2022.09.5
経済学者の言うことはさっぱり理解できないけれども、実際上国の命運を左右しているので、僕もちょっと勉強してみようか、と思って、図書館で本を探して、ハジュン・チャン『経済学の95%はただの常識にすぎない』(東洋経済新報社)を借りてきた。ケンブリッジ大学での経済学の入門書らしい。経済学は自然科学のような積み上げ方式の体系的な科学ではなくて、人間の経済活動の歴史の中で行われてきた政策を正当化するための理屈の数々であるから、中世以来の歴史の場面場面でさまざまな対応策として考案されてきた多くの経済学が存在していて、どの経済学派も得意不得意がある。だから、特定の経済学を根拠に政治家が政策を正当化するときには、別の経済学派の観点から冷静に批判しなくてはならない。

    ということで、9個の経済学派の概要まで読んだ処で返却期限が来てしまった。この後は過去の具体的事例に対してこれらの経済学派の概念を使った解析が行われるようである。概念というのは客観的なものではなくて、使う人の政治的立場を表しているから、どういう概念で現実を表現するか、という事自身が問題解決の方向性を決めてしまう、ということなのだろう。自然科学のように、とりあえずはそれで済ませておいて、不十分な処を新しい概念で補っていって、積み上げ方式で大きな体系を作り上げるということができないのである。だから、過去の失敗例に学び、経済のどの側面に注目するか、という事に対して、最初から多様性を持ち込む必要がある。

    その後、三石君が古本を買って送ってくれたので、続きを読んだのだが、この翻訳タイトル通りで、常識的な意見が述べられているだけなので、あまり面白くはない。主要な経済指標の説明に始まり、生産という観点、金融という観点、格差や貧困の観点、仕事と失業の観点、国家の役割の観点、国際貿易の観点、という風に観点を変えて資本主義の過去と現在が解析されている。種々の経済学説がいかに偏った見方によって間違えてきたかも語られる。

    結局のところ経済学説というのは政治的立場に基づいているのだから、データに基づいているように見えても結論が正しいとは言えない。データというのは特定の政治的立場によって切り取られた現実の一側面にすぎない。そのことに気づくためには結局のところいろいろな経済学説を比較検討するしかないのであるが、そんなことまでやってられない、というのであれば、誰でも直感的に持っている常識に問い直してみるのが良い、ということになる。ただ、こういう読み方は多分翻訳者の意見であって、著者自身はやはり経済学説を少しは勉強して欲しいということを言っている。原題は『ECONOMICS The user's guide』である。折角なので、前半にあった9個の経済学説についてまとめてみた。

● 古典学派
    18世紀末、アダム・スミスが元祖。経済主体が利己の追及をすれば国富が最大化される。『国富論』。市場における競争の力にすべてを賭ける。ただ、スミス自身は利己追及以外の動機に気づいていて、『道徳感情論』を書いている。ジャン・バプティスト・セーは「供給が需要を生み出す」(セーの法則)を提唱した(労働価値説)。需要不足による景気後退はあり得ないとした。デヴィッド・リカードは生産能力の低い国であってもどれかもっとも得意な製品の生産に特化すれば良い(比較優位)として自由貿易を絶対化した。資本主義社会は資本家、労働者、地主という「階級」で構成されている。投資・経済成長は資本家にしかできない。農業の保護は不要であり、イギリスは海外から穀物を調達して、工業に投資すべきである。セーの法則は単純に間違いである。比較優位論と農業軽視は技術が発展するという事を無視していることから、時代遅れとなった。

● 新古典主義派
    1870年代。供給だけでなく、需要条件を重視する。ただ、これは短期的要因である。長期的には供給要因が、投資で調整できるので、重要となる。経済主体は階級ではなく、合理的で利己的な個人の集団であるとした。効用・不効用で整理する。したがって、生産よりも消費と交換を重視する。しかし、市場の自浄効果を信じる点で古典派を引き継いでいる。
    自由放任主義が強化されたのは、20世紀前半でヴィルフレード・パレートが提唱した社会的改善の評価基準「パレート基準」による。他の人を不幸にすることなく一部の人をより幸福にできるならば、社会改善と言える、ということである。いかなる個人の利己的活動も「公益」の名の元に規制すべきではない、という考えである。(ただ、現実には誰かが不幸になるのであるが。)
    1920年代、アーサー・ピグーによって創始された「厚生経済学」(市場の失敗アプローチ)は、市場で価格がつかない無料の財(大気や水)を保護することを正当化して、自由放任主義に制限を加えた。公害等を外部不経済と名づけ、逆に研究開発等を外部経済として推奨した。
    1930年代、不幸になる人が生まれても補償できる場合はパレート基準に適するという風に拡張された。
    実際上1930年代以降、新古典派は自由市場主義から遠ざかった。ジョセフ・スティグリッツ等による情報経済学は、情報の非対称性によって市場が機能しなくなることを説明した。
    1980年代以降、自由市場派が増大したのは、政治的思潮による。人は善かれ悪しかれ自分のやっていることを理解しているのだから、政府が口出しすべきではない。市場が失敗するのも合理的であり、それは政府が手を出して失敗するよりもマシである、という考えである。
    新古典主義派は個人をベースとしているために、融通無碍である。どんな政策も正当化できる。しかし、人間が合理的で利己的である、という仮定に拘りすぎている。また、社会経済学的構造を絶対視して現状維持に傾斜しやすい。また交換と消費に注目しすぎていて、生産を無視してしまう。つまり社会は人々の意思と活動によって形成発展していくことを(計算できないために)無視してしまう。

● マルクス経済学
    古典主義派の正統的な後継者であり、労働価値説、消費や交換よりも生産を重視し、個人よりも階級を重視する。社会は生産様式(生産力と生産関係)で規定される経済的土台の上に築かれているとする。後の制度学派の先ぶれとなった。社会を歴史的発展段階から捉える。原始共同体→奴隷制的社会→封建制的社会→資本主義的社会→共産主義的社会。古典主義派と大きく異なるのは、労働者階級の積極的な役割である。資本家は競争を勝ち抜くために技術開発に投資し、相互依存関係を強めていくが、生産手段の私有化がそれに適合しなくなっていく。
    しかし、資本主義はマルクスが思っていたよりもうまく事態に対処した一方で、共産主義革命は後進国ロシアで起きて、経済発展というよりも政治独裁が実現してしまった。
    歴史はマルクスの思った通りにはならなかったが、資本主義に対する有益な視点を与えた。階層構造的で計画的な企業と自由な市場との矛盾関係、その結果としての有限責任者(株主)によって所有される企業の主導性を予言した。また仕事に労働者の創造性を発揮するという意味を見出し、階層構造的な企業支配をそれに対峙させた。また技術革新の重要性を理論の中心に据えている。

● デベロップメンタリストの伝統
    これは学派ではないが、現実の成功した施政者たちが16世紀半ば以来採用してきた経済の考え方である。後進的な国において、単なる所得増大を目指すのではなくて、生産能力を向上させるという一点に注力する、という考え方である。そのために、関税、助成、規制という政府の介入によって自由市場から国内産業を保護する。重商主義者と称される人達は、実際には国内産業育成を目的としていた。重商主義の衣を脱ぎ捨てたのは、アレキサンダー・ハミルトン、フリードリッヒ・リストの「幼稚産業論」による。20世紀になると、「開発経済学」と呼ばれるようになる。アルバート・ハーシュマンは特定の産業が多くの産業分野と強い関連があるから、それらを意識的に強化しなくてはならないとした。更に、教育、研修、R&Dへの投資にも重点が置かれるようになる。
    これは体系的な理論ではなくて、折衷主義的な施策であるが、ますます複雑化する世界に対処するには適している。例えば、シンガポールは自由主義的市場と社会主義的政策を組み合わせて成功している。

● オーストリア学派
    19世紀後半にオーストリアで創始され、世紀末にフリードリヒ・フォン・ハイエクによって広められた。1920-30年代に「計算論争」で注目を集めた。ハイエクの『隷属への道』(春秋社)が有名である。新古典主義派と主張が似ているが、その根拠は大きく異なる。個人を合理的存在とは考えない。無意識に社会的規範に縛られていると考える。また世界は複雑であり、判断に必要な情報を充分手に入れることは不可能である、と考える。自由市場は個人が完全に合理的であるから最高である、とするのではなく、逆に非合理的で予測不可能だからこそ最高である、と考える。
    自由市場はオーストリア学派が考えるような自発的なものではない。資本主義にはすでに「構築された秩序」がある。更に市場そのものが構築された秩序である。この点を意識的に無視することには大きな問題がある。政府の役割と歴史的教訓を過小評価することになるからである。

● (ネオ)シュンペーター派
    技術開発による「創造的破壊」競争を新古典主義派の言う価格競争よりも強力であると考える。彼は、『資本主義・社会主義・民主主義』の中で、起業家はやがて職業的管理職に道を譲るようになり、活力を失い、社会主義へと変貌する、と予言したが、外れた。彼に見えなかったものはインクリメンタル・イノベーション(漸進的・累積的革新)であった。現場の作業員自身による革新である。また、社会全体(大学や政府等)も革新に関わっている。これらの点を取り入れたのをネオシュンペーター派と呼ぶが、彼らもまた技術革新以外の要素(労働・金融・マクロ経済)を考慮しない点で限界がある。

● ケインズ派
    経済を部分の総和としてでなく、全体として一つの主体として見る。マクロ経済学の誕生。
    生産したもの全てが消費される訳ではない。その差が貯蓄であるが、貯蓄が全て投資に回される訳ではない。このような齟齬は初期資本主義(余剰価値が全て資本家のものとなる)では考えなくても良かった。現代においては、投資家と貯蓄者は別である。将来は不確実性に満ちているから、合理的な計算で投資することはできない。蓋然性があればリスクとして確率的に計算できるが、不慮の事態はいつでもある。貯蓄や投資についてのこのような不確実性から景気が左右される。古典主義的には、銀行が利子を調節することでフィードバックが起きて安定化すると考えたが、ケインジアンは、投資の減少→支出の減少→収入の減少→貯蓄の減少→利子の増大→投資の減少という悪化していくサイクル(不安定軌道)がある、と考えた。つまり、経済の安定性には政府の関与を必要とする。
    貨幣は古典主義派にとって生産や交換の媒介物にすぎないが、ケインジアンにとっては不確実な世界における流動性資産である。だから、人それぞれの将来への期待の違いを利用した取引(投機)をもたらす。投機家が個人である限り大きな影響はないが、それが企業や開発計画にまで及ぶと雇用の不安定性をもたらす。
    ケインズ派の欠点は、短期的なマクロ経済学変数にとらわれすぎて、長期的は技術や制度の変化を考慮に入れにくいことである。

● 制度学派
    古典主義や新古典派への批判として、個人に影響している社会制度を研究すべきである、という主張である。ソースタイン・ウェブレンを源流として、ウェズリー・ミッチェルがリーダーである。ニューディール政策の主要メンバーとして活躍した。金融規制、社会保障、労働組合、公益事業規制がその政策であった。ケインズの理論はその後である。
    1960年代以降、制度学派は新古典主義派に圧されて凋落した。彼らは制度そのものが変化していくメカニズムを理論化できなかった。構造決定論に陥ったのである。
    新制度学派は、新古典主義派やオーストリア学派の主張を取り入れて、「取引コスト」に着目した理論を作った。つまり、市場における取引にはコストがかかる為に、自由な個人は対等に参加できない、ということである。
    限界は、制度を制約として否定的にしか捉えないことにあった。

● 行動経済学派
    ハーバート・サイモンの仕事に端を発する。新古典主義派が人間は合理的な行動を選択する、と仮定したのに対して、人間は合理的な選択をしようとするが、充分な情報や能力を持っていない、とした。とりわけ情報処理能力に限界がある。そのために人間は、そのパターン認識能力によって、発見的(直感的)方法を採る。社会のレベルにおいても同様であり、人間社会は情報の合理的解析を完遂する能力に欠けるために、組織的ルーティンを作る。それによって個人の選択の自由度は狭まるが、複雑な問題の単純化によるメリットを受けるし、他者(他組織)の行動も予測しやすくなる。新古典主義が資本主義経済を「市場経済」と言い切るのに対して、行動経済学派は、経済活動の殆どが組織内部での活動であり、市場経済の占める部分は小さい、と言う。組織内部の活動であるから、感情、忠誠心、公正性が重要なファクターとなる。
    この学派の欠点は、技術やマクロ経済学についてあまり語ろうとしないことである。

● p.185-159 に一覧表がある。以下の観点から整理している。
・・経済を構成している主体は何か?個人か?階級か?制度か?
・・個人をどういう風に考えているか?合理的か?利己的か?階層的に整理するか?
・・世界の予測可能性や法則性については?確実か?不確実か?単純か?複雑か?
・・経済の最も重視すべき領域は?生産か?交換か?消費か?
・・経済を変える主要な因子は?資本蓄積か?投資か?個人の選択か?階級闘争か?技術革新か?
・・推奨される政策は?自由市場か?社会主義革命か?所得再分配か?保護政策か?

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