2006.11.01

      今回の出張では篠田節子の「弥勒」を読了。なかなかに陰惨な物語だったので最後の脱出の場面を爽快に感じた。妻が亡くなって、埋葬すら少年兵に止められ、ついに少年兵を殺し、遺骸を抱えたまま逃走する。もはや革命部隊も衰弱していて追ってこない。絶壁を降りていく途中で落ちるが遺骸をクッションにして助かる。そこは川である。夜になってから少年兵から奪ったマッチで火をつけて火葬にする。川には魚が居る。これだけの魚がありながら食す習慣がないために革命軍は飢えているのである。それはともかく、テクテクと歩いているうちに、弥勒像を隠した場所に出て掘り出す。それを抱えて国境の方向に歩いていると地雷にやられる。しかし洞穴に棲む僧に助けられる。僧は肺炎で死に弥勒像を抱えてやっと国境を越えたところで重荷となっていた弥勒像は捨ててしまう。

      さて、これはインドと中国とネパールに挟まれた仮想の小国パスキムの話である。首都カターは仏教の都であって、文化的洗練の極にあった。近代西洋文明に限界を見た人たちにとっては何とも心惹かれる存在であり、救いでもあった。主人公の永岡もその一人である。カースト制度すら、人が分を弁えてそれぞれの領分で幸福に生きるための知恵であった。過剰な人達は独身の僧となり、質素な暮らしをするために人口増加も抑えられていた。しかし、実際のところ、カターを一歩出ると「猿」と呼ばれる人たちが山の中でおよそ文明とは無縁の貧困生活を余儀なくされていた。勿論賢王サーカルはヨーロッパで教育を受けたインテリで、地方を廻ってはほどほどの恵みを与え、崇拝されていた。しかしカターの人たちの生活が西洋文化に傾いていくと共に、地方の収奪が始まり、反乱が起き、既に地方に下って信を得ていた元国王の側近である革命家ゲルツェンが政権を奪取する。ゲルツェンは西洋の文明と宗教の欺瞞こそこの国を不幸に貶めたものと考え、それらを徹底して駆逐した。仏教美術は破壊され、僧は皆殺しに、カターの人たちは地方に連れて行かれて農業に従事させた。徹底した平等主義であり、革命の指導者や兵と言えども、一般農民と同じ水準の生活を守った。収奪が無くなり、村は一時的に豊かになる。しかしそこに多くの都市住民が入り込み、山林を開拓し農地を切り開いたとき、自然はそれを許さなかった。土地の荒廃と水害に見舞われ、都市から持ち込まれた病原菌が蔓延る。医学を始めとする近代技術を否定したために、村落は崩壊し始める。大人の兵たちも非行をとがめられて処分され、最後には幼少時から洗脳された少年兵が主体となる。物語は最後まで語られない。

      永岡は破壊された仏教美術の断片が日本に入ってきて、小さなニュースで革命の報を聞き、インドからこの国に入る。首都の惨状を目の当たりにしつつ残された弥勒像を倒して持ち帰ろうとするが、道に迷い、革命軍に捕まってしまう。カターの人たちと同じく農業に従事させられる。彼の眼を通して上記の顛末が語られるために読者にとっては身近で現実性を帯びた感じがするのである。それは小説でなければ表現できない類の陰惨さと残酷さである。(読み終わってから2晩になるが、何度も嫌な夢を見て目が醒めた。)ここではもはや人という概念が捨てられる。絶対平等主義の中で、その中に認められなかったものは人でなくなる、という意味である。人であるということはシジフォスの受けた罰のような労働であり、見通しの甘い計画の為にやがてその成果も破綻する。人と認められなくなれば(革命に反抗すれば)ヤギのように殺される。家族の絆はばらばらにされ、決められた相手と強制結婚させられ、うまく行かないと「教育」される。永岡の相手は幸運にも地方を救うために身を擲っている不幸なインテリ女であった。単に夜を一緒にするというだけで愛情は育まれる。このやさしさは救いである。ひとつ屋根の下にすむほかの家族達との間にも少しだけ思いやりが垣間見られる。それらを重要なきっかけにして彼の周囲の出来事が展開していく。妻が妊娠し、栄養失調を助けるために共に住む人たちは乏しい食料を廻してくれる。しかし、ついに妻は死ぬのである。こういう死に方はむしろ幸運にすら思える。

      この物語は勿論中国の文化大革命、カンボジアのポルポト政権、北朝鮮の惨状、更には日本赤軍やオーム真理教団、といった「理想主義」の破綻を下敷きにしていて、指導者たるゲルツェンまでも完全な理想主義者として描かれているところがその悲惨さを増幅している。指導者層の腐敗によって破綻したのではなくて、彼らの理想そのものが反自然的であった為に破綻した、ということである。西洋近代文明がその稚拙さを責められながらもなぜ今日蔓延っているのか?どんな文明にも理想像はある。しかし理想が破綻を見せ始めたときにどう修正するか?謙虚に誤りを認めて仮説を立て直す、という科学的方法論にこそその秘密があるのではないだろうか?もともと人はどう生きなければならないということはないのである。これまでこのようにしてきた、ということがあるに過ぎない。それを守ることは勿論重要である。首尾一貫していることが社会を安定させる。しかしそれがうまくいかなくなれば変えなくてはならない。それも、少しづつ。
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