〜 「浩之とあかり」番外編 〜
紫陽花の子供 〜 序章 〜
「雨降〜りぃお月さ〜ん、雲のかぁげ〜♪ お嫁〜に〜ゆくときゃ〜だれとゆ〜く〜♪」
夕闇深くなった通学路にいつ止むとも知れぬシトシト雨。外に出て尚蒸し暑い陽気。
それらは気分をブルーにさせてくれるにピッタリの組み合わせだとオレは思う。
時折ヒュッっと吹き付ける風のおかげで学生服に飛沫がかかり、既に傘を差している事自体あまりの意味を成さなくなっているこの状況では、それも当然と言えるだろう。
長い雨でアスファルトはすっかり濡そぼり、ただでさえ湿っぽくなったオレの革靴に容赦無く水を染み込ませてグッショリとくれば、気分的にはもはや開き直るしか無かった。
まったく、室内と外じゃえらい違いだ...
歩く度にグジョグジョする不快感と共に、そんな悪態をついてみる。
それでも尚、オレは依然傘を並べて元気一杯に帰る途中だった。
...いや、この表現は正しくない。正確には『元気一杯の女の子を連れて帰る途中』だ。
淡いオレンジ色のしゃれたレインコートに同じくオレンジ色のシャレた長靴、そしてお揃いのオレンジ色の傘と三拍子揃ったスタイルで雨風負けぬ元気一杯歌一杯の小学生の女の子。
横に並ぶその姿を、オレは先程からジーーーッと見守り続けていた。
「夏がく〜れば思い出す〜♪ はるかな尾瀬〜♪ 遠いそら〜♪」
この子は小学生の割に大柄だった。もしバス料金を子供で支払ったなら「君、何年生?」と確実に運チャンから問われただろう。それでも「私、小学生です!」で通せば、聞いた側がたじろいでOKとなったに違いない。
それ程そのスタイルは似合っていた。似合い過ぎていた。言い換えれば、非の打ち所が無かった。
レインコートコンクール・子供の部などというものがあったなら、一等は逃したとしても特別審査員賞はほぼ確実だろう。
それにしても、歌に加えてたまにクルッと踊る様に回ったりするので危なっかしくて仕方が無い。
実際に何度か転びそうになったのを慌てて支えてやったのだが、その度に「危なかった〜」などと悪びれず言ってまた同じ事を繰り返すので、おのずとこっちが注意して見ててやる必要があった。
「あっめ雨降れ降れ、かあさんが〜♪ 蛇の目でお迎えうっれしいな〜♪」
...まあーったく、何を考えているんだか。
まあ仕方ねえか。まだ小学生だもんな。
「浩之ちゃんどうしたの?さっきからずーっと黙ったままだけど」
横に並んだあかりがそうオレに告げる。
言っておくが、小学生のあかりじゃない。高校三年の受験生でもある「あかり」だ。
なんだって?小学生って言っただろうって?
ああ、確かに言ったさ。だが、それは今のこいつのスタイルを見れば一発で納得する事だ。パッと見た感じがそうなのだから仕方がない。
それに、中身まで小学生だとは言って無い。大体、今のあかりが本当に小学生だったなら、オレの恋愛対象からは完全に外れていただろう。
愛があれば年代の差なんてという奴がいるかもしれないが、同じ世代で同じ様な悩みを抱えながらも互いに頑張る事の楽しさを知ってしまったオレにはどうでもいい事だ。
「ねー、本当にどうしちゃったの?今度は一人で何ブツブツ言ってるの?」
...少しオレの事を気にし過ぎだと思うが。
まあ、それがこいつのいい所か。
「別に何でもねえよ。それよりも自分の方に注意を向けろ。本当に転んでからじゃ遅いぞ」
「うん、分かってる。でももう転ばないから大丈夫だよ」
嘘をつけ嘘を。さっきもそう言った後で転びそうになったじゃねえか。
あかりは見ている前で再び脳天気に歌い始めると、言ったそばからまたもやクルリと一回転した。
...こいつ、まさか若返りを起こしてるんじゃねえだろうな?
十代で若返りも無いとは思うが、こいつのそんな様子を見ていると自然と小学校時代が思い起こされる。
何か嬉しい事があると自然とハイになる。それは、まさに今のあかりそのものだった。
当時二人して学校から帰る時も、あかりは大抵ランドセルを揺らして踊る様にしながらオレの側で楽しそうに歌っていた。それは端から見れば明るく微笑ましい光景かもしれないが、横に居るオレにしてみれば恥ずかしいだけだった。
それ故に、何度『一緒に歌おう』と誘われても頑と拒み続けていたのだが、ある日その熱意にとうとう負けて、一度だけ一緒に歌った事がある。
その時えらく恥かしい思いをした記憶が今でも残っている。あの時何を歌ったっけ?まあ、別にどうでもいい事なんだが....
そして中学生時代。
さすがにその頃には以前の子供子供した振舞いはしなくなり、逆に少し控え目な性格が目立つ様になっていった。それは今のあかりのものであり、だからこそ、昔のそうした性格はすっかり忘れていたのだが...
やはり、今着ているレインコートが影響しているのだろうか?
『いいでしょーこれ。全部にクマが付いてるんだよ』
今朝、迎えに来たその姿を見てすっかり目を点にしたオレを尻目に、子供みたいに熱の入った説明を始めたあかりだった。そう言われて見ると、傘にも長靴にもレインコートにも、金色のクママークがしっかりと入っている。
どうやら結構有名なブランド品らしく、母親からプレゼントされたという事でかなりのお気に入りな様子だった。
正直に言ってしまうと、それを着込んだあかりの姿はどう見てもお子様だ。それなりのスタイルの奴が着込めば格好いいのかもしれないが、こいつの場合は逆に派手さの方が目立ってしまっている。
これまで、あかりはそうした目立つ服装というものを好まないと思っていた。どちらかといえば地味で控え目な服装が多かったからだ。
それだけにレインコート姿とは言え、こうした服装を嬉しいと思う気持ちがこいつの中にあったというのは新たな発見だった。
だが、元々が引っ込み思案な性格だ。後になって恥ずかしくならなければいいがなあとオレはこの時考えていた。
そして、その心配は今朝の登校で如実に証明された。
道すがら、あかりの姿を見た生徒からはクスクス笑いが漏れ、学校が近づき集団になるにつれ、その度合は大きくなっていった。
陽気に振る舞っていたあかりも次第に恥ずかしさと不安に包まれていったのだろう。すがる様な目をしてオレに聞いてきた。
「浩之ちゃん。この格好変かなあ?」
その言葉を聞いて、オレは逆にホッとしていた。
なんだ、やっぱり気にしていたんじゃねえか。
「お前はどう思うんだ?」
「え...う、うん..変じゃ無いと思うけど...」
さっきまでの元気もどこへやら。周りの視線に耐えかねてすっかりうつむいてしまったあかりがトボトボと歩いている。
本当にしょうがねえ奴だなあ....
オレは口を開いていた。
「お前、さっきまで『似合う?似合う?』って聞いてたじゃねえか。その時オレがなんて答えたかもう忘れたのか?」
「ううん、覚えてる。浩之ちゃん似合うって言ってくれた。だ、だけど...」
オレは傘を持ち換えると、ポンとあかりの頭に手を置いた。
ビクッ
驚きと不安がオレの掌を通して伝わってくる。
「だったらそういう事だ。オレは似合ってると思うし、お前もその格好が気に入ってる。それでいいじゃねえか。回りの連中の事なぞ気にするな。胸張って堂々としてりゃあいいんだよ」
「う、うん。でも...」
まだ迷っていそうな素振りに、オレは駄目押しをした。
「それにだな、もしお前のその格好が本当に恥ずかしいと思ったら、オレは一緒に歩いてなぞいないぜ?もう一度言うけど、オレは似合ってると思う。それじゃダメか?」
「.......」
何を黙ってるのかと思ってよく見ると、あかりは下を向いたまま言い出し難そうにしている。
オレは頭から手を放すと、その様子をじっと観察していた。
「....似合ってるだけ?」
「あ?」
「.....可愛い?」
「..............」
こんのやろー。こんな大勢の中でそれをオレに答えろって言うのかよ!
あまりの図々しさに思わずあかりの頭をペン!しようかと思ったが、そんな姿を見た次の途端、瞬時にオレは口をつぐんでいた。あかりの瞳に圧倒されたからだ。
それは期待に満ち溢れ、オレに言って欲しい言葉はたった一つしか無いとでも言いたげな無言の圧力を秘めていた。
恋人のそんな瞳に抗える男など、この世にはまず存在しないだろう。
オレは半分ヤケクソ気味に言い放った。
「スゲー似合ってるし、とっても可愛いとオレは思う。これでいいか?」
「うん。ありがとう浩之ちゃん」
予想通りパッっと明るい顔になって嬉しそうにオレを見つめるあかり。
集団の中、その後に起こった事は...まあ、勝手に想像してくれ。例によっていつものパターンだ。
何だかこいつと付き合う様になってから、そうした恥ずかしさというものが麻痺してしまった感じがする。良い事なのか悪い事なのかはオレには分からないが。
そして後、すっかり元気を取り戻してからのあかりは万事がこの調子だった。ハイな状態が続いたままなのだ。可愛いと言ったのが嬉しかったのか、それとも別の事が嬉しかったのか。
まあそれはそれとして、今までの引っ込み思案な性格を考えれば、それなりに自己主張出来るのはいい事だとオレは思っている。
自分が言いたい事を言う。やりたい事をやってみる。互いに気心知れた上でのそうしたあかりの性格は、むしろ歓迎すべき事だった。
常に彼女を受け入れ、理解してやれる男でありたい。
そう考え実践出来る事に、正直オレは喜びすら感じていた。
「きゃっ!」
「危ねえ!」
転びそうになったその身体をパッと支えてやる。何度目かの驚いた表情。
だが、例によって直ぐにニコーっとすると、同じセリフを再び繰り返した。
「危なかった〜」
「....いい加減にしろよ?お前は..」
「ご、ごめんなさい」
そう言ったかと思うと、次にはおじぎ草の様にシュンとなる。栄枯盛衰を見ている様で本当に面白い。
そんな姿に少し笑うと、オレは助けた片腕でキュッっと軽くあかりを抱きしめた。
えっ?という表情に軽く言い放つ。
「次はもう助けねえからな。そのつもりでいろよ?」
「う、うん」
腕を放すと、ちょっとは反省したらしく、少ししおれた感じで立っている。
ポンッ
オレはそんな背中を軽く叩いた。
「ほら、そんな顔するな。別に黙って歩いてろとまでは言ってねえだろ?」
意図が分かったらしく、とたんにパッっと明かるい表情になるあかり。
オレの影響からか、こうした気持ちの切り替えは本当に早くなった。
二人歩きだすと、さっきのしおれた表情がウソであるの様な明かるい声をかけてくる。
「ねえねえ、私、一寸だけ替え歌作ったんだよ。浩之ちゃん聞いてくれる?」
...何だかイヤな予感がする...なんでだろう?
「あ、ああいいぜ。歌ってみろよ」
「うん。じゃあ」
ゴクリ...なんでこんなに緊張しなきゃなんねえんだ?
「あっめ雨降れ降れ、かあさんが〜〜♪」
「..........」
「浩之ちゃんがお迎えうっれしいな〜♪.....あれ?」
....思い出した。しっかりと思い出していた。
『一緒に歌おう』と言われて仕方無く歌った時、途中でいきなり死ぬ程くだらねえ替え歌うたいやがって、本当にダメージ被ったのがこの歌だったのだ。
「浩之ちゃんどうしたの?おなかでも痛いの? こんな所でうずくまってたら濡れちゃうよ?」
大体どうして「かあさんが〜」の後にオレが迎えにきて嬉しいな〜なんだよ!
脈絡もクソも全然ねえじゃねえか!
.....しかし、考えてみれば、これが「あかりギャグ」の発端だったのかもしれねえな......
そんな馬鹿な事を考る頭はあっても身体に起こった脱力感は簡単には癒えず、相変わらず屈っ伏したままのオレだった。
「ねー浩之ちゃん。本当に大丈夫?」
「だ、大丈夫だ。大丈夫だからすまねーが一寸だけこの状態で居させてくれ」
「でも..やっぱりお医者さんに行った方がいいんじゃないかなあ」
「いや、そんなんじゃねえんだ。一寸疲れる事があっただけでな...」
「疲れちゃったの? どうしたんだろう? 風邪かなあ? じゃあ、今日は浩之ちゃんが元気になる様に美味しくて消化のいい料理を沢山作ってあげるね」
屈託無い笑顔の全然分かってないあかりを横目で見ながら、こいつのこうした性格もじっと見守ってやる必要があるなとオレはこの時感じていた。
「紫陽花の子供 - 本章」へ続く.....
【挿し絵について】
作中の挿し絵は『画廊・峠の茶屋』のunziさんより、第2TASMAC-NET創設一周年記念として贈って頂きました。unziさんどうもありがとうございます。
元絵は「お宝の部屋」に置いてありますので、よろしければそちらもご覧ください。
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