〜 BLACK MULTI 〜


ブラック理緒、頑張る!〜 前編 〜






 昼なお暗い地下の一室。六畳程の部屋には窓も無く、ただ一ヶ所の出入り口は頑丈な鉄の扉で固く閉ざされていた。
 天井に設けられた丸い換気ダクトがゴォーと低い音を立て、そんな場所へと輪をかける様に重苦しい雰囲気を与えている。
 部屋の中では、二人の人物が無言のまま、互いに向かい合って座っていた。椅子は薄汚なく、事務で使う様なグレー色のそっけも無いもの。二人の間を阻むかの様に置かれた事務一号机はさらに汚く、部屋の真ん中にデンと当たり前の様に据えられている。
 机の上には「ヤブ」と書かれた蕎麦ドンブリが二つ。既に中身は無く、使った割り箸が橋渡しの状態で置かれていた。そして刑事が使う様な尋問スタンドが一つ。それが発する光は、一方の人物を煌煌と照らしている。
 胸元の大きなリボンが特徴のセーラー服姿の少女。姿勢を正し、緊張した面持ちを見せている。知らない人が見たら、万引きか何かで捕まった女学生が、警察の取り調べを受けていると思うだろう。
 だが、その相手は刑事では無かった。

「チッ..チッ..」

 どうやら歯の間に挟まったネギが中々取れないらしい。足を組んだ格好でしきりに爪楊枝を動かしている。その相手もまたセーラー服姿だった。だが、その色は黒く、真紅のリボンに黒のタイツ姿という、いかにも悪の秘密結社にふさわしい姿だ。爪楊枝を持つ手に力が入る度に三つ編みにした黒く長い髪が揺れ、イライラが募る彼女の気持ちを如実に表わしていた。
 おもむろに、その女性が口を開く。

「薮を越えたヤブなんて言うから、どないなモンか楽しみにしとったが、大した事無いなあ。これならまだ駅前立ち食いの深大寺そばの方がなんぼかマシや。そうは思わんか?」

 眼鏡をキラリと光らせてそう問いかけたのは、紛れも無く来栖川インダストリィ最高幹部の一人、ブラック智子であった。近くに出来た蕎麦屋が大々的な宣伝をしていたので、試しにと出前を取ったのだが、どうも彼女の口には合わなかった様だ。
 だが、イライラしている原因はそれだけでは無かった。
 問われた少女が事も無げに答える。

「わたしは美味しかったですよ。温かかったですし。それに食べ物さんにそんな事を言ってはバチが当たります。その日きちんと食べられる事に感謝しなければ」

 まるでシスターの様な事を言いながら、彼女は寝癖でピンと立った前髪をまるで触角の様に器用に動かした。固そうな黒髪を後ろ二ヶ所で無造作にまとめ、クリクリした目を智子に向ける彼女の名前は雛山理緒。一時は「うらしなりお」と呼ばれる予定だったそうで、彼女はかなり悩んだが、却下となってホッとしたらしい。

「チッ、雛山さんはええなあ。こないなモンでも幸せ感じられるんやから」

 諦めて無造作に爪楊枝をドンブリの中にほうると、ドカッっと机の縁にケリを入れた。その勢いでドンブリやスタンドが落ちそうになる。それを見た雛山理緒はさらに目をクリクリとさせて驚いた表情を見せた。
 その様子を苦々しい顔で見た智子は、ポイッとポケットティッシュを机の上にほうった。
『戦闘員募集中! 時給750円(経験者優遇) 君と僕とで世界征服だ! 悪の秘密結社来栖川インダストリィ』
という文字と電話番号が並び、裏にはご丁寧にもブラックまるちと戦闘員たちが仲良く肩を組みながら、並んでニコニコしている写真が刷り込んであった。それを見ただけで、何も考えずに電話をしてしまいそうな程、宣伝効果に溢れた作りだ。

「その字見てみい。ちゃんと750円とあるやろ。しかも経験者優遇やで?その意味が分からんちゅう事は無いやろな?」
「ですが、経験は無くてもわたしには資格があると智子さん言ったじゃないですか。それだったらもう少し時給を上げてくれてもいいと思います」
「そういうのを人の足元を見るっちゅうのや!大体経験者にしたって始めは100円アップの850円からや。それをいきなり1,000円やて?深夜時間帯やないんやで?」
「分かっています。でも、わたしだって遊びたいお金が欲しくて言ってるんじゃないんです。生活の為なんです。それを分かってくれてもいいじゃないですか」
「分からんとは言わんが道理が通らへんのや!あんただけ特別扱いする訳にはいかん!始めは750円からキッチリやってもらうのがウチのやり方や!」
「ですが!」

 さっきから延々と繰り返されるバイト代交渉の風景だ。そもそもこの話は、理緒が駅前で戦闘員からティッシュを受け取った所から始まる。そこに書かれる「時給750円」は決して高い金額とは思わなかったが、取り敢えず話だけでもと電話を入れた。その時対応に出たのがブラック智子だったのだ。

智子さんなら、もしかしたら値上げ交渉も応じてくれるかもしれない...

 女子高校生でバイトとなると、雇って貰える所がどうしても限られてくる。だからと言ってお水や自分を売る仕事だけは絶対やりたくないと思っていた理緒にとって、これは渡りに船だった。智子が何故そんな事をやっているのかは聞かず、いかにもその値段で納得した様な返事をして面接を受ける約束をした。
 そして、連れて行かれた先は来栖川インダストリィだった。覆面をされ、ヘッドホンを掛けられた状態で連れて来られた場所が、まさに今いる「特別面接室」だ。全ての縛めを解かれて部屋を見回した時、あまりの異様さに「わたし、もしかして騙されたんじゃ?」と青くなったが、目の前に智子が現れた時には心底ホッとした。それだけに、彼女の頭から生えるメリノー種のツノには気付いていなかった。

「理緒さん、あんたには素質があるなあ。少し弱いけど、ブラック戦士としてはギリギリ何とかなるやろ。私の様に思念体が定着する事は残念ながらあらへんけどな」

 智子によって色々と適性チェックを受けた理緒にとって、思念体とかブラックが何の事かは分からなかったが、このバイトに対する適性がありそうだという事だけは分かった。それなら、何とか交渉に漕ぎ付けられるのではないか?

「あの、それってわたしに才能があるという事かしら?」
「才能と言ってええやろ。私たちが欲してる能力や。本当ならもっと強い力やったらよかったんやけど、まあこの際贅沢は言えんわな。これやという女の子は殆どが元に戻ってしもうたし」
「それじゃ、採用してくれるの?」
「ええやろ。それじゃ正式に採用ということで、この書類にサインしてや」

 いける!もうわたししか居ないんだ。実際にはまだ一人残っているのだが、この時点ではそんな事分かろう筈も無い(笑)。
 理緒は勝負に出た。

「それなら、時給1,000円にしてください。智子さん、お願い!」
「はぁ?ちょ、一寸待ちいや。あんた750円でOK言うたやないか。今更そんな事いうたかてこっちかて困るわ」
「そこを何とか!智子さんお願い!」
「それはあかん。初めに決めた額で合意した以上、ハイそうですかと理由も無く値上げるなんて出来る訳が無い。まあ諦めや。本気でやってたら昇給かてあるしな」
「それならわたし、このバイトやりません。もっと条件の良い所があるので、そちらでやります。でも智子さんはそれだと困るのでしょう?わたしだって本当ならこんな事言いたく無いんです。でも、わたしのやってるバイト、正直に言うと生活の為なんです。家族を支えなきゃならないんです。良太だってこれからお金がかかる時期だし、どうか助けると思って。お願い!」
「事情は分からんでも無いが、決め事は決め事や。あかんちゅうたらあかん!」

 そして現在に至っている。
 実際の所、あまりにこじれる様なら、この話は無かった事にしたかったのだが、そう出来ない理由が智子の方にはあった。
 戦闘員募集。その目的は組織力の強化は無論であるが、主にマルチ破壊計画の突撃要員を確保する事にあった。それには、マルチのユーザーであり恋人である「藤田浩之」を心から慕う女性の存在が不可欠となる。来栖川インダストリィの人事担当も兼ねる智子にとって、そうした女性が現れるのは苦々しく複雑な思いではあったが、組織の為と考えれば仕方の無い事だ。手空きの戦闘員に宣伝用ティッシュを持たせ、学校近くの駅前を中心に活動を展開した。
 ところが、蓋を開けてみると、募集に集まって来たのは男ばかり。

「あの藤田をとっちめて金が貰えるって?是非俺にやらせてくれ!」

 その理由は言わずもがなであろう。当初、そんなのを雇うつもりはさらさら無かった智子に対し、「それなら『対浩之さん戦闘部隊』の新規編成を」と提案したのは、他ならぬ首領・ブラックセリカであった。智子は反対であったが、首領の提案なら致し方無い。
 募集に集まった有象無象を自分の幹部室で面接させる訳にはいかないので、使われていなかった地下倉庫を急遽改装し、『特別面接室』を開設。その面接官は智子が担当した。暗く狭い密室に男女が二人きり。さすれば当然の事ながら、良からぬ考えの輩も出てくる。だが、身の程を知らないそうした連中は、全て智子の「炎のツッコミ」の犠牲となった。おかげで浩之の通う高校は、一時ミイラ男が出没すると近隣の中高校で話題となった。
 そうして何とか使えそうな10人を選抜。思念体は使えないので、催眠効果による洗脳術を用いて潜在戦闘力を上げ、特殊部隊として仕立て上げた。ただし社内研修は費用の関係で全てカットされた。それでも部隊の意気は揚揚であった。

「まあ、こんな奴等に負ける藤田くんとも思えへんけどな」

 早速全員を送り出した智子はそう予想していた。そして、その通りだった。全てが浩之の返り討ちにあったのだ。命からがら逃げかえってきた部隊員の話では「あいつはまるで鬼人だ。戦っている間、盛んに『マルチはオレが守る!』と叫びながら恐ろしい形相で向かって来た。本当に殺されるかと思った...」と洗脳も解けてガタガタ震えている始末。
 その様子を見た智子は、ため息を付きながらも何となくホッとしていた。「やはり私が見込んだ通りの男や」と思ってみたりもする。だが、その能力を発揮させているのが他ならぬマルチである事は間違い無い。その存在の大きさを新たに認識すると共に、やはり早急に手を打たなければと、焦る気持ちが智子の中で大きくなっていった。

「やはり男はあかん。この戦いは女が主役や!」

 それだけに、向こうから飛び込んで来た雛山理緒は水準ギリギリとは言え頼もしく、手放したくは無かった。だが、いきなり値上げ交渉をされた事で、智子のプライドは大きく刺激されていた。時給を1,000円にする事なぞ、自分の権限なら造作も無い事だ。だが、それをここで素直に認めてしまう事は今の智子にはどうしても出来なかった。若さ故のなんとやらという事だろう。

「わかりました。それでしたらやはりこのお話は無かった事にしましょう。条件の良いバイトは他にもありますから。数百円の差とは言え、わたしにとっては死活問題なんです。それにしても智子さんがこんなにわからずやな方とは思いませんでした。そうと決まればいつまでもここに居る理由はありません。さっさと帰してください」

 プチッ
 智子の中で何かが切れた。人に意見され、仕切られる事が大嫌いな彼女にとってそうした理緒の言葉は自殺行為と言える。しかし、彼女はその事に気付いていなかった。

「...雛山さん。まあそういう事ならしゃーないなあ。今回は縁が無かったちゅう事やろな。仕方ない、帰したろ。だが、その前に一つ請求させて貰おうか?」
「な、何ですかその請求って!?」
「さっき食べたヤブの蕎麦代、1,000円や。きっちり耳揃えて払うてもらおうかい」
「せ、せんえんですって!?そんな!あれはこちらが勝手に出したものじゃない。わたしが注文した訳じゃないわ!」
「でも食べたんやろ?それにあれは私のポケットマネーから出しとるんや。交渉成立なら奢ろう思うたけど、決裂ならその理由はあらへん。さ、払わんかい」
「そ、そんな大金持っていません!そんなの卑怯です!」
「卑怯はどっちや。いきなり値上げ交渉なんかしおってからに。ナメとるんちゃうか?ま、金持って無いなら仕方ない。その制服キッチリ置いてってもらうで。無銭飲食は身ぐるみ剥がされるんが日本の昔からの伝統や。なんや擦り切れとるが、その筋のマニアに捌けば、そこそこの値段にはなるやろ。さ、早よ脱がんかい」
「い、いやです!それにこれが無くなったら、明日から学校に通えません」
「そんなの私の知った事かい!それがイヤならグダグダ文句言わず働くことや!さっさとこの同意書にサインしたらんかい!」
「ううう..わたしって、どうしていつもこんなに不幸なの...」

 まるで浪花の三文芝居だが、智子は自分の中に芽生えたサディスティックな感情に少しドキドキしていた。たまにはこういうのもええなあ...
 その時、部屋の一角の空間がユラリと揺れた。

「誰や!」

 咄嗟に智子は反応し身構える。理緒は何が起こったか分からずにオロオロした。

「しゅ、首領!いや、ブラックセリカさま。いつからそこにいらしたんですか?」

 暗闇に浮かぶ二つの目、やがて闇がサアッと引き、闇色のドレスに身を包んだブラックセリカが現れた。手には何やら文庫本を持っている。何かの魔術書だろうか?

「..........」
「え?さっきからずっと居ましたって?うう、全然気付きませんした。さすがはブラックセリカさま。恐れ入りました」
「............」
「え?話は聞いた?彼女は次の計画に絶対必要だから雇いましょう?はい、その話でしたら彼女とは既に口約束では取り交わして...は?大事な戦力ですから、もっとやる気が出る値段にしましょう?セ、セリカさまがそうおっしゃられるのでしたら私は構いませんが」

 ブラックセリカの登場でビクビクしていた理緒だったが、自分のバイト代の話だと分かると、とたんに真剣な面持ちになった。意味も無く寝癖の触角をピコピコと動かしている。

「.........」
「え!ちょっと待ちいや!..じゃなくて、待ってください。ま、前金で5万!?」
「...え、5万って?前金?....って、ご、ゴ、ゴゴゴマンン〜〜〜?!」

 理恵は失神しそうになった。何もしなくても、とりあえず5万は手に入るのである。

「...............」
「そ、それに成功報酬としてさらに5万!それプラス効果報酬として最低5万!ちょ、ちょっと待ってください!そんな雇用費用は我が来栖川インダストリィには....え?全て自分のポケットマネーから出しますって?」
「(コクコク)」
「わ、分かりました。それがセリカさまの御意思であるのなら。しかし、どうして急にそうした報酬を彼女に?」
「....」

 ブラックセリカは無言で手に持つ本を智子に差し出した。魔術書かと思ったが、どうやら違う様だ。表紙には「梅安蟻地獄 〜 仕掛人・藤枝梅安」とある。表では針医の仕事をしながら、裏では高額な報酬と引き換えに暗殺を引き受ける男を主人公とした小説だ。

「ああ、これ知ってます。池波正太郎先生が書かれた暗殺物ですよね。TVの必殺シリーズの元にもなった....まさかこれを読んだからとか?」
「(コクコク)」

 智子はガックリした。ブラックセリカが何かとこうした本に感化されやすい事は以前から知ってはいたが、今回もそれが出た様だ。
 お嬢様の気まぐれやな。
 心の中ではそう思っていた。

「.........」
「え?これからは私の事を『元締め』と呼びなさい?はあ。それじゃあこうお呼びすればよろしいですか?『セリカ元締め』」
「.....」
「.....」
「..........」
「え?格好悪いからやっぱり止めときますって?まあ、そうやろうなあ」

 敬語も忘れて、智子はハア〜とため息をついた。
 この二人のやり取りの中、すっかり忘れられた理緒であったが、彼女は既に失神して床の上に仰向けにぶっ倒れていた。だが、その顔はいつになく幸せそうだった。


[ ブラック理緒、頑張る! −中編−] へ続く.....


[トップメニュー] <-> [二次小説の部屋] <-> [ ブラック理緒、頑張る! −前編−]