2025.05.11

流川教会での演奏会。到着したのは開場の2時直前だったので結構並んでいた。盛況である。『Bach to Bach ザ・リアル古楽』というシリーズの vol.3 の第一部。 vol.1 は2023年にあった。vol.2 は去年あったらしく、バッハのヴァイオリンとオブリガートチェンバロのためのソナタ4,5,6番+アルファをやったらしい。今年は1、2、3番+アルファである。演奏者は バロックヴァイオリン 若松夏美、チェンバロ 大塚直哉。前半で 2番、1番、イタリア協奏曲の順で、後半が「ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ ホ短調 BWV1023。(BWV1023は実は初めて聴いた。曲調が何となく多感様式的なのが気になった。)最後に3番で、アンコールにはマタイ受難曲のアリア Erbarme Dich, Mein Gott。解説としては、ガット弦の音色とか弓の先の方が弱いので音の消え方が違うとか、チェンバロの爪にはガチョウの羽の根元を使うとか、いう話。まあ、どうでもよいが。(第二部は夕方からで、平均律クラヴィーア曲集第二巻全曲演奏だったが、疲れそうなのでやめた。)

    若松夏美さんの演奏は素晴らしかった。音が美しい。演奏が丁寧である。桐朋音大を卒業して渡欧してクイケンに師事したということである。バッハが身体に沁みついている感じがする。音楽に一身を預けていて、気取る処が無い。

    以前にも一度書いたが、バッハのヴァイオリン曲には「死」への想いに誘われる何かがある。僕たちは生きることに懸命なあまり、いつか死ぬことを実感として考えていない。死はたいていの場合突然やってきて我々は途方に暮れる。でも、バッハに限らずではあるが当時の人々にとって死は身近なものだったんだろうと思う。どんなところでそれを感じるか?例えば息の長い単音をヴァイオリンが弾いているのだが、チェンバロの方は同じ音に対して根音を少しづつ変えて(大抵は下降)動くところ。両方で、同じリズム音型を繰り返しながら、これも根音を変えていくところ。対位法の基本なんだろうなあ、と思うのだが、それにしても息が長くて、どこに連れていかれるのか、という感覚に襲われる。死は恐怖なのかそれとも安楽なのか?そういった心の動きとすら言えない何かもっと普遍的な感情に誘われる。同じリズム形で和声を変えていくジャズの即興演奏と形は似ているのだが、その和声の進み具合が違う。よくは判らないのだが、古いルネッサンスの音楽がまだ生き残っているという感じを受ける。

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