迫っている。
 この男に直接殺されるか、目の前の炎に焼かれるか。いずれにしろ、そのどちらかしか無い。
 それでも、ぼくは決めていた。
 どうせ死ぬなら、こんな鬼の手にはかかりたく無い。炎に巻かれて死にたいと…

「ふん、火か。……小僧、お前、火は好きか?」

 ぶんぶん…と、ぼくは思わずうなずいていた。
 何故そんな事を聞いてきたのか、今のぼくに考える余裕は無かった。

「ふふ…そうか。…どうだ?いいもんだろう。虫けら共を一掃するには火に限る。それにこうして大きな炎となれば、こんなつまらない掃除仕事にも少しは華があろうというものだ」

 ぶんぶんぶんと、今度も反射的にうなずいていた。
 逆らってはならない。逆らったが最後、ぼくの命はここには無い。
 全ては、その一点だけだった。

「ほお、ワシに同意するというのか?ふふふ、面白い。たかが土着民の小僧風情がよくぞ言ったな」

 ぎらりとにらまれた気がして、「ひっ」と息を漏らしていた。
 やはり殺されるのか……そうは思いながらも、笑うしか術を知らなかった。
 自然と、いつのまにか身に付いていた、それは卑屈な笑いだった。

「小僧、命は惜しいか?」

 ぶんぶんぶん。

「自分だけでも助かりたいか?」

 ぶんぶんぶんぶんぶん。

「ふふ…ならば、自分さえ助かれば、仲間はどうなってもいいと思うか?」

 ぶんぶんぶ………

 中途半端にうなずいてぼくは慌てて動きを止めた。背中から一気に汗が吹き出していた。
 硬直した身体に震えが走り、もはや膝を付く事すら許されない。
 失敗だった。完全に引っ掛かった。そんな返事をすれば殺されても当然だ。
 卑怯者は万死に値する。鬼の世界なら尚更に違いない。

「ふふふふ……ふはははははは……面白い!よくぞ言ったな小僧。…そうだ、それこそが土着の民だ!地べたを這いながらこそこそと生き回る下賎な生き物の正しい姿だ!!」

 嬉しそうな声。一体何が起こったのだろう?
 喜ばせる事なんて言ってない。
 それなのに、この鬼は何がそんなに嬉しいんだろう……

「『俺が犠牲になる。だからこいつらは助けてくれ』…………わかるか?小僧。『俺が犠牲になる』だ。『犠牲になる犠牲になる』だ!『俺が俺が俺が』『犠牲に犠牲に犠牲に』だ!!……それがどんなにくだらない事か、お前には分かるか?」

 ぶるぶるぶる。
 考える間も無く、ぼくは首を横に振っていた。分かるわけがない。いきなりそんな事を言われても、ぼくに鬼の考えが理解出来る訳が無い。
 ただ、目の前の鬼はいらだっていた。何か不満があって、誰かにそれを話したいんじゃないかと思った。

「『俺が犠牲になれば』だと?それで一体何が変わる?言いだした愚か者が真っ先に死ぬというだけだ。その後は残らず全て殺す!何も変わらん!!………一体お前らは何なのだ?逃げる時は鼠の様にちょこまかしたかと思うと、追い詰められたとたんにまるで英雄にでもなったかの様な偉そうな言葉を吐く。だったら何故逃げる?そんな偉そうな言葉を吐けるなら何故初めから戦わない?……どうあがいてもお前らは死ぬ運命なのだ。いずれは根絶やしにされる運命なのだ!…だったら鼠は鼠の誇りを持って短い時を生きればいいではないか!戦えばいいではないか!!………時に小僧、お前は命が惜しいと言ったな?」

 ぶんぶんぶん!
 突然聞かれて、そのまま首を縦に振っていた。
 目の前の鬼はにたりと笑うと、まるで地獄の大王の様な顔つきで宣告した。

「その惜しい命、自分で拾ってみせろ!村人を差し出せ!仲間を差し出せ!友人を差し出せ!恋人を差し出せ!…さらには兄弟姉妹を差し出せ!…そしてお前にとって一番大切な…」
「親か?親を差し出せば助けてくれるのか?」

 思いもしなかった言葉が口から出て愕然となった。
 そんなに憎かったのだろうか?…ぼくは……そこまであの女を憎んでいたのだろうか?
 身体がさらにがくがくと震え、臓腑の奥がきりきりと痛んだ。
 このまま吐いてしまいたいと思った。

「……ふふ……ふふふ…はははっはははははは。あっはははははははははは。そうか!それほどにお前は親が憎いか!ワシに殺して欲しい程に憎んでいるのか!…面白い!これは面白い!!」

 鬼は笑みを満面に浮かべ、喜びに身体を震わせていた。その仕草に、有る筈の無い親しみが込められているのをぼくは感じ取っていた。
 それも当然だった。ぼくは長いこと虐げられてきた。だから、少しでもぼくに好意を持ってくれる奴は直ぐに分かった。
 例え…それが鬼であっても……

「案内しろ!お前の願い、叶えてやる!」

 こくんと素直にうなずくと、ぼくは歩きだしていた。鬼の言葉を信じた。素直に従うつもりだった。
 あんなにも酷かった身体の震えは一瞬で収まっていた。鬼が示した親しみのせいだった。
 下賎な生き物。そうかも知れないと思った。明日をも知れぬ生活だった。
 日々生きる為の最低の食い物を与えられ、足りない分は何とか自力で手に入れて、それを取られない様にがつがつと餓鬼の如くむさぼり食らうだけの虫けらの様な存在だった。そんな暮らしに未来があるとも思えなかった。
 その虫けらが、鬼に魂を売った。生きる意味すら分からない、自らの命と引き換えに。
 もはや、虫けら以下だった。嫌悪を感じないと言えば嘘だった。
 しかし、一度歩み始めた足の動きは止まる事を知らなかった。
 いつしか、自分の顔に薄笑いが浮かんでいるのをぼくは感じていた。



◇      ◇      ◇



「はい、リバースね。反対回りで、らせつちゃんの番だよ?」
「……なあ、女。一つ聞いていいか?」

 『かーど』とかいう変てこな色付きの小さな紙を沢山用いて扇子の様に広げながら、ぼくは何度目かの問いを口にした。
 淡い色、まるで春の草原の様な変ちくりんな服を着たその女は、ぼくの言葉に再び不機嫌な顔をした。

「もー、何度言ったら分かるのかな?私は『女』じゃなくて『神岸あかり』という名前がちゃんとあるんだから。『神岸さん』でもいいし、『あかりさん』でもいいって言ったでしょ? はい、もう一度やり直し」
「…別にそんなのはどうでもいいだろ? こっちの方がお前とは比較にならない程生きてるんだ。礼儀を語るならぼくの方が目上なんだよ」
「ダメよらせつちゃん、そんな事言っちゃ」

 女は怒りの様相を浮かべる。ぼくはうんざりしながらも、不思議とその様子を凝視していた。
 最初にそれを見た時には驚いた。色々な女の表情を知ってるつもりだったが、こんな怒り顔をする奴は初めてだった。
 凛とした鋭い顔。そして一度向けたらこちらが納得するまで一瞬たりとも離そうとしない、その赤い瞳。
 それは怒り。けど、憎いんじゃない。少なくとも、兄たちや母の様な自分勝手な怒りではい。それだけは分かった。

「いい?らせつちゃんがどんな人か私は知らない。けど、もし偉い人であっても私から見たら、らせつちゃんはやっぱり年下の男の子なの。生まれつきそんな身体の人が居るのは知ってる。だからとっても失礼な事を私はしているのかもしれない。けど、その容姿から判断するなら、私にとっては、やっぱり小学校低学年位の男の子にしか見えないしそうとしか思えないし、それならばそうした言葉使いはいけないなって私は思うから…」
「分かった!もう分かったって!」

 相変わらずこの調子だった。ぼくの子供の姿でのそうした言葉使いがよっぽど気に入らないらしい。けど、それでいて素性は気にならないのか、相変わらず一言も触れてこない。全く不思議でならなかった。
 これまで会ってきた虫けらは、誰もが一様にぼくに尋ねてきた。お前は何処から来たのか? 何故こんな所に居るのか? お前の親はどうしたのか?
 その度にぼくは意地悪くニヤニヤと笑い、「さあてね。そんな事より、あんたの方こそどうなんだい? 大人のくせに迷ったの? 人にモノを訪ねるなら、それ相応の礼儀ってものが必要だと『子供』のぼくでさえ思うけどねぇ」と挑発するのが常だった。
 これをやられて、怒り出さない虫けらはまず居ない。
 目下に思い切り馬鹿にされたと思うのだろう。早い奴はそれだけで目を吊り上げ、鼻息を荒くして醜く顔を歪め、最期には怒りのままにぼくを口汚なく罵ってくる。そうなればしめたものだ。
 やがてそいつの怒りが泣き顔に変わり、立場が逆になった事をようやく理解し、最後には命乞いをしてくるのは最高に嬉しい瞬間だ。
 そして次には虫けらの身体を、その心を、もうこれでもか、これでもか、という程に痛め付け、思いきり楽しんでやるのさ。
 一本、また一本と指を千切り落とし、耳も片方ずつサックリと削いでいく。高くなった天狗鼻を叩き折り、揚げ句には子供の虫けら遊びの様に、そいつの手足をグリッともいでいく。
 止めてくれ、助けてくれと言っても容赦はしない。もう止まりはしない。止まる訳が無い。
 その命がある限り、ぼくにとっては面白い遊び相手なのだから。

「分かってくれた?はい、じゃあもう一度言って?」

 それなのに……この女ときたら一体………

「……あ………………あかり……さん………」
「…うーん、ちょっとよく聞こえなかったかなあ。お願いだからもう一度言って?」
「あ、あかりさん!」

 ぎりぎりとした気分のこのぼくに、女は平然と「はい、よくできました。らせつちゃんえらいえらい」などと言ってぱちぱちと手を叩いている。
 全く、どうにもこうにもやり難い。
 こうした状況に焦るでも無く、不平不満を言うでも無く、ぼくに質問するでも無く、悠然と落ち着き、すっかり呑気に構えている。
 一体、この女は何なんだ?本当に人なのか?

「あ、そうそう、そういえばらせつちゃん何か聞きたい事があったんじゃないの?」
「あ?…あ、ああ…その、この『りばーす』とかいう札だけど、二人では意味が無いんじゃないか?いちいち反対回りとか言わなくても…」

 …どうもおかしい。
 ぼくは怒っている筈だ。それなのに、何でこんなどうでもいい事を聞いているんだろう?

「ごめんね。このゲームって本当は三人以上でするものなの。だけど、今は二人しか居ないから………あ!そうそう、もう一人居るよ?どうせだからこの子にも参加して貰おうか?」

 何を思い付いたかは分からなかったが、ぼくは女の様子をじっと見つめていた。
 変な生き物が描かれた布袋。それをごそごそと漁っている。女がここに持ってきたものだ。
 やがて、茶色の布で出来た変な塊を取り出す。それは、袋に描かれているものと似ている気がした。

「がおー、ボクは子供のクマさんだぞ〜。浩之ちゃんに射的ゲームで当てられたばかりだからまだ名が無いんだぜ〜。…おっ!そこの少年丁度いい。よかったらぼくに名前を付けてくれないか?そして3人でウノでもやろうぜ〜」
「………………………なんだって?……くま?……もしかして熊の事か?」

 人とは思わなかったが、まさか熊だとも思わなかった。
 しかもその手足を動かして、まるで喋っているかの様な芸を見せている。随分昔に見た人形浄瑠璃とは程遠く、ままごと遊びの幼女そのものだった。
 大人の女がそんな事をする理由は一つしか無い。
 嬉しそうに熊人形の説明を始めたその目の前に、ぼくは手持ちの札を投げ付けた。

「……でね?これを取ってくれた時の浩之ちゃんったら………あれ?らせつちゃんどうしたの?」
「辞めだ。飽きた。やりたいならその熊とでもやってろ」

 怒らせる様にわざとそう答える。それで思う通りになればしめたものだ。
 札遊びには興味があったが、それももうどうでもいい事だった。
 女が怒り、泣き叫ぶ様が見たい。その一点だけだった。

「うーん、そっか〜。…うん、そうよね。ごめんねらせつちゃん。確かに小さい子にはまだ難しいかもしれないね。これの面白さが分かるのは、らせつちゃんがもう少し大きくなってからかな?」
「馬鹿にするな!その位ぼくにだって分かる!子供扱いするな!」

 言ってから後悔した。女を怒らせるつもりが、自分から怒ってしまっている。
 情けなかった。正直歯噛みする思いだった。
 ただ、この女に子供扱いされるのはどうにも我慢がならない。例え虫けら相手でも、このままではなんとも後味が悪い。
 それならば、いつもの様に下僕を出せばいいのかもしれない。それで全ては終わる。至極簡単な事だ。そして、実際そうしようと何度も思っていた。
 けど……それはやはり出来なかった。
 始めからあいつらの力は借りたくない。危ない力も使いたくはない。自分だけ…そう、自分の力だけで、先ずはこの女を屈伏させたい。ひざまずかせてやりたい。

「ごめんね、らせつちゃん。そんなつもりは全然無かったのよ…」

 困った様な、それでいて諭す様な目を女はしていた。
 意識して顔を背け、ぼくは静かに決意していた。



◇      ◇      ◇



 ぐごっ、という鈍い音がする。
 宙にそれが舞い、僅かの間の後に、どすっ、という音が響いてくる。
 その落下したものは、一回りは大きい瓜の様だ。丸い一片から赤い肉汁を流す、そんな物を言わない一個の瓜。
 そして瓜を失った目の前の物体に、大輪となった真っ赤な彼岸花がこれでもかと咲き誇っている。
 やがてそれさえも勢いを無くし、最後には、どさっ、という音を残して、残り花が粛々と大地に染み込んでいく。
 …それで終わり。人なんてあっけないものだ。
 これまで散々に馬鹿にしてくれた。まるで奴隷の様に扱ってくれた。そして、何かといえば直ぐにぶん殴ってくれたそんな兄のつまらない末路だった。まったく、哀れなものだった。
 そして、次の兄が化け物に引きずられて目の前に現われる。

「この裏切り者がぁ〜!怨んで怨んでどこまでも怨み抜いてやるからなああああーーー!」

 くだらない。まったくくだらない戯言だ。
 僅かの後に、お前はただの肉塊と化す。後は炎に焼かれるか、そのまま蛆に喰われて腐っていくか、野犬に骨ごと噛み砕かれ骨片だけとなる。そして、それすらもいずれは大地に埋もれていく。
 誰もがいずれは迎えなければならない死への恐れ。…まさに、人としての不条理な死がそこにはあった。
 そしてその死は鬼どもを、それを取り巻く化け物共を、さらには人としてのこのぼくを喜ばせる為だけに存在していた。

「どうした?小僧。早く指示を出してやれ」

 どさっ、と頭にその手が置かれ、ぼくは「うっ」と声を漏らした。痛かったけど文句は言えなかった。
 岩の様に固く、ごつごつとしたその大きな手。
 獣の強烈な臭いを放ち、軽く握られただけで頭なぞ鶏卵の様に潰されてしまうだろうそんな力強い赤鬼の手。
 こくん、とぼくはうなずくと、そのまま親指を立て、そしてゆっくりと下に向けた。

「ひっ!ひいいいいいい!た、た、助けてくれええええ〜!!」

 息巻いていた顔に恐怖が走り、次には手を合わせてぼくを拝んでくる。まるで、神か仏に祈るかの様だった。
 お笑いだ。全くお笑いだ。そいつとぼくとの関係なんて、所詮はそんなものだったのだ。
 下僕として蔑んでいた存在が、あっという間に救いの神にもなれる。
 なんて愚かなのだろう。なんて馬鹿馬鹿しいんだろう。人の繋がりなんて、結局はその程度のものでしか無い。
 手を下ろした。それが合図だった。

ぐごっ!

 音が再び響いた。そして、わめいていたそいつの身体から彼岸花が咲いていた。
 真っ赤な真っ赤な。物を言わぬ彼岸の花。
 しかし、そんな光景にぼくはため息をついていた。これだけ見続けば、いい加減飽きもくる。

「…ふむ、つまらなそうだな。お前の大嫌いな兄どもが殺されているのだぞ?もう少し嬉しそうな顔をしたらどうだ?」
「……もういいよ。約束通り案内はしたんだ。後は勝手にしてくれよ」

 そのまま背を向けて、場を離れようとした。見るのが辛かった訳じゃない。本当に飽き飽きしていたからだった。

「…よかろう。兄ばかりが続いたので飽きたのだろう。今度はお前の母に引き会わせてやる」

 その言葉には、有無を言わさぬ響きがこもっていた。
 まさに命令だった。従わなければ、あっという間に殺されて当たり前の言葉だった。
 しかし恐怖は感じなかった。そのままおとなしく、場に戻った。

「ふふ、それでよい。その意気地の無さが命を拾うという事だ。つまらん反発心から捨てる必要もあるまい。お前はもともと賢いのだ。その一時を肝に命じよ。よいな?」

 素直にうなずいていた。そして、不思議とそれが嬉しかった。
 父というものをぼくは知らなかったけど、こうしたものだろうかと思った。
 やがて、そんな気持ちとは裏腹に、化け物たちに両腕を捕まれながら母が姿を現わした。

「……………………」

 地べたに押え付けられ、足下からぼくを仰ぎ見るその眼光は、いつもの母の姿そのものだった。
 厳しいまでの存在感。そして、いつもの怒り顔。
 ただ、その口は一文字に固く結ばれて、不気味な程に静かだった。
 悪態を付く訳でも無く、かと言って命乞いをする訳でも無い。
 それでいて、何一つとして変わらぬ母の姿がそこにはあった。

「……………………」

 この母には言いたい事が山程あった。
 いつでも怒り、いつでも怒鳴り付け、そして明らかに兄達と差別していた。まさに、お前なんか居ない方がいいと言わんばかりだった。
 優しい言葉など一度も聞いた事が無かった。どんなに上手にやっても、必ず関係無い事で怒られた。
 だから、ぼくは結論していた。
 この母親は、本当の母親では無いのだろう。何等かの理由で、やむをえずぼくを引き取っていたのだろう。
 そう考えるのが自然だった。そして、それもこれが最後かと何となく感じていた。

「…どうした?今生の分れに交わす言葉も無いというのか?下賎な輩にも僅かな時間ぐらいは与えてやるぞ?」

 明らかに楽しんでいる赤鬼の言葉に、ぼくは少なからず腹が立った。
 けど、それが表情に出る事は無い。自分の身を護る術はわきまえている。
 そして、意識して笑顔になると、さも当たり前の様にそれを告げた。

「これまで育ててくれてありがとう。そして、さようなら」

 言うと同時に親指を下に向け、手を下ろした。その瞬間、ぼくは目を閉じた。
 次にはあの音が聞こえてくる筈だった。

「……………………った」

 え?っとぼくは顔を開けた。そして問いただそうと「まって!」と叫んでいた。

ぐごっ!

 音と同時に眼前に大きな華が舞い、飛沫がぼくの顔を濡らしていた。
 伸ばしたその手は、まるで濡れた紅葉の様だった。
 その中に灯る僅かな命。そんなものを、ぼくはこの目で見た様な気がした。



◇      ◇      ◇



 ぴ〜〜〜ぴゅろろろろろろ……

 何とも間の抜けた、そんな場違いな音が洞内に響いている。女が持ち込んだ巻き取り笛とか言うやつだ。
 息を吹き込むとぴーと伸び、口を離すとひょろろろと縮む。
 前に、右に、左にと、鮮やかに色付けされた三匹の蛇の伸び縮み。
 そんな事を、さっきから飽きもせずに繰り返している女の姿。
 まったく、子供だましもいい所だった。

「はい。次はらせつちゃんやってみて?」
「おい、ふざけるなよ?そんな女の口が付いた笛なんか吹けるか!」
「あれれ〜?だって私だってらせつちゃんが色々と食べ残したお菓子、全部食べてあげたじゃないの。それでおあいこでしょ?」
「何がおあいこだ。その菓子だってお前が勝手に勧めたものじゃないか!」

 女は見た事も無い菓子をいくつも持っていた。色とりどりに溢れた、とても食べ物とも思えない綺麗な菓子だった。
 そしてあまりにも勧めるので、興味もあって次々と口に入れてみた。そして、いずれをもことごとく吐き出した。
 どれもこれもが甘かった。甘過ぎた。とても食えたものじゃ無かった。
 そしてその傍らに居て、そんなぼくの食い残した菓子を、女はさも当然という顔をして目の前で全てたいらげていった。
 食えと命令した訳じゃない。ましてや餓えている訳でもあるまい。
 それなのに、見るからに汚いそんな行為を心から嬉しそうに出来るこの女の行動は、とうに理解の範囲を越えていた。
 やはり、少し頭がおかしいのだろうか?

「くすくす。らせつちゃんったら本当、照れやさんなんだね。でも、そんなの気にしなくていいんだよ?けど、気になるんならちゃんと拭いてあげるね」

 笑顔でそう言うと、「はんかち」とか言う布を使って丹念にその部分を拭いている。
 やっぱり馬鹿だ。そんな事をしても一緒だ。何をしようが、その部分はもうお前の口で穢されているのに。
 こんな簡単な理屈が、どうしてこの女には分からないのだろう?

「……なあ、何でお前はこんなに色々と訳の分からないものを沢山持っているんだ?今の時代はそうしたものなのか?」
「…え?だって今日はこの街の縁日だよ?らせつちゃんだって見たんでしょ?凄いよね〜。とても華やかで洞窟までの道のりにも露店がいっぱい出ていたし、昔遊んだ懐かしいものも一杯並んでいるんだもの。それに、こんな時じゃないとそうしたの沢山買えないじゃない。でも、浩之ちゃんったら直ぐに『お前は相変わらず子供っぽいモノが好きだなあ』なんて呆れた様に言うんだよ?お祭りだし、たまになんだからいいじゃないよねえ。らせつちゃんもそう思うでしょ?」

 よく分からない言葉を所々に交えながら、相変わらず無邪気に笑っている。ぼくは、わざとため息を付いた。
 救いようの無い馬鹿とは、こういう奴を言うに違いない。

「…やっぱり分からないな。子供の頃に喜んでいたものを今も喜べるなんて。身体だけ大きくなっても、中身は変わらないという事じゃないのか?」
「もー!らせつちゃんまでそういう事言うんだね?いいのっ!今日はお祭なんだから特別!普段はちゃんと歳相応にしているんだからぁ」
「ふん。随分と都合のいい特別だな…」

 ……それにしてもおかしい。外部から来た奴とこんなに長く話しをするのも初めてだけど、いつもならとうに待ちくたびれて騒ぎ出す下僕共がやけに静かだ。…まるで、何かを恐れて近付かないかの様だ。
 試しに黙ったまま呼んでみる。反応があれば、直ぐにでも声が聞こえる筈だ。
 ……反応が無い。やはり、何かを恐れている。

「はい、綺麗になったよらせつちゃん。早速吹いてみて?」

 さすればこの女、何かを持ってるに違いない。そして下僕どもを近付けさせないとするなら、やはりあれしか考えられない。
 なるべく優しい声で、ぼくは女に尋ねた。

「なあ、お前、もしかして勾玉を持っていないか?」
「勾玉?………あ、それってペアゲームの石の事?うん、持ってるよ」

 やっぱり!
 ぺあげーむとは何の事か分からなかったが、もはや女が『封じの石』を持っているのは明らかだ。
 大半はぼくの手中にあるけれど、いくつかは人の手に渡ってしまったと聞いている。

「なあ、その鈎玉、ちょっと見せてくれないか?」
「うん、いいよ。らせつちゃんがこの笛吹いたら見せてあげる」

 なに?!
 顔を向けると、女は相変わらず嬉しそうにこちらを見ていた。その目は「はやく、はやく」と急かしている。

「……なあ、別のにしないか?…そうだな、この木駒を回すってのでいいだろう?」
「だーめ。私はこの笛を吹いてるらせつちゃんが見たいな〜」
「じゃ、じゃあ、この小さな羊羮とも思えない色の羊羮を一つちゃんと食べるってのはどうだ?」
「う〜〜ん。…それも見てみたいけど、やっぱりだめー。らせつちゃんがこの笛を吹くのが今は一番見たいかな〜」

 こっ、このくそ馬鹿野郎!ぼくは見世物じゃないんだぞ!
 ……とは言っても、何とか女から鈎玉を取り上げてしまわねばねばならない。そうしなければ、この先思いきり遊べなくなってしまう。
 女はさっきから笑顔で笛を差し出している。
 くそっ、こいつを吹かずして、どうにか鈎玉だけ取り上げる方法は無いものか。

「ねえ、らせつちゃん。さっきから難しい顔してるけど、何をそんなに悩んでいるの?私が口を付けた笛を吹くのがそんなにイヤ?」
「当たり前だろう。大体、汚ないじゃないか」
「どうして?私、ちゃんと綺麗に拭いたよ?それでも汚ないの?」
「そうじゃない。一度女が口を付けたらそれはもう穢れてしまっているんだ。拭いた拭かないは関係が無い」
「…どうして?それって何かおかしくない?らせつちゃんの理屈だと、女の人は皆汚ない存在って事になっちゃうよ?違う?」
「違わない!それで正しいんだ!今頃分かったのかこの馬鹿女が!」

 言ってしまってから心の中で舌打ちした。仕方無く、そのままそっぽを向いた。
 女は穢れた存在だ。…そんな思いは、もはや自分の中では当たり前となっていた。
 いつからだろうか?もはや、自分にも分からない。母親だった女のせいか?それも、きっとあるだろう。
 けど、それ以上にくだらない女がこの世には沢山存在すると分かる頃には、母親の存在なぞ当然と知れた。ごく平凡な、取るに足らない存在に過ぎなかった。
 そして、その時にはもう、女は必要の無い存在……ぼくにとっては嫌悪すべき対象でしか無かった。
 何故、ああも訳の分からない生き物なんだろう。
 新たな女に会う度に、その疑問は積る一方だった。

「えい!スキ有り!バックを取ーった。お次は抱きしめ攻撃〜〜」
「え?…お、おい女いきなり何をするんだ!やめろ!やめないか!」
「やめないよ〜だ。それに私の事は『あかりさん』って言いなさいって言ったでしょ?ちゃんと言うまで止めてあげないんだからね〜だ」

 訳の分からない生き物がここにも一人…
 酷い言葉を投げ付けたにも関わらず、それを責めるでもなく、平然とこんな事が出来る『あかり』って一体何なんだ?

「次は女の穢れ攻撃〜。ほーらほら、一杯キスしちゃうぞ〜」

 なに?と思う間も無く、女は人の顔に接吻の雨を降らせてきた。ぼくの顔から、ちゅちゅっと音が聞こえてくる。
 初めは他人事の様だった。一瞬茫然とし、そして次には全身を鋼にしてその場から逃れようともがいた。

「や、やめろおお!やめてくれええ!なんでだ!?どうしてお前はこんな事が出来るんだああああ!」
「『何でこんな事をするんですか?あかりさん』って、そう言えたら教えてあげる」
「わ、分かった。な、なんでこんな事が出来るんだ?あかりさん!」
「するんですか?…でしょ?間違ったから罰としてこの笛を吹いてね?」
「なにい!き、汚ないぞ!初めからそのつもりだったな?!」
「汚なくないモーン。らせつちゃんが間違ったからいけないんだモーン」

 くっそお!ちくしょお!
 ぼくの背後を取った女はすっかり余裕だ。言葉からしてもそれが伝わってくる。
 背中からお腹にかけてしっかり抱きしめられ身動きが取れない上に、もがいて逃げようとすると途端に接吻攻撃を仕掛けてくる。
 卑怯だ!こんなやり方ってあるものか!

「一つだけ教えろ!何でぼくにこんな事を強制する?笛を吹く事で、お前にどんな良い事があるんだ?!」
「それも吹いたら教えてあげる。さあ、らせつちゃん絶対絶命のピンチです。この後どうしますか?私はず〜〜〜っとこのままでもいいですよ?」
「くっそう!卑怯者!分かった!分かったよ!吹けばいいんだろ吹けば!」

 もはや諦めるしか仕方無かった。これ以上、顔面を唾液まみれにされてはたまらない。
 ぼくは傍らに置かれたその笛を掴むとおもむろに口にくわえ、女がやった様に息を吹き込んだ。

 ぴ〜〜〜ぴゅろろろろろろ……

 もの凄く間抜けな音が洞内に響いた。その途端、女の戒めが解かれた。
 慌ててその場を逃げ出すと、袖口で何度も何度も自分の顔と口を拭った。

「はい、よく出来ました〜。らせつちゃんえらいえらい!」
「……さあ、約束だ。一体どういう事なのか説明して貰おうか」
「…腹が立ったから。だからこんな事したの。それが半分」
「…な……に?」

 そう告げた女の顔は無邪気そのものだった。そんな素顔のまま、相変わらずの笑顔を浮かべていた。
 単にぼくをからかっているんだと思いたかった。そう決め付けてやりたかった。
 けど、くやしい事に、その表情からはそんな思惑は微塵も感じられなかった。そして、それがぼくの神経を余計に逆撫でた。

「何に腹が立ったというんだ?女は穢れているって言った事か?」
「そう。だって、らせつちゃんだってお母さんのお腹から生まれてきているんだよ?穢れてるなんて、そんなの思い込むのは勝手だけど、女である私に直接そういう事を言ったのは許せなかったの。らせつちゃんだって、私が『男は穢れてる』なんて言い放ったらやっぱり怒るでしょ?」
「そ、そうかも知れないが、そんなの誰でも言う事だろうが!それに、ぼくのご支配様はいつも女に対して…」
「誰が言ったかなんて関係無いの!そういう事は間違っているって言ってるの!少なくとも、らせつちゃんがお母さんという女性から生まれてきているんだから、女性を否定するという事はそのお母さんを…そして、自分自身を否定するのと同じなんだよ?そんな簡単な事が、どうしてらせつちゃんには分からないの?」

 勢いに押され、ぼくは返事に詰まっていた。そう言ってくる女の目は厳しく、こちらを射貫く鋭さがあった。
 それでいながら、それは爆発させた感情ではなかった。凛とした姿勢を崩さず、包み込む様に諭す暖かさがあった。
 ご支配様とは違う、それはまた別の親しみだった。

「……じゃあ、もう半分は?」
「…可愛いと思ったから。だかららせつちゃんにキスしたりしたの。それがもう半分」
「……ぼくが……可愛いだって?」

 そう言われたのは初めてでは無い。なにかにつけ、ぼくに取り入ろうと御為倒しに近づいてくる女から何度も聞いた言葉だった。
 けど、この女は何処か違った。理由は分からない。そして、感情的にそれを認めざるを得なかった。

「うん。可愛いって思うよ。理由はよく分からないけど、らせつちゃんにはそうした気持ちにさせてくれる雰囲気があるの。周りの人を遠ざける雰囲気を一杯に持っていながら、その内は人を惹き付けたい惹き付けたいって言ってる様に思えるの。だから、どんなに酷い事言われても、私はらせつちゃんならって許せたんだと思う。こんな話、らせつちゃんには難しいかなぁ?」

 急に恥ずかしくなって、ぼくは顔を背けていた。女の表情が、厳しさから元の笑顔へと戻ったからだった。
 邪気の無い、真っ直ぐな笑顔。今のぼくに、それが跳ね返せるとは思えなかった。
 そして、女が再びぼくの背後に回り、ゆっくりとその手を回してくるのを感じていた。
 さっきの様な拘束ではなく、そっと包み込む様な、それは優しい包容だった。
 そしていつしか、その行為を受け入れている自分を冷ややかな目付きで眺めている、そんなもう一人の自分を感じていた。

『…何故、その女を殺さない? ワシの言い付けが守れぬか? 帰してはならぬ。生かしてはならぬ!つまらぬ種を後に残す事は許されぬ!殺せ。殺せ。殺せ。殺せ!殺せ!殺セ!殺セ!コロセ!コロセ!コロセ!速やかにコロセ!!』

 命令が来た。絶対に逆らえない、自分の存在の全てと言ってもいいその命令が。
 ぼくは向き直ると、女にゆっくりと告げた。

「もう一つの約束だったよね?それじゃあ、勾玉を見せてよ」

 その言葉に笑顔で頷く女を眺めながら、自分の顔に再び薄笑い広がっていくのをぼくは感じていた。


「彼岸花 −後編−」 へ続く.....


[トップメニュー] <-> [二次小説の部屋] <-> [彼岸花 −前編−] <-> [彼岸花 −中編−]