2022.09.11
『時間は存在しない』 カルロ・ロベッリ(NHK出版):
まあ、面白い。ループ量子重力理論というがあるらしい。知らなかった。でもまあ、どうでもよいという感じもする。著者の感性については共感する。とりあえず、メモを記録しておく。

・・・重力が働いていると時間の進みが遅くなる。一般相対性理論では質量によって時空が歪むことで重力が伝達されていると考える。(直接遠達力は存在しない。)要するに普遍的な時間は存在しない。固有時に対して現象が起こり、異なる固有時同士の関係が相対論で与えられる。
・・・時間の向き。ボルツマンは私達が世界を曖昧な形で記述するからこそエントロピーが存在するということを示した。エントロピーとは私達のぼやけた視界ではその違いが判らないような配置の数を表す量である。過去から未来へという時間の矢の方向性は私達が世界を完全には知りえないことから生じている。
・・・アインシュタインはマックスウェルの方程式の持つ奇妙な性質、つまり静止系に対して動いている系から方程式を記述した場合には、静止系の時間変数とは別の変数を使う必要が生じる、ということに重大な意味を見出して、特殊相対論を唱えた。私達の「現在」は宇宙全体には拡がらない。「現在」は私達の極近傍でしか意味をなさない。ナノ秒程度の誤差を許すなら数メートル、ミリ秒なら数キロメートルの範囲である。
・・・親子関係による順序を「半順序」と呼ぶ。関係で繋がれていない他人同士の間に順序は決まらない。時空の円錐も同じである。順序が意味をなすのは円錐の内部だけである。
・・・アリストテレスは時間について考察した。時間とは変化を計測した数にすぎない。だから、変化がなければ時間も存在しない。ニュートンはそのような時間を認めつつも、もう一つの時間、物事の進展とは無関係に流れる時間があると考えた。その「ほんとうの時間」は直接知ることはできない。計算が必要である。ニュートンの想定した絶対時間は近代科学と工業の基盤となったために、今日では初等教育によって子供たちの頭に叩き込まれている。
・・・アリストテレスは空間についても、事物の場所とはそれを取り囲んでいるもののことである(空間は物体の順序である)とした。ニュートンはアリストテレスの空間はみせかけのものであって、ほんとうの空間(空っぽな空間)があるとした。ニュートンの「空っぽの空間」は実証されていない。純粋な理論的概念であるが、力学の基盤となった。
・・・アリストテレスとニュートンの考えを統合したのがアインシュタインである。空間や時間は現実のものであるが、ニュートンが唱えるようにそこで生じる事項から独立したものではない。現代の物理学ではそれらを全て「場」と呼ぶ。電磁場は光、ディラック場は物質、そして重力場が時空である。これらの場はお互いに独立ではない。絡み合って宇宙を構成している。
・・・アインシュタインの構築した場としての時空の理論は、量子力学によって挑戦を受けている。量子重力理論はまた決着がついていない。ループ重力理論とかひも理論が考えられている。時間については固有時が量子化されて、粒状、不確定性、関係依存性を帯びる。アインシュタインの構築した時空のシートが連続性を失う。
・・・重力場においては最小時間単位(量子)はプランク時間 10^-44 秒となる。最小の長さ単位(量子)はプランク長 10^-33 cm である。
・・・時空、光円錐も確率的にしか存在しないから、過去と未来の境界も揺らぐ。しかし、この揺らぎは他の場との相互作用(観測)によって確定する。しかしその確定は相互作用している対象に対しての確定であって、他の対象については不確定なままである。特定の関係の中でしか確定しない。
・・・時間は一つでもなく、方向もなく、事物とも切り離せず、「今」もなく、連続でもないが、他方、この世界は出来事のネットワークではある。事物は存在しないが、事物は起きる。
・・・事物は時間を貫くものであるが、出来事にはその継続時間に限りがある。
・・・「物」ではなく「変化」を調べよ。この教えに逆らった人がプラトンやケプラーであった。彼らは幾何学的形状によって「物」を分類した。しかし、プトレマイオス、ガリレオ、ニュートン、シュレーディンガーは物の状態ではなく変化を記述した。
・・・運動を記述するために普遍的な時間変数は必要ではない。現実に存在するもろもろの変化の間の定量的な関係さえ記述すれば事足りる。このようにして、量子重力を記述する方程式が書かれた。1967年、ブライス・ドウィットとジョン・ホイーラーによる。そこからループ量子重力理論の方程式が生まれた。そこには時間という変数が無い。
・・・場は、素粒子、光子、重力量子(空間量子)といった具合に「粒」の形で現れる。これら「空間量子」が空間を形作っている。これらが相互作用しあっていて、それがこの世界の出来事である。相互作用の力学は確率的であって、方程式で計算できる。この世界で起こるすべての事項の完璧な地図は存在しない。すべての出来事はそれに関わる物理系との関係においてのみ(量子として)生じるからである。この世界は互いに関連し合う視点の集まりのようなものであって、それを「外側」から観察することはできない。空間の量子(スピンと呼ぶ)は空間的に近いという関係によって結び合いネットワークを作る。そのネットの輪をループと呼んでいる。ネットは離散的なジャンプによって互いに変換しあい、「スピンの泡」と呼ばれる。そこから肌理が生じて、それをより大きなスケールで観察すると滑らかな時空構造のように見える。つまり小さなスケールでは離散的で揺らぐ「量子時空」である。ブラックホールはこの量子時空として記述するしかない。
・・・ネットで解説を探した。高水裕一の解説が俗っぽくて判りやすい。また、例の吉田伸夫氏 (この本の解説を巻末に載せている)が、超ひも理論とループ量子重力理論の解説『明解:量子重力理論入門』(講談社)
を書いている。超ひも理論が時空の連続性を維持するために、素粒子を string とみなしたのに対して、ループ重力理論では、時空の連続性を捨てた。

・・・ここから先は、時間を再生する。物理ではなく、哲学(随想)になる。時間は唯一絶対の概念ではない。世界から「生成する概念」である。
・・・エネルギーは時間と相補的である。力学量の時間変化を決める方程式はエネルギー(ハミルトニアン)であり、孤立系ではエネルギーが保存され、平衡状態ではすべての等エネルギー状態を経めぐる。そこで、このマクロな状態に対して、微視的な情報を持たない我々が時間を作り出すと考える。これを「熱時間」と名付ける。(この辺の説明はイマイチ明瞭でない。我々がマクロな状態として何らかの束縛条件を与えておいて、放置するとそれは平衡状態、つまり束縛条件が失われた状態へと移行する。この束縛条件を測定しているとすれば、それは時間を測定していることと等価である。ということなのだろうか?)
・・・アラン・コンヌは位置の測定と速度の測定の順序を変えると結果が変わる、という量子変数の非可換性に時間の芽があると考えた。系に含まれる物理変数全体が非可換フォン・ノイマン環という数学的構造を採り、その構造自体に内在的に定義された流れが存在する。これが熱流と等価になることが示された。富田=竹崎の定理。
・・・エントロピーは私達が何を識別しないかによって変わってくる。しかし、この識別不能性は主観的な量ではなく、物理的相互作用によって決まってくる。例えば、速度というのは何か別のものに対する相対的な速度であって、絶対的な速度というのは決まらない。同様に B にとっての A のエントロピーというのは、A と B との物理的相互作用によっては区別されない A の状態数のことである。宇宙のエントロピーが最初は低くて、そのため時間の矢が存在するのは、宇宙そのものに原因があるのではなくて、私達の方に原因があるのだろう。
・・・広大な宇宙には無数の物理系があって、その中には、宇宙との相互作用によって宇宙が特別な配置をしているように見える特殊な物理系があっても不思議ではない。私達はたまたまその特殊な物理系に所属しているから、私達にとっての宇宙のエントロピーが低かったのである。
・・・私達の経験はこの世界を内側から見たものであることを忘れてはならない。「時間」を理解する時にはとりわけそうである。宇宙には無数の部分系があって、その系から見た宇宙のエントロピーは高い値を保ちつつ揺らいでいるのだが、部分系のあり方には統計的分布があって、たまたまではあるが、宇宙のエントロピーが低く測定されてしまう系もあっただろう。私達の物理系はそのようなものであったが故に、エントロピーが増大していくように宇宙を測定している。それが時間の流れを生み出している。(大変抽象的な話になっている。例えば、こう考えられるのだろうか?太陽系に居る我々は太陽からの輻射によって低エントロピーの光を受け取り、それがエントロピーの低い状態(波長が長い)へと移るプロセスに介入し(DNA)、動的平衡構造(生命)を作り出している。その変化(生命の営み)を時間として対象化している。)
・・・エントロピーが増大するとは言ってもその経路には邪魔者が多くて、とてつもない時間がかかる場合もあれば、何かの切っ掛けで急激に増大する場合もある。
・・・過去にエントロピーが低かったという事実から導かれる事実は、過去が現在の中に痕跡を残すということである。痕跡を残すという事は止まるということで、これは発熱を伴う。(多くの場合、エントロピーの急激な増大は一様には起こらず、何らかの構造を作り出す。一般的な証明はされていないが、エントロピー増大速度を最大とするような構造が選択される。ただし、平衡状態に近づくと逆にエントロピー増大速度が最小となるような構造(均一な流れ)が選択される。)

・・・ここから先は人間の認知過程に踏み込む。脳は現在を基準としていくつかの未来の候補を調べる。だから、「結果」に先立つ「原因」との関係で物事を捉えるようになっている。二つの出来事に共通性を見出すと、その共通の原因を探す。物理学は原因を問わない。規則性のみを問題にするから、可逆である。
・・・私達は、時間と空間の中で構成された有限の過程であり、「出来事」である。独立した実体ではない。私達が「自分」と感じるのは何故か?視点を持つということ、その視点によって世界を反映させているということ。世界とより良く相互作用するために、世界を反映するにあたって世界を組織する。世界に境界を策定して細かく分けて似姿を作る。脳は入ってくる情報を予測しようとして、反復パターンとおおむね安定した神経系活動の不動点とを関連付ける。社会的活動を必要とする人間は他の人間という概念を作り上げて、それを自己に当てはめている。
・・・記憶はアイデンティティの要である。脳は過去の記憶を使って未来を予測しようとする。私達が知覚しているのは現在ではなく、時間の中で生じ、伸びていくものである。時間が経過したという意識は、過去が脳の内部に残した痕跡である。
・・・自分たちが属する物理系にとって、その系がこの世界の残りの部分と相互作用する仕方が独特であるために、また、それによって痕跡が残るおかげで、さらには物理的な実在としての私達が記憶と予想からなっているからこそ、私達の目の前に時間の展望が開ける。時間は私達に、この世界への限定的なアクセスを開いてくれる。

・・・結局、著者の言っていることはそれほど新しい見解ではないようにも思われる。
行きつく処は Karen Barad と同じく「関係性存在論」かもしれない。
・・・第13章 「時の起源」 では本書の粗筋をふりかえる。
・・・最後の「眠りの姉」では詩的に要約している。

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