2019.09.20
      ネットで検索すると場の量子論についての解説や教科書などが沢山見つかる。前野昌弘氏の『量子場の理論入門』を断続的に読んでいる。通常の量子力学、つまり非相対論的粒子に適用される量子力学の概略から始まる。古典論における物理量を演算子に置き換えて、その演算子の間に交換関係を与えるというやり方である。Schroedinger 方程式(1926年)、Hilbert 空間のベクトル(ブラとケット)による表記、生成消滅演算子による表現、Heisenberg 表示による行列力学(1925年)と Green 関数。最後に経路積分法を波動的に置き換えた定式化(Feynman)の解説で、これは交換関係を前提としない量子論の定式化方法である。次は、特殊相対論の式、E^2−p^2c^2=m^2c^4 において 物理量を同様に演算子に置き換えていく。直接置き換えたものが Klein-Gordon 方程式であるが、これは波動関数の確率解釈が難しい。その原因は方程式が2次になるからなので、Dirac はそれを 1次方程式に焼き直した(1928年)。その為には演算子の平方を取る必要があって、その際に波動関数が4つの成分を持つようになる。正負のエネルギーと上下のスピンに対応する。何とも天才的な発想である。

      この辺の理解の為に、新潟工業大学の野本先生のブログ(http://www.eng.niigata-u.ac.jp/~nomoto/home.html)の解説を読んだ。どうも数学者らしいが、すっきりと書いてある。なお、Schroedinger 方程式にスピン自由度を追加した Pauli の方程式(1927年)というのは、この Dirac の方程式の非相対論版として位置付けられる。いずれにしても、これらは全て粒子という概念を残した定式化である。最後に Klein-Gordon 方程式と Dirac 方程式における Green 関数の計算方法について解説し、相対論的方程式に負エネルギー状態が積極的な役割を果たしていること強調するが、この意味は場の量子論によって明らかとなる。

      Heisenberg, Schroedinger, Bohr,,,, この段階までの量子力学には、空間−時間と物質という2元論が隠れている。粒子概念で考えるにせよ、波動概念で考えるにせよ、あるいはそれらの相補性で考えるにせよ、空間という背景にその物質が存在して、時間的発展をする、という枠組みは共通している。だから、例えば、空間という背景に波動関数が存在するという概念は、Schroedinger の本意に反して、結局 Born の確率解釈で語るしかなくなり、それ自身が存在とは認められず、測定器と一体化した『現象』として Bohr がうまく誤魔化してしまった。

      その後、Dirac により、物質性を持たない電磁場の量子化がなされ、光子(Bose 粒子)を自然に扱うことができ、特殊相対論の要請を採りいれた Klein-Gordon 方程式に至って、その不自然さを克服しようとした Dirac の天才的な量子力学体系によって、物質粒子(Fermi 粒子)のスピンが自然に導入されたのだが、特殊相対論への適合で見られる非物理的な解(負エネルギー解)の解釈には、次の段階、場の量子論が必要だった。そこではもはや空間−時間と物質の二元論が根源的なものではなくなり、空間−時間の一元論となる。現象の根源はそこに貼りついた様々種類の『場』に投じられたエネルギーである。それが、場の量子化によって離散化され、物質世界を作り上げているから、物質の根幹である Fermi 粒子群はお互いに変換し合い、エネルギーとしても変換される。つまり、物質世界というのは原初的に存在するのではなくて、宇宙的な来歴に支配されている。

以前読んだ『素粒子論はなぜわかりにくいのか』が良かったので、
吉田伸夫『光の場、電子の海』 (新潮社)と『量子力学はなぜわかりにくいのか』(技術評論社)を読んだ。

      とりあえず、場の量子論の概要は判った。どれくらい細かい処まで勉強するか?

      場の量子論以前の普通の量子論は、粒子概念を捨てていない。粒子を波動関数で表現して、存在確率として解釈する。波動関数の位相自由度によって干渉効果を表現する。位置や運動量を微分演算子で置き換えてその係数にプランク数 h が入る。あるいは、状態をヒルベルト空間内の点で表現して、物理量はそこでの演算子と考えて、演算子間の交換関係に h が入る。これらは同等であるが、いずれにしても h が入ることで古典論から量子論へと橋渡しされる。粒子の統計的性質(座標の入れ替えで符号が変わるかどうか)とスピンの自由度はこれに追加される。多体系に対しては波動関数の引数が増えるという形式を採るのであるが、実際上は一粒子系の波動関数の積をいろいろと組み合わせて近似することが多い。この場合に入れ替えに対する対称性が考慮される。

      電磁場に対してはその物理量をフーリエ変換して記述パラメータを位置から波数に変え、調和振動子の集まりと考えて、それを量子化する。エネルギー準位は hν の整数倍となり、hν がエネルギー単位となり、これを光子と呼び、準位が上がるということを光子の数が増えると言う風に解釈する。準位を上げる演算子 a†(k) と準位を下げる演算子 a(k) を求めて、これらの演算子で定式化してしまう。つまり、全体は粒子と場の二元論になっている。僕が使っていたのはここまでの理論である。

      電磁場そのものは相対論を満たしているので、粒子の側を相対論を満たすように拡張すると、エネルギーと運動量が対等な形(同じ次数)で入ってくるために、正のエネルギーを持つ解の他に負のエネルギーを持つ解が生じる。またスピンが式の展開の必要性から導かれる。多体系の扱いは厄介である。しかし、この粒子の量子論も電磁場の量子論と同じ形式に焼き直すことができる。電磁場の場合は各点における電磁場は復元力を持たないで、隣接する電磁場との差異からの復元力がある。これが電磁場が伝搬する機構である。粒子の量子論を同様に扱うと、各点における粒子の場自身が復元力を持つ。これが静止質量に相当する。隣接する場との差異による復元力が運動量に相当する。この違いを含めれば電磁場の場合と同様に各波数に対して調和振動子と同じ形の解が得られる。ただし、Bose 粒子の交換関係に対応して、Fermi 粒子に対しては反交換関係となる。電磁場と同じようにエネルギー準位を上げ下げする演算子 a†(k)、a(k) を定義できる。(これらをフーリエ変換して位置の関数にすると演算子となった波動関数 ψ†(x)、ψ(x) が得られる。)多体系に対しては、各波数毎に量子を追加していけばよい。負エネルギー解については、方程式を変換することで、反粒子として解釈できる。

       その後現れてきた様々な素粒子はゲージ対称性の観点から分類された場の励起状態として表現できるようになった。スピンで分類すると、スピン 0 が Higgs 粒子(質量起源)、スピン1/2 が物質を担う Fermi 粒子群であり、スピン 1 が相互作用を担う Bose 粒子群、他に スピン3/2、スピン 2(重力、時空)が知られている。場の量子論はこのように粒子群を分類するのであるが、宇宙には歴史があり、そのプロセスにおいて、生き残った粒子群分布は均等ではなくなっている。これが対称性の破れとして語られる。反粒子よりも粒子が多かった為に、現在の宇宙では物質が存在する。あるいはヒッグス粒子が特定の値に凝縮したために、それと相互作用する素粒子が質量を持つように見える。等々。

       結局、Bohr-Barad 流の自然観は何だったか、と言えば、実在する世界は関係性を持つ以前の個物が関係しあっている、というのではなくて、関係性の方が実在し、その中で個物が記録を残す、ということであろう。ここで記録というのはいわば情報としてその関係性の在り方を周囲に伝える、という意味であって、これが次の関係性を生み出す。物理で言えば、関係性というのは測定器の設定であり、関係以前の個物というのは人間によって『想定された』粒子である。粒子が測定器と出会って測定値をもたらすのではなくて、粒子と測定器は不可分の現象であり、その中から測定データが吐き出され、それを情報として受け取る実験家が次の測定器を設計する。予めこれこれの特性を持つ粒子が存在するというのではなくて、測定という行為によって切り出されたデータによって粒子像が描かれる。だから、測定装置に応じて様々な粒子像や波動像があり、それらは人間の頭の中で作りあげられてきた粒子概念や波動概念とは矛盾するとしても、そのまま実在の様々な側面として受け入れるべきである。

      こうして、Bohr が粒子と波動という矛盾する概念をそのまま受け入れる(相補性)のに対して、場の量子論はこれらの矛盾する概念を(外部)3次元空間に埋め込まれた内部空間の場の励起状態として、つまり波動に統一してしまった。その内部空間の性質は純粋に物理法則が満たすべき対称性(ゲージ対称性)から決められるのではあるが、宇宙の歴史的履歴によって、その対称性の一部が破られたままの状態になっている。このような場の量子論による実在概念は、勿論高エネルギー実験や宇宙線観測によって解明されてきたものであるから、そういう意味ではそのような測定装置における現象でもある。我々が日常的に扱えるエネルギーレベルにおいては、Bohr の考え方もまた正しい。

       そもそも(特殊)相対論とは何だったのかと言えば、電磁気学と古典力学との間の矛盾を解決するために、古典力学の方を変更した、ということである。電磁気学においては、電場や磁場の起源として電荷や電流が想定されている。これは、当初、遠隔力(瞬時に作用する)と想定された。発見の経緯を辿っているのである。その後電荷を担う粒子が発見され、その粒子が古典力学に従うとすると、矛盾が生じてきた。その焦点となったのが電磁波の速度、つまり光速である。光速は等速運動をする座標系においては変らない。このことから電磁気学が正しくて、古典力学が修正されなくてはならない、ということになった。瞬時に作用するとされた電荷や電流間の力も光速で伝わることになった。

       その後、電磁場のエネルギーが離散値を持つことが発見され、エネルギー的には電磁場も粒子的となった。また、原子内の電子の挙動を説明するために、電子は波動性を持つことが認められた。本来波動は媒質を必要とするのだが、電磁場も電子の波動も媒質を持たない。また、電子は個別に区別することが出来ない。これらの現象が個別に組み合わされた段階が Bohr の時代であるが、全てを統一的に理解するためには、電子等の物質粒子に対しても空間に何かしらの場を想定して、その場における振動を量子力学的に扱うしかなくなった。つまり、粒子という道具立てを、エネルギーの空間的集中という側面を除けば、捨てざるを得なくなったのである。粒子の性質とされた質量や電荷も場の相互作用に由来し、それらの値は歴史性(偶然性)を持つ。更に、スピンも相対論の要請から生じてくる。

『光の場、電子の海』 吉田伸夫(新潮社)メモ

『光の場、電子の海』序章 原子と場:19世紀物理学

『光の場、電子の海』第1章 粒子としての光:アインシュタイン

『光の場、電子の海』第2章 原子はなぜ崩壊しないのか:ボーア

      電子が原子核の周りを円運動し、その角運動量が h/2πの整数倍しか許されないという恣意的な制限を与えたもの。Bohr の原子モデルは首尾一貫した理論にはなっていない。Bohr は常に複数の観点から対象を考察し、それぞれの見方に応じて最適な理論を選び出し、それをパッチワークのように繋いでいく。単純な仮定に基づいて演繹的に理論体系を作るのではないから、あちこちに矛盾を持っている。しかし、Bohr の原子モデルは初めて、原子スペクトルを説明出来た。

『光の場、電子の海』第3章 波動力学の興亡:シュレーディンガー

      de Broglie は電子に付随する波の考えで、Zommerfelt の量子条件(∫pdx=nh:運動量を電子軌道に沿って一周積分すると h の整数倍になる、という規則で、Bohr の使った規則を楕円運動に一般化したもの)が定常波の条件として自然に導けることを示し、Schroedinger はその考えを電子そのものの波動関数に当て嵌めて、その運動方程式を提案した。そこでは、原子内電子準位が微分方程式の解として導かれ、原子スペクトルも説明できる。また量子条件も導出できる。しかし波動関数の解釈は難しく、Schroedinger の考えた波の重ね合わせ(波束)による粒子性の説明は波束が拡散しやすいということから(Heisenberg を擁護したい) Bohr に論破された。多体の場合には波動という概念すら怪しくなる。そもそも、多粒子座標の関数としての波動関数はどんな波動を意味するのか?後に、ボルンは波動関数の確率解釈を提案して決着し、波動関数が粒子(多粒子も含む)の確率的状態を記述するという考えが残り、『粒子概念を残した』量子力学の普及と応用に貢献した。20世紀後半以降の文明はこの粒子概念による非相対論的量子力学を抜きにしてはあり得なかったとまで言えるだろう。

『光の場、電子の海』第4章 もう一つの道:ハイゼンベルグ、ボルン、ヨルダン

      原子内の電子について位置の時間依存性 x(t) は実証されないのだから理論に使うべきではない。使えるのは状態 n,m 間の遷移に関係すると想定される位置 x(n,m) である。Heisenberg はアイデアを論文に書きあげて、これを Born と Dirac が完成させた。Born は n,m が行列の番号に相当することに気づいて関係式を行列の演算で表現した。更に運動量 p にも同様な表現を与えることで、 Zommerfelt の量子条件を行列表現に翻訳した。更に数学の得意な Jordan が協力して、共著論文が完成した。水素原子のエネルギー準位の計算は Pauli が行い、リュードベリの公式が導かれた。Dirac は 行列力学を更に洗練させて、より一般的な量子条件

  xp-px=h/2πi

を得た。要するに状態を記述する行列とか波動関数とかの基準系を登場させないで、物理量だけを『q 数』(通常の四則演算には従わない数、演算子、行列)として使って基本的な原理を表現したのである。

      Heisenberg は交換関係から不確定性原理を導いた。彼は位置や運動量といったニュートン力学の概念には批判的であったが、粒子という古典的な概念には拘っていたから、不確定性原理の『説明』において、あたかもそれが観測の限界に由来するかのように語ってしまった。波動説で首尾一貫していた Schroedinger への対抗意識もあったかもしれない。Bohr は Heisenberg の粒子的概念を批判した。一方で不確定性原理は波動説から見れば当然の帰結に過ぎない。Bohr は波動と粒子の相補性を提案して事を丸く収めた。

『光の場、電子の海』第5章 光の場:ディラック

      Zommerfelt の量子条件を適用すれば、調和振動子の系はエネルギー hν で量子化される。閉じた空間内の電磁場も共鳴条件の振動数の調和振動子の集合と考えれば同じである。ここで、hν というエネルギー単位を光量子として扱う。しかしこのままでは進行波が記述できない。(Jordan は伸ばしたゴムひも(あるいは弦)の振動を考えた。そこでは調和振動子の集合だけでなく伝搬する波も存在し、後の場の量子論の切っ掛けとなった。)Dirac は電子と光の相互作用を考えるために摂動論を用いた。電子の状態は既に解かれている。光の状態については、エネルギーと位相のみで記述できる。この内の位相は電子との相互作用にしか関与せず、結局光だけの状態は光量子の個数だけで記述できる。こうして、演算子表現を工夫すれば、相互作用の項は光量子が一個生成される項と一個消滅する項の和になる。電子同士の相互作用(電磁力)も光量子をやり取りする過程として摂動論的に記述できる。光量子はエネルギーの塊であって古典的な粒子のような位置概念を持たない。(素粒子というのは単に状態や作用を数学的に表現したものであって、実体を持った粒子ではない。)しかしこれは後世の解釈であって、Dirac 自身は、光子はあくまでも粒子であるから、消滅したりするのではなく、ゼロ振動状態に落ち込むと解釈していた。つまり、真空はゼロ振動状態の光子で満ちている、と考えていた。

      具体的な電磁場は電磁ポテンシャル A(t,x) で表現する。Jordan と Pauli は A(t,x) をq 数(演算子)と見做し、これに量子条件を適用することでその振動エネルギーが hν で離散化されることを示した。Schroedinger は当初波動関数から波束を作って粒子的振る舞いを説明しようとしたのだが、波束は直ぐに分散してしまうので人々を納得させられなかった。しかし、A(t,x) は互いに連結されたバネが空間に詰まっているので、振動がどのように伝わって行こうともエネルギーは hν の整数倍しか許されず、崩れることが無い。つまり、粒子性というのはエネルギーの離散化の一つの表現である。

『光の場、電子の海』第6章 電子の海:ディラックとパウリ

      Schroedinger 方程式においては空間と時間が対等でないから相対論的でない。これに相対論的要請を満たす A(t,x) を追加することは矛盾をもたらす。だから、Dirac はまず Schroedinger 方程式の相対論化を行った。以下単純化の為に空間を一次元とする(注:吉田氏の発案)。

  相対論的な運動量 p=mv{1+(1/2)(v/c)^2+(3/8)(v/c)^4+...}
    :非相対論では最初の項だけ

  相対論的なエネルギー E=mc^2{1+(1/2)(v/c)^2+(3/8)(v/c)^4+...}
    :非相対論では第2項まで、但し第1項は定数なので表に出ない。

  E^2=(cp)^2+(mc^2)^2
    :非相対論では E=p^2/2m

      Schroedinger の量子化は E→(ih/2π)∂/∂t、p→-(ih/2π)∂/∂x とするが、これでエネルギーと運動量の関係を量子化すると(Klein Gordon 方程式)非相対論でのような一次方程式にならないので解釈が難しくなる。Dirac は

  E=cpα+mc^2β

と置いて、この自乗によって相対論的な E と p の関係を満たす事を要請した。(天才的発想の転換!)つまり、

 α^2=1、αβ+βα=0、β^2=1

である。この連立方程式は αとβが c 数では解を持たないが、q 数としてしまえば、反交換関係

  αβ+βα=0

を仮定するだけで解が見つかる。具体的には、2行2列の行列がそれを満たす。

  α=(0 1) , β=(1  0)
     (1 0)       (0 -1)

ここから作られる量子力学の方程式は係数が行列なので、波動関数 Ψ が2つの成分を持つ。

  EΨ+= mc^2Ψ+ + cpΨ-
 EΨ-= cpΨ+ − mc^2Ψ-

(注)
なお、空間を3次元とすれば、波動関数は4成分を持ち、もう一つの自由度、スピンが必然的に入るのだが、式がややこしくなるので、吉田氏はそれを避けた。スピン演算子は、既に Pauli により非相対論的 Schroedinger 方程式にスピン自由度を入れるために導入されていた。2次元行列で反交換関係を持つから、実際上 Dirac はそれを流用して重ねることで4次元行列を作ったのである。3次元空間と時間の相対論という枠組みにおいて、スピンの自由度が自然に生じてくるというのは興味深い。
(注終わり)
(注)
      相対論ではエネルギーに静止質量項 mc^2 が加わるから、E=hν から言えば、νが非相対論とは全く異なって極めて大きい。

ただ、角速度 ω=2πν と波数 k=2π/λ の関係(分散関係)を計算してみると、h^2ω^2=h^2k^2c^2 + 4π^2m^2c^4 から、低次項を取り出せば、

  hω=2πmc^2 + h^2k^2/4πm

となる。これから群速度=dω/dk=hk/2πm となり、これは非相対論での波動関数の位相速度と同じである。つまり、同じ波数での振動数は非相対論の場合に比べて極めて大きいが、波束を作ればその速度は非相対論での速度と同じであり、空間軸で見れば波長(λ=2π/k)が同じだから、干渉効果も同じという事になる。波として伝搬しながらも、質量エネルギーが運ばれている。これが本来の粒子性である。
(注終わり)

      Ψ- は静止時に負のエネルギーを持つ解である。Dirac は解釈に苦しみ、負のエネルギー状態はほぼ完全に占有されているとした(Dirac の海)。これは Fermi 粒子(Pauli の排他律)だから許される。そして、そこから電子が無くなった跡は空孔となり、それは正電荷を持つ電子のようなものであろう、とした(1931年)。後に陽電子として発見された(1932年)が、Pauli と Bohr に攻撃されて、1934年にはこの空孔理論を諦めた。

『光の場、電子の海』第7章 量子場の理論:ヨルダン、パウリ、ハイゼンベルグ

      1927年、Jordan + Klein の提案。Schroedinger の波動関数 Ψ(x,t) は一個の電子しか表現できないが、これを q 数と見做して量子論的に取り扱えば、その振動状態によって複数の電子を扱える。つまり、hνを単位とした粒子数と解釈する。この方が、粒子の個別性が原理的に無いことになって好都合である。Ψを場における平衡からのズレと考え、演算子と考えて、対応する運動量 Π(x,t) を導きだし、

  <ΠΨ−ΨΠ>=h/2πi

という交換関係を設定した。場は稠密にあるので、微小領域における平均操作< >を導入した。これは x と t が対等な関係(ΨとΠのパラメータでしかない)で入っているので相対論的要請に合う。これに対して、Dirac の

  px−xp=h/2πi

には時間が入っていない。これは粒子論では、空間に粒子が存在するということに意味があるのに対して、『ある時刻に粒子が存在する』ということに意味がないからである。だから、粒子概念そのものが相対論的要請に反していて、場の概念が相対論と合う。更にウィグナーが1928年に Fermi 粒子に対する反交換関係

  <ΠΨ+ΨΠ>=h/2πi

を導入した。Dirac は波動関数が量子論的な q 数だと見做す理論を作ろうとしていたが、Pauli はそれとは別に振動する電子の場を想定した。電子はあくまでも場の振動が粒子のように振る舞うという現象であるとした。Pauli と Heisenberg の共著は1929、1930年に発表されて、決定版となった。Schroedinger も波動力学を標榜したのだが、波束として粒子を記述したために、直ぐに拡散してしまう波束と観測される粒子挙動との対応がつかなかった。量子場の理論では、場そのものを量子論的な q 数として扱うことで粒子的な状態を維持する。方程式は Dirac と同じであっても、Dirac においては Ψ(x,t) は電子の存在確率に関係しており、Pauli + Heisenberg の ψ(x,t) は電子の場を表す。(注:ψ†(x,t)、ψ(x,t) はそれぞれ位置 x、時刻 t における粒子(量子)の生成、消滅演算子である。)

      静止した電子は全ての場が位相同期しているときである。この時隣接する場の間の復元力が無い為に、場の振動は伝搬しない。Dirac の方程式から、そのエネルギーは hν=mc^2 の整数倍を採る。これは整数個の電子が存在している、という解釈ができる。ただし、全ての場が同期しているので、その場所は特定できない。これが不確定性原理の本来の起源である。ただし、電磁場においてはこのような解が存在しないので、光は静止できない。

       Dirac 方程式の負エネルギー解を Pauli は反粒子と考えた。方程式にエルミート共役変換を施すと、粒子と反粒子とが入れ替わり、エネルギーの符合が逆になる。だから、反粒子に対してはエルミート共役(行と列を入れ替えて複素共役をとる、†で表す)を取って解釈すれば運動量とエネルギーが逆符号の解となる。

      電子と光の相互作用項は、4行4列の行列の積を4行のベクトルと4列のベクトルで挟んで積和をとるからスカラーとなる(説明は無し)。

  −eΣμ ψ†γ0 γμ Aμ ψ

電子あるいは陽電子が光子を放出あるいは吸収する、あるいは光子と電子+陽電子の対が置き換わる、というプロセスに対応する。但し後者は核エネルギー相当のエネルギー(2mc^2)が関係してくるので、通常は起きない。

      波動関数ψを粒子の位置の関数と考えていた従来の量子力学では電子の粒子性をうまく説明できなかったが、波動関数を電子の場として q 数(演算子)として扱うことで、その振動は固有のバネの振動となり(つまり静止質量=エネルギー)粒子性が確保される。更に副産物としてスピン自由度が導かれ、反粒子の存在も予言された。量子場の理論では波動性が二重化している。Ψ(ψ(t,x)) という記述になるから、概念的には更に日常性から遠ざかる。

      量子場理論は「くりこみ理論」が登場するまでは実際上の計算が殆どできなかった。また素粒子論以外に使い道がなかった。更に、Dirac も Pauli も変人で大衆向けに広める努力をしなかった。だから、未だに専門家以外には知られていない。吉田氏は量子力学の文化的・社会的意味を理解するためには量子場の理論が不可欠と考えるので、一般向けの解説を書いているのである。

『光の場、電子の海』第8章 繰り込みの処方箋:朝永、シュウィンガー、ファインマン

      摂動を2次まで計算に採りいれると、計算が発散する。電子の作り出す電磁場は電子自身に感じられる。古典系では電子の位置が決まっている為に電磁場は急速に遠ざかって問題とならないが、場の理論では、電子の場が拡がっているために、積分が発散する。他方、原子核内部については場の理論が必要なかったために、直観的なモデルで実験を解釈出来て、1930年台に大いに発展し、核エネルギーを利用する可能性が見つかった。戦争の時代、物理学者達は原子爆弾とレーザーの開発に動員された。ヨーロッパからユダヤ系の物理学者が逃げ出した。Einstein、Bohr、Born、Pauli、Wigner、Weisskopf、Fermi、Teller、Szilard、Neumann。行列力学の3人はそれぞれ違う道を辿った。Born はイギリスに渡り、軍事研究には参加しなかったが、弟子の Oppenheimer と Weisskopf、Fermi、Teller、Wigner が原爆を開発。Jordan はナチスの突撃隊員となった。Heisenberg はドイツで核兵器開発を担当したが、出来なかった。その後、場の量子論に貢献した。

      途絶えてしまった量子場理論では、次世代の Feynmann、Schwinger、朝永 が主役となった。1948年の学会とその直後の朝永の論文を見て、Dyson が大戦中の三人三様の仕事が同じ事を別のやり方で表現していることを認めた。「繰り込み理論」である。つまり、計算の途中で現れる無限大は最終的には質量や電荷を少し変えるという形で有限な効果として取り込めることが判った。解像度を上げて(空間をより細かく仕切って)計算すればするほど、質量や電荷への繰り込み量は大きくなるが、支配方程式そのものは変わらない。実際の現象を説明するような質量や電荷は生の質量や電荷よりも少し大きい値を採用すればよい。ただし、解像度を無限に細かくすると質量と電荷が発散することになるので、この理論自身はまだ究極の理論とは言えない。

『光の場、電子の海』終章 標準模型:20世紀物理学の到達点

      1932年に中性子の発見があって、原子核の構成要素が明確となり、陽子と中性子を結び付ける力が課題となった。陽子が電子を吸収して中性子になる(あるいはこの逆)という相互作用が考えられたが、3つの場は全て4成分なので、場の成分数が合わない。何か1成分の場が仲介していると湯川は考えた。陽子−電子−中性子の相互作用については、Fermi が更に4成分のニュートリノの場を追加して説明した。これは原子核からの電子放出(β線)のメカニズムである。しかし、湯川や Fermi の仮説を計算しようとすると、相互作用が強い為に、高次の摂動が必要となり、計算が発散する。これを解決したのが繰り込み理論である。1960年代にはこの手法が応用されていって、素粒子論(場の量子論)が主流の理論として認められるようになった。

      Wigner は1937年に、Heisenberg の論文に触発されて、陽子と中性子は同じ場の別の状態に過ぎないと主張した。場の振動方向が違うだけである。その考えを拡張して素粒子の変転を統一的に説明したのが Yang と Mills の理論である。それぞれの振動方向で作られる空間において振動の向きが連続的に変化するが、それは未知の場(ゲージ場)との相互作用による、とした。しかし、実際には陽子と中性子との重ね合わせ状態は観測されていないし、質量差もある。1960年代に至って、その解決策が見つかった。「ゲージ対称性の破れ」と「閉じ込め」である。物理法則そのものはゲージ対称性があるのだが、宇宙の歴史の中で、ヒッグズ場が凝縮してしまい、特定の方向を向いたまま固まってしまい、そのヒッグズ場との相互作用によって、陽子と中性子の区別も固まった。中性子が電子と反ニュートリノの対を出して陽子に変化するという Fermi の機構(β崩壊)は、中性子が W粒子(ゲージ粒子の一種)を放出して陽子に変り、W粒子が電子とニュートリノに崩壊する、と改められた。W粒子は1983年に見つかった。Gell-Mann は、陽子、中性子、中間子等は、クォークと反クォークがゲージ場に閉じ込められた状態である、という理論を提唱(1964年)していて、その正しさを実証することになった。Yang Mills の理論におけるゲージ場相互作用は遠ざかるほど大きくなるという性質があるために、これらの複合粒子が分解できないという事をうまく説明できた。

      量子場は、クォーク場、レプトン場(電子、ニュートリノ、μ中間子等)、ヒッグズ場、ゲージ場から成る。クォークとレプトンが 4成分(スピンの上下×と実・反粒子)となり、容易には増減できない(物質粒子)。ゲージ場は、対称性が破れていない場で、クォークとだけ相互作用する場と、他の場のいずれとも相互作用し、ゲージ対称性が破れている場から成る。これは、ゲージ対称性の破れによって、重い粒子(Z粒子、W粒子)と質量の無い光子に分かれる。1974年に、理論的に予言されていた4つめのクォークが発見された。

      この標準模型は、量子場という単一概念によって(重力を除く)あらゆる物理現象を説明できる。19世紀においては原子論と場の理論を併用せざるを得なかったのだが、1970年に至って場の理論だけに統一された。しかし、この世界観の大変革は専門家以外には殆ど知られていない。19世紀の世界観では、何もない3次元空間に小さな粒子が多数存在して相互作用しているから、世界がいかに複雑であろうとも、原理的には細かく分解して組み合わせれば理解できる、と考える。しかし、場の理論では、3次元(外部)空間は空虚な空間ではなく、その各点に様々な場を作り出す内部空間を持っている。ニュートン力学における、空間−時間−物質−力 は一体化して量子場として統一された。但し完全な統一の為には重力場(一般相対論)まで拡張しなくてはならない。それぞれの内部空間で定義される量子場は q 数(演算子)であるから、値は確定していない。また内部空間に閉じ込められることから定在波を形成し、離散的なエネルギーを持つ。この事が粒子的な振る舞いをもたらす。超高次元空間のどの部分次元で現象が生起するか、ということが宇宙の歴史を経て現在を決めているから、これを単純な要素に分解して組み立てることは不可能である。

      標準理論の課題は3つある。
(1)重力が含まれていない。
(2)繰り込み理論で計算する限り無限の解像度において破綻する。
(3)根拠のはっきりしない仮定(例:電子とクォークの電荷は整数比である)が含まれる。超ひも理論はこれらを全て解決すると期待されているが、実験的検証が著しく困難である。

吉田伸夫『量子論はなぜわかりにくいのか』(技術評論社)。

       なかなか面白い。Bohr が原子のモデルを考えた時、古典力学から決別したのであるが、代替となるべき力学は無かった。Heisenberg はそれに相当する理論を作る為に原子内電子状態間の遷移の経験式をそのまま使って力学量を行列で表示し、Zommerfelt の経験的量子条件(∫pdx=nh)から、位置演算子と運動量演算子の間の交換関係を導いて、高エネルギーの極限では古典論に漸近する、という対応原理に従って、行列力学を作り上げた。直観的イメージを排除した行列力学は、あまり評判が良くなかったのだが、Bohr は、波動という明確なイメージを持った Schroedinger の波動力学の欠陥を暴き立てることで、強引に引っ込ませて、判りにくい点に関しては『相補性』という哲学で補完した。

      その波動力学の欠陥というのは多体問題に対する波動関数の解釈であった。つまり、その場合には解が3次元の波動とは解釈出来ないのである。後になって、Born が波動関数の確率解釈を編み出して実際の波動でなくても良くなり、行列力学と同等ということが証明されたのである。こうして最終的に von Neumann によって確立された量子力学においては粒子という概念そのものは捨てていない。だから、同等粒子の交換についての対称性を別途持ち込む必要がある。この粒子という概念から様々なパラドックスが生まれたにすぎないのである。また、電子の運動と電場との相互作用については量子化が為されていない。本当の量子力学は粒子という概念を諦めて、場の励起状態を量子化することである。この『場の量子論』は電場の量子化から始まり、全ての素粒子が場の励起状態として記述されていって、一般的に認められるには1970年台までかかったのである。そこでの粒子はもはや個別性を持たず、単に場の励起状態が空間を波として伝搬していく様子を示すにすぎないから、粒子と波動の二重性という概念すらあり得ない。Shroedinger が構想したように、古典的な粒子に「対応する」のは波動を重ね合わせて局在させたものであるが、それは古典的な場合とは異なり、個別性を失っている。

『量子論はなぜわかりにくいのか』第4章:

      Dirac は光を粒子として考えて、その波動関数が電磁ポテンシャル Aμ(μ=1,2,3:3次元空間の方向) であるとした。それは粒子の波動関数一般と同様に複素数であり、絶対値の自乗が確率として解釈される。この Aμ は電磁ポテンシャルでもあるから、古典的な振動解(電磁波)を持ち、それは量子化されて、エネルギーが hν の単位で離散化される。それが光子である。電子の方は、Shroedinger 方程式を相対論的に拡張した Dirac 方程式を満たす波動関数 ψ で表現される。こうして得られた光子と電子の波動関数 Aμ と ψ を新たに「演算子」として考え直すことで、その組み合わせによって光子と電子との相互作用を表現する。これが 第2量子化である。他方、Jordan は Aμ は電磁「場」であり、ψ は電子の「場」であるとして、それらを直接演算子と考えて交換関係を導入した。要するに、Dirac の場合は Schroedinger 方程式からの類推によって創られた線形微分方程式の枠内でまず波動関数を導入し、得られた波動関数を演算子として扱う(第2量子化)。

      これに対して、Jordan の場合は最初から線形微分方程式を想定していないので、非線形な相互作用の場合にも対応している。これらは同じ結果を与えるので区別されないことが多い。この差異が生じるのは、相互作用が大きくなって摂動計算が出来なくなるような場合である。言い換えると、電子も光子も近似的にすら粒子として扱えなくなるときである。例えば、原子内部での電子について、Dirac 流の言い方では、「観測されていない時にはその状態が記述できない」という Bohr の解釈になるのだが、Jordan 流の言い方では、「原子核との相互作用が強いので摂動近似が使えず、粒子的には振る舞っていない」という解釈になる。この場合「粒子的」というのは自由空間での波動とその重ね合わせによる波動の局在化、という広い範囲の概念である。つまり、Bohr の時代における粒子性と波動性というのは、どちらも場の量子論の立場では「粒子性」として一括されて、それらは矛盾とは見做されない。何故ならばそもそも古典的な粒子と言う概念は近似であって、理論には登場しないからである。その意味での「粒子性」が保てなくなる状況を Bohr は「現象として一体化している、分離不可能な状態」と解釈したのである。勿論、それは「計算可能」である。
 
『量子論はなぜわかりにくいのか』第5章:

       行列力学では、物理量=演算子に成り立つ交換関係を第一原理として認めた上で不確定性関係を導くのだが、別のやり方もある。それは経路積分法である。古典力学における最小作用の法則は幾何光学における最小光学距離の原理であり、波動光学についてのホイヘンスの原理としてより一般化される。したがって、最小作用の原理を場の振動について一般化すればよくて、それが経路積分である。

  (所感)

粒子と場というのは、人間の原初的な感覚としては外界に対する基本的な2種類の枠組みなのだろう。目に見える形を持ち、それを操作できるものとして捉えるとき、その極限が粒子であるし、自分にはどうしようもない空間的時間的拡がりが意識されるとき、その極限は場ということかもしれない。心の構造においても、表象や言葉というのは粒子的であり、気分や無意識は場のようなものである。古代の世界観は洋の東西を問わず、場としての世界であった。四元説にせよ、五元説にせよ、世界の大本は粒子ではない。デモクリトスを除けば、粒子的世界観は近代の産物である。最初の反論は熱力学の原理によって力学的世界観を否定したオストワルドであり、実証されないミクロな粒子の実在を認めないというマッハの哲学とも結びついた。ボルツマンは粒子説の立場からエントロピー増大則を導くために統計力学を生み出したが、そこには確率の導入が不可欠であった。つまり、エントロピー増大は決定論的な力学だけからは説明できず、確率的な現象であった。しかも同種粒子は区別しない、という巨視的世界では通用しないルールも必要であった。そうこうしている間に、電子線の発見やブラウン運動の発見などが相次いで、粒子説は確定的な世界観となった。ところで同種粒子かどうか、という判断基準は何だろうか?これは現実的に番号付けができるかどうか、ということなので、考えている時間スケールに依存する。結晶中の同種原子においては、原子が場所を入れ替えるには時間がかかるから、通例は原子を個別粒子として扱う。

『量子論はなぜわかりにくいのか』 第6章 混乱する解釈

      von Neumann の『量子力学の数学的基礎』は、粒子と場の二元論による量子力学の完成形である。初期状態が与えられれば、厳密な微分方程式あるいはそれに相当する数学的手段によって、現在の状態が計算できるが、その状態は確定した物理量(c 数)を持たない。物理量を確定するためには『観測』が必要となり、その時に状態によって与えられている確率に従った測定値が得られる。これはその測定値を持つ物理量(演算子)の固有状態に収縮する、ということである。ヒルベルト空間上で記述すれば、固有状態を表す特定の空間軸に対して計算された状態(点)を『射影』する、という操作(点を通ってその軸に垂直な平面を作り、その平面と軸との交点が射影されたベクトルの終点である)に相当する。この『観測』の定義には確率現象である、という事しか含まれておらず、具体的なそのプロセスには触れていないし、当初は人間によって設計された測定器が想定されていた。しかし、Schroedinger の猫のパラドックスで示されたように、本来この『観測』には人間が関与する必然性はない。

      そこを埋める理論が『デコヒーレンス歴史』である。この考え方の理解の為には経路積分法による量子力学の計算方法で記述する方が判りやすい。光学で言えばホイヘンスの原理である。波はあらゆる点においてその周辺に波動として伝わる。この特定の時刻での波動から発して伝わっている波動を全て重ね合わせた波動全体が現実の波動である。幾何光学で与えられる光の直線的経路は重ね合わされた波動がお互いに打ち消しあわないような経路であり、その経路の波長程度の近傍においても打ち消しあわない波動が残っている。しかし、波が伝搬する空間の中に波と相互作用してエネルギーを吸収したりするようなものがあれば、そこを経由する波動は重ね合わせに寄与しなくなる。この何らかの相互作用が『観測』である。二重スリットの例で言えば、そのスリット以外の経路を通る波は重ね合わせに寄与せず、残された二つのスリットを経由する波だけが背後のスクリーン上で干渉した痕跡を残す。片側のスリットの背後に小さな霧箱を置けば、水蒸気と電子が相互作用して、痕跡を残すから、残されたスリットを通る経路しか寄与せず、干渉の痕跡が出ない。こうして、量子力学的に計算される状態の推移はコヒーレンス(相互作用で乱されない状態)を保つ間の『歴史』が実現する確率の事であり、途中で乱される場合にはそれに関与する相互作用項を入れていく必要がある。

      しかし、量子力学の応用範囲が拡がってくると、その相互作用も完全に乱してしまうという『観測』でもなく、かといって全く乱さないわけでもない、という中途半端な場合にどう考えるか、が問題となり、その場合には、その度に別の可能性が残されたままである、という『多世界解釈』が登場した。つまり、完全に『観測』はされないままに残された可能性が世界にはそのまま継続している、という気味の悪い世界観であるが、この解釈に現実的な意味は無い。いずれにしても観測されない限り現実的意味が無いのだから。。。場の量子論においても事情は変わらない。ただ、古典的粒子の実在性が否定されてしまったので、量子論における様々なパラドックスは最初から存在しないという点が異なる。

『量子論はなぜわかりにくいのか』第7章 相関か相互作用か

      EPR相関は二つに別れた系が量子力学的にコヒーレンスを保ち、同じ歴史を共有するならば、片方の物理量の測定から遠く離れた系の物理量が判ってしまう、という話である。Einstein はこれが、相対論と矛盾する遠隔相互作用の主張であると考えたのだが、必ずしもそうではない。実際には両方の系の測定を行わない限りその正否は判定できないのだが、同時測定ということがそもそも困難であるから、何回かの測定の繰り返しによる統計的データによって正否を判別しなくてはならない。相関が見つかったとしても、それは遠隔相互作用のせいとは限らず、最初からそういう系であった、ということかもしれない。粒子の位置とか運動量についてこのような実験を行うのは困難である(コヒーレンスを保つ事が難しい)から、Bohm は光の偏光とか電子のスピンについて行うことを提案した。

      偏光が相関する二つの光子を取り出す系がある。これら二つの光子のそれぞれを a,b という二つの角度に置かれた偏光板に通して、通れば 1、通らなければ -1 として、それの積を R(a,b)とする。更に、a'、b、a、b' の順に角度θだけ偏光板の角度を増加させた実験を行い、

  S=|<R(a,b)>+<R(a,b')>+<R(a',b)>−<R(a',b')>|

を計算する。ここで< >は多数回行った実験での平均値を表す。量子力学的計算によっても、また実験によっても、S をθに対してプロットすると、θ=0°で 2 となり、22.5° で最大値 2√2 をとり、45°で 0 になる。しかし、古典的に計算するとこれが2を超えることはない。その古典論での仮定は
1.粒子の物理量はいつでも特定の値を持っている(隠れた変数)。
2.物理量がある範囲に入る確率は正である。

      第1の仮定は量子論では成り立たない。第2の仮定は一般論として在り得ないのであるが、量子論で考えた場合において特定の在り得ない現象に確率を適用しようとすれば負の確率となる。それが出来ないので、S が2以下という事になった。吉田氏の解釈はこの後者の方である。

『量子論はなぜわかりにくいのか』第8章 量子論の本質

      古典論では空虚な空間の中を物体が動き回る。その延長上に原子論がある。その概念を保持したまま、つまり古典的な粒子の概念を保持したまま量子力学を作ると本来的な波動性と概念としての粒子性が矛盾として見えてしまう。しかし、場の量子論の立場では空間の各点に内部空間として場があり、その振動状態が現象であり、古典的粒子が見かけ上の現象として扱われる。場同士の相互作用が強くなると、もはや粒子的描像が成り立たない。場の量子論は直観的にはイメージしにくいので、格子理論が作られた。離散的な格子点に物質粒子の場(Fermion)格子を結ぶ線上に相互作用の場(Boson)を配置する。こうすると計算機シミュレーションで問題を解くことができる。

      物理学に与えられる『要素還元主義』という批判は量子論には当てはまらない。要素の担い手である粒子はもはや存在しない。粒子的に振る舞う場合もあるエネルギー量子は空間の各点に存在する内部空間における場の振動の共鳴パターンであり、分子や結晶も同様に多次元空間で形成された共鳴パターンである。

      現象をマッハ流に観測可能な状態に限定して議論しようとするから、根底に物理現象があるにも拘わらず言及されなくなる。二重スリットの干渉実験についても、どちらのスリットを通るかの観測というのは現実的には装置との相互作用なのだから、それによって後方のスクリーンに到達する波動が変わるのは当たり前であって、量子力学の計算で説明できるにも拘わらず、これを『電子の粒子的振る舞いと波動的な振る舞いは排他的である』と言う風に哲学的に語ってしまうから混乱が起きる。相補性というのはいつまでも正しいとは限らない。いつか統一的な見方が見つかるまでの一時しのぎという事も在り得る。

      場の量子論に言及しない量子論の解説は信用しない方が良い。

『量子論はなぜわかりにくいのか』おわりに

      (吉田氏の感想)Bohr の論文はあまり論理的ではなく、誤りも多い。思い悩みながら模索する姿が見える。あまり文字通りに受け取って神聖視すべきではない。佐藤文隆の著作はその点で冷静であり、勇気付けられた。

 
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