2014.02.25

「経済学の犯罪」
第4章:経済学の犯罪

      経済学は時の政府によって採用され、その結果が問われてきた。最初の試練は1929年の世界恐慌であり、このときは失業が最大の問題であったから、ケインズ経済学が採用され、ニューディール政策を成功させた。1960年代末には戦後をリードしてきたアメリカ経済がうまくいかなくなり1971年のドルの金本位制が崩され、1973年にはオイルショックがあった。失業よりもインフレが問題とされて、大きな政府が批判され、新自由主義(シカゴ学派)が台頭した。インフレ対策は金融政策で、生産性の回復を減税と規制緩和といった競争政策で図る。インフレは沈静化し失業率も下がったが、2000年台に金融恐慌を引き起こした。現在これを乗り越える経済学は出現していない。(1970年代までは大学での経済学には多くの流派があり競い合っていたが、現在ではシカゴ学派のみが教科書となっている。)経済学は客観的な科学ではなく、現実に適用されて社会を変え、その結果を見て方向を変える、つまり政策科学である。しかし、市場中心主義の経済学だけが高度な数学を駆使して経済学の形式化に成功し、普遍性と合理性を体現すると標榜している。その帰結は4つある。

(A)失業は存在しない:
    賃金水準が市場原理で動けば、働くことを必要とする限り失業がなくなるはずである。(働く必要のない人はいつでもいて、それは「自然失業率」と呼ばれる。)

(B)政府は景気を刺激することができない:
    短期的に生じた失業を解消するために政府が財政拡張によって需要を作って生産活動に刺激を与えること、を例に挙げると、このときは当然インフレになるが、消費者は「合理的期待形成」によってそのことを予測して、ものを買おうとしてインフレになるし、企業は名目賃金が上昇することを予測して雇用を増やさない。結局インフレを引き起こすだけである。

(C)景気変動は存在しない:
    市場原理がうまく働いていれば、総生産量を支配するのは労働量と資源という供給側であるから、それは基本的には変化しない。景気変動が生じるのは、技術革新や資源の発見や巨大災害のような供給側への外部要因である。つまり、金融市場の混乱は実体経済に影響しない。金融政策によって変わるのは物価水準だけであるから、政府は貨幣供給量を一定に保つだけでよい。

(D)バブルは存在しない:
    投資家が企業のファンダメンタルズを把握して合理的に行動していれば、その水準を超えた動きはありえない筈である。実際に株価が変動するのは外部からの情報による。これは予測できないからランダムに扱うしかない。

      これらの非現実的な結論は、
1.経済主体は全ての情報を把握して合理的に行動する、
2.貨幣はそれ自身意味のない道具である、
3.経済の規模は労働量と資源という供給側で決定される、
という3つの大前提によって導かれている。
(確かにこれは時間軸が意味をなさないから、力学法則の無い物理であり、しいて言えば熱力学に相当する。だから、非線形もカオスも想定外となる。)

第5章:アダム・スミスを再考する

      新古典派経済学の基本モデルは、需要(Demand)と供給(Supply)の一致である。貨幣も一応商品と見なされるが、それは相対基準に過ぎないので、方程式から外されている。需要曲線は満足を最大化するという消費者の合理的行動で生まれ、供給曲線は利益を最大化しようという生産者の合理的行動で生まれる。政府は登場しない。時間も存在しないから、不確定性も無い。企業が出来るだけ効率的に生産し、市場が競争的であれば、消費者の満足度は最大となる。その満足度に上限は無い。

      17世紀のヨーロッパはアジアの贅沢品を求めるために金銀を必要とし、その為に重商主義政策を取っていた。イギリスは特に、強大な軍事力を整備するために、長期国債を発行しイングランド銀行に引き受けさせる。銀行券を発行し、ここに国際的な金融市場が生まれた。商業、金融、財政が結びつき、商業資本と金融資本が政治を動かすようになる(1688年名誉革命)。アダム・スミスは重商主義の「貨幣こそが富である」という考え方を否定して「労働こそが富である」とした。労働生産性を高めることこそが富を高めることである。その為には分業によって専門化された労働を自由市場によって結びつければよい。彼の批判は、国家の富がグローバルな商業網と金融網の「信用」に依存する状態の危険性に対するものであった。当時、既にバブル現象があって、それを警戒したものである。農業→工業→商業というのが「自然な流れ」であると主張した。政府が自由放任にすればそのようになるのであるが、重商主義はその流れを逆に辿ろうとしている。政府が海外貿易の保護を止めれば人々の関心は自然な流れに向かう筈である。現代のアメリカの経済政策は正に重商主義+軍事力であり、これが新自由主義と名前を変えているに過ぎない。当時のイギリスと同じである。アダム・スミスは「見えざる手」によって、私益の追求が自然に公益になる、と言ったが、これは国家が強制的に貨幣を求めなくても、人々が身近な資源から富を生み出せば国家が富むということを言っている。しかし、今日グローバル企業が身近と考えている資源は残念ながら国内には無いのである。私益を追求すれば企業は国を捨てて海外に投資するしかないから、公益に反することになる。それでも世界総体としては豊かになるのであろうか?リカードの唱えた自由貿易による国際分業の利点も現代では通用しない。当時の国際分業では、生産手段の移転が自由でなかったから、各国の得意分野が安定していて、自由貿易に任せれば自然に落ち着いたのだが、現代では資本と技術と情報は容易に移転されてしまうし、労働もまた移転するから、各国は戦略的に得意分野を作り出すことが可能である。そうなると、「自由貿易」という標語は「戦略的経済戦争」という真意を覆い隠すものになるのである。かくして、新自由主義経済学者がアダム・スミスを自らの師として引用するのは間違っている。当時の牧歌的な状況で正しかった自由主義もグローバル化した現代では逆効果となる。

第6章:国力をめぐる経済学の争い

      アダム・スミスの「国富論」は一般化した政策論の形式を取っているが、実際にはイギリスの富を増す政策論であった。イギリスのような先進国が自由貿易を推進するのは当然であるが、当時のドイツは後進国であり、プロシアの経済学者フリードリッヒ・リストはアダム・スミスを批判している。経済学は国情に沿って考えなくてはならない、として保護主義を主張している。自由貿易が真理で保護貿易が偽というものではない。「国力」をめぐる経済学の対立軸は、グローバルな資本の流れを呼び込んで利潤を得るのか、それとも労働によるモノつくりに置くのか、の対立であり、それは経済学史を貫いている。

      マックス・ウェーバーはカルヴァン派プロテスタントの禁欲原理と予定説が利潤や富を得ることへのキリスト教的な罪悪感を払拭させ、職業を宗教的行為にした、というが、ゾンバルトはそれに対して、資本主義の起源は冒険や利潤追求といったもっと自然なものであり、宗教という点ではむしろユダヤ教の禁欲と勤勉さに由来すると主張した。ユダヤ人は祖国を持たないから浮動する資産に頼るしかなく、貨幣を求めたのである。

      1923年にそれまで自由放任経済主義者だったケインズは経済への国家の介入を主張し始めた。当時のイギリスは消費が飽和し、海外に投資が逃げ出す勢いだったから、そういうことならば、政府が公共的投資を作って国内の富を蓄積すべきであるとした。彼はまた海外の資本が国内に投下されることも、短期的であり、海外の投資家の恣意性に委ねることになるからということで反対した。ヴィクトリア朝のイギリスは海外植民地への資本投下により現地産業を興し、そこにイギリスの工業製品が輸出される、という帝国的循環があった。自由貿易という教義の御利益ではなくて植民地主義+金融資本主義であった。第一次世界大戦後にはそのメカニズムが機能しなくなって、アメリカ流の資本と経営の分離による大企業体制、従業員のサラリーマン化と個人投資家が進んでいた。自由放任と金本位制は物価や雇用変動を齎すばかりであった。政府の介入による通貨管理で経済を安定化させることが求められたのである。ケインズは、金融グローバリズムが国内企業の命運を投機の餌食にするだけであり、それよりも国内の経済を成長させるべきであるとした。その中でも大量生産の工業製品よりも、住宅に関わる多様なサービスのような国内の商品が重要であるとした。充分な利潤を生まないかもしれないが、住みよい国を齎すだろう、というわけである。

      経済的思考は2つの軸(「国家介入か自由放任か」と「利潤追求か安定性志向か」)で分類できる。「自由放任で利潤追求」の極が新自由主義とグローバリズム、「利潤追求と国家介入」の極が重商主義とゾンバルト流資本主義、「確実性志向と自由放任」の極がアダム・スミスとウェーバー的資本主義、「確実性志向と国家介入」がケインズ主義と保護主義、ということになる。

第7章:ケインズ経済学の真の意味

      ケインズ経済学の欠陥として指摘されたものにミクロ理論の欠如、つまりマクロ経済指標がどうやってミクロ経済と結びつくのかが明らかでない、という点があった。しかし、そもそもケインズ経済学の新規性はミクロ経済レベルでは説明できないマクロ経済がある、ということの発見であった。例えば失業率の問題はミクロな市場経済では説明できなくて、GDPのようなマクロ集計量の問題であるという。しかし、1970年代からマクロ経済をミクロ経済から説明する試みがなされ、例えば、総需要と総供給の均衡で物価水準と生産量が決まる、といった考えが出てきた。そのような考えでは生産者も消費者も充分に合理的な行動を取れば、失業も景気変動も線形な揺らぎの範囲に収まるという結論になるし、政府が如何に介入しようとも、無意味になる。しかし、現実には市場経済というのは絶えず停滞に向かう傾向を持つ不安定なものであり、外部からの介入無しには成り立たない。

      新古典派経済学では貨幣は単なる物々交換のための便利な道具である。確かに、2者間の物々交換に貨幣は本質的ではない。3者以上になっても、それが同時であれば問題無い。しかし、現実世界の物々交換は2者間の交換が時間を置いて行われるから、交換が行われる間の時間において、個別商品ではなく、貨幣が使われる。貨幣は将来的に商品と交換できる、という価値保蔵機能を持っている。そもそも貨幣がそのような機能を果たすかどうかは不確定である。それを使用する人たちは少なくとも「社会」を形成していて、お互いに信頼していなくてはならないが、その信頼を個々の人達ではなく、貨幣に託す、ということが成立している、ということである。ともあれ、このように貨幣を考えると、人々はある程度の貨幣を将来の為に保持する(貯金する)ということになり、物々交換経済から見れば経済活動の縮小となるであろう。そうならない為には当然外部から貨幣を供給してやらなくてはならないのである。勿論現実の社会では、剰余貨幣は貯蓄されるだけでなく投資に廻されるのであるが、その判断を左右するのが利子率である。貯蓄と投資の比率を決める要素は利子率の期待、つまりその社会の将来に対する期待である。しかし、事態はそれほど単純ではない。貯蓄を投資に廻すための市場が金融市場であるが、金融市場の整備、つまり種々の金融商品の開発、は投資ではなく投機の期待利子率を高くしてしまう。実体経済の不況と金融市場の活況が起きる。この流れを自動的に調整する機能は市場にはない。行き着くところまで行って破綻してやり直すしかない。社会生活が破綻してしまえば、投資が有利になるが、新たな投資案件を見出すには時間がかかるから、政府が貨幣を供給するだけでは回復しない。逆に政府の供給した貨幣は投機に廻されるであろう。ここで手始めに政府が公共事業を作り出す必要性が生じる。これがケインズの考えであった。この「金融経済と実体経済の対立」というケインズの考えは新古典派には理解されない。金融経済は単に効率化すればよいと考える。ところが効率化すればするほど、金融経済自身が自立的に資本を吸蔵して、実体経済に投資されなくなるのである。

      ところで、流通貨幣の総量から消費される商品を見ると、それは貯蓄や投資や投機に廻される貨幣の割合だけ少なくなっている。投資は生産設備として蓄積されつつも耐用年数を迎え、新たな投資と利潤によって維持される。つまり生産能力が維持されるが、一時的な例外を除けば(少なくとも先進国では)生産能力が消費を上回っている。消費を決めているのは生産側ではなく、消費者側のポートフォリオ(消費、貯蓄、投資、投機の比率)なのである。貨幣は常に過剰であり、それが投資や投機に廻されると共に、生産量を押さえ込み、それによる失業を齎している。現実の資本主義社会において、この悪循環を救っているのは技術革新である。それは過剰資本を消費して新たな消費を作り出すことで、経済規模を成長させている。しかし、やがて先進国の経済成長は停滞するであろう。このことはマルクスもシュンペンターもケインズもリカードも J・S・ミルも言っていた。消費意欲は生産能力の進歩に追いつかない。経済成長は必要ないはずである。しかし、資本主義経済自身が経済成長をメカニズムとして組み込んでしまっている。経済活動は時間を契機としており、将来の為に価値を貨幣として保存し、そのことによって生産能力が過剰になる。にも関わらず、過剰なものは利潤を求めて投資されることになる。

第8章:貨幣という過剰なるもの

      トロブリアント諸島で人類学者マリノフスキーの発見した奇妙な贈り物交換の習慣(クラ交換)は生活に必要な品物の物々交換とは異なり、私的な所有物の交換ではなく、その贈与と返礼は高度に儀礼的でいわば社会に対する負い目の解消である。マルセル・モースは「贈与論」でこれが未開民族に共通し、贈与に対して義務付けられた対抗贈与であるとした。経済的交換でも物々交換でもない「原・交換」とでも呼ぶべきものである。ポトラッチとは奴隷、家、油脂等の高価な物を惜しげもなく破壊する儀式である。モースによれば、人間は霊的な世界から生産力や富や位階を受け取っている。これは大規模な贈与であり、その負い目に対して返礼が必要となる。それが供犠の破壊として表現されている。霊的、呪術的なものが、それ故に広範囲に亘って価値を持ち、それ故に物と交換可能となる。これが貨幣の起源(原・貨幣)である。つまり、貨幣は物々交換の便宜から発明されたものではない。その背後には呪術的な力が元々はあって、次第に世俗的な力、富や権力によって保証されるものになったのである。

      レヴィ・ストロースは贈与・受領・返礼というのは実は「交換」という事なのだ、と理解した。彼は社会を構成する無意識の構造として、言語、貨幣、女性の交換、つまり、言語的コミュニケーション、経済体系、結婚と親族の体系を構想した。彼は言語的象徴作用には、意味するものと意味されるものの対応が不明なものが存在する(例えば呼びかけに使われる言葉など)ということに注目した。特定の意味内容に収束しない言葉は過剰な記号によって、実はコミュニケーションを成り立たせている。原・貨幣の霊的な力と見えるものも無意識の領域では単にこの過剰な記号に過ぎない。この何ものも意味しない記号、ゼロ・シンボルは状況に応じて何をでも意味してしまう。貨幣も同様に、富や社会的威信、といった曖昧な観念を象徴し得る。

      ジョルジュ・バタイユは経済の起源を人間に与えられた過剰なエネルギー(自然の恵み)という贈与に対する返礼であり、それは未開社会にあっては供犠という破壊であった、と見る。ここから導かれる経済法則は、「浪費」と「成長」である。資本主義以前の社会では浪費が原則であった(古代での大規模な戦争、中世でも教会への寄進や教会の建立、つまり神への返礼)が、資本主義は成長によって、富の破壊を先延ばしにしていくのである。

      社会を構成する人々の主要な関心は他者に認められ、更には他者に優越することである。それは社会的地位や威信をめぐる競争を引き起こす。生活の必需品については自分に必要なもので満足するかもしれない。これは欲求である。しかし、社会的財については、欲望は他者の欲望の模倣であり、際限が無い。欲望は過剰性によって生み出されるのだが、ひとたび欲望が生み出されればそれは模倣されてその対象は市場において稀少となる。稀少なものを手に入れるには貨幣が必要となる。つまり貨幣はその欲望の対象への距離である。商品交換の経済(市場)においては欲望も欲求も区別されない。経済成長の中では贅沢品もいつのまにか必需品(稀少品)になってしまう。貨幣を貸し借りする市場が金融市場である。その貨幣は節約によって、つまり将来への備え(過剰)によって生み出される。それは投資となって、更なる過剰性を生み出す。貨幣という意味内容を持たない記号は様々な証券や金融商品となり、投機という過剰性の無限増大を目指す。過剰性が未開社会のように蕩尽もされず、投資もされず、自らをもてあましている断末魔の姿こそ、この投機市場である。

第9章:脱成長主義へ向けて

      先進諸国の経済成長の鈍化傾向は明らかである。IT革命や金融革命は労働節約的であったから有効需要の増加には繋がらなかった。技術革新は経済成長に繋がらない。潜在的な供給能力が過剰になっていて、それを吸収する有効需要が生み出されていないからである。結果として経済が停滞して所得が伸びないからモノが買えない。表面的には希少性の原理が支配しているように見える。そこで一層の金融緩和が求められ、生産の効率化が求められる。賃金カットが求められ、さらなる有効需要の低下を齎す。一方で投じられた過剰資本は金融バブルを齎す。デフレとバブルの共存である。

      希少性は欲望と市場が結びついて始めて現れる。つまり、希少性は普遍的な経済の問題なのではない。そもそも市場の成立そのものが根源的な過剰性の原理に基づいている。

      1970年代以降、効率第一主義や成長主義に対する反省が見られた。物的な豊かさよりも精神的な豊かさを求める、という提案が世論調査や政府の審議会で見られたが、それは高度成長時代の余裕がそうさせただけであった。1980年代には日本は市場主義への方向転換を行った。アメリカでは1973年にダニエル・ベルが「ポスト工業社会の到来」を書いて反響を呼んだ。経済は第2次産業から第3次産業中心に遷移して、知識と情報がこれからの主役になる。それはモノと違って公共的な性格を持つ。市場競争の効率性とは馴染まない。価値が市場で評価されるのではなく、社会的な意義で評価される。テクノクラートと知識人層が長期的な社会ヴィジョンを公共計画を立案して実行することが重要となる。市場が与えるのはあくまでもこれら公共的に整備された環境によって限定された範囲の選択の自由であって、それは選択への強制でもある。本来的に必要なのはその社会環境であって、それは市場に任せていては実現しない。しかし、アメリカが選択したのはそれとは逆にIT革命を梃子にして自由化された金融市場の投機の中に自己増殖していく資本主義であった。要因として、
1.経済学会内部でのケインズ主義が市場主義に敗北したこと、
2.民主党が共和党に敗北したこと、
3.ソ連との冷戦の最終局面で市場経済を徹底する論理が優位になったこと、
4.集団主義の日本に経済的に対抗する必要からアメリカ流個人主義が称揚されたこと、
がある。

      発展段階や文化や社会構造の違いを持った各国はグローバリゼーションに舵を切ることによって、画一化された市場での競争を強いられる。新興国が急成長すれば、先進国は国内で雇用不安定を引き起こす。資源獲得競争も激しくなる。国家内部での所得格差が拡大する。国家が経済を制御することが困難になる。国民の不満によって政権運営が困難になる。これは新しい形態の帝国主義に他ならない。各国が協調して国民経済の原点に立ち返って、強制された経済成長を抑制する必要がある。特に、高齢化、大震災、低成長、且つ豊かな資産を持つ成熟社会の先頭を走る日本にとって、グローバル化による経済成長の強制は、一部の輸出産業を利するだけであって、社会の自滅に至る道である。その為には善い社会、日本の価値、の議論とそれに基づく公共計画の策定が必要となる、というのが佐伯氏の結論である。

      さて、20年前の「欲望と資本主義」では、グローバリゼーションの問題は論じられていない。資本主義が情報を自己消費して需要を作り出していく、という現代社会の病理を描いている。その後、アメリカを中心として、資本主義は新しい市場を発展途上国に求めたのである。その手段が金融工学であった。勿論背後には軍事力がある。情報の自己増殖は個人の内部ではなく、金融市場で起こり、その余勢を駆って発展途上国への投資となり、世界規模では需要の拡大が起こっているのである。しかし、この金融市場の持つ不確実性が発展途上国の経済を極端に不安定な状況に陥れる。この状況を改善するのは容易でない。発展途上国においては経済の不均衡的発展によって民意が分断されているからである。全体としての国家の富(これは富の偏在化でもある)を優先するのか、それとも乏しくとも富の平等な配分を優先するのか、という対立が政治を不安定にしている。佐伯氏は勿論世界各国の事まで風呂敷を広げてはいないから、さしあたり日本における市場主義の批判でこの本を締めくくっていて、さしたる提案も無いのであるが、国際的な経済環境と政治環境を同時に考える必要があるだろう。

      「ポスト工業社会」については、当然勤務していた会社でも議論されていた。というより、会社は「モノつくり」を自負していたから、これからはサービス業に手を出すべきであり、フロッピーディスクもOSやソフトウェアーを書き込む仕事や受注処理業務、更にはソフトの開発業に拡張すべきである、という方向性を説得するのに盛んに引用したものである。CD-ROMにも積極的に参入してマイクロソフトとも密接な関係を築いた。しかし、それは品質重視のための過剰設備の負担と競争市場での売価の急激な下落によって赤字の源泉となってしまった。製造業の文化のままでサービス業をやることはいかにも無謀であったのだが、こういうことが発展途上国では国家規模で起きる。グローバリゼーションも当然ながら会社での重要な議論になっていた、というか海外との企業競争上、必要悪としても絶対的に進めなくてはならない、ということになっていた。資本と資源をより大きな市場に展開すれば、それだけ資本効率が上がるからである。そのための組織や文化の適応が検討された。実績評価主義もその一環であったし、臨時雇用の拡大もあったが、後者はその弊害(熟練や文化の伝達等)が問題となってその後修正されているらしい。それらと共に、100年を超える会社の文化の伝承についての議論があり、結局のところそれが会社を安定化させているのではないか、と思う。グローバリゼーションの遅れは会社にとってむしろ救いであったのかもしれない。そもそも、こういう議論が経営層だけでなく、社員全員で行われている、という事が日本的な文化なのだろう。

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