2013.08.01

   今日も朝から暑い。だいぶん前に藻谷浩介+NHK広島取材版「里山資本主義」(角川Oneテーマ21新書)を読んだのだが、どうまとめたらよいのか迷っている内に時間が経ってしまった。その間に、この本の元となったNHKの番組のビデオをネット上で見つけて観た。<リンク> 実に面白い。

    2011年に始めた時には、高度成長の中で過疎化していく田舎に残されながらも田舎で楽しく生きようとして新しい事業やら新しい生活を始めた人達の取材番組だったようである。藻谷浩介は地域振興の仕事で活躍している関係で呼ばれたらしい。岡山の山奥の村で林業を再興し、加工残渣を使ってエネルギー源を自給する人、広島の山奥で効率的な薪ストーブを開発して各地に広めている人。元々日本には木の高度な利用技術があったし、戦後の杉の大量植林もあったが、輸入木材とのコスト競争に敗れ、建築用としてはコンクリートに敗れた結果、山林は手入れもされず高々杉花粉症の要因となっているし、若い人は皆都会に出て行ってしまった。わずかに残された林業、製材業者が廃材をエネルギー源として積極活用している。ここで強調されていることは、高度成長の間に、人々の間に染み付いた考え方、エネルギー源としては石油やガスがもっとも便利であるから、それを輸入して加工に使い、加工製品を輸出する、という考えへの疑念である。それはそれで役に立つ考えではあったが、それに囚われていると目の前にあるエネルギー源を活用するという視点に思い至らなくなる。冷静に考えてみれば、エネルギーの自給によって集落の外に出ていくお金を節約することが可能だったのである。(篠田節子の小説「弥勒」 の最後に主人公が飢餓に至った革命国家から逃れる途上、川に降りて大量の魚に巡り合った場面を思い出した。魚を食す習慣が無いためにその国は飢餓に陥ったのである。)

    ただ、この経済モデルが一般的に成り立つためには建築材としての木材がコンクリートに追いつかなければならない。(木材チップは端材だからこそ安い。)それは、オーストリアで進んでいた。Cross Laminated Timber である。木目を垂直方向に交互にして張り合わせた集成材によって、高層ビルが可能になった。日本ではまだ法規制があるが、ヨーロッパでは普及し始めており、オーストリアは木材産業を国の基盤に据えることで、EUの中ではもっとも安定した経済状況にある。もちろん、エネルギー源としての木材チップは環境対応にも理想的である。現在高知県がこのやり方のパイロット地域を設定して事業をおこなっている。最後に強調されるのは、こういったやり方を一方的に礼賛することではない。里山の利用はそれだけでは成り立たない。都市があり、工業があり、情報技術があるからこそ里山が復活できたのであるから、共存させることが重要なのである。片側だけを見るという態度がもっとも危険なのである。

    中国地方で取材を続ける内に、話が発展していく。山口県の周防大島は有名な過疎の島であったが、最近若い人たちが都会から逃れて集まっている。その先頭がヨーロッパ旅行で感動して思い立ったというジャム屋さんである。たまたま妻がそこの出身でよく知っていたということもあるが、瀬戸内の島には多種多様なかんきつ類などの果物があり、それを生かすオリジナルなジャムが作れる。行き詰っていたみかん農家に思いもかけない高収益源が登場した。そもそも日本の農業は大規模化ができないためにコストがかかって海外からの輸入に太刀打ちできない。しかし、頭を切り替えれば、高コストでも売れる方法がある。耕作放棄地で牛を飼えば、そこからとれる牛乳は美味しい。当然輸入飼料にも全面的に頼る必要がなくなる。これも、輸入飼料を使うことがもっとも効率的で品質の安定した畜産である、という固定観念からの脱却であった。もちろんもともと肥沃な中国地方だからこそ可能なのかもしれないが、そういった可能性が見えるか見えないか、というのはある。耕作放棄地で作られた野菜を積極的に使ってレストランを開くシェフが成功している。もちろん、田舎までわざわざ食べにくる客が居るからであり、これ自身車社会の賜物であるが、それが可能となっている、ということに気付くかどうかである。あるいは使われなくなった田んぼで高級魚を養殖して高値で京都に卸している村もある。過疎地となった庄原市ではそこの老人介護施設が食料源に地元の人たちの野菜を使っている。考えてみれば当たり前かもしれないが、思い至るまでにはお世話しているお年寄りの一言があった。つまり過疎になって、お年寄りは自分達の作る野菜の捌け口が無くて腐らせていたのである。そもそも、食料はスーパーで買うものである、という固定観念が厳然としてあって、お年寄りに言われるまで気付かなかったのである。

    こういうことが結構身の回りに多いのではないだろうか?われわれの目がいつも都会に向かっていて、すべての物と情報と人は都会に一旦集められて、そこから田舎に配給される、という仕組みでしか経済を考えられなくなっている。それが効率的でグローバルスタンダードである、と。そして、それが国民総生産を上げることに貢献しているというのも確かである。物と情報と人が地方で自給自足されれば、お金があまり動かなくなるから、GNPは下がるだろうが、生活が貧しくなるわけではない。そもそも家事労働や近所付き合いでの助け合いはGNPには反映されないが、よく考えてみれば本当の生活というのはそこにあるのであって、GNPにカウントされる経済活動はそれを支えるためにこそあるのである。動物の脳神経活動が結局は消化器と生殖器のために存在するように。デフレスパイラルという経済状況は一面を捉えているに過ぎない。その裏面では、田舎に帰って豊かに暮らそうという若い人達が増加していることを忘れてはならない。

    今年になっての番組はこの本にはまとめられていない。尾道市にやってきた染色家は近隣に無料で入手できるさまざまな果樹の切れ端を草木染に使っている。媒染剤には何度も休止している造船所の鉄屑が最良であった。昔からあった帆布の技術が生き返った。自然な色に染まった帆布はパリのデザイナーの注目を集めている。さらに、取材していくと、こういった「里山主義」が実は国家間とは別の世界的なネットワークを形成していることに気付く。岡山県世羅町には日本の中央政府をバイパスして直接ラオス政府が林業の技術指導を求めてきている。また、インターネット上に農業を手伝うことで無料宿泊を提供する、というネットワーク World Wide Oportunities on Organic Farms ができていて、多くの若い人が日本にやってきている。海外で知り合って結婚して日本の田舎に住み着いている人も多い。最近の若い人は醒めていて、上昇志向も海外志向もなく、内向きで保守的とされているが、それはこれまでの価値観に違和感を覚えているからである。そういう人達が自分なりの生き方を模索して田舎生活を選んでいる。行き詰ってきた「マネー資本主義」によるグローバリゼーションに対抗する本当のグローバリゼーションがこういう人たちによって担われてくのではないか、という予感が最後に語られる。さて、、、

  <ひとつ前へ>  <目次へ>  <次へ>