20000Hit & 第2TASMAC-NET創設一周年記念 〜 「浩之とあかり」番外編 〜


あたしはあたし 〜 第二章 〜






 一人で遊ぶのって、割りと昔から得意な方だった。
 小さい頃から向うっ気が強いって自分でも分かっていたから、身近な人と愛想笑いしてまで仲良くなりたいなんて思わなかったし、ましてや何をするにしても『お友達』を建前にして、トイレすら必ず全員が一緒に行かなければならない様な馬鹿馬鹿しい付き合いだけは絶対にイヤだった。
 事ある毎に、あたしはそうした連中に反発していた。だから、よく仲間外れにされた。でも、ちっとも気にしなかった。
 イタズラや物隠しなんかの陰湿なイジメにもよくあった。でも、そんなものは全然悔しく無かった。誰が首謀者かなんて直ぐに分かる。あたしの情報収集能力を甘く見ないで欲しい。
 だからそれが分かった時点で、ツカツカとその人の直前に歩み寄ると、パァンといきなり張り倒した。それだけで良かった。
 相手が目を白黒させているうちに、証拠をデンと突き付ける。言い訳する奴も居るけれど、最後にそいつはグウの音も出ない。それで終わり。掴み合っての喧嘩なんて男の子のする事。向こうが仕掛けてくるなら望む所だけど、女の子の間ではまずあり得なかった。
 逆に震えながら泣き出してしまう子が多くて、あたしはそうした姿を見る度に醒めた笑いが漏れた。
 泣く位なら初めからそんな事しなければいい。分不相応な事をするから泣きを見るのだから...

 結局、ずっと独りぼっちだった。でも、どうという事は無かった。意に添わないそんな連中とお仲間意識を持つ位なら、一人で居る方が全然いい。事実、あたしはそうだった。
 毎日、気の知れた人と教室の中で交わす軽い談笑。その程度でも満足だった。それだけでも結構楽しい時間を過ごす事が出来た。
 ネクラでは無かったし、騒げる時は大いに騒いだ。実際、あたしが居ると楽しいという事で引っ張り回される事も多かった。
 パーティー要員と同じ。そう思っていた。表面上の付き合いでしか無いと自分でも分かっていた。けど、別段空しさは感じなかった。
 所詮、自分と人とは考え方からして違うのだ。

 だから分かってくれなくていい。分かったつもりも必要無い。あたしはあたし。いつもの通りで構わない。

 そう思いながら、あたしは中学生になっていった。ここでも時間の過ごし方は変わらなかった。
 早々と出来た複数の仲良しグループ。休み時間毎に固まっちゃあペチャクチャ喋ってるそんな連中を横目に、あたしは思わずアクビを漏らす。
 何となく退屈な日々の予感。それがまたずっと続くんだと勝手に決め付ける。
 入学して直ぐの座席替え。そう、たまたま席の近くになった、その女の子から声を掛けられるまでは.....

「私、神岸あかり。あなたは何て言うの?」

 前席の子からいきなりそう言われた。でも驚かなかった。それは近くになったばかりのクラスメートにありがちなお決まりの挨拶。だからあたしも何気なく返事をする。
 え?あたし?あたしは長岡志保。カミギシさん..って、どういう字書くの?...

「えと、神様の神に岸辺の岸だよ。あ、でも言い難いから、あかりでいいよ。これからもよろしくね」

 あ、よろしく。あたしの事も志保でいいからね....
 そんな他愛のない挨拶。それはよくある事。大抵はそれっきり。今回もきっと同じ。
 そう思い込んでいた。

 けど、それは間違いだった。その事は直に分かった。

「志保、これ見て見て。とっても可愛いよね」
「たまには外でお弁当食べようよ。きっと気持ちいいよ」
「お母さんから名画座のチケット貰ったの。良ければ今度の日曜にでも一緒に行かない?志保と一緒に行きたいの」
「どうしたの?何か憂鬱な事?あ、分かった。今日のテストでしょ〜。私も同じだよ。だから一緒に頑張ろうね。まだ時間があるから、二人で問題の出しっこしようよ」

 神岸さん。ううん、あかりは、こんなガサツでズケズケ物を言う性格のあたしにも、何ら嫌な顔一つせず自然な笑顔で接してくれた。そして動こうとしなかったあたしに、いつも暖かい手を差し伸べてくれたのも彼女だった。
 嬉しかった。そして、あかりの事を知れば知る程、あたしは驚きに包まれていった。
 こんなにも器量良しで、人を思いやる心があって、決して自分を飾る事が無くて....そんな同姓から見ても理想的な子が、あたしに付き合ってくれている。その事が信じられなかった。
 全く違う。そう言っていい程異なったお互いの性格。それなのに、どうしてこんなにも気が合うのだろう。
 そうしたある日、ふとその事を思い出して、あたしは気軽に聞いてみた。
 学校帰りに二人で立ち寄った近くの公園。春の夕刻は未だに肌寒さを忍ばせてきたけれど、尚尽きない話題で盛り上がっていたあたしには調度良い位の陽気だった。

「そういえばさ、席が近くになった時、引っ込み思案のあんたにしては珍しく随分と気軽に声を掛けてきたわよね。何で?」

 缶ジュースを片手に近くのベンチに座りながら、そんな事を尋ねてみる。それは、あたしにとって直前まで続けていた話題の一つのつもりだった。
 あかりは一瞬きょとんとしたけれど、やがてゆっくりと話し始めた。

「私、心配だったんだ。中学校でどんな人とお友達になれるのかなって。小学校からの人も居るけれど、今まで知らなかった人とも仲良くなりたいなって思っていたの。でも、自分から声を掛けるのはやっぱり少し不安だった。でもね、後ろの席に志保を見た時、あ、この人だって思ったの。今考えると不思議だよね。そしたら自分でも驚く位、自然と言葉が出ていたんだ。『私、神岸あかり。あなたは?』って。仲良くなれるといいなって思いながら....だから志保が『あたしも志保でいいから』って言ってくれた時はすごく嬉しかった。あっ、お友達になってくれるんだって思ったもの」
「............」

 あたしは質問した事を後悔した。この子って何てお馬鹿なんだろうって思っていた。こんなにお人好しじゃあ、この厳しい世間を渡ってなんかいけないわよ!とも感じていた。
 あの時、あたしはそんなつもりで返事をしたんじゃない。たまたま近くになった人に、お決まりの挨拶を返しただけじゃない!
 でもそう思えば思う程、動揺する自分を感じるばかりだった。

「私、志保には感謝しているの。ほら、私って他の人と比べるとトロいでしょ?志保から見るとイライラしちゃうかなって思う事もあるし、愛想尽かされちゃうかなって心配する時もあるの。でも、志保はそんな私にずっと付き合ってくれている。それがとっても嬉しいの。本当にありがとう、志保。こんな私だけど、これからもよろしくね」

 そう言ってあかりは微笑んだ。いつもの笑顔だった。とてもまぶしくて、あたしはまともに見つめる事が出来なかった。
 自分の足元を見つめたまま、何とか気持ちを抑えようと努力した。でも、そうすればする程、視界がボヤけていくのが分かった。
 そして、全てを理解した。

 何の事は無い。それを心の底から求めていたのは、あたしの方だったんだ.....



◇      ◇      ◇



 窓の外は、午後の太陽を反射した海の景観で完全に埋め尽くされていた。
 それはどこまでも続く海原の向こうにモクモクと湧き出た入道雲と、それらを明瞭に型取った抜ける様な青空の中を、何も考えずガムシャラに疾走する様を思わせた。
 時々、思い出したかの様に海岸線が現われる。それがなければ陸地を走っている事すら忘れたかもしれない。その位、海までの距離が近い。
 やがて海岸線が少しずつ後退し、まるで崖に出来たかの様な猫の額程の段々な水田が続く眺めに変わっていった。道は細く、カーブは右に左にと相変わらず絶え間無く続いている。
 あたしは助手席に座りながら、左の窓に展開するそんな景色の変化をボーっと眺め続けていた。

「見て見て浩之ちゃん、田んぼがあんなに海に近いよ。台風とか来たら流されちゃわないのかなぁ?」
「ああ、ここは滅多に台風のコースにはならないから大丈夫さ。この季節は海もそんなに荒れないから、稲が塩を被る事も殆ど無いんだ。それに有機農法中心だから味も凄くいいんだぜ」
「へーそうなんだ。浩之ちゃんってやっぱり物知りだね。ところで有機農法ってなに?」
「...あ?有機農法?あ〜〜..ユーキが出る農業の方法さ」

 バカ...
 あたしは心の中で呟いていた。

「またまた冗談言って〜。それ、この前一緒に見たアニメで言ってたのと同じだよ」
「むっ。そんならお前、そのあと何て説明してたか覚えてっか?」
「え?あ、え〜〜っとぉ...無農薬栽培がどうとか...」
「知ってんなら聞くんじゃねーよ!」

ペシッ!

「いったーい。もー浩之ちゃんたらぁ」
「浩之。あかりちゃんはたまたま忘れていただけだよ。だからお互い様じゃないのかな」
「雅史ちゃんそう思う?やっぱりそうだよね。ねえねえ、志保はどう?」

 面倒だなと思いつつ、あたしはそのまま返事を返した。

「当然そう思うわよ。いきなりベタなギャグ飛ばす方が悪いに決まってるじゃない」
「だよね、だよね。はい!私もその意見に賛成〜。三対一で浩之ちゃんの負け〜」
「ほぉ〜〜〜お、そーかそーか、ええ根性しとるの〜。あかりぃ〜、今晩たっぷり遊ぼうな〜。布団蒸しと地獄の連続くすぐりと、どっちがいい?」
「志保助けて〜、浩之ちゃんがイジメるよ〜」

 さっきから延々と続く漫才みたいないつもの会話。その中でも、あかりのはしゃぎぶりは際だっていた。
 そして、こうした雰囲気はこれまでの四人そのものだった。少し前の大人びた雰囲気が嘘みたいな、まるで時間が逆戻りしたかの様な騒がしさだった。
 そして、いつもならその中心的役割はあたしの筈だった。
 ヒロと二人で繰り広げるボケと突っ込みの応酬の中、そんな様子に困り顔のあかりはたしなめ役に徹し、雅史は天然ボケながらもタイミング良く突っ込んで雰囲気をまとめていく....
 あたしはそれが楽しくて、例え乗り気しなかろうが悩み事があろうが、こうした場では口の方が勝手に回ってくれていた。
 けど、今はそんな事が嘘だったと思えるほど気怠かった。黙っていられるなら、ずっとそうしていたかった。

「ヒロ、そういう事言わないの。あかりが可愛そうでしょ?」

 あたしは後席をチラと見ながらそう言った。
 真ん中にデンと座ったヒロは、それを待っていたかの様に戯けた声を出す。

「いーさいーさ、どーせオレは悪者だよ。あーあ、宿に到着したらさっさとメシ食って風呂入って寝ますかねぇ〜だ」
「あれ?今晩は隠れて宴会しようって言って無かったっけ?僕、頼まれていたジャック・ダニエル持って来たんだけどな」
「ま、雅史馬鹿!こんな所で言うなよテメーは!」
「浩之ちゃん!お酒はダメって言ったでしょ?雅史ちゃんも後で没収だからね。志保そうだよね?」

 少しため息を付きながら、同じ様にチラと見つつ言った。

「当然でしょ。没収した位じゃ安心出来ないから、宿に付いたら直ぐ海に流すわよ」
「賛成賛成〜大賛成〜!」
「志〜保〜。それとあかりぃ〜。やっぱりお前らには特大のペシッ!が必要の様だなぁ〜」

 手を上げたヒロに対してパッと身を屈めるあかりの姿がバックミラー越しに見えた。
 ふざけてだろうけど、その大げさな格好には思わず笑ってしまう。

「暴力反た〜い。今度は雅史ちゃん助けて〜」
「うん。ダメだよ浩之。でも、それならやっぱり持って来なければ良かったね。他にオールド・パーとかもあるんだけどなあ」
「な、なぬぅ!?雅史それは本当か?」
「だ、だめダメ〜。それも没収〜!」

 騒ぎは収まる所を知らなかった。あたしは気付かれぬ様、再びため息を付いた。
 三人が、その中でも特にあかりが一生懸命あたしを気遣ってくれているのはよく分かっていた。そしてその事が、より心を重くする一因になっていた。
 あの一件...本当なら直ぐにでも三人の前から消えてしまいたかった。だから逃げる様に船室に戻ると、備え付けの簡易毛布を頭から被って横になった。誰も何も言って来ないだろう。そう思った。そしてその通りだった。
 みんなの前で犯した失態。その事が信じられなかった。そして、それはもはや悔やんでも仕方無い事だった。
 ゴンゴンと下から伝わるエンジンの響きを身体に感じながら、あたしはこの船が自分の意図しない方向へ邁進しているその事実にいらだちを覚えていた。

(..どうして今頃になって...)

 解らなかった。いくら考えても。何度考えてみても。
 二人が一緒になったと分かった時、今以上に悲しかった。今日のそれとは比べものにならない程沢山の涙を流した。そして、そんな悲しみはとうの昔に忘れ去った筈だった。
 自分で自分が分からない。考えれば考える程混乱していくだけだ。それならば、もう何も考えない方がいいのだろうか。
 諦めに似た感情が芽生えだした頃、気付かぬうちに浅い眠りへと誘われていった。そして...

「志保、着いたよ。早く起きなよ」

 男の人の声。そう呼びかけられ、揺り動かされて、あたしは目を覚ましていた。目に飛び込んできた午後の光が、暗さに馴れた目に眩しかった。
 ボーっとしたその先にはヒロとあかり、そして雅史の笑顔があった。

「やっとお目覚めかよ。寝ぼ助な奴だなぁ全く。もう残っているのはオレたちだけだぞ」
「志保おはよう。着いたよ佐渡。おけさだよ。島流しだよ。だから早くいこ?」

 ...着いた?早く行く?何を行ってるの?
 あたしはこのまま引き返すんだから。だから起こす必要なんて無いんだから...

「さ、行くよ。志保の荷物も全部持ったからね」

 傍らの雅史がそう言って立ち上がるのが見えた。それが合図かの様に、ヒロとあかりも立ち上がる。
 そんな様子を座ったままボケッとみているあたしの前に、スッと差し出されるものがあった。

「はい、志保掴まって。ね?」

 優しい笑顔。暖かい存在。そして、いつもあたしを引っ張ってくれた彼女の柔らかい手。
 抗がえる筈も無い。
 導かれるかの様にその手を掴むと、そのままノロノロと立ち上がった。

 そして、あたしは今でもここに居る....


「少し退屈している様だね。こうした景色は面白く無いかね?」

 ビクッとしたのが自分で分かった。思わず運転席に目を向ける。
 暖色系のポロシャツ姿ですっかり日焼けしたその素顔は、まるで父親の様な厳しさと優しさを見せていた。

「いえ、そんな事は...」

 何だか見透かされたかの様に感じて、あたしは思わず目を逸らす。
 ヒロの母方の兄さんにあたるその人は、還暦の手前を全く感じさせない若々しさを保ったナイス・ミドルだった。ジャガーXJV8を着こなすかの様に駆る姿はごく自然で無理が無く、若い頃はかなりモテたに違いない。
 頭髪と口ひげに白いものが混じっていなければ、今よりは十は若返るだろうなと、あたしは勝手に想像していた。

「そうかね、それならいいんだが...まあ、私の所へは佐渡内陸を抜けて外海府海岸を望みながら走るこの道が一番近いからなんだが、何だか同じ様な景色が続いちまって申し訳無い感じだねえ」

 あたしは笑ってそれを否定した。何もこの景色が誰のせいという事も無い。きっと、つまらなそうな顔をしていたので気軽に声を掛けてくれたんだろう。
 そう思い、素直に感想を述べてみた。

「それにしても、思った以上に海が静かなんで驚きました。日本海だし北側に位置しているんで、もっとこう荒波のある風景なんかを考えていたんですけど、田んぼなんかもこんなに海岸に近いんですね」
「うむ、確かにね。今のシーズンは本当に波も穏やかだし、こうして見ていると平和そのものだ。私もこの季節が一番好きだね。でもね、これから向かう所は大佐渡の中でも北も北、まさに北端に近い所だから、冬ともなると同じ場所でこうも違うものかと驚く位景観が変わってねえ」
「へえ、そんなに違うものなんですか?」

 ちょっと意外だったので、そんな言葉が口をつく。
 この穏やかな景観を見る限り、あたしには想像すら出来なかった。

「ああ、それはそれは厳しいものだよ。海はすっかり鉛色になっちまって、狂った様な高波が寄せては引いてを繰り替えしてね。吹きつける雪混じりの北風はまるで鋭利な刃物の様で、当然薄着でなんかいられない。しかも雪が深くなると家の出入りすら大変な上に、こうした段差の多い海辺ではうっかりすると見誤って崖から落ちる事にもなりかねないんだ。実際そうした事故が毎年起ってね。人を寄せつけない厳しさっていうのかねえ。そんな形容がピッタリの様相になるんだよ」

 その人は話しながら頷いた。正面を向いているその顔が、少し厳しさを含んできた様に思えた。

「風が強ければ身を切られるのが心配、弱ければ積雪が心配。ここに住みだして初めての冬はまさにそんな感じだった。だから、こりゃえらい所に来ちゃったなあと寒さに震えながら後悔とかもしてね。道路もまだ整備されていない時代だったから冬の間は殆ど閉じ込められてる様なものだし、訪れる人もめっきり減るしで次第に嫌になってきてね、もうこんな所には住んでいられない、春が来たら何としてもここから出ていこう、そればっかり考えていたっけねえ」
「........」
「けどね、次第に寒さが緩んできて、雪解の中に草木の芽を見つけて、景色が次第に来た頃の優しさを取り戻していくのを感じていくうちに、ああ、どうにか頑張って乗り切る事が出来たんだなと嬉しくなってねえ。それからかねえ、次の冬が来ても、そうした厳しさが堪え難いものでは無くなっていたんだ」
「...........」

 あたしは横顔をじっと見つめていた。厳しい顔が次第に和んでいくのが分かった。表情のよく変わる人だなと思った。

「それからは、どんなに厳しい冬でも雪解けは必ず来ると思える様になってねえ。少々の事ではへこたれなくなった。そうすると不思議なもんで、何をやるにしても結果はどうあれ乗り切れない事なんてあるもんか!と考えられる様になってね。次第に気持ちに余裕が出てきて、こうした生活も悪くないと思えるまでになった。変れば変るもんだね。本当なら、あの時そのまま引き揚げていた方が結果としては良かったのかもしれない。けどね、私はこの地に踏んばれて、いや、踏んばる事が出来て良かったと今でも思っているよ。ははは、すまんね。歳を取るとどうもおしゃべりな上に説教臭くなっちまってね」

 思わず首を横に振っていた。そして分かっていた。わざわざこうした話しをしてくれるその理由(わけ)を。
 応える代わりに、あたしは質問した。

「あの、奥さんは反対しなかったんですか?こちらに越して来る事を、おじさ...あ、ごめんなさい」
「ははは、おじさんでいいよ。うーんそうだねえ、特に何も言わなかったなあ。まあ、私の仕事の関係もあって仕方無と思っていたのだろうけどね。だが、それが僅か三ヵ月程で全て駄目になってしまってね。こっちは定住のつもりだったから、すっかり予定が狂ってしまった。だから一旦は本土側に引き揚げようという事になったんだが、そんな時に近隣の身寄りの無い老夫婦から民宿をやらないかという話しを持ち掛けられてねえ。結構繁盛していたし、人に雇われる身にコリゴリしていた所だったから、それはとても魅力的だった。だが、私は宿で働いた経験などありゃしなかったし、業務知識も当然皆無だったから随分悩んでね。自分ではとうとう決められなかった。結局は今の嫁さん...私は母さんと呼んでいるけど...それに、お前どう思う?お前はどうしたい?それによって決めようって任せる様な感じで聞いちまってねえ」
「...........」
「いやいや怒られた怒られた。まだ新婚の頃だったんだが、まるで鬼子母神と見間違う程の形相でねえ。『それを決めるのはあなたの役目でしょう!』と鬼の様な剣幕だったよ。そんな顔初めて見たもんだから、こっちはビックリしたなんてえもんじゃあない。いやはやとんでも無いのを嫁に貰っちまったなあなんて全く別の事を考えたりしてねえ」

 あたしは笑っていた。奥さんに失礼だとは思ったけど止まらなかった。次にはその時の奥さんの表情をボンヤリと想像して、また笑いが止まらなくなった。
 そんな様子に気をとめるでも無く、おじさんの話しは続いた。

「最後には自ら決心して民宿をやる事にした。老夫婦は別に住居を持っていたから気兼ねは無かったけど、身寄りが無いからもはや家族同然だったし、その事であいつには随分と苦労かける事になっちまった。結婚して間が無かったし、寒い所が苦手なのは分かっていたんだが、それでも小言の一つも無く随分と助けてくれてねえ。ここだけの話、あいつが居たからここまで頑張ってこれたんだね。そうじゃなけりゃ間違い無く一年目で逃げ出していただろうねえ。はははは、本人の前じゃとてもじゃないけど恥ずかしくて言えないけどね」

 そう言いながらの表情は、これまで見た以上に優しさの溢れたものとなっていった。そしてそれと共に、自分の心が次第に和んでいくのを感じていた。
 いつもなら、そんな話しを他の人から聞いた所で反発心ばかりが芽生えて時間の無駄だと思ったに違いない。
 けれども今のあたしは、その事が素直に有り難いと感じられた。

「...偉かったんですね、おじさんの奥さん」
「ああ、私には出来過ぎの女房だと思ってるよ。今でも向こうっ気は強いし、普段でもとてもじゃないが太刀打ち出来ないが、そうした厳しさの中にも女としての優しさが溢れていてね。結局はそこに惚れたのかもなあ。それだけに普段からシャンとしていないと怒鳴られてばかりになっちゃうんだけどね」
「どうもご馳走様です。それってノロケですか?」

 おじさんは笑っていた。あたしもつられて笑い返す。そうした関係が何となく微笑ましく、そして羨ましく思えていた。



◇      ◇      ◇



 佐渡の北端に近い、外海府という所にその民宿はあった。
 改装したばかりと聞いていたから綺麗だろうなとは思っていたけど、それ以上に作りの立派さにまず驚かされた。
 普通、民宿と言うと建物の一部が住居だったりして、まるで他人の家に泊まり込んでいる様な所もあるけれど、ここは外廊下を挟んで宿と住居が完全に別れていた。そして通された部屋は真新しく、大きな畳みを使用していて広さも十分にあり、窓からの眺めは外海府海岸を一望出来るという贅沢な雰囲気を併せ持っていた。
 もっと安っぽい宿を想像していたあたしにとって、これが旅館だと言われても信じたに違いない。
 しかもそれだけに留まらず、何と女性用にも大浴場が用意され、男性用のそれに負けない位広いスペースが取られているという。
 あたしは待ちきれずに、荷物を放り出すと早速あかりを連れ立って旅の疲れを流しに出かけた。時間が早いせいもあって浴場には二人だけであり、浴槽にふんだんに使われた真新しい桧の臭いと、張ったばかりのお湯のピリピリさ加減が何とも嬉しかった。
 あたしとあかりは湯船に漬かりながら、ガラス越しに展開する海の雄壮さに見入っていた。

「お風呂大きくて良かったね。ゆったりして伸び伸びと入れるし」
「本当本当。温泉じゃないのが一寸残念だけどさあ、これなら完全に合格よね。あたし泳いじゃおっと」

 早速バシャバシャと泳いでみた。プールみたいに広い訳じゃないからあっという間に反対側に到達する。

「もー志保ったら〜。バシャバシャやるから思い切りお湯被っちゃったじゃない」
「なーに言ってんのよ。お風呂に入ってるんだから濡れる位は当然当然。まあいいわ。それじゃあ次はゆっくりね」

 そう言って今度は平泳ぎでスイースイーとゆっくり泳ぐ。端からはでっかいカエルが泳いでいる様に見えただろうか。
 それにしても、広いお風呂で泳げるってやっぱり凄く贅沢だし、最高に気分がいい。

「志保泳ぐの上手だなー。あたしそんなに上手く無いから」
「よく言うわよ。ヒロに基本は教わったんでしょ?後は練習次第でいくらでも上達出来るじゃない」
「うーん、そうなんだけど...」
「それともあれかなー、教えて貰うって言うよりさ〜...」

 あたしはゆっくりとあかりの後ろに回り込んだ。先程からくるくる泳ぎ回っているので彼女は警戒していない。
 気づかれない様ゆ〜っくりと背中にくっつき、後ろからバッ!と鷲づかみにした。

「きゃあ!志保ちょっと!」

 慌てて身をよじりながらタオルで胸を隠しつつバシャバシャとあたしから一番遠い所まで逃げ出すあかり。そしてブクブクと顔を湯船に埋めたまま、ジトーとこちらを睨んでいる。
 あたしは両手をワキワキさせながら、そんな様子を眺めつつ言った。

「大きくして貰う方が忙しくて、それ所じゃないんじゃないの?」
「もー志保ったら。そんな事無いんだからぁ」
「照れるな照れるな。まあ去年に比べたら少しは大きくなったんじゃない?それでもあたしにはまだまだ負けるけどね」

 そう言って、自分の胸をドーンと突き出した。あかりは「う〜〜〜」という顔でさらにブクブクやっている。その様子はまるでカニみたいだった。外海府だけに見られる新種『あかりガニ』。そんなネーミングに自分で笑いながらも、あたしはふと思っていた。
 何でこんなに明るく振る舞えるんだろう?と。さっきまでの暗く沈んだ自分は一体何だったんだろうと。
 あのままだったら、きっと今でも部屋の中でゴロっとなっていた。そして風呂に入らず、食事も取らずで、そのまま寝入っていただろう。
 けど宿に到着した時には、まるで胸のつかえが取れたかの様な快い気分だった。それはヒロのおじさんの話しがあればこそというのも分かっていた。
 現金なものだと自分でも思う。結局、あたしの悩みなんてその程度のものなのだろうか?
 無論、それで全てのわだかまりが消えた訳では無い。しかしこの旅行位は、何とか自分の気持ちを保っていられそうな、そんな予感みたいなものを感じていた。

「志保、そろそろ出ない?私、背中流してあげるから」

 笑顔でそう言いながら、あかりはゆっくりと湯船から上がった。
 彼女にしても、本当ならあたしから色々と聞きたい事があるのかもしれない。けど、あえてそれをしない事で、彼女は彼女なりにこうした一時の雰囲気を保とうとしている様にも思える。
 それがお互いにとって良い事なのかどうか、今のあたしには判断出来なかった。

「な〜によ〜、さっきの仕返しでもしようってえの?」

 そんなセリフが軽く口を付く。そして、取り敢えずはそれでいいんだと思う事にした。

「当〜然。あんなに強く揉むんだもん。私もお返しするんだから」
「べ〜だ。もちろん遠慮しとくわよ。この美乳に爪痕でも付けられたらイヤだもんね〜」
「も〜冗談だってば。ほら、早く来なよ。あんまり漬かってるとのぼせちゃうよ?」

 彼女の言葉にあたしは笑いながら、ゆっくりと湯船から立ち上がった。



◇      ◇      ◇



リー..リー..リー..リー..

 夏だというのに、もう秋の音が響いている。それは彼らがオッチョコチョイという訳ではなく、ここがそうした場にふさわしい気候である事を雄弁に物語っていた。
 そんな外海府の夜の空気は天然のクーラーを思わせる程に心地良く、スウェットに包まれ、アルコールで少し火照った身体を冷ますには丁度良い陽気だった。
 これなら蚊に悩まされる程では無いかもしれない。そう思って、あたしは網戸を僅かに引き開けた。そして新たな冷気と共に、飛び込んで来たその景観に心を奪われていた。
 月は出ていない。今日は新月なのかもしれない。それでも真っ暗では無かった。

「...すごいなぁ....」

 思わず口に出していた。それは雄大であり、壮大とも言える満天の星空だった。こんなにも沢山の星星が実際にキラキラと夜の天空を満たしているその光景を、あたしはこれまで自分の目で見た事が無かった。
 空を縦断する様に星がひしめいていた。それはまるで川の様だ。何だろう?あたしはそれを知っている...天の川..そうだ。天の川だ!確かに川だ。沢山の星がいっぱい集まって出来た星の川だ!
 織り姫と彦星...自然と思い出していた。小さい頃、それを聞いて夜空を見上げても全然ピンと来なかったそのお話しが、この光景を見ているとまるで自分の手で触れられるかの様に心の中で光輝いていた。
 何処でも見られる明るい星。星図や写真でしか見た事の無かった小さな輝きを持つ天空一杯の星星たち。そして驚く程いっぱい見られる満天の流れ星。それらが渾然一体となって、夏の夜空をこうも明るく彩っている。
 そしてあたしはそれを眺めている。この目で、この瞳で。そして、自分の心で今、こんなにもはっきりと....

 頬に流れるものを感じた。そっと触れてみると指先が濡れた。
 自分でも気付かないうちに、あたしは涙を流していた。

「んん...」

 声の方に目を向けると、部屋で寝ているあかりが寝返りを打つ様子が見えた。昼間に没収没収と騒いでいてたお酒をヒロに何だかんだと薦められ、飲めもしないのに結局口にした結果がこれだった。
 最も、あの程度なら彼女にしても飲んだと言える程では無い。だから心配無しと判断して、ヒロに頼んで早々にこの部屋へ運び込んで貰っていた。
 そして酒席に戻ったあたしとヒロと雅史の三人は再び飲み続け、普段の調子を取り戻していた事もあって大いに盛り上がった。
 その内容は学校の話題やテレビ番組、CDタイトル、お気に入りの店、そして飼ってるペットの事など、今考えると他愛の無いものばかり。
 昼間の一件...結局この二人からも何も言われなかった。それは予想していた事とは言え、あかりの時とは違って一抹の寂しさを感じさせた。
 こんなにも気にかかる男子が二人。どちらも同じ頃に知り合い、同じ様に仲良くなった。そして、あたしにとってはそれぞれに深い縁を持つ存在となった。

『よう!お前か?あかりの新しい友達って。なんだかタマネギみたいな頭だなぁ。あ、オレ藤田浩之。よろしくな!』

 あかりと知り合ってしばらく後、彼女から初めて紹介されたその男の子は開口一番そう言った。よくもまあ人の事をそうズケズケ言えるなと少し頭にきたけれど、それが彼の持つストレートな性分だと分かってからは、逆にピッタリだと思える様になった。
 そして分かっていた。あかりがいつも言っている『浩之ちゃん』。それはもう一人の幼馴染の呼び方と同じ様でいて、その思いは全く違うという事に。そしてその視界には、いつでもそいつが存在しているという事にも。
 あかりがそこまで慕う浩之という男子。果たしてこんなにも器量好しの彼女が好意を寄せるに値する奴なのだろうか?
 それがどうしても信じられず、確かめてやろうと何かにつけて浩之に接する事が多くなった。そうしているうちに自分からは『ヒロ』と呼ぶ様になり、あたしにとってもいつしか性別を越えた気軽な話し相手となっていた。そして、それだけで終る筈だった。
 顔を会わす機会が多かったのかもしれない。友達としての付き合いが長過ぎたのかもしれない。いつしかあたしも、ヒロを目で追う様になっていた。いや、例え姿は見えなくても、ヒロがその時間何処に居て何をしているか見当が付くまでになっていた。
 たまたま偶然ヒロを見つけ出せた様なフリをして『志保ちゃんレーダー』と言って誤魔化したりもして、何とかそうした気持ちを気付かれぬ様、そして自分が気付かぬ様、冗談と欺瞞を繰り返してきた。
 そして、心の中では常に『あかりのなんだから』という意識を保ち続けていた。

 けど、それももう限界だった。

 高校生活最大のイベントでもある修学旅行。ヒロから何を言われるか分からない。あかりから恨まれるに違い無い。でもこの時期を逃したら、こうした機会はもう巡って来ないかもしれない。
 その気持ちをいつもの明るさで隠しつつ、旅行バッグと共にあたしは勇んで集合場所に向かっていった。
 そして.....二人の姿を目の当たりにした時、全ては遅かったんだと気付かざるを得なかった。
 あたしにとって、修学旅行は最悪のものでしか無かった。

『...あの、志保は今、付き合っている人とか居るの?』

 その夜のホテルの屋上。傷心のあたしを呼び出したその相手は、あかりからヒロと一緒に紹介されたもう一人の幼馴染だった。
 五月とは言っても北海道の夜は限りなく冬に近い。そんな寒空の下で、あたしは思わず問い返した。

『何であんたがそんな事を聞くの?』

 少しイライラしながらそう言った。そして、次に来るだろう言葉を何となく予感した。

『その.....もし居ないなら...ぼ..僕と付き合って欲しいんだ!』


 ...どうして?....どうしてこんな時にそんな事言うのよ.....

 最初に思った事がそれだった。両手をギュと握り締め、絞り出す様に告げられたその言葉には疑う余地も無い。
 失恋と突然の告白。それは、これまでの自分には縁遠かった事が一気に巡ってきた瞬間だった。
 知らない仲では無かった。一緒に遊び回った事もある。けど、それはあかりやヒロが一緒であったから。二人だけでと考えた事は一度も無い。

『あ..あたしは!』

 そこまで言って言葉が出なくなった。身体の震えが自分でも分かる。
 好きでは無い。けど嫌いでも無い。なら、何と答えればいいのだろう。そして、それを今ハッキリと伝えてもいいのだろうか?

 ...答えられる訳が無い。だって、今のあたしはあたしじゃない!

 その瞬間、あたしは逃げ出していた。そこから一刻も早く離れたかった。屋上のドアをバンと開け、タンタンと素早く階段を駆け降りる。
 そして、その中で考えた。あたしは、あたしは何でこんな所へ来てしまったのだろうかと。

 また、同じ事やってるね...

 どこからともなく、そんな言葉が頭の中に浮かんでは消えていった。


「...志保、まだ起きてるの?」

 星空を見ながらそんな事を思い出していたあたしは、再びあかりの方に顔を向けた。彼女は横になったまま、そんなあたしを見つめている。
 星明かりにすっかり馴れたその目には、表情までがよく見て取れた。

「うん、お酒のせいで何だか暑くて。あかりは平気?お水持ってきてあげようか?」
「ううん、大丈夫。少し寝たから大分良くなったみたい」
「そう、良かった」

 あたしは外の景色に目を戻していた。水平線近くでは、白く煌煌とした明かりがいくつも点在している様子が見える。
 それがイカ釣漁船の漁り火だという事は知っていた。昼間におじさんから教えて貰っていたからだけど、実際に見るその光景はとても美しく、幻想的でもあった。

「あかりも見てみない? 星空が凄い奇麗だよ。あたしたちの街じゃ絶対に見られないよ。それと漁船の漁り火もとっても美しいし」
「ううん、私はいい。まだ横になっていたいから」
「そう....」

 あたしはそれっきり黙った。そして思っていた。まだ、自分の中にわだかまりが残っているのだろうかと。
 こんなにも素晴らしい眺めなのだ。いつもだったら引っ張ってでもここに来させていたに違いない。それを思うと、今の自分に再び嫌気が差してくる。
 悩む事なんか無い。一緒に眺めればいいじゃない。佐渡に来た思い出として、この壮大な景観が二人の心に残る様に。
 起きるのが辛いなら、あかりごと布団をここに引きずってきたっていい。
 そう考え、おもむろに振り向いた。

「志保..あのね...」

 先に言われ、あたしは気勢を削がれていた。そして思わず返事をする。

「あ...な、何?」
「うん、あの....私と志保って、親友なのかな?」

 一瞬、思考が止まった。何だろう。何が言いたいんだろう?
 あたしは胸騒ぎを覚えていた。

「と、トーゼンじゃない。中学校以来の親友でしょ?あたし達って」
「...うん、そうだよね。ありがとう志保。それとごめんね、変な事聞いちゃって」
「別にいいわよ。それよりどうしたの?そんな事急に聞いたりして」

 言ったそばから後悔した。あたしの悪いクセだ。聞かなくてもいい事までつい口に出してしまう。
 そして予想通り、あかりはとつとつと話し始めた。

「私、嬉しかったの。志保がずっと側に居てくれて。こんな私にいつも一生懸命になってくれて、本当に有難いなっていつも思っていた。凄く頼りになるし、私が困っている時にはいつも力になってくれたし、本当、こうして出会えていなかったら今の私はどうなっていたんだろうって考える事もあるの」
「や、やーねぇ。何言ってるのよ。そんなおだてたって何も出ないわよ?それにさぁ、こっちの方こそあかりには随分と助けて貰ってるじゃない。あたし、あかりに手助けして貰ったり、教えて貰ったりした事沢山あるよ。料理とか、手芸とか、テスト勉強とかさ。中でも一番多かったのが宿題よね。あたしよく忘れるから、クラスが一緒の時は頼ってばっかりだったし」
「ううん、そんなのは私じゃなくても出来る事ばかりだもの。志保は本当に志保じゃないと出来ない事を沢山してくれたよ。私より料理が上手で、手芸が上手で、勉強も出来る人が志保の親友だったら、私なんて居なくても一緒だもの...」
「あかり?」

 胸騒ぎがより大ききくなった。あかりはあたしに伝えようとしている。それが何であるのか、あたしには察しが付いていた。
 これ以上喋らせてはいけない。喋って欲しくない。その事を考えた。

「あかり、もう遅いからそろそろ休もうよ。話なら明日にでも...」
「ううん、お願い、今聞いて。そうでないと私、明日にはきっと言えなくなってるよ...」

 聞かざるを得ないのかもしれない。あたしは「分かった」とだけ言ってそれを待つ事にした。
 しばらくの沈黙。そして彼女はゆっくり起き上がると、布団の上に正座をする。
 それでもしばらくはためらいがちにしていたけれど、やがて静かに話し始めた。

「...それだから私、志保が喜ぶ事なら、そしてそれが自分に出来る事なら、喜んで協力しようっていつも思っていたの。だから気付いた事で私に出来るならそうしてきたの。それで志保が喜んでくれると、ああ、良かったあって思えて。そして私も嬉しかったの」
「......」
「私、人付き合いが本当に下手だから、何かあると直に志保に相談してしまって...でも志保はそうした話しを真剣に聞いてくれて、『心配しないで。あたしに任せとけば大丈夫!』って言ってくれて、そしていつでもその通りになって...端から見ているしか無い私はいつも凄いなあって思っていた。それからしたら、あたしが志保にしてあげられる事なんて本当に僅かな事でしか無いんだなって思って、いつかは私の方からそうした事へのお返しが出来ればいいなっていつも考えていて...」
「あかり、あたしは別に...」

 あたしは困惑していた。自分からした事が多くて、あかりのが少ないだなんて思った事はこれまで一度も無かったし、そもそもそうしたフィフティーフィフティーを持ち上げる事自体、親友とは程遠いものと考えている。
 それに、あたしはそうした事をあかりに感じて欲しい訳では無い。
 あかりが好きで、親友でいられる事が嬉しくて、あたしに出来る事なら協力しようと思って自らそうしてきただけなのだ。
 あかりは違うのだろうか。それとも、そう言わざるを得ない何かがあるのだろうか?

 でも、そう考えながらも思っていた。結局、ズルイのは自分の方なのだ。
 だって、あかりが何を伝えようとしているのか、あたしは分かってしまったから...

「そして、そんな志保をずっと見ていて、何となく思ったの。もしかしたら、私と同じなのかなって。多分、中学校の頃からそうなんだと思う。だから聞いてみたかったし、気付いたりする度にそう思ったの。でも、そうだって言われたらと考えるとやっぱり恐くて聞けなくて、それが高校生になってもずっと続いていて、でも、それから色々あって、最近は私の勘違いだったのかなって少しホッとして、そして....」
「..........」
「そして、志保が船の上で泣いたのを見た時、私、分かったの。やっぱりそうだったんだって。ずっとそうだったんだって。中学校の頃から感じていた事は正しかったんだって...でも、どうしたらいいんだろう?って」
「..........」
「そして、思いついたの。そうだ、いつもの様にしようって。そして直に...馬鹿だな私って...情けなくなったの。浩之ちゃんによくお前は馬鹿だって言われるけど、本当にそうだなって思ったの...」
「あかり....」

 彼女の目から涙が流れ落ちた。今ここで目をつむれるなら、耳を塞げるなら、どんなにいいだろうと思っていた。

「だって...だって私...志保に相談しようって思ったんだよ?志保が泣いてるのに、とっても困ってるのに、その志保にどうしたらいい?って聞こうと思ったんだよ?私、自分があまりにも情けなくなって..悲しくなって...それで...」
「あかり。もういい、もういいよ...」

 あたしはあかりに近づいた。その両目には涙が溢れかえっている。
 それを拭うでも無く、言葉は尚も続いた。

「私..私..志保がこんなに悲しい思いをしているのに、何もしてあげる事が出来ない。何もしてあげられないよ。その原因が自分にあるのが分かっているのに、どうする事も出来ない。親友が苦しんでいるのに、どうすればいいか自分は知っているのに、私には出来ない。そうする事が出来ないよ...」
「あかり、いいから、もういいから、もう喋んなくていいから、何も喋らなくていいから!」

 あかりを揺さぶりながらそう言った。もうこれ以上何も言って欲しく無かった。喋って欲しく無かった。
 分かってる、そんな事は百も承知。分かっているから。あんたと親友になった時から分かっているんだから。
 あたしは何度も何度もそう繰り返していた。

「志保、ごめんね、ごめんね、ごめんね志保、本当にごめんね。ごめんなさい。本当にごめんなさい...」
「あかり!あかり!お願いだから!」
「恨んでくれていい。嫌ってくれてもいい、私に出来る事ならどんな事でもする。だから、だから、お願いだから、浩之ちゃんの事は...」
「あかり!!もういい加減にしな!!」

パシッ!

 気付いた時、あたしは肩で息をしていた。
 そして、叩かれた頬に手を当てながら涙でグシャグシャになっているあかりの顔を睨みつけていた。

「...もういい..もういいって言ってるじゃない。分かってるって言ってるじゃない!それなのに何よ。何様のつもりなのよあんたは!そんな涙混じりで何でも言えば済むと思ってるの?!あたしはねえ、あんたからそんな泣き言言われなくたって自分の事は一番よく分かっているつもりなのよ。こんなにも女々しい、自分でも嫌気が差す性格だってのも分かっているんだから!」
「...し、志保?...」
「そんなあたしに負い目を感じる必要が、あんたの一体何処にあるのさ。自分から望んだ事なんでしょ?好かれよう、気に入られよう、選んでもらうと思って一生懸命に尽くしてきたんでしょ?あんたにそうした意識が無くても、ヒロの為にって色々気に掛けて面倒をみてきたんじゃない。だから...だかこそ、その気持ちが伝わったからこそ、ヒロはあんたを選んだんじゃないの。違う?!」
「わ..私は、私は...」
「だったらもっと自分に自信を持ちなさいよ。胸を張って堂々と言えばいいじゃない。そんなゴチャゴチャ泣き事言わなくたって、あんたはちゃんと主張しているじゃない。自分の彼氏だって言ってるじゃないの!」
「そんな..私は..」
「つまらない女がつまらない事で流した涙なんて気にする必要無いわよ。この世は男と女だけなんだから、どんなに親しい間柄だって男女の事でぶつかる時もあるわよ。そんな時、これだけは守りたいって思う事が一番になるのは当たり前でしょ?あたしはあんたと同じじゃ無い。あんたが一番と思っている事はあたしにとっては一番じゃ無い。だからあかりが負い目に感じる必要なんて何も無い」
「志保..私は...」
「あかりを迷わせた事は悪いと思っている。でもね、あたしは謝らないよ。だってお互いそうしなければならない事なんて何一つやっちゃいないんだから。そうでしょ?」
「し、志保..でも、でもどうして、どうしてそんなに優しいの?どうして私の事を許してくれるの?..もし逆の立場だったら私は..私は...」
「あたしにはそれが出来る。あんたには無理。その違いだけじゃない。だったら出来る人が受け持つのは当然でしょ?これまでだって、あたし達そうしてきたじゃない?だったら今回もそうしようよ。それがいい。それが一番いいよ。ね?そうしよ。あかり」

 あたしは表情を緩めて言った。そして感じていた。
 終わったんだな、これで。
 身勝手なあたしの片思い。ここに自ら幕を下ろす...か。

「志保、志保ごめんね..ごめん..ごめ..う、うえ、うえ、うえええええええん、えええええええーーーーん」

 あたしの胸に顔を埋めてあかりは泣き崩れた。視線を落としながら、そんな頭をそっと撫でてやる。
 あたしより小さくて華奢な身体。そのくせ、あたしより何倍も大きくて強靭な意志。そして、その一途さ。
 結局、あたしはこうした立場から抜け出せないんだなと、思わずため息をついていた。
 そして今更の様に気付く。
 そうか、そうだったんだ。一方的な恋なんてあの時もう終わっていたんじゃない。二人を見て、あかりを見て、その幸せな笑顔を見たその時から。
 そして、また思い出していた。

「あたしさ、あれからあんたの事を応援していこうって決めたんだよね。正直言って、ちょっとくやしかったけどさ...」

 小さな声でそうつぶやいた。
 そのくやしさ、まだ残っているかもしれない。あたしの何処かにもしかしたら。
 でもいい。これで良かったんだ。きっと明日からはいつものあたしに戻れている。
 そう信じながら、あたしは尚も泣き崩れているあかりの背中をさすり続けていた。


「あたしはあたし −第三章−」 へ続く.....


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