2021.02.04
『新型コロナからいのちを守れ!』西浦博(中央公論新社)。

・・・僕が新型コロナに興味を持ち始めたのは7月始めで、ある新型コロナ感染症の論文の掲載についての『物性研究』での一騒動に巻き込まれて論文を読んだからである。従って、これはそれ以前の話である。西浦氏は感染対策を数理モデルと解析の側面から主導していて、当初からいろいろと批判されていたようであるが、今となってはネットの論争情報も消されているので判断のしようがない。相当誤解されていると思われる。文章の上手いという友人(川端裕人氏)のまとめでやっと本人の記録が出たので読んでみた。実に興味深い!殆どの疑問が消えた。

・・・日本では感染症の数理モデルをやっていないかというとそうではない。感染研でもやっているのは、この間の栗田順子氏の本 からも判る。ただ、西浦氏は海外での経験も弟子も多くて、第一人者であることは間違いないだろうし、こういう時に備えて、感染研とは昔から意識的に協力関係を築いてきた。ダイヤモンドプリンス号感染を乗り切ってから、深夜の電話相談をかけてきていた加藤厚労相から直接指名されて、クラスター対策班に加わった。一種の司令塔的な発想から、本部が厚労省になって、機能的にも感染研と重なるので、雰囲気が悪くなりかけたらしいが、実際の接触者追跡調査を感染研が担当し、解析を北大が担当して解決したらしい。他、東北大学の押谷仁先生というのが参加していて、かなりの経験者らしく、直観的に推理するのが得意ということである。西浦氏は逆にデータから実証していくスタイルなので良いコンビになったようである。西浦氏にとっては数理モデルが政策に反映されるチャンスであったし、『日本では』画期的なことだった。

第1章:三密

・・・早くからこの感染症の急所を掴むべく懸命に努力していて、頭が下がる。多分感染研のメンバーだけではどうにもならなかっただろう。パンデミックになるかどうか、という感じの頃、海外からの感染者がパラパラと入ってきていながらも、なかなか二次感染者が見つからない。また2月15日のジョンズ=ホプキンズ大学の論文で、2003年 SARS で見られたような Superspreading が起きていると言われ、シンガポールや香港での感染データもそれを示していることに気づく。何が Superspreading の条件か?という処を追及して、日本のデータを解析すると、密閉空間の会合という処に行き着いた。約20倍感染率が高いことが判り、3月7日に第7報 となっている。(以後7月まで多忙で論文は無し。)これが『三密』の由来となった。従って、『三密』を重点的に無くしていけば効率的に感染が抑えられる。他、感染流行地域からの旅行者の内何人が感染していたか、というデータから、その地域に何人くらい感染者が居たかを推定する、というのも成程と感心した。(初期の武漢、初期の北海道で推定している。)

第2章:クラスター対策とリスクコミュニケーション

・・・北海道で最初の感染爆発が起きる。緊急事態宣言を出す時、当初知事は一般的な外出自粛を訴えていたのだが、東京に来た知事に対して、夜の飲食街での密な会合を抑制しなければ意味がないと説得したのが功を奏して、観光への影響にも関わらず応じてくれたのが最初の成果であった。

・・・3月になって、イタリアで医療崩壊。日本ではヨーロッパからの入国制限が遅れてしまった。政府に危機意識が足りなかった。感染が広がってきて、日本独自のクラスター対策に疑問が呈される。PCR検査数が少ないことと結びつけられた。ヨーロッパでの濃厚接触者追跡は「前向き」である。つまり感染者が接触した相手を検査していく。日本では感染者が接触した相手だけでなく場を探し出してその場に居た人を追跡する。というのも、発見された感染者に感染させた Superspreader がその場に居た可能性が高いからである。これを「後ろ向き」という。これには人手がかかる。(韓国では専任が150人位、日本では、感染研の研修コースという位置づけで20人位。)全国を飛び回って調査をした。感染の爆発初期においてこのやり方は効果があったし感染繋がりのデータも得られた。

・・・3月19日の専門家会議で、全国イベント自粛要請解除が議論された。「このまま自粛すれば収まってしまうかもしれないのに」と考え、解除に危機感を持った西浦は、ヨーロッパでの悲惨な状況を説明し、更に、年齢層別 SIR モデルを使って、このまま行くとどうなるかの計算を示したのだが、相当な抵抗を受けた。累積85万人の重症者、死亡がその半分、という推定。当然医療崩壊である。図8に示してあるが、感染者を積算すると確かに人口の6割位になる処でピークを打つから、SIR モデルである。もっとも、どんなモデルで計算しても多少のタイミングの違いがあるだけで、同じだろうと思う。対策をしなければこうなる、というのは当り前のことなのに、何故それを言ってはならないのか?隠して、それが起きないような対策だけを指示する、といういわば「父権的体質」が厚労省にはあるという。(これは厚生省だけではないだろう。原発事故の時もそうだった。事故が起こり得るという事すら隠しておいて、事故対策をやろうとするから、論理的矛盾に直面して対策を止めてしまう。)そうではなくて、Risk informed decision が重要である。記者会見で西浦氏は自粛を続けるように必死で訴えている。ツイッターを初めて使った。NHKに出演したが、肝心の訴えはカットされた。医療従事者向けサイトにも投稿した。専門家として社会とのコミュニケーションを模索し始めた。

・・・メディアによるPCR検査の大合唱。これがクラスター対策批判にまで飛び火した。(クラスター追跡は決して検査を節約する為ではない。)検査が足りないのは確かで、厚労省が検査を大学機関などの外部にさせなかったからである。

・・・いわゆる夜の街で感染が頻発しているという情報を得た西浦は東京都知事に会って説明した。そうすると賛同してくれて、その件はそちらから発表してくれと言われ、厚労省に持ち帰ると都の側で発表してくれ、とたらい回しにされた。経済的インパクトの大きい発表なので、責任回避をし合ったのである。業種は明確であったが、漠然とした『夜の街』という表現が使われることになり、最終的には都知事側から発表した。その直後から実効再生産数が下がった。

第3章:緊急事態宣言で責任者と見られる

・・・3月末から4月。病院や施設でクラスターが多発するようになる。東京都医師会を訪れて感染対策をお願い。医師会からは、夜の街規制に居酒屋が入っていない、と注文を受ける。クラスター対策ではもはや制御できなくなってくる。このころから非公式に「コロナ専門家有志の会」が出来て、毎週ミーティングしていた。日々の予測。発症日、診断日、年齢、ハイリスクな場所かどうか、を日々集積して指数関数的変化を見て報告する。データは自治体ページ。これだけで数名の人員がかかる。緊急事態宣言に備えて、経団連にお願いに行って、出張や夜の街接待を自粛するようお願いした。東京から地方に移動しないように小池知事へのお願い。西浦は専門家達からは要人への顔の広さを頼られた。メディア対応としてはマスコミ代表との2回の勉強会をして、緊急事態宣言の地均しを行った。政権は宣言を出すかどうかを考えるだけで精いっぱいだし、内閣官房は事情に疎い。厚労省は緊急事態宣言には関わりたくないから、結局クラスター対策班と有志の会がいろいろと『根回し』することになってしまった。実に奇妙な構図である。https://note.stopcovod19.jp、ツイッター@senmonka21、@ClusterJapan、に記録があるらしい。これらの情報発信は、それまでクラスター対策班が陰に隠れていた為に、主にツイッター上で、その科学的信憑性を疑われ始めた事への対策、という意味もあった。

・・・4月7日の緊急事態宣言に向けて、西浦氏の提出したのが接触8割削減目標であった。当時500人規模の新規陽性者数(日本全体、なおp.174の50人は500人のミスだろう)を1ヶ月で10〜20人というクラスター対策可能な数まで減らす為には、どの程度の接触制限が必要か?ということで8割削減が出てきた。感染連鎖の間隔を6日とすると(実際は5.5日位)、1ヶ月は5連鎖だから、15人(0.03倍)にしようと思えば、1連鎖あたり 0.03^(6/30)=0.5 という実効再生産数(Re)であればよい。基本再生産数R0=2.5 とすると、感染率を20%にしなくてはならない。つまり接触率80%削減である(一連鎖5.5日だと79%)。70%削減ではRe=0.75で、同じくらいに感染者数を下げるには12連鎖=72日かかる。これには耐えられないだろうということだったらしい。削減の基準が対策無しの初期 R0 だったことがわかる。(僕の東京圏の計算ではこの1週間前まで実効再生産数は2.26だったから、そこからで言えば、78%削減であるが、まああまり変わらない。)西浦氏は更に各産業別の削減目標を細かく計算していたが、これは公表されなかった。また、8割削減の根拠については論文になっていない。その各産業別の方に一部公表できないデータがあったということであるが、これが後で突かれるのである。(ロジックは明瞭なのだから、論文にするほどのものでもなく、単に説明すれば良かったのではないだろうか?)(なお、80%接触削減をしなくても、PCR検査を拡充すれば良いという案が出されたが、これには限界があることは僕の論文 で示した。いずれにしても、厚生省が頑張っている限りPCR検査拡充は無理であった。)

・・・結局、尾身氏と西村氏の折半で、『最低7割、極力8割』と書き換えられて発表された。そこから更に1週間の内部調整を経て、3月19日には封印されていた、無策の場合の死亡者数予測 42万人が発表されて大反響を起こした。最悪ケースを公表することにまだ日本社会は慣れていない。現実にはそうならなかったのを見て予測が外れたと言って非難する人も居る。単に我々の行動によって最悪ケースを回避しただけなのに。

・・・4月中頃からメディアで西浦氏の提言に科学的疑義を唱える人たち(渋谷健司氏)が出てきた。しかし、データを公表したくても、厚労省が許可しなかった。自治体データと厚労省データが一致しなかったので隠したかったのである。また、年齢別データの所有権は自治体にあった。

・・・物理や情報の人達が微分方程式を解いていたが、まだ初歩のレベルである。感染症への理解が足りない。特に、Superspreading の効果を入れなくてはならない。データについても限界がある。厚労省のデータは自治体発表のデータとは異なる。東京都から厚労省に送られるデータから発症日が消えた。他の自治体公表データには発症日があるが、東京都は公表しておらず、特別に依頼された時でないと貰えないし、許可を得ないと表に出せない。実効再生産数の計算への疑義(牧野淳一朗氏)もあったので、ニコニコ生放送で講義を行った。5月12日である。これで疑念のツイッターが無くなった。実効再生産数の計算で判りにくいのは、感染日の推定である。対策効果を見たいので感染日ベースで考えねばならない。これは発症日から潜伏期間分布を使って感染日を割り出している(逆計算)。https://github.com/contactmodel/COVID-19-Japana-Reff

・・・緊急事態宣言の間中、毎日西村担当大臣、尾身、押谷、西浦が会合して、状況分析を行っていた。政治家は責任を取りたがらない。専門家の判断で決める、としか言わない。経済的にどこまで耐えられるのかは感染症の専門家には判らないから、別途それを議論できる経済の専門家が必要である。ということで、内閣官房は経済専門家達を連れてきたのだが、そういう意味では役に立たなかった。計量経済学の専門家ではないし、ここでも責任を取らない。逆に経済の専門家がPCR検査の拡充を提案する始末であった。

・・・専門家会議の報告は3月10日位から厚労省が介入してきて、議論していない政策が紛れ込むこともあった。無症状者から感染が起きるという報告が削除されたこともあった。他方、政策責任を専門家会議が負う事になって、脅迫状まで届いた。(しかし、1ヶ月で新規感染者数を15人に下げる、という目標を設定した以上、その責任は政府にある筈である。)尾身氏は政権側との調整と専門家会議の宥め役。

・・・6月24日、専門家会議の「卒論」が記者会見となった。
1.専門家会議の役割が過大となり、疑義も生じた。コミュニケーション問題。
    (リスクコミュニケーションの専門家が必要。)
2.感染症研究の実施体制が不備であった。領域横断的な他専門分野との繋がりがなかった。
3.疫学情報データの公表が出来ていない。
4.人材育成が必要。

終章:第2波

・・・6月、急速に自粛体制が緩んでいる。諸外国に比べて国境の開放速度が速い。おそらく次の波が直ぐに来るだろう。和田氏が計算結果を公表した。10人/日が入国すると3ヶ月以内に100%確率で大規模流行となるが、1人/日だと40以下の確率になる。しかし、厚労省、国交省、外務省の間の折衝はまとまらず、内閣官房の国家安全保障局(経産省担当)が国境制御をした。。。

 
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