2014.02.20

     「戦争の日本近現代史」のカバー裏に新刊書として佐伯啓思の「経済学の犯罪」がリストアップしてあって、面白そうだと思ったのだが、どこかで聞いた名前だと思った。本棚を探すと「欲望と資本主義」があって、読んだのかどうかすら記憶にない。20年も前に買った記憶はある。丁度会社でフロッピーディスクの開発が一番忙しかった時で、その中で「この忙しさは一体何のために?」という疑問が維持されていた、ということなのだろう。ここに書かれてある「徹底した消費者中心主義」で成功した会社にあって、新しい技術分野(物理、電機)への参入を目的に、それとは異質の「規格品の大量生産」が必要な情報メディアの事業に入っていった訳であるから。

第1章:社会主義はなぜ崩壊したのか

      社会主義経済の失敗の理由は、1.競争が存在しない(新市場、新技術)、つまり動機付けの欠如;2.消費者の意向が反映されない、つまり情報の欠如;3.1970年代以降大量規格品の生産段階から脱皮できなかった;4.情報化、グローバル化=消費者の圧倒的優位、資本が国境を越える、という資本主義に追いつけなくなった、であり、ペレストロイカは計画経済を市場経済に繋ごうとして失敗した。市場経済が有効に機能するのは資源、技術、市場規模が固定されている場合であるが、それは、そもそも本来ペレストロイカが目指していたものとは違っていた。

第2章:80年代と日本の成功

      マルクス、シュンペーター、ケインズはいずれも、資本主義は長期的には停滞すると予言した。消費意欲は飽和し、労働意欲も飽和し、企業はリスクを取らなくなるからである。

      1980年台、「日本型資本主義」が成功を収めて、アメリカと対比される。その本質は徹底した消費者中心主義と情報管理にあった。商品と消費者の仲立ちをする情報、つまり商品イメージ戦略の重要性。日本の企業が消費者中心主義を徹底したのに対して、アメリカの企業は利潤に拘って労働組合対策に勢力を注いでいた。つまり、生産プロセスの規格化、効率化によって労働者の意欲を殺ぎ、欠陥率を上げて、消費者に追求され、消費者を敵にまわした。

      日本型資本主義に必要なのは新規技術であるから、技術開発の効率化を国家が支援した。このような産業主義がもう一つの日本の特徴であった。その背後にイデオロギーは無い。無制限である。これに対してアメリカでの市場主義はその背後に個人主義、自由主義という価値観を持っている。

第3章:資本主義という拡張運動

      マルクスの提示した資本制生産は、剰余価値が労働によって生み出され、それが資本として再投下され、無限に増殖していく、というものである。その中で、資本家と労働者が2極分離して対立する。今日の資本制生産では、資本は株主が所有し、経営者は雇われていて、中間管理職が増大し、研究開発部隊もいて、より複雑化している。本質的には生産力によって社会が動いていく、という点では変わりないにしても、新しい局面として消費が社会を動かすという構図が生まれてきた。剰余価値は生産によって生まれるのだが、それが実現するのは消費されたときであり、売れるためには消費者の欲望が必要である。生活必需品が消費の主要部分であれば、それでも問題はなかったが、現代はそれを超えた部分に対する欲望が経済の大部分を動かしている。他方、近代経済学では、欲望を要素として取り入れるが、それは無限に沸いてくるものとして想定されているに過ぎない。欲望の成因を問えば、経済学という専門領域を外れてしまうからである。しかし、この専門性への執着こそが問題なのである。

      ブローデルの「物質文明・経済・資本主義」における、3層理論。自給自足・物々交換層−市場経済層−資本主義活動層。市場経済層は中世都市内部の経済であり、資本主義活動層はヨーロッパ各地のネットワークを活用した大商人の事である。市場経済層は完全競争が補償されていて価格調整メカニズムが働いて安定しているが、それは技術や顧客の独占を目指す資本主義活動からみれば停滞であり、介入しつつも破壊・創造されるべきものである。そのためには消費者の新たな欲望を作り出さなくてはならない。古典的な近代経済学では欲望は無限であり、生産資源はいつも不足しているから、経済学の問題は「希少性」に置かれる。それをうまく解決するのが市場経済である。しかし、欲望を生物学的に考えると基本的生存のための欲望は限られており、生産資源はいつも「過剰」である、と考えることも出来て、この過剰をいかに「消費」するかが経済学の問題なのかもしれない。バタイユの発想がそうであり、北西部アメリカ・インディアンでのポトラッチ、富の破壊を見せびらかす儀式、がその例である。

      資本主義では「消費」と「投資」を組み合わせて「過剰」を処理していく。投資の側面が資本主義の特徴であり、フロンティア開拓、新機軸、アニマル・スピリットと呼ばれてきた。その動機は「贅沢」である。マルクスは価値を投じられた労働で定量化したが、近代経済学は価値を商品の効用で定量化する。しかし、効用がどうして形成されるのかは不問とする。それは欲望であるが、マズローの5段階欲望論のように、欲望を個人の中にあるものとして論じる点で限界があった。ジンメルは欲望を人とモノの間の「距離」で誘発されるものと考えた。ルネ・ジラールは欲望は他人の欲望を模倣することによって生じると考えた。いずれにしても、欲望とは社会的に規定されるものである。つまり、他人に対する社会的優位を確認することで満たされるものである。既に手に入り慣れてしまうと欲望は新しいものに向かう。我々はそのモノを求めているのではなく、その背後にある象徴(観念)を求めている。このようなフロンティアの拡張運動は、科学、芸術、技術もそうであるが、資本主義のそれは「商品」の形を取ることが特徴である。

第4章:「外」へ向かう資本主義

      ゾンバルトはマックス・ウェーバーの考えに対抗して、資本主義の起源は海賊や賭博師や冒険家といった人達ではないか、という。(「恋愛と贅沢と資本主義」)イタリア諸都市による地中海貿易のネットワークが、更なる「価値の差異」を求めて、ヨーロッパの海外探検と交易によって世界規模に広がったのが資本主義である、という風に説明されているが、実態としては、16世紀以前にイスラム−インドー中国には大きな交易のネットワークが出来ていた。インドの綿織物と東南アジアの香辛料と中国の生糸や絹や陶磁器と中東の敷物や金属器である。交易はイスラム商人の手に握られていた。スーダンの金もこれに参加してバグダッドが金融センターになっていた。この巨大なネットワークに毛織物と暴力によってかろうじてぶら下がったのがヨーロッパであった。ポルトガルとスペインはイタリアに押さえられている地中海を避けて喜望峰経由のルートを発見した。イギリスもその経路で毛織物をペルシャに売ろうとしたが、イスラムに妨害されて挫折する。しかし、中東やインドや中国の産品はヨーロッパの上流階級の贅沢心を刺激した。アジアに売るべきものを持たなかったスペインは新大陸に金銀を求めた。結果としてインディオが大量に虐殺された。新大陸に売るべきものとしてはイギリスの毛織物であった。やがて、イギリス自身がスペインに取って代った。17世紀のイギリスは新興の財産階級による贅沢品の大流行期であった。木綿、香辛料、絹、お茶、砂糖、コーヒー、タバコ。人々は虚栄心をくすぐられてこれら生活に必需でない商品を求めた。貴族やジェントリーが始めて、それを市民がまねる。こうして今日一部で称揚されるイギリスの「文化」が形成された。

      イギリスでは、金銀の流出防止の為に1720年にキャラコ(インドの綿織物)使用禁止法が出来ると、国内で技術革新が起こり、綿織物の生産力が急増した。これが産業革命である。しかし、この紡績機械ではインド産の短繊維綿花が使えなかったために、新大陸から調達するようになった。その見返りとして輸出されたのがアフリカから連れてきた奴隷であった。中国の茶の方はイギリスで生産できなかったために、インドでアヘンを生産して中国に持ち込んだ。こうしてアジアからイギリスに齎された物産はアムステルダムやロンドンに集積されてヨーロッパ全土に再分配された。これらの品物は生活必需品ではなく、贅沢品であり、ヨーロッパでは生産できないものである。そのような品物には象徴作用(東洋の神秘)と流行が伴った。そして、それを供給したのは冒険心に富んだ大商人であり、やがて国家の支援を受ける大会社に成長していった。資金は新大陸から略奪された金銀であった。こうして、資本主義はアジア、ヨーロッパ、新大陸という異なった文明圏の交錯から生まれ、最初から国家や民族を超えた性格を持っていた。産業革命の方は単に保護主義政策で促進されたのだが、それによって、アジアが贅沢品の供給基地だけでなく、商品(綿織物)の市場として開拓されるようになった。これは資本主義の次の形態:産業主義=帝国主義の始まりである。

第5章:「内」へ向かう資本主義

      資本主義を支える動機には先進文化への憧れ、つまりイメージがある。ヨーロッパで資本主義が生まれたのはアジア地域への憧れからであり、アメリカにおいてもヨーロッパへの憧れがあり、日本においてはアメリカへの憧れがあった。つまり、共通して後進国の先進国へのコンプレックスが潜んでいる。しかし、ヨーロッパがそれを満たすためには貿易赤字を覚悟しなくてはならず、赤字を解消するためにはアジアを植民地化するしかなかったのである。

      遅れてきた国アメリカには米西戦争によるキューバとフィリピン獲得を除けばそのようなチャンスは無かった。移民の国としてスタートしたアメリカは労働から民族固有の文化的特徴を削ぎ落として合理化して世界標準の商品を作りだした。それを消費するのは大衆である。ここがアメリカの資本主義の新規性である。つまり市場が国内において拡大していく。その契機は西部開拓である。原住民は当然その犠牲となった。(貴族や富裕層を相手にしたヨーロッパの生産は職人的であり、労働組合も職能別であって大量生産方式は浸透しにくい。アメリカにおいては産業別になる。日本では更に企業別であって、労働者がさまざまな職種を兼務するから、ヨーロッパの職能主義とは衝突する。)西部フロンティアが消滅しても、技術革新によって国内市場が開拓され、フォードの自動車に象徴される大量生産−大量消費の経済構造が出来上がった。1920年代にGMは自動車を「永久使用商品」から「社会階層とステータス商品」へと切り替えて、マーケッティング主体の産業へと変換させて成功した。「若さ」と「変化」と「挑戦」がアメリカを象徴する価値観となった。それは19世紀のプロテスタント的な倫理から快楽主義、努力による成功(アメリカン・ドリーム)への転換でもあった。経済活動自身が自由とデモクラシーを体現するものになった。(敗退者は文句を言えなくなった。)移民たちは「アメリカ市民」になろうとして、その典型的な生活スタイルを獲得しようとする、その心理を巧みに表現したものがモダニズム(インダストリアルデザイン)である。それを消費することが精神安定剤の役割を果たしている。

第6章:ナルシシズムの資本主義

      1980年代になると、商品が標準化されて行き渡り、商品による自己確認が難しくなってきた。ファッションはそれまでの上層階級や映画スターのモデルを追及したものから、DCブランドに変わって来た。クリストファー・ラッシュはそれを見て、1979年に「ナルシシズムの時代」を書いた。これはむしろ更に遅れてきた国、日本において徹底された。アメリカのフォーディズムが民族の差異を帳消しにした普遍的消費者を作り出したのに対して、もともと民族的均一性があった日本においては、一人一人の消費者に合わせたマーケッティングと商品開発と生産方式が発達した。これはもはや商品という形態での限界点である。それを超えたところには広告そのものが潜在意識を刺激して新たな欲望を誘発する、という世界が出てくる。広告は具体的な商品との関係を離れて、一般的な欲望(好奇心)を刺激する情報となった。それは必然的に広告主の手さえも離れて、メディア自身の役割になっている。産業資本主義から情報資本主義への遷移である。欲望のフロンティアはもはやモノを買う「消費者」ですらない。人々は情報・メディアによって自分自身を操作して欲望を作り出しそれを満たす。

第7章:消費資本主義の病理

      資本主義の本質は「盲目的な拡張」「終わりなき発展」「発展という脅迫観念」である。貨幣という信用にしか根拠のない道具によってバブルが生じるのも資本主義の避けがたい側面である。それはやがて回復するが、本質的な問題は、科学技術のフロンティアが産業のフロンティアに、つまり大衆の欲望充足に、間に合わないという現実である。しかし、これは「新しいものを想像できない」という人間の想像力の危機でもある。モノは本来文化の産物でもあるのだが、20世紀の産業資本主義は、それを技術の次元に還元して文化から切り離そうとしている、とも言える。それが限界に来ているということは、欲望を再び文化の世界に取り戻すことができるようになったとも言える。これは著者が繰り返し注意を喚起するのだが、資本主義というのは経済活動を牽引している考え方であって、我々の生活の一部でしかない。それを統御することこそ我々の生活上の課題なのであり、それは「文化」に依拠するしかない。こうして、「文化」という曖昧な言葉で希望を語って終わる。さて、20年経って、その課題はどうなったであろうか?

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