2012.08.01

      もう一つついでに市立図書館で借りた本が川島博之「食料自給率の罠」(朝日新聞出版社)である。こちらはまともである。表3aと表3bに2005年と1961年の食料輸入状況が纏めてあって判りやすい。カロリーベースでの食料自給率がどうやって計算されているかが一目で判る。この間にカロリーベース自給率が79%から41%に下がった原因は日本人の食生活の西洋化である。本来国土の狭い日本では米作がもっとも効率的であるが、肉食の普及により、必要なトウモロコシや小麦や大豆などの非効率的な作物は輸入せざるを得なかった、ということである。現在の休耕田に小麦を栽培してもカロリーベース自給率は50%程度であり、これが国土の限界なのである。カロリーベースの自給率を引き上げるには、30%も廃棄されている食料の問題も含めて、食生活を変えるしかない、ということであり、農業政策としての意味は無い。金額的に見るとそれらの贅沢食料関連の輸入額は食料以外の品目に比べれば微々たるものである。

      世界的な食料危機がしばしば強調されるが、それはいずれも農業政策の失敗に起因しているか、投機によるものであり、現状で生産と消費のバランスが崩れる心配は無い。小麦や飼料の輸入が出来なくなれば確かに畜産農家や食品加工業者は壊滅的な打撃を受けるであろうが、直ちに飢えるということではない。

      それでも農業の生産性を少しでも向上させる為には規模拡大が必要であるが、地方がそれを望んでいない。江戸時代初期以来続き、一時期には小作という形式での大規模化が進みかけながら、戦後の農地改革でほぼ完全に復活した一家に平均1ha という狭い農地を耕してきた体制は村落共同体として続いており、その生活習慣が心の中に残っていることを除いても、そもそも農地にかかる税金は安く、しかも地方に公共事業が広がればやがて宅地化して農地が売れる可能性があるから現在の農地を手放す理由がない。耕作することなく単に農地として保有することが最良の選択となっている。農地改革の時の教訓として、農地を貸すことの危険性や大規模地主への反感があり、それも農業の大規模化を妨げている。選挙区問題もそれを助長している。農家の戸数は総世帯数の6%に過ぎないが、衆議院で45%、参議院で62%が農村型の選挙区から選出される。そこには、農家以外に代々農家でありながら趣味的に野菜作りなどをしている為に、農協としては準組合員となっている人たちが居て、総世帯数の20%位になっている。農村型選挙区では支持政党が固まり易いということがあって、現在の主要政党はそこに依存しているのである。選挙区定数是正は国会議員が行うことになっているので、自分の基盤を崩すような選挙区定数改定は出来ず、いまだに大きな選挙区格差が残ったままであり、また農業の大規模化は農村型選挙区からの人口減少であり、自らの支持者を減らすことであるから、これも進める筈が無い。

      農家の保護の為に続いていた国家による米の買い上げと売価の管理は2004年にやっと終わった。米価の自由化である。それと共に減反政策の理由付けも意味を失った。減反が廃止されれば米は過剰生産となり価格競争から農家が淘汰されて大規模化も進展するだろう。そういう新自由主義政策が小泉首相の自由民主党によって行われた。株式会社の農業への参入も自由化された。小泉首相の間は郵政自由化もあってそれほど表立っては来なかったが、安部首相になると、このような農業政策に農家が拒絶的な反応を示すようになる。農家にとっては農業の強化よりも先祖から受け継いだ農地の維持とやがて予想される宅地への転売が重要だったのである。それを熟知していたのは小沢一郎であって、彼の巧みな「戸別補償制度」という約束によって、自由民主党が政権を失う事になる。自由民主党は、食料自給率41%は安全保障上大問題である、という言葉に幻惑されて農家の本当の想いが見えなくなっていたのである。

      穀物分野で農業の大規模化を推進するのが無理であるとすれば、考え方を変えなくてはならない。そもそも食料自給率の低下は穀物分野ではなく、畜産分野であって、飼料の殆どを輸入に頼っていることが原因であった。最近日本の農業の生産額が世界第5位であることを以って日本の農業が強い、という本が出版されたが、それは価格が高いからであって、必ずしも良い事ではない。本来は輸出入の差を見るべきである。そうすると、主要10カ国中最下位である。世界第一位はオランダである。その理由は穀物などは輸入に頼っていて、その代わりに肉や野菜を輸出しているからである。カロリーベース自給率は14%であって、これは最下位である。要するに食料の加工貿易を行っている。畜産に関しては日本は健闘していて、大規模化が進行中である。豚や鶏はそれほど土地を必要としない。牛は土地を必要とするので規模の拡大が遅れている。野菜や果樹もそれほど土地を必要としないから有利であり、実際日本農業を支えているのは野菜である。

      農業の再生を目論んでカロリーベース自給率という新しい指標を出してきて広く知られるようになり、確かに国民の間に定着したまでは良かったが、そこからの帰結は飼料作物と小麦に対する徹底した保護政策か、穀物類栽培の大規模化であり、前者は税金の無駄と貧困層への打撃から不可能であり、後者は伝統的な日本の農家の総スカンを食らった。結果的に農協は税金を糧として生きながらえ農地の宅地化で大儲けをする悪の根源と思われるようになった。また自由貿易交渉において日本の農業は足枷になっている。(これがタイトルの意味であった。)そもそも世界食料危機というものが幻想に過ぎないのであれば、著者の提言としては、米については現状の政策を維持し、他の農産物に関しては自由化を進めるべきだということである。戸別所得補償制度も米作の範囲に留めるべきである。定年後に田舎に帰って野菜作りをする人々のささやかな夢を壊してまで農業の再編成をする意味は無い、ということである。日本ほど農地と宅地が共存している国は少ない。それはむしろ良い事かもしれない。イギリスでは理想的な人生として若いときに都市で稼いで定年後は田舎で庭を作って古民家に住むことが語られるが、およそ農業以外では生活不可能な田園でそういった生活をする人は例外的であり、むしろ日本においてその理想が(古民家ではないが)一般化しているということは知っておいて良い事かもしれない。

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