2014.03.26

     今日は一日中雨。半藤一利の「昭和史1926-1945」(平凡社)を読み終えた。まあ、忙しかったのでぼちぼちと一月位はかかっただろうか?講義録らしく、大変読みやすいし、判りやすい。あまり判りやすいというのもどうかと思うが。要するによく整理されている。

      ここまでの悲惨はあの江戸時代をひっくり返して西欧列強と伍すだけの近代国家を築き上げた明治維新の立役者達が次々とこの世からいなくなって行った時代だからか?まあ、制度の問題はあるし、政治家や軍人の未熟さもあるし、ともかく自らの信念に従ってまっしぐらに世界を相手に戦争を始めて当初の予想通りに敗北した。昭和天皇を初めとして多くの指導者達はそれを自覚していた。しかしどうにもならなかったのである。半藤氏は登場人物の心理に言及してまで説明する。だから親しみやすくなるのであるが、逆にいうと、歴史的な個々の決断が偶然とも言える個人の心理状態に依存して為されている、という印象を与えるし、何だか日本人特有の性格の弱さみたいなものも感じる。もっとも、その心理状態の由来を辿ってみれば、そこには少なくとも明治維新には遡るその人の個人史があり、その郷里や出身母体がある。個人的にはまことに愛すべき軍人達である。この時代は日本史の中ではもっとも人間的な人間が表舞台で活躍した時代でもある。ただ、あまりにも未熟であった。

      何事にも果敢に取り組み、他者を説得するだけの弁舌力を持つこういう人たちは現在でも多くの企業で主役として活躍しているし、期待され、評価もされていると思う。何故なら事業を切り開くからである。企業のレベルであればそれでも成り立つ。多少とも冷静な部下は冷遇される だけである。しかし、この時代の国家レベルでは彼らの成功が難しかった。それと、彼らは失敗を想定しないから、責任意識が無い。失敗して潔く自決する人もいるが、多くは黙して生き残る。こうして指導層はますます劣化していく。それでは、指導層がもっとうまく立ち回っていたらどうだったか、という疑問が出てくる。満州事変が収まっていたらどうか?対中国への侵略を止めていたらどうだったか?インドシナに進駐しなかったらどうか?果たして日本は「ジリ貧」になったであろうか?まあ当時、資源も無い日本が植民地を獲得しないで列強と伍していけるとは考えられなかったのかもしれないが、必ずしも悪くなかったと思われるし、そういう考えの政治家も多かった。論理的に考えればどう見ても破綻への道であることは皆が判っていた。けれども、この頃既に国民世論は熱狂的に排外的であった。そういう世論を背にした軍人達が主導権を握ったということになる。殆ど勝てないと判っていて戦争を始めたのである。世論を積極的に作り出したのはマスコミである。煽れば煽るほど新聞が売れるから、煽らざるを得ない。冷静に考えてみれば、「情報」が商品として成立していて、それが麻薬の役割をしていたということである。これは現在でも変わらない。祭好きの日本人、それは外国から侵略されてこなかった農耕民族の血であろう。戦前の日本に報道の自由や個人の自由がなかったというのが一般的な理解と思っていたが、そうなったのは敗戦色が濃厚となり流石の国民も夢から醒めて厭戦気分が蔓延してからである。その下地は勿論もっと前の二二六事件頃に遡るのではあるが。

      ぐだぐだと考えてみても頭がまとまらないので、最後に半藤氏が抽出した教訓を記録しておく。

1.国民的熱狂を作ってはいけない。
2.危機において抽象的な観念論に捉われてはならない。
  起こってはならないことは起こらないと考えて忘れてしまい、都合の良い偶然だけに頼って勝手な論理を築き上げる。(原発もそうであった。)
3.タコツボ社会を乗り越えて他組織の意見を聴くべし。
  これはまあ江戸時代の遺産でもあるし、現在に至る政治のあり方でもある。
4.国際社会の常識を弁えること。
  天皇の終戦宣言で戦争が終わったと勝手に思い込んで、在満州の軍隊を武装解除し、ソ連にそれを直接伝えなかったことが満州での悲劇(シベリア抑留)を生み、更には朝鮮半島の分割や戦争まで引き起こし、現在の北朝鮮問題に至る。無知の怖さ。勿論、ソ連はこの無知を意図的に利用したのであるが。
5.対症療法ばかりに拘泥しないで大局的見地と複眼的な考えを取り入れる。
  満州事変から日中戦争、対米戦争、という流れは対症療法の連続であった。

最後に、昭和の指導者達に見られる「根拠無き自己過信」と「無責任」を挙げている。これらは多分に明治維新から日清、日露戦争の勝利という経緯に拠ると思われるが、太平洋戦争においても、初期の勝利によって気分が大きくなってしまった。ミッドウェーまで勇んで侵攻して油断して大敗したのを始めとして、無謀な前線の拡大を続けた。要するに、理知的というよりは感情的、情緒的な国民性であるから、今更どうしようもない。自覚して努めて冷静になるようにするしかないのであろう。それと、近隣諸国への借りがある。侵攻した中国へは勿論であるが、アメリカは戦前から東洋でいち早く近代化した日本を資源の面から支えてきたし、戦後もソ連の侵攻を押さえ込んだ。勿論原爆は許せないとしても。日本がロシアと中国とアメリカに分割される、という最悪のシナリオだけは避けられたのである。(これには勿論昭和天皇の降伏の決断が寄与しているが。)その代理を引き受けて内戦に苦しんだのが朝鮮半島であった。今日の日本の繁栄の基礎には沖縄だけでなく朝鮮半島の人々の犠牲があることを忘れてはならないだろう。

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