2013.03.14

第8章「記述不安定性」

    データを説明する理論(方程式)があったとして、それが納得性を持つためにはある程度のロバスト性が要求されるだろう。方程式のパラメータをちょっと変えたら解の様相ががらりと変わってしまうようでは役に立たないし、現象の本質を捉えているとは言いがたい。そのことを数学的に定義したのが、アンドロノフとポントリャーギンで、方程式の作る空間と解の空間を考えて、大まかに言えば、方程式を連続的に変化させたときに解の方も連続的に変化するということである。そのような方程式群は方程式空間の中で位相共役による一つの同値類ということになり、その同値類が納得性のある理論ということになるらしい。「構造安定性」というらしい。僕の所持する数学辞典は学生の頃買ったもので、そんな概念は載っていなかった。構造安定性はパラメータに対して解が分岐していくような時(相転位とか)に破れる。カオスではややこしくなるのは想像できるだろう。津田氏はカオス解が実現していても、ノイズを加えると秩序的になる、という例を発見して、この構造安定性という基準はこのような場合に適切でないと考え始めた。その代わりに「記述安定性」を提案している。詳しくは、「複雑系のカオス的シナリオ」という本に書いてあるらしいが、これだけの説明では良く判らない。

    その前に、「α 擬軌道」という概念が出てくる。これは点列 Xn が解の軌道を近似している、ということであるが、その定義はやや弱く、f(Xn) が Xn+1 の α 近傍に必ず入っている、ということである。つまり、逐次的に力学系を近似できている、という意味合いである。次に「 β 追跡性」という概念であるが、これはもっと厳しくて、全ての点 i について、f(f(f(・・・f(y)・・・))) :括弧は i 重、が Xi のβ近傍にあるということである。つまり、初期値が近似的に決まる、ということである。さて、任意の β に対してある α が存在して、任意の α 擬軌道に対して適当に 初期値 y を採れば β 追跡性が得られるとき、この力学系 f が「擬軌道追跡性」を持つと定義される。ある現象から測定データを得たり、力学方程式を解いて計算データを得たりすると、これは近似データとなるから、α 擬軌道である。測定データから力学方程式を推定するときには逐次的な関係を一般化するし、計算プロセスは逐次的に一定の精度でできるからである。擬軌道追跡性があるということは、ある精度で初期値が決まるということである。ノイズ・インデュースト・オーダーの生じた系は擬軌道追跡性が破れている、ということである。よく判らないが、少なくとも構造安定とは言えないだろうとは思う。

    構造不安定でありながら、数値計算をすると同じように振舞う(同相)ものが存在する。また構造安定でありながら、アトラクターの微分が存在するものと存在しないものが混在している。カオス的遍歴は擬起動追跡性が保たれない系で現れる、ということであるが、この辺ももう少し勉強してみないとよく判らない。こういう場合、記述的に不安定である、ということになる。ここでいう「記述」というのは、道具と方法である。道具は外部雑音、外部力学系、方法は観測枠組み、例えばマルコフ分割とか微分可能性とか、一般的には論理体系の種類、、ということである。これは新しい概念のようで、以下説明が続く。

    まず、最初に「様相論理」で力学系を書き直す。様相論理というのは、真偽だけでなく、可能とか必然を含んだ論理のようである。その中身としては、多数の可能世界を同時に考察するということである。例えば q 個の可能世界を考えて、それぞれの命題への信念度合いを γ1 〜 γq と表現すると、q-可能の信念度合いは、一つでも実現すればよいから、1−(1−γ1)(1−γ2)( )( )・・・(1−γq) である。q-必然は全てが実現しなくてはならないから、γ1・γ2・・・・γq ということになる。前章の命題、

  <e> :{<e> ←→(<e>∧¬<i>)}、
  <i> :{<i> ←→(<e>∧¬<i>)}

を様相論理で表現して、内部観測の立場で力学系に変換すると、q=1 でのみ、カオス解が得られ、q≧2 では古典論理の解が安定する、ということである。この辺は文献を見ないと判らない。前章で真理値の領域 I と II が X+Y≦ or > 1 で分れたが、q-様相論理では、 X^q+Y^q ≦ or > 1 で分れる(^ は冪を表す)。つまり領域 II が小さくなる。

    要するに、どのような論理の枠組みを採るかによって力学系の表現は変わり、その解の様相が変わる、ということで、このことを「記述不安定」と言っているようである。これは「内部観測」という立場から生じている。つまり推論における論理計算の結果をどう受け止めるか、という態度の相異がここで言う「記述」の意味のようである。そういう意味では、社会システムにおける(個人あるいは集団の)「主体性」あるいは「主観」というのも「記述」に相当すると考えられる。吉田民人流には、この主体性を含意した力学系表現が「プログラム」ということになるだろう。

    さて、いよいよこの章の狙いと思われる「推論の階層とカオス」という節に入る。スマリオンという数学者が考えたという「推論システムの階層」がある。

I. 全ての恒真式を信じていて、任意の命題 X、Y に対して、X と X → Y を信じるなら、Y を信じる。信じるという記号を B として、 (BX and B(X→Y)) → BY と書ける。但し、この三段論法を使っているという自覚は無い。
II. 三段論法の形の全ての命題を信じる。つまり、自分が三段論法を使っているという自覚がある。
III. 正常なシステム。任意の命題 X に対して BX → B(BX)。つまり、自分が三段論法を信じているということを知っている。
IV. 自分が III型、BX → B(BX) であることを知っている。

    どうも、これ以上上の階層は無い、ということが証明されているらしい。論理に基づいて計算するだけのシステムは I 型であるが、我々は論理値を連続化することによって信念の度合いとし、推論の結果が正しいということを信じることができる。この段階は II 型である。更に、我々は推論の過程を力学系へと変換して見えるようにし、その中で結論を前提と同一視することで、命題 X に対する信念の度合いの変化に対するルールを導入した。特にカオスによって、信念の度合いの確率分布を導いた。BX → B(BX) となる機構が用意されたことになり、これによって III 型となる。最後に、我々は力学系を引数に持つ関数の力学系をシミュレーションする機構を導入することで、IV 型となる。カオス的な運動を内包し三段論法を信じるものが III 型で、これが正常である。しかし、自分が正常であることを知っている者(IV 型)が最高の推論者である。こういうことを言いたいために津田氏は奇妙な例を挙げたのであった。

    I、II、III、IV 型の推論システムは、自意識のレベルを表している。つまり、そのようなモデルで記述できるような系は自意識を持つシステム(自覚的システム)ということになる。興奮性や抑制性の複雑なネットワークから影響を受ける他のネットワークがあり、その他のネットワークが自己の受ける動的な相互作用を自己言及的な推論過程として記述できるほど複雑であれば、その内部で発生するカオス的な運動を自身が行っている推論過程を自覚する過程と同一視するだろう。つまり、カオスの持つ確率分布の偏りをより先鋭化してアナログ値をディジタル化する。ここで「記号」が登場する。勿論、ここで説明した機構は自覚=自意識が意識を形成する切っ掛けを与えるに過ぎない。意識そのものを直接生み出す機構ではないだろう。脳の中で意識が生み出されるためには、感覚情報処理の部分や自覚的推論などの高次機能の部分といった異なる神経回路とダイナミクスを持った多くの IV 型の部分が、記憶過程において相互作用し、生物的な「価値」で支配される、ということが必要だろう。脳は常に自己言及によって外界の事象を内部の事象として捉える事で、また内部の事象を言語や行動を通じて外部へと表現することで、認識を行っている。知覚−認識と記憶は同時に起こっている。記述不安定なダイナミクスの中で分離されながら同時に進行できる。私がコーヒーカップを認識するということは、私があるレベルではコーヒーカップであり、別のレベルでは特定の誰かである、ということである。分節は外界で起こるのではなくて内部で進行する。このような自己言及性による認識のあり方には常に記述不安定性が伴う。

    なかなか、判ったようで判らない。力学系は自己言及系になり得る、というのは確かにそうで、右辺の変数は演算結果としての左辺の変数が代入される、という構造を持つ。時間発展というのはそのようにして起きるし、そもそも力学系は時間発展を説明する道具である。力学系が多数の変数の複雑な組み合わせになると、時間発展が不均一になる。勿論数学的に時間変数は一つであるが、現実の力学系には絶えず外界からのノイズがあるから、その通りには行かない。直接考慮できない変数があるのである。そのノイズがカオス的であれば、時間の進行が傾向を持って変わるから、自己言及に「自由度」が生じる。同じシステムでありながら、左辺の変数を代入する操作を保留するような部分系が出てきても不思議ではない。それは「記述不安定」であり、自己意識を生み出す。つまり、我々一人一人を考えると、それは多数の人達や動物等を含めた環境との相互作用の中で存在している。相互作用によって我々のシステムは分化して、世界のモデルを内部に作り出すことで適応する。それを自覚するシステムも自然に分化するのである。それは階層として記述すれば一見矛盾を避けられるが、現実には同じ脳というシステムに過ぎないのである。というような事だろうか?

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