20000Hit & 第2TASMAC-NET創設一周年記念 〜 「浩之とあかり」番外編 〜
あたしはあたし 〜 最終章(後半) 〜
誰も居ないその場所にあたしは立っていた。ううん、人はおろか、全てのものが消えてしまっていた。
壁際には食器棚や冷蔵庫があっただろう影だけが残っている。そして今、あたしが居る場所には食卓があった。
お呼ばれした時、あたしは必ずと言っていい程食器棚を背にして座っていた。そこからなら頼まれてお皿やカップを取り出せるし、なによりも孝治君の隣だったから。
『横じゃなくてさあ、正面の方に来いよ』
何度そう言われても、あたしはこの場所から動こうとしなかった。だってテーブルを挟むよりも、より近くで孝治君を感じたかったから。
やがて、その場所はあたしの特等席になった。お呼ばれして、ご飯を頂く時は必ずそこに来賓用の食器が並べられた。そして「これ、志保ちゃん用にね」とわざわざおばさんが買ってくれた赤い奇麗な塗りのお箸が置かれていた。
そうやって孝治君とそのお母さん、そしてたまに早く帰ってきている孝治君のお父さんと交される暖かい会話の数々。
いつも自分から喋り過ぎちゃって、後から孝治君に怒られたりもしたけれど、とっても楽しかったそうした時間。
まるで家族同然に迎えてくれた、孝治君とそのご両親。
けど、それらがまるで幻だったかの様な今の光景。
あたしは言葉も無く、ただ立ち尽くすだけだった。
『上がってこいよ。いいもの見せてやるからさ』
そう言われた気がした。でも、そんな訳が無い。台所を見ただけだってそれは分かる。
けど....
行かなければいいのに、落胆するのが分かっているのに、それでもあたしは二階に駆け上がる。そして...
「....ある訳無いよね。そんな都合のいい話なんてさ...」
見たく無かった。けど、見てしまっていた。
いつでも暖かい時間を過ごせたその部屋は、単なる無機質な空間へと変っていた。
埃と綿ゴミと、家具が置かれていた痕であるへこみが残るただそれだけの場所に、あたしは僅かな望みを探して歩き回った。
でも、そんなものが残っている筈が無い。だって、かつてこの部屋に居た男の子は何も言わずにあたしの前から平気で居なくなれる位だから。
カサリ
足の下で紙クズが音を立てる。無意識のうちにそれを拾い上げ、そして目を通した。
『志保。危ない目にあわせてしまう所だった。本当にゴメン』
読み終わって気付いた真新しい白い紙。その中に、たったそれだけ。
けれど、今のあたしにはそれだけで全てが理解出来た様に思えた。
そして、その次に込み上げてきたもの。
それは自分でも驚く程、純粋な怒りそのものだった。
「...なによ、一人で格好付けちゃって...結局、あんたはこっから逃げ出しただけじゃないか!」
ビリビリとそれを破り捨てると、膝を付いてその場に突っ伏した。楽しかった日々が次々と、そしてグルグルと頭の中を駆け巡っていく。
好きな人に見捨てられる。それがどんなに辛い事かを、この時あたしは初めて知った。
こんな気持ちは持ち帰りたく無い。
赤ちゃんみたいだと思いながら、あたしはその場で泣き続けた。
◇ ◇ ◇
水平線が、どこまでもどこまでも続いていた。
その端から端へと見渡すと、ゆっくりとなだらかなカーブを描いているのがよく分かる。地球が丸い証拠だなんて誰かが言ってたけど、こうして眺めていると本当よねぇと改めて実感していた。
そして、何でこんな所に居るのかなあとも思っていた。
目の前の外海は内に比べて波が高く、所々に白い波頭が立っている。あれだけの数がその勢いのままこっちに押し寄せたなら...
そんな事を考えて、ブルッっと身体が震える思いだった。
『全くオメーは物事よく考えずに直ぐ無茶するんだからよ。少しはオレみてえに落ち着けっての』
『何えらそーに言ってんのよ。別にいいじゃない。思い立ったら直ぐ行動。これがあたしのポリシーなんだから』
そんなやり取りをヒロとしたのはいつだろうか。覚えている筈も無かった。
『へいへい、まあ別にいいけどよ。周りにだけは迷惑かけんなよな』
『かっわいく無い言い方するわねえ。誰がいつ迷惑かけたってのよ!』
今、こうしてかけてるじゃない。本当に馬鹿な女...
不意に熱いものが頬を伝った。こんな姿、人には見せられないわねと思いながらも、あたしは流れるにまかせていた。
膝を抱えて座っている今の自分。まるで迷子の子供だった。でも、ここならしばらくは誰も来ないし、それもいいかもしれない。
そして、これが欺瞞だってのもよく分かっている。
結局は待っているだけだった。ここに居る事はきっと皆にも分かっている。自分はそれに甘えているだけだった。
それに、誰に迎えに来て欲しいかも.....
甘えたい。それが今の本音。そしてもしあいつが迎えに来てくれたのなら、あたしはきっと、この気持ちを抑えられないに違いない。
嫌な女と思われたっていい。その場限りだって構わない。今のこの気持ちを、せめてこの気持ちだけでも伝えたい。
「志保!」
その声におもむろに振り向いた。目の前に、その姿はあった。
心の底がチクリとして、あたしは振り向いた顔をゆっくりと戻していった。
「志保どうしたのさ。いきなり沖の方へ泳ぎ出していくんだもの。ビックリしたよ」
「.......」
「あ、さっきの事かな?だったら気にしないで。あれで話は付いた筈だから。もう大丈夫だよ」
「..........」
「だから戻ろう。もう少し落ち着いてからでも」
そんな言葉を聞きながら、掌でゴシゴシと自分の顔をこする。
いつのまにか、雅史はあたしの横に腰を降ろしていた。
「....馬鹿よあんた。あんなんで解決したって本気で思ってるの?」
「多分..としか言えないけどね。けど、これで五分五分にはなったと思うよ。普通ならこれで終わりにするんじゃないかな。もう顔を合わせる事なんて殆ど無い訳だしね」
「...そうよね。そうかもしれない...」
それっきりだった。あたしも雅史も、黙ったままその場に座っていた。
昼の日差しはより強く、時折吹く風の冷たさと、触れ合う肩からの温もりがやけにはっきりと感じられる。
ゆっくりと、あたしは口を開いていた。
「雅史、覚えてるでしょ?....去年、二人で約束したこと...」
「........」
「あたし、やっぱりあんたの気持ちには応えられないよ。この一年あんたの事を見てきて、それが本当によく分かった」
「...それって、僕に問題があったって事?」
「.........」
そんなんじゃない。そんな訳が無い。
あたしなんかには勿体な過ぎる男だってのが、この一年で十分過ぎる位によく分かったってだけの事。
だから原因はあたしにある。結局は、嫌気が差す程に未練たらしい女だってのが自分でも理解出来ただけ。
「『一年間だけ猶予が欲しい。その間に僕という男を見定めてくれ』って言ったのよね。正直、あんたに好かれる女の子は本当幸せだと思う。きっといつまでも、ずっと大事にしてくれるんだって思う。そして普通の女の子なら、そんなあんたの素直な気持ちに感謝こそすれ蹴っぽったりなんかしない」
「.........」
「でもね...でも、駄目なのよ。あたし素直じゃないから、だからあんたのそうした気持ちを受け入れられないのよ。そりゃ、もしかしたらとも思った。一年もあるんだから、その間にあんたを好きになれるかもしれないって考えた。マネージャーにだってなってみた....でも、駄目だった」
「.........」
「あたしは、結局あんたに無駄な時間を使わせてしまっただけなのよ。だからもう終わりにしたいの。分かるでしょ?..これ以上、あんたにそんな時間を過ごして欲しく無いのよ」
あたしは気力を振り絞って雅史の顔を見つめていた。事ある毎に、そうした気持ちをさり気なく何度も伝えてはきたけれど、今日初めて、はっきりと自分の気持ちを口にした。
あたしは、雅史のパートナーにはなれない。
本心からはどこか外れた所にある今の自分を感じながらも、あたしにはそれを言う義務があると思う気持ちが強かった。
「...僕は、これまでの時間が無駄だなんて思って無いよ。一度もね。そして、これからも」
「雅史!」
もういい。もう沢山!
そうしたあんたの優しさを見せつけられる度に、あたしは痛い程自分のみじめさが痛感出来る。
逃げ出したい。そして、逃げ出した。
『結局、あんたはこっから逃げ出しただけじゃないか!』
不意に響いた自分の言葉。ハッとして思わず動きを止める。
同時に、強い力に身体が包まれた。
「ま、雅史?ちょっと何を!」
そんな言葉は一瞬にして遮られる。あたしは彼の腕にしっかりと抱き締められると、不意に唇を奪われていた。
雅史との初めてのキス。それは全く突然で...そして、熱い程の彼の温もり。
逃げ出そうと腕に力を込めるけれども、まるで当然かの様に押し返される。でも、でも嫌じゃない。そして、次第に身体の力が抜けていく。
その身の全てを彼に預け、そっと目を閉じていた。
まるで永遠とも思える間、あたしその温もりに包まれたままだった。
「.....志保」
そんな言葉で目が覚める。いつの間にか、あたしは解放されていた。
身体全体に、そして唇に、温もりが余韻として残っていた。
でも....
バシイ!
「志保!一寸待って!」
「放して!放しなさいよ!」
猛然と暴れた。けど、全てがことごとく押さえられてしまった。
普段だったらやんわりと宥められる筈が、この日は全く違っていた。
あたしは両手首を掴まれたまま、彼と見つめ合う格好となった。
「....ひ、卑怯よ。いきなり、いきなりこんな事するなんて!」
「ごめん志保。でも、僕は諦められないんだ。こんな形で終わりにしたくない。今は駄目でもいつか必ず志保の口から『うん』って言わせたい。そう言って貰いたいんだよ」
「だからって、だからっていきなりこんな...何で。何であたしなのよ!あんた位の男なら、あたしなんかじゃなくたっていくらでもいい子掴まえられるじゃない!あたしじゃなくてもいいじゃない!」
そんな時、雅史の両手がスッと伸びると両頬を包んできた。そして、背けようとした顔がゆっくりと持ち上げられ、雅史と向かい合う。
それは穏やかな..そしてこんな場にそぐわない程の優しい笑顔だった。
「....好きだから。僕は志保が好きだから。中学の時からずっと見てきて、いつかは気持ちを伝えたいって思っていたから」
「........」
「それに、僕は志保じゃなきゃ嫌だから。だから...」
「....ひ..卑怯者..こんな...こんな時にそんな事言うなんて...言うなんて...う..うう..ううううう〜..」
正面に雅史が居るのに、あたしは涙が止められなかった。自分でそれを拭う事も出来ず、そんな表情を彼に見せ続けた。
やがて頬から手が離れると、雅史はその胸へとあたしを導びき、両腕の中へと覆い包む様に抱き締めてきた。
あたしはもうどうしたらいいか分からなくなって、その胸を濡らし続けていた。
そして、思った。
結局は、恋なんて初めっから自分の思い通りには出来ないものなのかもしれない。少なくとも、あたしの場合はそうだった。
だからこそ、あたしはあかりが羨ましかった。自分の気持ちを一途に持ちつづけて、そして思いの人に気持ちを伝えられて、結ばれて、そして、この先もきっと...
けど、それはあかりならではの幸せの形。
なら、私の幸せはもしかしたら自分が望む形ではない所にあるのだろうか。それが今は認められなくても、いつか素直に受け入れられるものなら....
一寸した事で簡単に崩れる自分の決意。複雑な様でいて単純過ぎる自分の心。
そして、そんな気持ちを引き起こさせた雅史が憎らしかった。本当なら、このまま顔を上げてもう一度ぶんなくってやりたかった。
けど、今はまだいいのかもしれない。少なくとも、そう思える心があたしの中にはある。
さっきよりは落ち着いた気持ちの中、あたしはその胸からゆっくりと身を起こしていった。
◇ ◇ ◇
孝治君が居なくなって、もう一年が過ぎようとしている。
あの頃遊んだ草っ原はすっかり住宅地として生まれ変わり、それに伴って周りの森や林も次第に伐採されていく。きっとあと一年もすれば、それらはすっかり無くなってるに違いない。
目で見えるものはどんどん変っていく。結局変らないのは、胸の中にある記憶だけ。
そしてあたしは、その甘い思い出だけをひっそりと胸の中に仕舞い込んで、今日も元気な小学校生活を送っている。
あの頃との違い。それは男の子との距離が少し遠くなった事ぐらい。単なる友達なら沢山居るけど、本当に好きな...となるとまた全然別の話。
けど何が困る訳でも無い。それに正直、こうした気持ちは面倒くさい。そんな事考えなければ苦しむ事も無いし泣く事も無い。
だから、それはそれでいいのかもしれない。
◇ ◇ ◇
「いよぉ〜お二人さん。島まで来てお楽しみだねぇ」
その唐突な声に思わず身を固くした。予想していた通り、やっぱり話は付いていなかった。
あたしは身構えながら、声の方に目を向けた。既に雅史が対峙していた。
「さっき、もう僕らには関らないって言ってくれたよね。約束を破る気かい?」
「まあそう固い事言うなよ。これも何かの縁ってヤツじゃねえか。折角こうして知り合ったんだ。それにあんだけ貰っといてこちとら何も返さねえってのもワリイと思ってよ。で、一応ボートなんかを持ってきたって寸法さ。こっからの帰りにまた泳いで行くってのはシンドイだろ?ふ、俺ってば何て優しいヤツなんだろうねえ。そう思わねえか?」
「.....遠慮しておくとも言っただろ?もう一度言うよ。二度と僕たち付きまとわないでくれ。君だってこれ以上関った所で意味が無...」
その時、いきなり相手がこちらに突っ込んできた。ハッとする間も無くバシッと音がしたかと思うと「ぐっ」と声を漏らして雅史が後ろに転がる。
そして、まるでスローモーションでも見るかの様に背後のコンクリート台座に身体を打ちつけていく姿が目に入った。
一体何が起こったのか、あたしは一瞬理解出来なかった。
「ま...雅史!!ちょ、ちょっとあんた何てことすんのよ!相手ならこのあたしにしなさいよ!」
「へへへ、当然そうさせて貰うぜ。まあその前に、この甘チャンに現実の厳しさを教えてやりたくてよ」
あたしは雅史の元に駆け寄った。
既に起き上がってはいたものの、台座に背もたれて座ったままだ。手の裏で殴られた頬こすりながらも、その目は相手をジッと見据えている。
「不意打ちとは卑怯なやり方だね。それとも仕返しのつもりかい?」
「ぬかせ。そのアマと同じ事をしただけだ。それに仕返しなんてもんじゃねえ。テメエが邪魔だからぶっ飛ばしただけよ。俺はそこの活きのいいのと二人だけで話がしたかったもんでね。関係ねえヤツはスッ込んでろや」
「いい加減にしなさいよ。これ以上酷い事するなら、あんたの宿に訴えるからね」
「へへへン、出来ンのかよ。オメーみてえな小娘によ」
言うと同時に、腰からつり下げていたものをパチンと広げた。見るまでもなくそれは折り畳み式のナイフだった。
刃渡りにして10センチはあるだろうか。小型でも、いかにも切れそうな鈍い光を帯びている。
甘かった。今となってはそれを認めざるを得なかった。
「やれるものならやってみな。もっとも俺とのお話し合いが済んで、まだその気があるならな。ヘヘヘ、今まで俺とお話し合いした女どもは全員おとなしくなって皆すごすごと本土へ引きあげてったぜ。テメエより気ィ強えのも居たけど、そいつ最後は自分からケツ振ってたっけなあクックククク」
「初めっからそのつもりだったのね!それでいながら気のいい雅史から金まで巻き上げて....どこまで汚い男なの!」
「くれるってんだから貰うのが当然だろうがよ。それに単なるお話し合いだ。別に減るもんでもねえだろうが。今度こそ全部チャラにしてやっからよ。どうせオメーだって普段から遊んでンだろ?経験が一人増えるってだけじゃねえか」
「あたしはあんたとは違うのよ!好きでも無い男に誰が許すもんか!!」
今日という日まで、あたしにはそうした機会が全く無かった。
違うか。機会そのものはあったのかもしれないけど、自分からあえてそれを拒み続けてきたんだ。
興味が無かった訳じゃない。けど、一時の気の迷いで失っていいものだとも思っていなかったから。
それに、乙女チックかもしれないけど、初めてはやっぱり好きな人に捧げたい。こんな男に暴力で無理矢理奪われる位なら、死んだ方がマシだった。
「なんだあ?随分ケツの青い事言ってやがンなあ。もしかしてバージンか?まあ、そんなのチョチョイと調べりゃ直ぐ分かるこったがよ」
さっきのニタニタ笑いを復活させながら、勝ち誇った様にナイフ片手に近づいてくる。
逃げようにも後ろは瓦礫に囲まれて行き場が無い。台座の階段部分は潰されてしまっていて、高さが2M以上もあっては素早く登るという訳にもいかない。つまりは全ての退路がガマガエルに押さえられてしまっている。
絶体絶命とはまさにこの事だった。あれこれ考えても悲観的な結論しか出てこない。
こんな時、ヒロが居てくれたなら...
そう思っていると、突然ズイッと雅史があたしの前に出た。
「雅史ダメ!出てこないで!」
「おーおー色男さんやる気かよ。勝てねーんじゃなかったのか?それにテメーのアマがああ言ってんぜ?それ以上ケガしねーうちにおとなしく引き上げた方がいいと思うけどなあ俺ぁよ」
「......」
「人が親切で忠告してやってのに何ムシぶっこいてンだよ。何とか言ったらどーなんだ!それとも脅えて声も出ねえってか?」
あたしは雅史の背中を見つめていた。コンクリートの台座にぶつけたその部分はすっかり青アザやすり傷となり、所々に血が滲んでいる。
痛々しかった。これ以上彼に傷は付けてはいけない。秋の大会出場に支障があっては駄目。そして、そしてあたしの為に、こんなあたしの為に自分の身を張ってくれた男性にこれ以上迷惑なんかかけられない!
あたしはガマガエルに向かって叫んでいた。
「分かったわ。お願いだからもう止めて。あたしはここに残る。だから、だから雅史だけは帰してあげて」
「ヒョオ!やっと自分からその気になったってか?いいねいいねえ。たっぷりと可愛がってやっからよおヘッヘヘヘヘ」
「その代わり今度こそ約束守りしなさいよ。雅史にはもう手出ししないって」
「さっき言ったろ?男に興味はねーんだよ。さっさと持ってきたボートで浜にでも帰るんだな。女の方もしばらくしたら返してやっからよクッククククク」
目の前が真っ暗になる思いだった。こんなヤツが、これがあたしの初めてだなんて.....
けど、そうであったとしても、あたしにとっては雅史が大ケガする事の方が堪えられなかった。
修学旅行で告白してきて、それからは何かとあたしを気遣ってくれた雅史。我が儘なあたしにいつでも付き従ってくれた雅史。落ち込んだ時には励ましてくれて、楽しい時には一緒になって笑ってくれた雅史。そして、そして付き合いながらも振ってしまった初めての男性。
今にして思えば、これ程にあたしにふさわしい相手は他に存在しなかったのかもしれない。
こんな事なら、あたしの方から迫っていけば良かった。雅史はそうした事に疎いから、あたしから誘わなければ駄目だったんだ。
くやしさに目頭が熱くなってきて、あたしは目を擦りながら思わず鼻をすすっていた。
「大丈夫だよ志保。僕が必ず守ってみせる」
え?
それはあたしにだけ聞こえた小さな声。でも、自信に溢れた頼もしい声。
そして、そう思える事が、今は何だか不思議だった。
「折角だけど、それは願い下げだね。第一、僕一人だけノコノコと戻るなんて出来る訳が無いよ」
「ああ?何だまだ抵抗する気でいるのかよ。諦め悪い男ってのは女に嫌われるぜ?」
「どうかな?少なくとも君よりは好かれると思うけどね」
ブン!
男は雅史の顔目掛けてナイフを振り回す。すんでの所でそれをかわすと、雅史は両手を大きく広げてあたしをガードする体制を取った。
「目の前で恋人が危い目にあっている。自分が逃げれば当然恋人は性的に暴力を受けて酷い目にあう。そんな時、恋人たる男がすごすごと黙って逃げだすなんて、本気で考えているのかい?」
「へ、俺はそういう連中ばっか相手にしてきたんだよ。帰っていいったら喜んでそうするヤローばかりだったぜ?結局はどいつもこいつも自分の身が可愛いって事だろうが。まあ、最初はイキがってるのも居たけど、死なねえ程度に突っついてやったら直ぐおとなしくなったぜ。オメーにも試してやろーか?」
「試してみなよ。世の中、そんな男ばかりじゃないって分かるから」
次の瞬間、ガマガエルはパパパと雅史目掛けて突きを入れてきた。みるみる間にその部分が薄く開き、肩、胸、そして頬に赤い筋が流れ出る。
あたしは思わず叫んでいた。
「やめてー!手を出さないって言ったじゃない!」
その声を制す様に、雅史はさらにズイと男の前に歩み出た。さっきと同じに両手をさらに広げて、完全に無防備であるかの様にあたしの盾となっている。そして、また小さな声が届いた。
「僕を信じて。必ず何とかなるから。今だけは僕の言う通りにして」
ピンと張った強く優しい声。こうした時の雅史なら大丈夫。あたしは「分かった」と素直に従った。
「ほお〜、口先だけじゃねえって事かよ。第一関門はクリアってか?でもお次はどうかだかな。今度は筋肉にズブリといくぜ。どこまで耐えられるか楽しみじゃねえか」
「君ってサドの気もあったんだね。知らなかったよ」
「へへへ、洒落の一つも言ってみりゃいいじゃねえか。ここが佐渡だからとかよ」
言うと同時にまた突っ込んでくる。危な...
「横に飛んで!」
言葉を理解するより先にあたしは飛んでいた。
「ぐわ!」 ドサッ!
「志保!ナイフ捨てて!早く!」
一瞬にして起こった事を、あたしは見逃していなかった。
相手がナイフを突き入れる一瞬、雅史はスライディングの要領で相手の懐に潜り込むと、その足筋目掛けて強烈なキッキングを見舞っていた。
雅史の鋭いキックをモロに急所に受けた相手がただで済む訳が無い。ガマガエルはその場に転がり痛がっている所を雅史に押え込まれていた。
それでもナイフを放そうとしない腕に、あたしはつかみ掛かっていた。
「があああ!何しやがんだ!」
「そっちこそ何すんのよ!いい加減放しなさいよ!」
ナイフを握る手を押えながら何度も何度も踏み付ける。それでもガマガエルは粘っていたけど、我慢も時間の問題だ。
やがて抗し切れなくなったのか、握る力が弛んだ。それを見逃さずナイフをもぎ取ると、思い切り海へと投げ入れた。
「うぉぉぉぉおおおおおお!この野郎ぉおおおああああ!」
ポシャンという音が聞こえる間も無く、ガマガエルは信じられない力で雅史を振り切ると、今度はあたしに襲いかかってきた。
しかし雅史が背後から足を取ると、再び地面に叩き伏せる。
「放せ!放せこの野郎!」
「志保この隙に逃げて!早く!」
「ま、雅史は?」
「僕はいいから!早く!」
ガマガエルは残った方の足でしがみ付く雅史の顔面にケリを入れている。確かにこの隙に逃げれば砂浜には戻れるかもしれない。けど、それでは雅史が置いてきぼりになる。
あたしが居なくなった後がどうなるか...それは火を見るより明らかだった。
後で雅史に怒られるかもしれない。けど、あたしの心は既に決まっていた。
「雅史に何すんのよ!」
ケリを入れている足に思わずしがみついて止めると、次は太股へ力任せに噛みついた。同時に野獣の咆哮を思わせる叫び声が上がる。相当効いてる様だ。
いける!もう少し痛め付ければ、きっと二人で逃げ出せる。
「ざけんなあ!やられっぱなしでたまるかああ!!」
甘かった。
一瞬の隙をガマガエルはゴロゴロと強烈に転がると、あたしと雅史を振り切った。次の瞬間、あたしの顔面目掛けて鋭いケリが飛んでくる。
ツーンとした痛みを鼻の奥に感じ、口の中に血の味を覚えた。横を見ると雅史も同様で、さっきの蹴りもあってか荒い息を吐いている。
それでも起き上がれない程じゃない。起き上がると互いにガマガエルとの間合いを取った。
雅史しては鋭い威嚇する様な目つき。それを見たあたしも習う。
「二人してよくもやってくれたじゃねえかよ。けどよ、ナイフなんか無くたってテメーら二人相手にする位ワケぁねえぜ。遊びはここまでだ。ヤローはブッ殺してテメーは絶対に食らってやっからな!」
「やれるもんならやってみなさいよ!あたしだって殺されようとあんたなんか絶対にお断りだわ。逆に食い千切ってやるんだから!」
「そいつは楽しみってもんだぜぇウラあ!」
また襲いかかってきた。逃げようとした瞬間、それまで無言だった雅史が猛然と相手の腰にタックルをかけた。
「雅史それは駄目!」
遅かった。ガマガエルは待ってましたとばかりに飛びついた雅史に膝蹴りを入れる。
飛び付いた格好のまま、崩れ落ちていく雅史の姿が目に入る。無情にもそんな背中をドカッと踏みつけ、そいつは喜色満面の顔を見せ付けてきた。
「はー、はー、はーっはははは。待たせたなー。テメーの色は沈んだ。ここには俺達二人だけって事だぜ」
もはや打つ手は無かった。退路は相変わらず閉ざされたままだし、雅史は完全に気を失っている。女のあたしがいくらあがいた所で、ガマガエルに勝てる確率は万に一つも無かった。
それでも、そんな絶望的の中だからこそ、あたしは一つの決意を口にした。
「.....触らせない...」
「ああ?何だって?よく聞こえねえなあ」
「あんたなんかには触らせない。この身体は絶対に触らせない!触っていいのはそこにいる雅史、彼だけよ!」
それは、初めて口にした雅史への本当の思いだったのかもしれない。
こんな状況の中でも、負けると分かっていても、雅史は決して背中を見せなかった。それが自分の恋人を守りたいという理由であったとしても...ううん、あたしという他人の為にそこまで身体を張ってくれたという事実、それが何よりも嬉しかった。
それなら、あたしだってそれに全力で応えなければならない。例えそれが命を賭ける事になったとしても。
雅史が守りたいと思ってくれたもの。それを今、あたしも守る!
「へへへ、いいねえモテモテ君で。こんな優男のどこがいいんだかよ。俺の方がお前を喜ばせてやる自信があるんだぜ?」
「あんたなんかには分からないわよ。一生ね。人を愛する事がどういう事か、愛されるというのがどういう事か、初めから知ろうともしない、そんな人に負けるもんですか!」
「その強気な口もそれまでだ。いくぜオラ!」
そう言ったかと思う間に突進してくる。あたしは全力でそれをかわした。
「中々やるじゃねえか。けど次はどうだぁ!」
今度はフェイントをかけながら突っ込んできた。あたしは台座を背に身構える。ガマガエルはそんな状況にニヤリとすると、あたしの両腕を掴んで壁に押しつけた。
「掴まえたぜ。あっけなかったなあ」
「そう思う?じゃあ、こんなのはどうかしらね」
「なに?...ぐああああ!」
掴まえる事に頭が一杯のガマガエルはその後の防御を怠っていた。あたしはその体勢から頭突きを入れ、次に右足膝を思い切り繰り出す。目から星が出たけど、それはどちらも急所に決まった。
「雅史の痛み、思い知ったか!」
「ざけんなあ!逃してたまるかあ!」
痛みで堪え切れない筈なのに、ガマガエル掴んだ両腕に尚も力を入れてくる。そんな相手に止まる事無くあたしは何度も何度も膝を入れ続けた。
沈め!沈め!沈めええ!
相手が膝で返してくれば、今度は頭突きを繰り返す。そうしているうちに自分の額がヌラッとしてくるのが分かった。
少し前のあたしなら、もうとっくに気を失っていたかもしれない。それでもまだ意識を保っていられたのは雅史のお陰に他ならなかった。
逃げてたまるか。逃げてたまるかあ!
呪文の様にあたしはつぶやき続けた。
◇ ◇ ◇
中学に上がったばかりの頃、あかりに紹介される形でそいつに初めて会った。
何だか憎たらしいと一寸思っただけで、それ以外は別に何も感じなかった。
けど、そいつと一緒に遊んでいるうちに、あの時の気持ちが再び蘇ってくるのを感じ、そして、自分の心がまたときめくのを嬉しく思っていった。
けど、それは既にかなわないものなんだって事に、直に気付いた。
あかりという一番の親友。その存在があったから。
けど、もし立場が逆だったならどうしたろう。昔からの幼馴染で、付き合ってる訳じゃないけど仲が良くて、それがずっと続いていて。
そんな中で、中学であかりと知り合って、ヒロを紹介して、そしてあたしが知らぬ間に二人はいい仲になっていって....
でも、きっとそうなっただろうなって今は思う。だって、それが一番自然だから。
二人一緒に居て、肩肘張らなくて済むというのは一番大きな事だから。
そして、そう考えられる様になってようやく気付いた事。
孝治君は、きっとどっかであたしにプレッシャーを感じていたんだなって事。
結局は、あたしが勝手に浮かれていただけなんだなって事も。
自分の中にある孝治君。それが次第に霞んでいくのを他人事の様にあたしは感じていた。
◇ ◇ ◇
「よ、何やってんだこんな所で。昼飯ずっと待ってんだぜ」
半ば意識が薄れてきた頃になって、まるで夢見心地の様なその言葉があたしの耳へと響いてきた。
そして次の瞬間、身体中の意識が急速に覚醒していくのを感じていった。
「な!誰だテメエは!」
「...ダチにケガさせる野郎に名乗る名前なんかねえよ。うらあ!」
「てめ..があ!!」
ヒロの腰を入れたパンチがガマの顔面に見事に決まり、グリンと頭が弾かれる様に動いたかと思うと次にはズルズルとあたしの前に崩れ落ちた。
その安堵感に身体が先に反応し、あたしもその場にペタンとお尻を付いていた。
「おい志保!大丈夫かお前?」
「だ、大丈夫...だと思う。そ、それよりヒロ!雅史の方は?」
「ああそうだ、一寸待ってろよ。おーいあかりー」
え?とそちらを見ると、岩陰にコソコソ隠れているあかりが目に入った。ヒロの呼びかけで「も、もう大丈夫なの?」とゆっくり姿を表わしてくる。 「志保〜、雅史ち〜ゃん..ま、雅史ちゃん?...きゃーーー!」 そしてタタタタと駆け寄っていった。
思わずヒロを見上げると、さすがにこれはまずいと思ったらしく、あたしから顔を背ながらもタオルを渡してくる。
あかりがこれ以上悲鳴を上げない様、自分の額をタオルで押さえながら言った。
「ちょっと浩之クン?なんだってこんな危ない場所にあかりを連れてきたのかな?」
「あ、あいつも一緒に行くって大騒ぎしたんだよ。だから仕方無かったんだ。それでも荷物見てろって初めは言ったんだぜ。けど、何だか凄く胸騒ぎがするって言うからよ。同じ事オレも感じていたしな」
「じゃあ...やっぱりあの場所からずっと見ていてくれたの?」
「ああ、なんかボート屋で揉めてるなとは思ったけど、お前は直ぐに泳ぎに走っていたし、雅史も後ろからピッタリ付いてったから心配はねえかなと思っていたんだ。けど、あのボート屋が後になってからこっそり近づく様に鷲島に行ったから、こりゃあヤバいと感じてよ。すまねえ、もっと早くにオレが駆けつけていればこんなケガせずに済んだよな」
「ううん、そんなのはいいわよ。駆けつけてくれて嬉しかった。ヒロ、ありがとう」
「何だよ。今日はまた随分と素直じゃねえか」
「ふふ..まあ、たまにはね」
それだけ言うと、あたしはそのまま台座の壁に身体をもたれかけた。そして、先程のタオルでゴシゴシと顔を拭う。
汗と泥、そして額の血が混じってたちまち黒くなった。
雅史...あたし、守ったよ。
彼を介抱するヒロとあかりの姿を横目にしながら、あたしは後ろにコツンともたれ、何となく青空を見上げていた。
「...ざ..っけんなよ」
その言葉に思わず身を固くする。まさか!
けど、既に遅かった。
「きゃああああーーー!志保ー!」
「し、志保!この野郎、志保を放せ!」
「おっと待ったあ!一寸でも近づいてみろ。こいつの首を捻るなんざあ簡単だぜえ」
うかつだった。ガマガエルはまだ完全には沈んでいなかった。
あたしからタオルを奪ったかと思う間に素早く首に巻きつかれ、そのまま絞り込まれてしまっていた。その為あたしは呼吸もままならず、それでも何とか外そうと必死にタオルに爪を立てている有り様だった。
「9回裏奇跡の大逆転って所だなあ。おい!その優男を連れてテメエらはさっさとこの場から去りやがれ!俺の用事はこのアマだけだ」
「ざけんな!志保をいい様にされてたまるかよ。今度こそはテメエを顔面から沈めてやるからなあ!」
「やれんのかよ。こっちには人質が居るんだぜえ」
ガマガエルはさらにタオルを絞ってくる。「ぐっ」と声が漏れて、その苦しさに今度こそ意識が奪われそうになった。
気を失ってなるものか!あたしは必死に抵抗した。
「止めろ!志保に手を出すな!」
「なに?!テメエ沈んだ筈じゃ...ぐああ!?」
雅史?!
一瞬にして首への戒めが解かたかと思うと、次の瞬間、ヒロが飛びついてきた。
「この野郎!いい加減放しやがれ!」
ガマガエルの反対側からヒロがそいつの腕をガッシリと掴んで関節技をかけていた。
雅史はと見ると意識は回復したらしく、あかりに寄り添われながらもさっきの場所から身体を起こしてこの様子を見つめている。その時になって、雅史が石か何かを投げつけてくれたんだと気付いた。
表情がまだ痛そうだ。自分からは動けないのかもしれない。あたしは傍に駆け寄ろうとした。
「逃がすかああ!」
けどガマガエルはしつこかった。あたしの腕を掴んだまま放そうとしない。
「逃がさねえ。テメーだけは絶対逃がさねえ!」
「いい加減にして!形勢は逆転したのよ。さっさと負けを認めなさい!」
「本当にこのガマ野郎しつけえな。まだこんな力が残ってんのかよ!」
三者三つ巴でその場にのたうち回るの図。こうなるともう子供の喧嘩と変わらない。
それでもあたしは必死だった。尚も掴んでいる手を腕ごとブッたたき引っ掻き噛みつく。
そんな中、そいつの手首をグイッっと掴み捻る別の腕が目に入った。
「ま、雅史!」
「お待たせ。ごめん、途中で気を失っちゃって」
「そんな事どうだっていいわよ。もう、本当に馬鹿なんだからあんたは」
「志保だって同じだよ。折角逃げられるチャンスだったのに」
「だ、だってそれじゃあんたが...」
「二人とも後にしろよ!それと雅史、復活したんなら早くその手をひっぺがせ!」
「分かった。えい、この!」
そんな掛け声を出しながらガマの腕ごとクイと捻る。こちらも完全な関節技だった。
さすがに「ぐああああ!」と叫びを上げながらそいつはあたしから手を放す。素早くあたしは後ろへと下がった。
「くそお!ちくしょお!」
「んの野郎!暴れるんじゃねえよ!くっそー、縄でもありゃふん縛ってやるんだがなあ」
「せめて気絶させられればね。おっと!」
「雅史放すなよ!放したらまた志保に襲いかかるからな!」
「分かってる!絶対放すもんか!」
思い切り掴まれて青アザとなってる片腕をさすりながらも様子を見守るしか無かった。下手に手を出そうものなら、また巻き込まれないとも限らない。
相手の目的があたしである以上、火に油を注ぐ様なものだった。
「志保、お前はあかりと戻れ!こっちは男二人だ。どうにでもなる」
「浩之の言う通りだよ志保。早く浜に引きあげて!」
「...分かった。二人ともゴメン。この埋め合わせは必ずするから」
そう言ってあたしは背中を見せた。後ろめたさが無いと言ったら嘘になる。けど、これは逃げじゃないと自分に何度も言い聞かせた。
しかし、そんな状況を一変させる怒声が背後から響いた。
「うがあああああ!逃がさねえぞおおお!」
後ろを振り向くと、なんとヒロと雅史を引きずりながらも強引に向かってくるガマガエル必死の形相が目に入った。
このしつこさは賞賛に値するわねと思いながらも、逃げるべく正面を振り向いた刹那!
「志保ぉー!いま助けるからねー!」
その声の主はなんと...あかり!
しかも両手には到底手に余るだろうボートのオールを立てたまま抱え、まるで突撃する勢いでこっちに向かってくる。
本気で自分から突っ込んでいくつもりなの?!
硬直していると、背後から大声が響いた。
「志保、それ受け取って!!」
雅史の声。次の瞬間、あたしは向かってくるあかりをオールごと抱き締めていた。
勢いを急に押えられて、そのままキョトンとしているあかり。でも、直ぐにあたしが無事だって分かってくれたみたいで「し、志保?...良かった〜...」と涙目で応えてくれた。
「武器運搬ご苦労さま。あとはこの志保ちゃんに任せなさい」
「う、うん..でも私、いつの間にか持ってきちゃってたんだけど、こんなの本当に使っちゃったら....」
「心配ない心配ない。喧嘩は素人じゃないんだからさ。じゃあ下がっててね。あ、それと見ちゃ駄目だからね」
そしてあたしは踵を返していた。雅史とヒロの活躍のおかげで、そいつは再び押さえられていた。
オールを縦に、あたしはツカツカと歩み寄る。
「ま、待て!それで何するつもりだ!」
そんな姿を無言で見下ろした。表情にすっかり脅えが走っている。なんとも可愛そうな男だった。
そしてそれ以上に、こんな男を慕っている彼女が気の毒だった。
けど、それも仕方が無いのかもしれない。それが自分で選んだ道であるなら尚更だった。
「他人に危害を加えたり悪い事をしたなら、その相手からもキッチリ罰を受けるものなのよね。あんただってそれは例外じゃないわ。今からそれを分からせてあげる」
「ふざけんなああ!テメエみたいなアマ如きにいい様にされてたまるかあああ!」
「あんたに襲われた女の子は皆そう思ったでしょうね。少しは人の痛みってものを身体で理解すれば?丁度いい機会じゃないの」
あたしはゆっくりと振り被った。何処を打ち付ければいいかはヒロから聞いて知っている。使えない知識と思っていた事が変な所で役に立った。
「裁きの日到来ってやつだな。ま、じっくり往生しろよ」
「僕たちを敵に回した罰だよね」
「な、何いってやがんだテメエら!や、や、や、やめろおおおおおおおおお!」
まるでスイカ割りよねと思いながら、あたしはガマのその一点に向けて、加減しながらオールの柄を突き下ろしていった。
「あたしはあたし −エピローグ−」 へ続く.....
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