〜 BLACK MULTI 〜


ブラック理緒、頑張る!〜 後編 〜






 二月中旬の昼下がり。冬の寒さがまだ厳しいこの時期には珍しく、その日は春を予感させる穏やかな陽気だった。近くに住む若い主婦は、既に掃除洗濯を済ませ、乳母車を押したり手を引いたりして、小さな子供を自宅近くの公園まで連れ出していた。
 子供は元気だ。家を出た時は長袖だったが、今ではすっかり半袖となり、他の子供たちに混じりながらキャーキャー言って遊んでいる。ベンチに座った母親たちは、その様子を時折見ながら乳飲み子に乳を与えたり、本を読んだり、編み物をしたり、談笑したりと、それぞれが暖かい陽気を思い思いに楽しんでいた。
 そして、そんな様子を、やはり近所に住む一組の老夫婦がベンチに座りながら、目を細めて幸せそうに眺めていた。かつては自分たちもそうだった様に、昔の子育て時代を思い出しているのだろうか。
 平和だった。誰もがこれから暖かくなるだろう季節を楽しみにしていた。そして、この穏やかさがいつまでも続く事を無意識のうちに信じていた。

....ドドドドドドドドドドドドドドドド

 何かが近づいてくる。まずベンチに腰掛けていた母親たちが全員顔を上げ、次に老夫婦が危険を感じ、最後には遊びに興じていた子供たちがくんずほぐれつの状態のまま動きを止めた。全員の視線が公園の入り口に集中する。

「新聞ブーメラン!..新聞ブーメラン!」
「ブ、ブラック理緒〜〜!!もういい加減にしろ〜!!」

 訳の判らない叫び声が聞こえてくる。子供たちは恐怖にかられ、急いで母親たちの元へ戻った。母親も全員が立ち上がり、同じ方向を凝視したまま、子供をしっかりと抱えている。そして、それは突然現れた!
 両脇にセーラー服の女学生二人を抱え上げた、詰め襟姿の男子学生。それを追いかけるスクール水着姿の若い女の子。なんとその子は、配達員の様に新聞の束を抱え、それをブーメランの様に飛ばして、男子学生を攻撃している。
 あまりの異様さに、そこに居た全員が凍り付いた。

「新聞ブーメ..きゃあ!」

 ズデーン!
 水着姿の女の子が見事なヘッドスライディングを決めた。いや、この場合顔面スライディングと言うべきか。両手をダイビングの様に前に突き出し、顔面を完全に地面に埋め、両足が宙を泳ぐ状態で止まっている。

「や、やっと止まったか?ぜー、ぜー」

 男子学生はその様子を感じると足を止め、両脇に抱えた女学生を地面に下ろした。次には地面に両手両膝を付き、顔を下に向けたまま苦しそうにあえいでいる。

「ひ、浩之ちゃん大丈夫?!」
「大丈夫ですか〜?浩之さ〜ん!」
「ぜー、ぜー、ぜー、だ、大丈夫じゃないけど大丈夫だ、ぜー、ぜー」

 そして顔を上げ、回りを見回す。思わず近くに居た若い母親と目が合った。
 びくっ!
 次の瞬間、その母親は自分の子供を抱え上げ、そそくさと逃げる様に公園を後にした。それが合図かの様に、他の親子も同じ様に公園から引き上げていく。

「ママー、あのおねいちゃん、ふゆなのにどうしてみずぎなの〜?」
「のりこちゃん!見ちゃいけません!」

 そうして誰も居なくなった。いや、正確には老夫婦がまだ脱出中だ。二人で身体を支え合う様にして、ヨタヨタと公園を抜けつつあった。
 平和だった公園は、今まさに戦場と化した。

「はあ、はあ、はあ、藤田君、さあ、勝負よ、はあ、はあ」
「ぜー、ぜー、ちょ、一寸待て、ぜー、ぜー」

 どうにか立ち直った理緒が、まだドロの付いた顔を浩之に向ける。それを受けて浩之も構えるが、マルチとあかりの二人を抱えて、ここまでダッシュで逃げてきたダメージからまだ抜け切っていない様だ。どうにも足元がおぼつかない。
 だが、この勝負、逃げる訳にはいかない!と先程まで散々逃げ回っていた事は棚に上げて、浩之は決心する。
 その浩之の前に、マルチとあかりがズイッと背中を見せて立ち塞がった。

「お、おい!何やってんだお前たち」
「浩之ちゃん、御苦労さま。後は私たちがやるから心配しないでね」
「浩之さんは休んでいてください。わたしたち頑張りますから」
「え?だ、だがしかし!」
「大丈夫大丈夫。私たち全然疲れていないもん。今がチャンスでしょ?」
「えへへ〜、浩之さんの作戦勝ちです〜」

 言われて浩之はハッとした。自分も疲れているが、新聞ブーメランを出しながら追いかけてきたブラック理緒も相当疲れている。それならエネルギー120%状態の二人が協力し合えば、負ける道理は無い。
 浩之は即座に決断した。

「飛び道具だけ気を付けろ!相手の懐に飛び込めばお前たちの勝ちだ!」
「了解!」「了解です〜!」

ジャキーン!互いの武器を取り出す二人。それを見て理緒がたじろぐ。

「ひ、卑怯よ!こんな状態のわたしに二人同時で来るなんて!」
「その言葉、そっくりお返しするわね雛山さん。マルチちゃん!コンビネーション!」
「はい!あかりさんとマルチのコンビネーション。略して『あかマルコンビ』いきま〜す!」

 二人の武器がクロスする。ガキーン!その瞬間、そこから強い光が放たれた。その様子を見ていた理緒は、眩しさから次第に視力を奪われていく。

「な、何?全然見えない!ええい!新聞ブーメラン!」

 だが目標を定められない今の理緒にとって、その必殺技は無力に等しかった。光が近づき、次第に大きくなっていく。

「あーかーマールー急上昇コ〜〜ンビ!!」

 二人の声がハモり、光が急速に理緒を包みこむ。カッ!鋭い閃光!その瞬間、勝負は決した。

「きゃああああああ!!」

 ブラック理緒の悲鳴。ドサッっという音。やがて全ての光が元に戻っていく。
 そして、いつもの公園の風景に戻った時、彼女は再び地面に倒れていた。

 シュウウウウウゥゥゥ.....

 ブラック理緒の身体から悪の思念体が抜けていく。
 マルチとあかりはその様子を見て腕をクロスさせると、勝利のポーズを決めた。

「やったね!」
「やりました〜」
「よくやったな。偉いぞ二人とも」
「あ、浩之ちゃんやったよ!」
「浩之さんやりました〜。いつものご褒美ください〜」
「よーし!それじゃ二人にはいつもの『なでなで』ご褒美だ〜」
「あ!ひ、浩之ちゃん...」
「えへへ〜。浩之さん嬉しいです〜〜」

 互いの頭を浩之にたっぷりと撫でて貰い、笑顔満面の二人だった。そんな様子を見る浩之もまた、極上の笑顔を二人に返す。
 理緒に目をやると、どうやら悪の思念体は完全に抜けた様だ。未だに水着コスチュームのままではあったが、彼女の側には学校の制服がきちんと折り畳まれて置かれていた。中々気の利いた思念体だった様だ。
 三人は理緒に駆け寄った。

「理緒ちゃん。大丈夫か?」
「大丈夫ですか〜?」「雛山さん大丈夫?」
「...う、ううん...」

やがて、理緒は目を開けた。

「あ...み、みんな...そうか、わたし、操られていたんだ...ごめんなさい..みんなに酷い事しちゃって...」
「気にするな。それより理緒ちゃん、元に戻れて良かったな」
「雛山さんごめんなさい。思い切り叩いちゃって」「すみません理緒さん」
「ううん..謝るのはわたしの方....ごめんね。本当にごめんね。ごめんなさい...」

 どうやら、いつもの理緒に戻った様だ。三人はホッとした顔をする。
 ブラック理緒。中々手強い相手だった。だが、今回もどうにか危機を乗り切る事が出来た。それに、全員が無事で本当に良かった。理緒ちゃんもこれに懲りて二度とブラック化しようとは思わないだろう。
 立ち上がろうとする理緒をマルチとあかりが両脇から支える。とりあえずは病院に連れて行った方がいいかな?と考えつつ、全員の鞄や荷物を拾い上げようと浩之が背中を見せたその時だった。

「キャー!ひ、雛山さん何を!」
「理緒さーん、放してくださーい!」
「動かないで!マルチさん!神岸さん!」

 何だ!何が起こった!新たな敵か?!
 浩之がそう思って振り返った時、予想もしなかった光景が飛び込んできた。理緒がマルチを背後から押さえこみ、その首筋に何か棒状の装置を当てている。先程の弱々しさは既に無く、そこに居る全員に対して威嚇する表情を見せていた。あかりはその側でオロオロしている。
 一体何をやっているんだ?
 浩之のそうした表情を見た理緒は、それに応えるかの様に話しはじめた。

「これは..瞬間的にだけど、かなり強い高周波を発生させる装置よ。一回だけの使い切りだけどね。でも、この状態でスイッチを押せば、マルチさんの電子頭脳は一巻の終わりだわ」
「り、理緒ちゃん?。君はまだ思念体が抜けていなかったのか?」
「いいえ。わたしは雛山理緒。ブラック理緒じゃないわ」
「それなら何故そんな事をする?!まだ戦うつもりか?そこまでして君が戦わなければならない理由って何だよ!」
「...家族の為よ。生活の為よ!さっき言ったでしょ?!それ以上は言わせないで!それより、わたしの制服のポケットに小さな金属製の箱が入ってるから取り出して。ボヤボヤしてるとボタン押すわよ!」

 それでも何かを言いたげな浩之だったが、結局諦め、理緒の言う通り制服のポケットから小さなアルミ製の箱を取り出した。彼女の指示で蓋を開ける。その中には、薔薇の花を象った奇麗なチョコレートがポツンと一つ、箱の中央に咲いていた。その色は、市販のブラックチョコのそれよりもさらに黒く、日の光に美しく輝いている。
 浩之は質問した。

「これは?」
「わたしの手作りのチョコレートよ。藤田君にあげる。一生懸命作ったのよ。わたし、前から藤田君の事、一寸いいなって思ってたんだ。そうでなければ、思念体の力を借りる事も出来なかったしね。でも、神岸さんの様に強い思いがあった訳じゃないから定着しないし、元の理緒に戻るのも時間の問題だったのよ。だから心が支配される事も無かったし。でも、その方がわたしにとっては都合が良かったわ。思わぬ告白になっちゃったけど、お願いだから受け取って」
「そりゃ光栄だね。今日がバレンタインデーだからか?はっ!こんな状況で女の子からチョコ貰う奴なんて、世界広しと言えどもオレ位だろうな」
「そうね。わたしだってこんな状況での告白はしたく無かった。でもね、これも任務なのよ。わたしは自分の恋よりも、自分の家族や生活を優先させる事にしたの」

 そう告げる理緒の表情を見た浩之は即座に理解した。彼女の本意を。そして、彼女の本当の思いを。
 理緒はその思いを振り切るかの様に言葉を続ける。

「藤田君。そのチョコ、わたしの目の前で食べて。そうすればマルチさんを解放するわ。思念体がたっぷり入っていて美味しいわよ」
「なるほど。やはりそういう事か。オレを来栖川インダストリィの犬にしたい訳だな?」
「直に、という訳じゃないけどね。それでも身体の中に一度入れば、小一時間のうちに少しづつ心が支配されて、最後にはすっかり思念体に取り込まれるわ。吸収が早いから、直に吐き出したとしても無意味よ。そして、藤田君は別の人間として生まれ変わるのよ。マルチさんに興味を無くした、ブラック藤田としてね」
「浩之ちゃん食べちゃ駄目!」「浩之さん食べないでください!」

 悲痛な声で二人が止める。だが、浩之の心は既に決まっていた。これを食べればマルチは無傷で解放される。それならば何も迷う事は無い。
 浩之はチョコに手を伸ばした。

 ハラリ

 チョコの横に丁寧に折り畳まれ置かれていた紙が落ちる。浩之はそれを拾い上げると、広げて目を通した。やがてクシャッとそれを丸め、理緒に再び顔を向ける。

「約束は必ず守れよ?破ったりしたら許さねえからな」
「心配しないで。そこまで悪人じゃないわ。それに、わたしの任務はそれで終わりよ。だから必ず約束する。さあ、お喋りはここまでよ。早く食べなさい!」
「一寸待って!浩之ちゃんお願い!」
「浩之さ〜ん!お願いです〜!止めてくださ〜い!!」

 二人の哀願を聞いていないかの様に浩之は薔薇のチョコを手に取ると、それを口に含んだ。
 パク、モグモグ、ゴックン。
 そして口の中を開け、完全に飲み込んだ事を理緒に見せる。

「さあ、約束だ。マルチを解放しろ」
「分かったわ。藤田君ありがとう。これでわたしの任務は完了したわ」

 ガチャ。理緒は武器を捨て、マルチを解放した。そのとたん、弾かれた様に浩之の胸に飛び込むマルチ。あかりも心配して急いで浩之に駆け寄る。

「浩之さ〜〜〜ん、身体大丈夫ですか〜?苦しくないですか〜?何とも無いですか〜?すみませ〜ん。わたしがドジなばっかりに〜」
「浩之ちゃん!私の知ってる浩之ちゃんだよね?!身体を乗っ取られる様な感じ無い?お願いだから自分に負けないでね!浩之ちゃんが私の事応援してくれた時みたいに、私も出来る限りの事するから!」

 浩之は、胸に飛び込んできたマルチの頭を優しく撫でながら、事も無げに言った。

「心配するな。今ん所は大丈夫さ。だが、もうすぐオレは思念体に取り込まれた危険な状態になる。何とか頑張ってみるが、その時はお前たち、オレに絶対隙を見せるなよ。いいな?そして、オレが押さえ切れていない様なら直に逃げろ。これは厳命しておくぞ。分かったな?」

 浩之の言葉に二人は絶望的な表情を見せ、すっかり言葉を無くしていた。マルチは大粒の涙をボロボロとこぼしている。あかりも泣きそうな顔を見せるが、次の瞬間、キッと顔を上げ、つかつかと理緒に歩み寄った。

パアン!

 あかりは理緒の頬に平手を見舞った。その行動に浩之もマルチもア然となる。

「卑怯者!あなたは自分さえ良ければそれでいいの?!人を傷付けて自分は何も感じないの?浩之ちゃんがあなたに何をしたって言うのよ!」
「あかりよせ!彼女は彼女の立場があって仕方なくやった事だ。分かってやれ」
「そんな!だって浩之ちゃんが!」

 あかりは驚いた表情を浩之に向ける。そんな気持ちを真正面から受け止める様に、浩之はゆっくりと話しはじめた。

「あかり、いいからよく聞け。人にはそれぞれの立場というものがある。理緒ちゃんはこれまで病気のお母さんと幼い弟の面倒を、彼女たった一人でみてきたんだ。それがどんなに大変な事か分かるか?正直、オレにだって分からない。その状況になったら不安で眠れない夜を何日も過ごすかもしれない。今、オレもあかりも両親が健康でいてくれるから、こうして学園生活を謳歌していられるんだ。だからこそオレはマルチと一緒に暮らせているというのもあるしな」

 浩之はマルチの方に顔を向けた。まだ涙の残る顔でキョトンとするマルチだったが、やがてニコッと笑顔を返す。

「わたし、浩之さんとこうして一緒に暮らせて幸せです。その事に感謝しています」

 それを聞いた浩之もニコッとすると、再度あかりに向き直った。

「という訳だ。分かるだろ?オレもお前も両親の庇護の下にいるから、一丁前に正論をかざしていられるのさ。無論、理緒ちゃんのやった事は誉められた事じゃない。だが、それが自分の家族を支える為であるのなら、情状酌量の余地は十分あると思うんだ。万が一何かあって、オレもお前も自分の家族や生活を自分一人だけで支えていかなければならないとしたら、果たして理緒ちゃんが取った様な行動を、オレたちも取らないと言い切れるかどうか。本当なら大人になってから経験するだろう苦しみを、彼女はオレたちと同じ歳で既に味わっているんだ。それがいかに辛く大変な事か、頭のいいお前なら分かるだろ?彼女の気持ち、少しは分かってやれよ。な?」
「で、でも浩之ちゃん。このままじゃ...」
「オレだったら大丈夫さ。お前たちがいれば、思念体の一つや二つ、恐るるに足らんぜ。そうだろ?」
「ひ,浩之ちゃん......うっ...」

 あかりは浩之の胸に顔を埋めると、声を押し殺して泣き出した。浩之はそんなあかりの髪を優しく撫でる。
 しばらくして、黙ったまま顔を伏せていた理緒が話しかけてきた。

「藤田君...あの、謝って許して貰える事じゃないけれど...」
「ストーップ。理緒ちゃんさ、今回は君の家族を大事に思う心に免じて許すけど、はっきり言って今のバイト、これ以上続て欲しく無いんだ。それだけは約束してくれねえかな?」

 理緒は、浩之の顔をまっすぐに見つめると、はっきりと口に出して言った。

「分かった。藤田君約束する。このバイトはもう二度としない。これでいい?」
「ああ、それじゃ約束だ」

 浩之は自分の右手小指を理緒に突き出した。一瞬何か判らなかった理緒も、その意図を直に理解し、自分の右手小指を浩之のそれに絡めた。

「指切りげーんまん。ウソ付いたら思念体入りチョコのーます。指切ーった!」
「ふ、藤田君。もう、やあねえ..でも、本当にごめんなさい..」
「いいよ。それより理緒ちゃん、今の自分に正直な気持ち、これからも大切にな。さあ、もう任務完了なんだろ?早く戻って働いた分は回収してこいよ。タップリと分捕ってくるんだぜ?」
「藤田君...このバイトは辞めるから、それはもう..」
「ダメだなあ。こういう場合はもっと狡猾にならなきゃ。報酬は報酬さ。さあ、行ってきなよ」
「う、うん、分かった。ありがとう藤田君。ごめんなさい神岸さん、マルチさん」

 そう言って去っていく彼女の後ろ姿を、浩之は見えなくなるまで見送っていた。
 やがて、心配する二人に向き直ると、いつもの表情のまま、あっさりと言った。

「さーてと。それじゃあスーパーに寄っていこうぜ。バレンタインと夕食の材料買うんだろ?少し時間食っちまったけどな」

 思ってもいなかった事を言われ、二人は口を開く事すら忘れた。だが、それは一瞬の事だった。

「浩之ちゃん!それよりも早く病院に行こ!先生に見て貰おうよ!」
「浩之さんそうしましょう!今ならまだ症状が出る前です!間に合います!」
「何だ。二人ともまだ気付いていなかったのか?ホレ!」

 そう言うと、浩之は先程クシャクシャに丸めた紙をポイと二人の方にほおった。心配と疑問が混ざった顔の二人は、それをガサガサ広げると、顔を並べる様にして読みはじめる。
 やがて二人は顔を上げ、浩之を見てプーっと頬を膨らませた。

「浩之ちゃん!全て分かっててお芝居打ったのね?ひどーい!」
「浩之さんヒドイです〜。わたし凄く心配したんですよ〜!」
「ゴメンゴメン。まあ、敵を欺くにはまず味方からって言うだろ?どこで監視している奴が居ないとも限らなかったしな。まあ気を取り直せよ。とりあえず一件落着って所かな?」

 それでも納得していなさそうな二人だったが、そんな浩之の元気な後ろ姿を見て、ホッとした表情を互いに見せていた。

「おーい、何やってんだー?行くぞー」

 その言葉にやがて気を取り直し、二人揃って嬉しそうに浩之の後を追いかけた。



◇      ◇      ◇




 近くのリムジンに待機していたブラックセリカとブラック智子は、先程の理緒の戦いを納めたビデオに見入っていた。その横に、制服姿の理緒が小さくなりながら着席している。三人とも先程から黙ったままだ。
 やがて[了]のテロップが出ると、智子はフゥーとため息を付き、座席にゆっくりと身体を沈めた。そしてチラと理緒を見やる。

プルルルル..ガチャ

「...あ、私や。うん、そうか。分かった。ほな引き上げや。ご苦労やった」

カチャ

「今、部下から報告が入ってな、藤田浩之には全く変化が見られんそうや。三人揃って楽しそうに買い物しとるんやと。とっくに効果が現れてもおかしく無い時間やで?どないなっとんのや?」
「..わ、わたしは知りません。言われた通りにした筈です。お疑いなら、調べたらどうですか?」
「あんたが使った調理室ならとっくに調べたわ。確かに思念体の元を使うたんは確認した。せやけど、実際にそれが藤田浩之の身体に入って影響を及ぼしたかっちゅう事なら否!や。結果だけ見るんやったら、雛山さん、あんたは失敗したっちゅう事やなあ」

 理緒は、ブラック智子のそうした言葉の一つ一つにビクビクしていた。

「わたし、思念体の元は使っていません。使った様に見せかけたんです。それにそんな非人道的な事は出来ませんでした」

そう言いたかった。だが、出来なかった。それは、影の組織に対する裏切りを、自ら告白するのと同じだ。どんな報復が待っているか分からない。今、自分が居なくなったら、誰が母親や良太の面倒を見るのか?それを考えると恐ろしくて、とても言えなかった。
 そして、悔いていた。命令されたとは言え、自分は何て罪深い事をやろうとしていたのだろうか。
 もうこりごりだ。辞める事を伝えなければ。理緒はそのチャンスを伺っていた。
 そんな彼女の心を知る由も無いブラック智子は、見下す様な目を理緒に向けると、セリカにお伺いをたてた。

「ブラックセリカさま。今回の件、如何いたしましょう?」

 一通り見終ったビデオを先程から操作して、色々なシーンを再度チェックしていたセリカだったが、ある部分をデジタル静止画に取り込むと、しばらくそれにじっと見入っていた。二人は黙ったまま待ち続ける。

「..あ、あの!」

 沈黙に耐えきれず、理緒が切り出そうとした時、セリカが智子に耳打ちした。

「.........」
「は?...はい、分かりました。雛山さん。あんた今回の仕事でクビや。もう二度と使う事は無いそうや。まあ当然やな。その代り、お咎めは一切無しやそうや。私から言わせて貰えば、随分と寛大な措置やと思うけどな。普通ならバイトとは言え、その責めを負わされても文句は言えんのやで?」

 良かった。これで無事に辞められる。理緒はホッとしていた。
 だが、この分では貰った前金も返さなければならないだろう。残念な気持ちはあるが、責任を取らされる事を考えれば大した話しではない。

「.....................」
「え!そっそんな!しかし!...本当によろしいのですか?」
「.............」
「..はい....分かりました。そうおっしゃられるのなら」

 ブラック智子は思い切り渋い顔をした。
 何だろう?まさかバレたんだろうか?
 理緒はどうしようもなく身体が震えてくるのを感じていた。早く解放されたい。その事ばかり考えていた。

「雛山さん。これ、今回の仕事の報酬額や。確認の上、受取りのサインをここへ」

 そう言って智子が差し出した書類を見た理緒はビックリ仰天した。成功報酬として5万円。そして効果報酬として10万円が計上されていた。これで理緒は前金の5万と合わせて20万の報酬を獲得した事になる。

「こ、こんな大金...本当にいいんですか?」
「セリカさまの寛大な御措置に感謝する事やな。まったく、成功もしてへんのになんでやねん。これでは他の部下への示しがつかへん。そうや雛山さん。この件はくれぐれも内密にな。そうせんと他の部下が暴動起こすよってな」
「は、はい。分かりました」

 サインが終わり、報酬の入った袋を受け取った理緒は、リムジンから降りるとペコリと御辞儀をした。智子はブスッとしたままだったが、首領のブラックセリカは微かに笑みを浮かべ、軽く手を降った。
 やがて、リムジンは音も無く走り出す。しばらく理緒はその場に佇んでいたが、見えなくなる直前に、もう一度頭を下げた。
 智子は後部座席に備え付けられたバックミラーで、そんな様子を見ていたが、理緒が見えなくなると、おもむろに口を開いた。

「私には解りません。作戦は失敗。多額の報酬。今回、組織にとって何か得した事はあるんですか?」

 セリカは智子に向き直ると、「分かりませんか?」という顔をした。

「.......」
「え?今日はバレンタインデーですね?..ええ確かに。ですが、それが?」
「.........」
「こうした日は、争いを止めて、人間としての優しい心を取り戻す事もいいかもしれませんね...ですか?しかし、どうしてそんな事を急に?」
「...........」
「私には既に解っていると?私がですか?」

 セリカの言葉に驚きを感じた智子ではあったが、心当りが無いわけでは無かった。ビデオを見てからの自分の心の奥底に感じる、微かな疼き。セリカにそう言われた事で、智子はしばらくその疼きを掘り起こす様に、考えを巡らせていた。
 やがてゆっくり顔を上げると、呟く様に言葉を漏らした。

「...ええ、そうです。その通りです。何でもお見通しなのですね。セリカさま」

 ビデオの中での浩之の言葉。その一つ一つが智子の胸を刺していた。そして、解っていた。ブラックとして存在する自分。それによって、浩之がより眩しい存在になっていった事。そして、イヤでもそれを自分の中で認めざるを得なかった事も。
 そして、それはセリカにしても同じだった。組織の為とは言え、今回の計画は彼女の発案によるものだった。成功すれば、浩之を自分の組織に取り込む事が出来る一石二鳥の良策だとも思っていた。
 だが、それは失敗した。それにもかかわらず、ビデオを見た後、その事にホッとする自分がいた。そして気付き、理解した。理緒がわざと思念体を使わなかったその理由に。
 彼女の気持ちが、自分には痛い程よく解った。そして感謝した。そうでなかったら、毎年この日が来る度に、自分は自責の念に駆られなければならなかっただろう。
 多額の報酬は、その事への感謝の気持ちでもあった。
 ブラックである二人。しかし、今日のこの日だけは、自分に素直な少女でいたい。その思いは一緒だった。


 その心を取り戻しに行きませんか?今からでも遅くはない。きっと間に合いますよ。


 智子を静かに見つめるセリカの瞳は、そう伝えていた。

「...ええ、私も今、そう思っていた所です。是非御一緒させてください。そういう事でしたら、葵も誘いましょう。彼女、喜ぶと思います」

 その言葉を聞いて、セリカは優しく微笑んだ。
 彼女たちの前には、先程セリカが操作した静止画が映っていた。理緒が作った、薔薇の花を象ったチョコレート。それは漆黒の闇を思わせる色でありながら、日の光を受けてキラキラと奇麗に光り輝いていた。
 智子はポツンと言葉を漏らす。

「そういえば、その事に初めて気付かせてくれたんは、藤田くんやったなあ...」

 それは、束の間に芽生えた二人の優しい心を象徴しているかの様だった。







                     −   了   −











あとがき


 どうも、TASMACです。このたびは、私にとって2作目となりますブラックマルチシリーズのSSをお読みくださり、どうもありがとうございます。(ブラックマルチシリーズにつきましてご存じ無い方は、こちらからお入りください。詳細も含め、私の1作目もあったりします。)
 私がこのSSを初めて公開したのは1999年のバレンタインの頃でした。今が2005年ですので、既に6年も前の作品という事になります。
 当時はSSを書くのが楽しくて楽しくてたまらない時期であり、まさに若気の至りな内容となっています。それ故に今、改めて読み直してみると何とも懐かしく、かつ気恥ずかしく、文章的にも無性に直したくなる部分が多々あるのですが、読まれる方が当時の活気を少しでも感じて貰えればと思い、作成当時そのままで今回は掲載します。
 色々あって未公開となっていた本SSですが、時期的にバレンタインデー間近であり、このまま永遠に埋もれてしまうのも惜しいと思い、ここに久々のHP更新も含めて公開しましたが、読まれた方はどんな感想を持たれましたでしょうか?
 一度読まれた方には懐かしく、初めて読まれた方には一寸可笑しく、そして再び、ほんわかな気持ちになって頂ければ幸いです。

2005年2月13日 久々の三連休の中で



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