2013.03.12

第7章「論理と力学系」

    古典論理は代数計算で表すことができる。命題が誤りであれば、0、真であれば 1 とする。これ以外に値が存在しない、というのが古典論理である。2つの命題から作られる命題の基本的な形を2値関数とみなすことができる。否定(これだけは独立変数が1個)、積、和、充分条件、必要充分条件、である。ところでブールは「青い」×「青い」を「青い」とすることは自明ではないと考えたが、そうすることによって厳密な理論ができると考えていた。真理値を V として、「青い」を u とすると、V(u)V(u)=V(u) かどうか、ということである。推論の1サイクルは、命題の真偽を判断して次の推論の前提条件とする、ということである。そのサイクルの進展を回数 n で表すとこれは、

  Xn+1=Xn・Xn

という写像となり、0 と 1 が不動点(ブールの不動点)である。また 0 は安定であるが、1 は不安定である。つまり、推論のプロセスにおいて、「青い」の真理性を維持するには努力しなくてはならない。

    津田氏は、2値論理を拡張して真理値が 0 から 1 の間の連続値を取りうるとする。カウシェヴィッチ論理である。

  V(¬u)=1−V(u):否定
  V(u∧v)=min[V(u),V(v)]:積
  V(u∨v)=max[V(u),V(v)]:和
  V(u→v)=min[1,1−V(u)+V(v)]:充分条件(uならばv)
  V(u←→v)=1−|V(u)−V(v)|:必要充分条件

推論を真偽判断と結果を次の推論の前提に置き換えることに分けるとすれば、前者は上記の様に因果的に決まってしまう。後者は推論者の内部で起きる(内部観測の問題)。後者が自動的に起きるという見方からすれば体系の外からの記述になり、因果的であるが、前者が自動的に起きるという見方からすれば体系の内部からの記述になり、非因果的である。これら推論のプロセスを左右する環境因子は必ずしも一定ではないから、いずれの立場を採るかによって結論が変わる。

    推論において前提と結論を同一視(自己言及)すれば、命題が再帰的に処理される。つまり力学系に等価となる。そこで例を考えるのだが、どうもよく判らない。お互いに区別できない多数の興奮性ニューロンを想定し、活性化しているという命題を<e>とし、お互いに区別できない多数の抑制性ニューロンを想定し、活性化しているという命題を<i>とする。最初の命題は、「興奮性ニューロンは興奮性ニューロンが活性化し抑制性ニューロンが不活性ならば、活性化する。また抑制性ニューロンは興奮性ニューロンが活性化し抑制性ニューロンが不活性ならば、活性化する。」というものである。「お互いに区別できない」ということなので、個々のニューロンが他のニューロンの影響で変化したら、その結果が全部のニューロンに反映されてしまう、というのが「前回の結論を次の推論の前提に置き換える」、ということである。分子場近似みたいなものである。あまりにも単純化されていて、これで自己言及の論理一般を議論されるのには抵抗があるが、ともあれ、結果的にこの命題には固定点があって、興奮性を X 抑制性を Y で表し、活性−不活性 を 1〜0 で表すと、X=Y で 1/2≦X≦1という線分となり、意味の無い結果となる。そこで、次の命題を考える。(面倒なので記号と式で表す。:は推論)

  <e> :{<e> ←→(<e>∧¬<i>)}、Xn+1:1−|Xn−min(Xn,1−Yn)|
  <i> :{<i> ←→(<e>∧¬<i>)}、Yn+1:1−|Yn−min(Xn,1−Yn)|

最初の例での推論結果が必要充分条件を満たせば、それぞれが活性化する、という事を表しているが、そもそも、2番目の式は通常の論理では成立しそうにも無い。その結果として <i> である、ということは<i>でないという事しか出てこないように思われる。これが古典論理である。ともあれ計算規則に従うと、minのところは、Xn+Yn<1(領域I)では Xn であり、Xn+Yn≧1(領域II)では 1−Yn となる。
つまり、領域Iでは、

  Xn+1=1
  Yn+1=1−|Yn−Xn|

領域IIでは、

  Xn+1=2−Xn−Yn
  Yn+1=1−|1−2Yn|

である。しかし、これは体系の外からの記述(結果を n+1 の段階に置き換えるのは自動的)である。
体系の内部からの記述(論理計算は自動的に反映される)という解釈では、
領域 I において、X の論理計算結果が 1 になった瞬間に Xn=1 となる。つまり、

  Xn+1=1
  Yn+1=Yn

である。
最初の解釈(体系の外からの記述)では n を大きくすると、X=Y=0 と X=Y=1 の間の振動解となり、真偽判定が出来ない。これはまあ、当然である。2番目の解釈(論理計算は自動的に反映される)では、カオス解となり、唯一の不動点は(X,Y)=(1,0) と (2/3,2/3) であるが、いずれも不安定である。明らかに正しい解は(1,0)であるが、それは不安定となる。しかし、カオス的な運動の経過から確率を計算すると、X は、0〜1 の間に 0〜1 となるシグモイド関数となり、Y は、0〜1 の間に 1〜0 となるシグモイド関数が得られる。つまり、古典論理は確率的に正しい、という結果が得られた。

    上記は(うまく作られた)一つの例に過ぎないが、実際の神経回路網においても解釈の相違が重要となる、ということの例として、不応期を持つ神経モデル、カイアネロニューロンを採りあげる。n 番目の時刻でのニューロンの活性を Xn と表す。

  Xn+1=f(input−Σb^k・Xn-k−θ)

である。f は引数が正になるほど活性化する(但し連続関数のようである)。その条件として、閾値 θ があるが、他に、過去の活性化履歴に依存した不応期を表現するために第2項が入っていて、Σは k が 0 から n までの和である。 b は 1 より小さい正の数を採るから、時間を過去に遡るにつれてその影響が小さくなる。input は他のニューロンからの入力和である。この方程式の f の引数を新たに変数 Yn とみなす。

  Yn=input−Σb^k・Xn-k−θ

である。その上で、Yn に対する力学系に変換する。

 Yn+1=b・Yn−f(Yn)+c

が得られる。第2項の −f(Yn)=−Xn+1 であるからこれを第1項の中の −bΣb^k・Xn-k に加えれば、k についての 0 から n+1 までの和となって、Yn+1 の第2項になる、という仕組みである。c はそのお釣部分を打ち消すための項で、

 c=(1−b)(input−θ)

ということであるが、Yn の定義での input と Yn+1 の定義での input は異なる筈だから、これは誤りで、

 c=input(n+1)−b・input(n)−(1−b)・θ

が正しい。元々の南雲氏のモデルでもそうなっているが、入力がニューロンと同期して周期的(あるいは実験で入力を与える場合など、n と n+1 でのinputが同じ)として考えることが多いのである。

    さて、上記の変数変換は、系(個々ではニューロン)を外から見た記述になっている。何故ならば

  Xn+1=f(Yn)

となっていて、これは f という論理計算(ニューロンの発火反応)に時間 1 を費やしているからである。Xn の過去状況は周辺の神経に伝わり、そこからの信号は input に纏められるが、それがつまり論理計算の結果を改めて前提として採りあげる、ということである。この時間経過(背景時間スケール)は充分速いとされているのである。これが、通常のニューラルネットのモデルである。

    ところが、逆に背景時間スケールが長くて(律速となり)f という論理計算が瞬時に起きるという記述(内部観測)においては、

  Xn+1=f(Yn+1)

となるから、Y についての式は、

  Yn+1=b・Yn−f(Yn+1)+c

となる。つまり、両辺に未知数 Yn+1 があるので、自己無撞着な形(不動点として)で解かなくてはならない。この不動点型の力学系はカオスになりにくいということである。

    この本では、更に、c に含まれる input を陽に周辺のニューロンからの信号和として表している。そこには、時刻 n の信号の b 倍 と時刻 n+1 の信号が混在しているはずであるが、c の表現が間違っているために間違った表現になっている。しかし、趣旨は通じると思う。多数の神経が相互作用している系の時間発展を捉える時、逐次計算をどのような順序で採るかは結果を大きく左右する。計算結果は逐次に前提として使われていくからである。神経は不応期を持つから他の神経と同期することも可能であるが、実際の計算はあたかも同期しているかのように行っている、ということなのである。

    不動点型のニューロンは「結びつけ問題」(異なるカテゴリーの組み合わせをニューロンが認識する(コインシデンス・ディテクター)とすれば無限大に近いニューロンが必要となる)を解く鍵かもしれない、というが、そもそも、このような問題は、「異なるカテゴリー」に対応するニューロンが存在する、という前提があるからであって、動的脳観(そもそも機能分化は動的にニューロン集成体が担う)からすれば考える必要のない問題である。

    最初に例として挙げた興奮性と抑制性神経についての奇妙な命題は、もともとカイネス(普通はキナーゼ:リン酸化酵素)とフォスフォテース(普通はフォスファターゼ:脱リン酸化酵素)、がチャネル蛋白を活性化させる仕方を記述する理論で使われたものである。その奇妙な自己言及論理を力学系として記述する(これは力学系を引数に持つ関数、動的な関数写像というらしい)ことで、内部観測の記述によって、カオスが生じ、確率解釈によってシグモイド型の真理値が得られ、実験における「閾値」が発生したのである。

    ということでこの章が終る。生物の動きは行為として捉えられるが、そのためには論理という装置が必要である。それはデータに法則を見出すための方程式(力学)が必要なのと同じである。だから、論理と力学とは対応しているに違いない、ということである。しかし、ここで挙げられた例を見ると、それは一つの解釈にすぎなくて、我々が直観的に正しいと思う筋道ではないような気がする。津田氏はこれまでの科学がシステムをあくまで外部から観察しているからであって、内部観察の立場というのも、直観的には判らなくても有用な結果を齎すということが言いたいようである。

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