2014.04.13

     昭和史の後編(戦後編)を読み終えた。講話記録なので親しみやすい。しっかりした歴史観に基づく歴史書ではなくて、一ジャーナリストの私的感想めいた談話である。けれども、多分大多数の国民の感覚に近いと思う。内容についてはとりたてて目新しい発見はなかったので、あまり書くこともない。

      最後の方で戦後を6つの時期に分けている。

(1)1945年の敗戦から講和条約+安保条約(1952)までのGHQ占領時代は戦後の日本のあり方を決定付けた時期である。マッカーサーと吉田茂の選択は日本が軍事的にはアメリカに完全依存状態として経済復興に専念する、というものであった。他にも選択肢はあったわけであるが、世界情勢を考えればこれが結局のところBESTではなかったか、と思われる。

(2)そこから1960年の安保改定までは、一旦方向付けられた日本のあり方に対していろいろな方向からの政治的意見が対立し多くの混乱と事件が起きた時期である。先ほどの選択肢がそれであって、戦前の立憲君主制と独立した軍隊という普通の国家(鳩山−岸のライン)、現行の象徴天皇制と平和憲法と非軍事(アメリカの傘)による通商国家、社会主義でアメリカから距離を置いた中立国家、東洋のスイス的小さな国家である。岸首相は最初の選択肢を目指したのだが、世論を見て妥協して、あまりにもアメリカの恣意性に任せられていた安保条約を日本防衛義務を持つものに改めたのだが、同時に自衛隊を増強し、安保改定に備えて治安維持の法律やら教員の勤務評定やら、嫌われることを沢山やった。現在安倍首相が踏襲、再演している。

(3)次は1965年までで、岸首相が覚悟の退陣をして官僚池田内閣の元で日本は経済発展に注力した。

(4)そこから1972年までは更に経済成長して日本人が自信を持つと共に、あまりにも経済一辺倒な思潮に対する若い人たちの反抗が起きた。1972年に佐藤首相の使命が実現し沖縄返還がなされる。

(5)1982年までは、田中首相による日本列島改造と福祉政策、ベトナム戦争、石油ショック、ニクソンショック、と日本経済が揺さぶられた時代である。日本人は一致団結してこれに耐えた。

(6)1989年(昭和の終り)までは政治家が矮小化して官僚達が主導した時代であった。日本経済が頂点に達すると同時にそれはバブルの頂点でもあった。

    平成時代。バブル崩壊後、日本は目標を見失っている。優秀な官僚指導体制も2代目3代目になると既得権の保持と過去の成功体験への拘りから、展望が見えなくなっている。明治維新から40年かけて日露戦争の頃までは日本の成長の時期であり、その後を引き継いだ人たち、特に軍人達も同じような限界に陥って、その後の国家破綻を演出することになったが、講和条約で独立した日本も40年かけて通商経済国家として頂点に達した後、官僚達の指導が行方を見失っている。

      目新しい発見は無かったと書いたが、平凡社ライブラリーにするときに付録として追加した「昭和天皇とマッカーサー会談秘話」だけは興味深い。本文よりもこちらの方が価値があるかもしれない。10回に亘って行われたその内容は2人の間の秘密であったのだが、死ぬまで秘密を守ったのは昭和天皇だけであった。要約すると昭和天皇とマッカーサーは戦後日本の体制を共同謀議していたのである。戦犯問題、象徴天皇、平和憲法、共産圏を除く講和、沖縄を米軍基地として50年程度貸与して極東の共産圏を牽制すること、などの全ては昭和天皇の意思であった。彼は軍人としての教育と訓練を受けており、世界情勢を的確に捉えていて朝鮮戦争も予測していた。その上で日本の為に何がBESTかを考えマッカーサーに提案していたのである。それに、彼はそもそも青年時代の教育環境からして親アングロサクソンであった。そういえば、半藤氏も最後にこれからの日本に大事なことの中で、大局的な展望、世界史の行方を的確に判断する知性を挙げている。

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