201.03.18

第9章「思考・推論の力学理論の構築へ向けて」

    脳と心の研究は内在的にならざるを得ない。脳が内側に世界を形成することはつまり内と外のインターフェースを構築することである。実験家は人間や動物への実験タスクの条件からニューロンの機能を解釈するが、解釈を一つに狭めるように実験条件を制御することが原理的に不可能である。このような状況で議論が科学的に収束するような解釈枠組みを如何にして構築するか?その一環として、認知実験の数学的形式化を試みる。

    サルの認知実験例として、坂上氏の複数属性を持つ多次元視覚刺激の認知実験(個別ニューロンの観察)を採りあげる。刺激属性 Y は、色(c)、運動方向(m)、形(s)である。それぞれの刺激の内容に従ってサルに行動(go)と非行動(nogo)を学習させる。これを Z と表記する。刺激が与えられる前にもう一つ「意味ランプ」X が点灯し、それによって、どの刺激属性を優先するかについての学習をさせる。例えば、意味ランプが色を示すならば、運動方向も形も無視して、色刺激によって行動を決める、という次第である。刺激属性での学習を fc、fm、fs で表現すると、サルの学習した写像 f は、

  f(X,(Yc,Ym,Ys))=fc(Yc) if X=Xc
                 =fm(Ym) if X=Xm
                 =fs(Ys) if X=Xs

である。Xの刺激が 3種、Yの刺激が 2×2×2=8種 であるから、24種の刺激から 2種の行動への写像であるが、2つの推論が可能である。

  写像 g として、条件 X に依存した切り替え写像 Y→Z
  写像 h として、刺激 Y に依存した切り替え写像 X→Z

実験的には、g であるが、g において更に、選択的注意:まず X に従って特定の属性 Y が選択され、その属性から行為 Z が決定される場合と、分離的注意:まず、属性 Y の全てについて並列に行為への変換が行われた後、その中から X に従って行為 Z が選択される場合がある。(後者は 写像 h のことではないか、と思われるが、h においては、Y の刺激 8 通りの内の1つで決められた条件によって、X の刺激から Z の行為への写像が選択されて、結果が決まる。)条件に依存して刺激属性に反応するニューロンの合併が行為のニューロンに繋がるのが前者のプロセスであり、純粋に刺激属性に反応するニューロンの合併が行為のニューロンに繋がるのが後者のプロセスである。これらのニューロンはいずれも見つかっている。従ってどちらの場合も考えられるが、いずれかに決めることは原理的にできない。それは動的に決まる。このような議論(理論?)がどう役に立ったのかは文献を見ないとよく判らない。

    もう少し一般的に実験のモデルを作る。環境 X は

  Xn+1=F(Xn)

という力学に従うとする。この力学 F について脳は記述 H を持つ。更にその記述は別の力学 G に従う。関数方程式は、

  Hn+1(F())=G(Hn())、

となる。(本では写像の合成記号○を使って、Hn+1○F=G○Hn、としてあるが、僕も記号の意味を知らなかったので書き直した。)右辺は脳内で行われた予測であり、左辺は環境発展結果の(脳内)記述である。脳は記述を解してしか現実を知る事はないから、こういう式になるのであろう。そういう風に解釈すると、これは必ずしも等式ではないと思うのだが。ここから、3つの場合を想定する。

(i) G=F の場合、

  Hn+1(F())=F(Hn())

となる。Hn(X)=X、つまり、記述と現実が一致していれば、この式が成り立つ。(多分これだけなのだろう。)つまり、脳が環境の完全なコピーとなっていて、完全適応である。

(ii) G(X)=X の場合、

  Hn+1(Xn+1)=Hn(Xn)

となる。これは脳が環境の変化に対して記述を変えない、不動点に貼りついた状態、自閉型である。
実際の脳はこの中間にあるが、もう一つ扱い易い例として、

(iii) F(Xn)=Xn and G=H の場合を挙げている。これは外部環境が固定していて、記述のダイナミクスが記述そのものである場合、つまり自分の記述を記述として時間発展させる場合である。自己言及である。

  Hn+1(X)=Hn(Hn(X))

となる。この形の式は扱い易いようである。片岡と高橋が記述が不動点となる状態(ii)から自己言及(iii)によってずれた形の方程式を扱い、それを言語形成と考えた。

  Hn+1(X)=(1−ε)Hn(X)+εHn(Hn(X))

である。数学的に判ったことは、H∞(X) が存在するような X の集合を Ω とすると、そこでは H(X)=H(H(X))となり、Ω上の H∞ は不動点のみを持つ。また Hn の逆写像を Hrevn として、Hrev∞(Ω)=Ω' が定義できる。(H∞が不動点のみを持つのだから、Hrev∞もそうであり、そうすると、結局 Ω=Ω' ではないか、と思うのだが、よく判らない。)更に、Φ=H∞rev(Ω') が定義できて、この上での Hn(X) が上の式に従う、ということであるが、何を言いたいのかよく判らない。Hn+1(X)が Ω' と Ω を内分する点になって、不動点とは限らない系列が生じるそうである。片岡氏の論文を読まないと何のことやらさっぱり判らない。

    この本の最後は「数理デーモン」である。エレベータがランダムに1階と2階を行き来しているとして、たまたま私が1階でエレベータに出会う確率を考える。当然 1/2 という事になるが、これは自明ではない。私は「観測者」であり、観測によって確率事象は変化する。判りやすい例として「モンティ・ホールのジレンマ」がある。3つの箱の内1つに玉が入っている。最初に私はその1つを選択するが中を見ない。その後、残った2つの箱の内球の入っていない箱をデーモンが開けてみせる。そこで、私はデーモンの手に残った残りの箱を選択することもできる。最初の箱に玉がある事に賭けるか、それともデーモンの手に残った箱に球があることに賭けるか?一見同じ事に思えるかもしれないが、前者は確率1/3であり、後者は確率2/3である。我々はしばしばこういった数理デーモンを意識することなく騙される。最初のエレベータの問題をパイこね変換でモデル化してみる。エレベータの位置は X で、0〜1 であるが、これは逐次2倍に伸ばされて、1 を超えた部分からは 1 が差し引かれる。結果として、1/2 以下であれば1階、そうでなければ2階とする。これはカオスであり、全体を眺めればランダムなプロセスをモデル化している。観測者の状態を Y として 0〜1 を採るとする。X が切断されて 1 を差し引かれて戻る時に、Y は 1〜2 として積み重ねられて、半分に縮小される。このプロセスは Y 軸上に、X の履歴のカントールコーディングを行う。つまり、Y 軸上の加算個の 1つの点が 1階、2階という過去の順序を2進数の大きさ順に並べている。さて、観測者というのは実にこの Y 軸上の 1つの点に過ぎない。その情報だけでは確率 1/2 で1階に居たということは出来ない。それを言うためには、Y 軸上多くの点、つまり仮想的な多数の観測者の持つ情報を集めて平均化しなくてはならない。これが数理デーモンである。我々が、単純に確率 1/2 と判断するとき、それは仮想的な多数の「私」からの情報を統合しているのである。観測とは事象と観測者集合の斜積変換であって、天下り的に与えられるものではない。記述不安定もそこに由来する。

    そろそろこの本を返却しなくてはならない。マインド・コントロールの手法の一つにダブルバインドというのがあって、誘導したい信念を直接提示することなく、その仮定の元での議論を仕掛けることで、無意識の内に仮定を承認させてしまう、というのがある。数学的手法というのは仮定なくしては出発できないから、そうなる恐れがあるだろう。数学の論理を追いかけるのに集中していると、いつの間にか仮の前提としていたことを信じてしまう可能性がある。複雑系の枠組みは確かに魅力的ではあるが、世界の観測者に過ぎない我々にとって、それは1つの解釈に過ぎない。

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