2012.10.18

     「日本/権力構造の謎」第6章「従順な中産階級」はサラリーマン層とその文化的支配者、電通、の話である。最初に「典型的な」サラリーマン像を描いてみせる。学校教育による選別過程を経て、若い男性の約1/3がサラリーマンとなる。入社後彼等は入社教育によって「社会人」としての基本を教え込まれる。挨拶や電話の応対から接遇時の席の取り方、更には自衛隊体験や禅寺を含む集合訓練など。田舎や都市近郊に行くと家内工業や工場労働者が多いから、一般的な日本人は家庭を大切にしている事が判る。従って、サラリーマンが家庭よりも職場を第1に考える、という習性は会社によって教育されたものと考えられる。会社への忠誠心を示す理由としてもうひとつあるのは、下請けの中小企業の場合と違って、転職が容易でなく、あったとしても通常不利になるからである。

      日本の会社の擬制的家族関係は徳川幕府による「イエ」制度に起源を持つ「イエ」では家父長にのみ人権(財産権)が与えられて統治の単位とされる。中国での家族があくまで血縁を軸に構成されるのにたいして、日本での「イエ」は武家に由来し、継承者としての適格性が重視される。実子であっても養子や養女の夫に継がせる場合がある。使用人であっても「イエ」の一員であるが、別居すれば血縁者であっても別の「イエ」に属するから、中国のように家族のネットワークが広い地域に拡大することはない。小作人は地主を、地主は大名の家臣を、家臣は大名を、という階層化された服従の関係はあったが、国家への帰属意識は無かった。国家という概念があれば、どこまでが上位者の権限なのかが判り、公私の区別ができるのであるが、それが無い状況におかれた為に日本の知的伝統の中では政治と社会の区別が曖昧になった。徳川幕府は服従の連鎖の中に「イエ」を組み込んだのである。戦後、1945に到って民法から「イエ」がなくなり、家長の法的権利義務を取り除かれたが、その伝統は残った。

      明治維新後、初期には労働市場に親方、子方と呼び合い頭によって統率される組織が生まれて、初期の労働組合となった。沖仲仕や炭鉱夫がその例である。しかし、大企業での擬制家族は別である。それは、労働運動の活発化を恐れ、官僚にも促されて、大学卒業後直ぐに経営陣に加わった人達によって取り入れられた。彼等は既に、東大法学部出身官僚の、慈悲深い天皇によって統合される家族国家、という思想を知っていたのである。1930年代後半、中国との戦争により政府が産業政策を生産増大に焦点を合わせて本格的に取り組み始めた頃になって、浸透した。1942年の重要事業所労務管理令と共に終身雇用の考えが導入された。労働単位が「イエ」となり、本来の家族が家父長を介してその「イエ」に従属する、という構図は、奇妙なものである。西欧では産業革命により、逆に家族から労働単位が分離したのであるから。つまり、どちらが基本かという意識において、職場と家庭が逆転しているのである。勿論、職場を家族同様に感じるためには一種の洗脳が必要であり、そのためにどんな会社でも崇高な社是や社訓や創業者の伝説が語られる。社歌もあれば合同礼拝のような朝礼もある。(崇高な社是は社員の団結だけでなく会社のモラル維持にも有効であるが。)

      日本人の忠誠心はもっぱら集団や人に対するものであり、信条は抽象的概念には向けられない。それは日本の創生期に貴族達によって中国から取り入れた儒教に由来する。「二十四孝」には極端な親孝行の話しが描いてあって、美徳として広められた。徳川時代には、本来の孝行の対象である天皇を疎外していたから、配下の領主達を服従させるためにこの普遍的な原理を使うことが出来ず、軍事的政治的手管を使って秩序を保っていた。孝行=忠誠は結局は一方的な服従に等しくなった。この点中世ヨーロッパの騎士が神の名において領主を見捨てることが出来たのとは趣が異なる。しかし、結局は行き詰った時には天皇が人々の拠り所になった。明治政府は親孝行と天皇への忠誠は同じことであるという布告を出した。

      忠誠=服従(と恩寵)の関係は大企業(労働市場では全体の2/3を占める)と下請けの中小企業の関係にも原理となっている。大企業は下請け会社に技術指導をし、また多少はコストの安い他の会社への切り替えを控える代わりに、好景気の時の無理な労働条件や不景気の時のショックの吸収役を引き受ける。勿論これは契約ではない。通産省には中小企業庁があり、中小企業への法規制を緩めたり、非公式な税制上の優遇を与えたりして、二重構造経済の維持を助けている。

      サラリーマンを目指す若者達の会社選択基準は業種や職種ではなく、会社のランクである。会社の階層と教育システムの階層は概ね対応している。サラリーマンは高額の貯金を持つがそれは投資資金として大企業グループに注ぎ込まれてきた。たいていの国では中産階級の台頭と共に政治的関係が逆転して変化が起きたのだが、日本では抑えられた。サラリーマンを代表する政治勢力は存在しないから、例えば住宅政策もなおざりにされている。消費者運動も無力化させられ、サラ金は生き延びた。サラリーマンが全人格を大企業に支配されているからである。

      姦通罪(女性の側だけ)が占領軍によって廃止され、女性は家族の間では支配力を持つが、労働者としての女性は企業によって制度的に差別されている。結婚して退職し、再び職場に戻ってきたときには同等の仕事の男性に比べて1割から3割減程度の低賃金となる。典型的には半分程度の賃金と福利厚生も適用されないパートタイム契約になってしまう。1985年に男女雇用機会均等法ができたが、単に国際的イメージ(国連)を気にして最小限譲歩したにすぎない。政府が打ち出す健全な家庭像では女性は家庭に居るべきものとされる。文部省文化庁長官となった三浦朱門が雑誌にモラルの低い若い女性を強姦することを肯定して物議をかもしたこともある。比較的自由なのは小売店主、美容院経営者、芸術家等である。

      さて、ここに描写されたサラリーマン像は1990年代頃までにかなり論じられてきたカリカチュアである。実際著者は当時の書物を大量に引用している。どこまで妥当であるかは誰にも判らないが、欧米と比較するとこういう傾向が強かったことは確かであろう。僕自身は父も3人の兄もサラリーマンであったから、ここで記述されているような服従の強制を裏付けるような大量の愚痴を聞かされていたということもあって、1983年、35歳に到って大学での職の展望が無くなるまで企業に入ろうとしなかったのである。入った会社は中興の祖といわれる社長が崇高な理念を掲げていて惹かれるものがあったのは確かである。実際彼は技術者であり、社長になってから経営者としての哲学を求めて勉強にも励み、流通、マーケッティング、研究開発を強化して会社を成長させたのである。実際に会社に入ってみると、むしろ大学の研究室の方が余程閉鎖的であり、会社では、兄達が愚痴をこぼすようなことは感じられなかった。与えられた使命に対して最大限努力するということは当然の事であり、研究者としての自負でもあったし、達成感も大きかったから、それが家庭を顧みないという風に非難されても一般的には理解できないのではないだろうか?研究開発部門で経営にまでは関わらなかったからあまり泥臭い人脈を巡る争いが見えなかったのかもしれない。財閥とも政府ともやくざとも繋がりが無かった、という意味で中小企業的だったのでもあろう。これは財閥系大企業との交流の中で比較して判ってきたことである。もっとも社長が交替して行くに従って、経営層の保身的な噂が耳に入るようにはなった。同時に、ここに描写されているような有様では国際的な競争が覚束ないということで、人事制度を始めとして社内の変革が進んでいったということも事実であり、それらの「自由競争と業績主義」がむしろ会社の個性を失わせていった、という負の側面も目立った。

      結局こういうことは個人の立場で見ていても結論は出ない。それぞれの能力や生き方によって見方が変わる。社会的に問題であれば、制度的な改革によって個人が自然に変化するように仕向けるしかない。先日テレビを見ていると、女性の就労率向上と地位向上によってオランダが経済復興した、という話があった。ヨーロッパでも女性の社会参加が遅れていて、経済が停滞していたオランダは日本の現状と良く似ている。その対策として、労働対価の徹底的な均一化とパートタイムとフルタイムの労働条件均一化という政策が取られたという。これが成功して、夫婦がそれぞれパートタイムで働いて一緒に子育てをする、という家庭が標準化しつつある。経済効果としては税収が増えて財政赤字が解消し、年金も安定化した、ということである。そういえば、オランダは、カロリーベースの食料自給率が極端に低い、というのも日本と共通している。穀物を輸入して肉類を輸出しているからである。日本はむしろ積極的に真似をすべきかもしれないが、地理的な環境からいうとそれほどうまくは行かないような気もする。

      ともあれ、次に、「サラリーマン文化のプロデューサー」という題目で、広告業者「電通」が紹介されている。著者から見ると、日本の大衆文化はサラリーマンを秩序に従わせるために特別に誂えているようであるらしい。際立った特徴は、政治的な想像力を駆り立てる内容が全て抜かれている、ということである。(最近はそうでもないとは思うが。)例外的な大島渚は結局片隅に追いやられてしまった。芸能界のヒエラルキーに組み込まれている会社と何らかの繋がりが無い限りどんな人も大衆文化に貢献することはできない。頂点に君臨する組織として最も重要なのが世界最大の広告代理店「電通」である。テレビコマーシャルの1/3を支配し、実質的にスポンサーをどの時間帯に割り振るかの決定権を持つから、広告主の方が電通の指示に従う。テレビ文化の内容にも関与する。皮肉な事に官界と直接繋がっているNHKがもっとも社会的、政治的な問題に対して真面目である。欧米のテレビが平均精神年齢11〜12歳の視聴者に合わせているとすれば、日本のテレビは8〜9歳に合わせている。電通は殆ど全てのものを最低レベルまで引き下げるのに成功している。

      電通は日本の総広告費の1/4を扱う。アメリカ最大の広告代理店は3.5%に過ぎない。シェアの秘密は人脈である。社員採用方針には明確に<システム>管理者の近縁者や子息という方針が貫かれていて、電通の役員は彼らのことを「人質」と言って憚らない。マスメディア関連会社には役員を派遣する。その中の一つが視聴率調査会社(ビデオリサーチ社)である。<システム>管理者にとって不都合な番組は視聴率低下を理由に排除される。そもそも電通の仕事、広告、の効果測定機関が電通に握られているのである。企業の不祥事を握る電通は企業を脅すことができるし、企業を庇う事もできる。ラルフ・ネーダーを招いた読売新聞が彼の記事を2面抜きの特集記事にしようとしたが、電通の指導で小さな記事に分断され調子を落とさせたことを、電通の幹部が講演の中で誇らしげに語っている。1955年に森永ミルク砒素事件を電通が統制したのは有名である。1964〜65年には大正製薬の風邪薬によるショック死事件のニュースを電通が検閲して内容を変えさせた。電通は雑誌広告のスペースをまとめて大きく買い切るから、雑誌にも支配力を及ぼす。財政的な力だけでなく、電通は1936〜45年までの政府の独占的宣伝機関だった同盟通信社と一体だったし、これが共同通信社と時事通信社になっている。こういった繋がりが株式の相互持合いで強化されていて、共同が扱うニュースはまず電通に入る。クライアントが不利な情報を知る前に新聞社に介入することができる。

      電通には官庁や自民党のための仕事をする「第九連絡局」という部署がある。1972年に田中角栄内閣発足直後に出来た。そのとき、電通は「自民党の広報についての一考察」という報告書を刊行し、それまで自民党は記者クラブを通じてマスコミとの有利な関係を築いていたが、この局によって、雑誌との関係も良好になる、と主張している。世論調査やPRやキャンペーンを担当する。自民党の選挙キャンペーンを始めとして原子力発電の安全性や、地方消費者運動や反公害運動に対抗するキャンペーンも電通の仕事である。この局は総理府の広報予算の1/3以上、他の省庁の40%を吸収し、自民党の広報宣予算は独占している。

      電通以外には、その40%の売り上げを持つ博報堂があり、これは財政金融界と繋がっている。社長は2代続いて大蔵省の天下りである。東急エイジェンシーは人脈のあった中曽根康弘と深い関係にある。建国記念日の祝賀イベント、中曽根の行政改革キャンペーンでは、主婦組織から募って圧力団体を作り、15,000人ものデモを組織した。

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