2014.02.22

「経済学の犯罪」第1章:失われた20年

      1980年代のアメリカとイギリスはインフレの状況下で産業競争力が低下していたことと強力な金融センターを持っていた、という状況が共通していた。通貨量の制御と産業政策と規制緩和(新自由主義)によって、インフレは克服され、産業競争力は回復したが、その産業とは金融業であった。他方1990年代の日本はバブルの後のデフレ状況であり、1980年台の日本型経済システムの成功で産業競争力は落ちていなかった。この状況に対して、政府は金融緩和策と規制緩和を行った。規制緩和の問題点はそれが経済の供給側しか見ていないということである。つまり、労働生産性の向上であり、それによって生じた商品に対して需要はいくらでもある、という前提に立っている。これは大きな間違いであり、デフレの要因は生産側ではなくて需要の側にあると見なければならない。生産がますます過剰になるから商品は売れず、労働条件が悪化し、企業は投資を控え、そこに金融緩和が加われば、その余剰金は利潤を求めて海外市場に流れるだけである。構造改革論の根本的な問題点は、生産要素を市場競争に晒すことである。労働力、資本、土地や自然資源が自由市場に晒されれば、事業への投資からその果実の収穫までの長期的な活動を危険に晒すことになる。日本型経済システムの長所は正にこの生産要素の安定化作用にあったのだが、商品のグローバルな市場競争で不利となった日本経済の状況を見て、ついに生産要素の市場化でコストを下げるという選択をしたのが、構造改革であった。労働の自由化は賃金と労働条件の格差や悪化を齎し、資本の自由化は投機マネーを生み出し、土地利用の自由化は、大都市の土地バブルと地方の衰弱を齎した。教育、医療、福祉、交通、住宅環境、食糧供給といった生活条件もまた過度の自由化によって切り崩されていくと、結局経済活動はその基盤を失い自らの首を絞めるということになる。これが「失われた20年」の実態であった。

第2章:グローバル資本主義の危機

      サブプライム・ローン問題からリーマンショックまでは資産バブルの崩壊によっていたが、最近の金融危機はもはやヘッジファンドが発明したCDS(credit default swap:企業や国家の債務不履行によって生じる損失に対する補償を証券化したもの)によって人為的に操作されたものである。本来国家とはその国の経済基盤を支えるものであるが、現在では国家財政の赤字を吸収して実体経済の何十倍にも膨らんだ金融市場が国家を市場で流通する「商品」として扱っている。 

      「資本の自由な移動」「為替レートの安定」「金融政策の独立性」は鼎立しない。EUでは前2者が成立しているから、各国の金融政策は手を縛られている。金融危機を救うために国家が財政出動すれば、一時的に収まるとしても、投入した税金は再び投機に廻されて金融危機が再現する。国家が金融市場を気にして財政を引き締めて増税をすれば景気が落ち込む。もしも世界中が「自由化」されれば、このような経済破綻は繰り返す毎に大きくなって世界規模の大恐慌となるだろう。しかし、幸いなことに、前1者を捨てて後2者を守る国、つまり中国によってそれが食い止められている、というのが現在の状況である。世界の自由主義経済は皮肉なことに共産主義独裁政権によって支えられているのである。中国が生産年齢人口の減少によって成長を停滞させればその役目も果たすことが難しくなる。大量に買い込んだ米国債を売り出すことになれば、米国債がヘッジファンドの餌食になるだろう。しかし、それは経済だけでなくヘッジファンドの基盤(金融市場)が崩れる時でもある。結局のところ「自由な市場」の為には「強力な国家」が必要なのである。

第3章:変容する資本主義

      投資の不確定性について。経済状態が不安定であれば、不確定性が大きいから、長期的投資が抑制される。短期的投資(投機)は投資家同士が出方を読み合うから不安定になる。「不確定性」が確率的に評価できる場合を「リスク」というが、投機に対しては確率的な予測が困難であるから、これを「不確実性」と呼ぶ(フランク・ナイト)。投資家はリスクを減らして収益率を維持するから、リスクの極めて高い投資は避ける。そこで、リスクを分散(小分け)にして、他の投資の中に混ぜこんで証券化してしまえばそのリスクの高い投資案件もうまく売れることになる。CDO(債務担保証券)、CDS(credit default swap)等。こうして証券化されるとそれを格付け会社が評価し、その評価が投資家のリスク評価になるから、中に含まれた「爆弾」が見えなくなる。これが爆弾とされるのは、リスクの極めて高い部分での破綻が連鎖性を持っているからである。個々のサブプライム・ローンの破綻は住宅価格が長期的に上昇傾向にあれば担保価格で補われるが、破綻傾向が明らかになると住宅価格の下落が始まり、連鎖的にサブプライム・ローンを発行する金融機関自身の破綻にまで広がる。つまり、現象が「線形」とは言えない。破綻の確率は過去のデータの平均から計算されているが、その過去とは大規模な破綻が起きていない、つまり、線形領域に限られている。従って、確率で評価して足し算と割り算で平均化したのでは本当のリスクが評価できないものだったのである。これが「不確実性」といわれる所以である。(原発事故もそうであるが。)金融市場は次々と新しい形態の商品を作り出してきた。先物取引、空売り、レバレッジ、デリバティブ、、。リスクヘッジと収益率の向上を目指して開発されてきた。このような動きがリスクの制御不能性を高めている。それらの商品は極めて合理的で美しい数式(金融工学)で計算されているが、その根本的仮説は「例外的事象は無視する」ということである。何故なら例外的事象を取り入れると確率の計算が出来ないからである。

      1990年代、アメリカは消費国であり、日本と中国が生産国であった。輸出入の比率はほぼ2倍でアメリカの赤字であった。日本と中国はドルを大量に抱え込んで、それをアメリカの国債およびアメリカの金融市場に投資していた。2000年代、日本と中国のドルは株式市場、不動産市場、更に商品市場へと投機対象を拡げていった。アメリカは消費大国として貿易赤字と財政赤字を抱え込んだ。これは勿論グローバリゼーションの成果である。アメリカは長期の好景気を得て、中国を含むBRICSはそれ以上の経済成長を遂げた。グローバリゼーションというのは現実には資本と情報のグローバリゼーションであって、労働力や土地・資源はローカルなままであるから、これらの間に矛盾が生じてくる。先進国における賃金の低下、雇用の不安定、デフレ圧力がその例である。これらを救済するのは「国家」でしかない。アメリカは金融資本、中国は労働力、インドは知的資源、ブラジルは資源、という風にそれぞれの強みを最大限に利用すべく、国家が主導権を発揮したことによって経済成長を遂げた。それぞれの国が自由経済だからではない。それらの国に対して戦略性の無かったのが日本である。日本経済の立脚条件を無視してアメリカ流の構造改革を行って自らの足元を掘り崩してしまった。アメリカはIT革命と金融工学によって、経済の成長モデルを、従来の産業型成長モデル(技術革新→大量生産→所得上昇→大量消費)から、金融型成長モデル(金融市場改革→グローバル金融市場での優位→金融市場への資本投下→資本利得による所得の増加→消費の拡大)へと切り替えてしまった。アメリカは産業型成長モデルにおける景気循環から解放されたが、金融恐慌という不確実性を抱え込むことになった。

      我々は経済に対する考え方の変更を迫られている。そもそも今日の新古典派経済学(市場主義の経済学)において、自由な競争的市場が絶対視されていることの前提条件は、1.人は与えられた条件化で合理的に行動する、2.経済活動の目的はモノやサービスの生産、交換、消費という実体経済であり、貨幣はその補助手段である、3.消費意欲は無限であり、物的生産条件となる資源は有限だから、経済の問題は稀少資源の有効利用である、という3点であるが、これらの前提は全て崩れており、特に3において、経済の問題とは過剰な生産力を有限な消費に対してどう処理するか?である。

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