2009.07.31

    母は6月5日金曜日に亡くなりました。96歳の大往生です。昨年秋あたりから寝たきりで応答もなくなっていて、ついには嚥下機能が怪しくなって流動食もなかなか食道に入りにくかったようです。何回も肺炎を起こし救急車のお世話になっておりました。そろそろと言われていたので、3月末に会いに行っていました。もう先生も懲りたのか、胃瘻の手術をして家で世話をするようなりましたが、3週間程で息を引き取りました。(胃瘻の手術の時だけは目を開いていたそうです。。。)長男のお嫁さんがよく世話をしてくれたと思います。亡くなった事よりも、ここ数年で呆けが進行し、ついには僕を認識しなくなった時の方が悲しかったです。父を亡くしてからは、パンやお菓子を作ったり、油絵を描いたり、椿や牡丹を育てたりで、結構楽しい人生だったと思います。京都の紅葉も奥日光の紅葉も半分呆けていながらも楽しんでおりました。金曜日の明け方連絡を受けて、霧降高原での演奏をキャンセルして、その夜は妻と2人で線香の番でした。土曜日には葬式で、その夜帰ってきて、さすがに疲れました。葬式には甥や姪が配偶者や子供と全部揃っていて、皆いつの間にか大人になっていて、話が出来るというのが不思議な感じでした。

    母の死なんて、どうということもないと思っていましたが、時折ふっと生前の母のことを思い出していろいろと考えます。死ぬということはこうして想い出の中に生きるという事なんでしょう。通夜の間明け方までずっとバッハのヴァイオリンソナタ(ツィンマーマンのVnとパーチェのPf)をかけて、一曲終わる毎に線香を立てていきました。最近こればかり聴くようになりました。とてもよい演奏です。バッハはバロックから古典派に到る西洋音楽の流れから孤立し、フーガに拘って、飛び出してしまった(歴史的には位置付け困難な)作曲家です。短調を好み、刻むリズムに独特の切迫感がありますが、多分それは人間に必ず訪れる死を暗示しているように思います。死は人間の生きる目的として考えられていました。何故なら死は神が与えるものだからです。精一杯生きる事によって神は死という甘い安楽を与えてくれる、という意味です。こういった死に対する覚悟というものをバッハは職業人として音楽に籠めた、ということだろうと思います。フーガはいずれ終わり、死がやってくる訳ですが、それが祝福された死であるために、フーガは完全でなくてはならない、と考えていたのだろうと思います。僕は神を信じませんが、こういう死に対する覚悟は必要だろうと思うようになりました。最近バッハを吹かなくなりました。僕にはまだ何かが足りないような気がして。

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