2024.07.01

竹内啓の本に出てくるアンドレ・ワリツキについて検索していたら、彼については何も出てこなくて、百木漠という面白い政治学者の論文を見つけた。
アーレントのマルクス「誤読」をめぐる一考察― 労働・政治・余暇 ―

    大変よく出来ていると思うので、以下、全て論文からの抜き書きによって論旨を辿ることにする。

    労働観の差異ゆえに、アーレントがマルクスを「誤読」していたことは事実である。しかし、アーレントの真意はこうである。マルクスは、労働というマルクスによれば最も人間的で最大の力をもはや必要としない社会に、ほかならぬ〈労働する動物〉である人間を導いている。つまり私たちは、生産的な奴隷状態か非生産的な自由かという、どちらかといえば悲惨な二者択一に迫られているのである。アーレントが厳しく批判したのはまさにマルクスの自由時間論(余暇論)のユートピアであった。余暇概念においても、マルクスは結局のところ「労働と政治からの解放」を理想とする伝統的な「観想的生活」の思考枠組を引きずっていたのであり、本質的に西欧政治思想の伝統を克服したわけではなかった。

    ただし、マルクスの理想的余暇が伝統的なそれと異なるのは、マルクスがその理想を生産力の向上とそれに伴う「事物の管理」(administrations of things)によって実現しようとしていた点にあり、そこに近代特有の生産中心主義の表れを見ることができる。「統治や政治的活動が『事物の管理』に置き換えられ」ることとは、すなわち「活動」という政治的営みが放棄され、それが脱人格的な管理行政に置き換えられることを意味している。たとえ労働生産性が向上することによって労働に伴う苦痛が軽減されたとしても、それは人間が生命の必然性から解放されたことを意味するわけではなく、むしろよりいっそう「絶えず循環する自然的サイクル」への従属を強化する結果になる、とアーレントは考えていた。

    「労働からの解放」を目指そうとするユートピアは、かえって労働と消費のバランスを歪め、「労働」の代わりに人間を「消費」に従属させる社会を生み出しかねない。つまり、「活動」や 「労働」といった営みから人間を 「解放」しようとする試みは 、理想的な社会状態をもたらすのではなく、反対に管理行政社会大衆消費社会といったネガティブな社会状態をもたらすものである、とアーレントは考えていた。

    マルクスは理想社会において「労働」が「活動」に転化しうると考えていたのに対し、アーレントはあくまで「労働」と「活動」の区別が保持されるべきだと考えていた。アーレントは、「労働」「仕事」「活動」はそれぞれ「生命それ自体」「世界性」「複数性」という性格の異なる「人間の条件」に対応する営みであり、これらの営み/条件を混同するのは非常に危険性が高いことであると考えていた。(注:これらの用語にはアーレント独自の定義がある。)

    とりわけ、「労働」が「仕事」や「活動」の要素を飲み込むという近代以降に生じてきた現象は危険な兆候であって、この傾向の行き着く先に全体主義社会が登場するというのが彼女の考えであった。脱人格的な管理行政による「無人支配」は実際には「無支配」ではなく、むしろ新たな形態の専制支配へと通ずる危険性を秘めている。無責任および思考欠如(thoughtlessness)の体制は、後のアーレントが『イェルサレムのアイヒマン』で批判した全体主義体制そのものである。「無人支配」および「誰でもない者による支配」は、〈労働する動物〉が勝利した近代社会において、「動物化」しかかっている大衆 ― 生命維持を至上価値とする人々 ― を管理するために生み出された支配体制にほかならない。

    現代の leisure は基本的に「消費」のための時間である。すなわちそれは「労働時間」の裏返しであるにすぎない。マルクスは資本主義の発展に伴って生産力が十分に向上すれば、人間はやがて労働から解放され自由になるであろうと予想していたが、その予想は完全に誤りであったとアーレントはいう。なぜなら〈労働する動物〉の余暇時間は「消費以外には使用されず、時間が余れば余るほど、その食欲は貪欲となり、渇望的なものとなる」(消費の為の労働という依存症)からである。

    余暇において取り組まれるべきは「消費」でも「自己目的としての労働」でもなく「活動=政治」である、というのが彼女の考えだったであろう。しかし、近代社会では公的領域が「労働」に占拠されているために、労働生産力が向上した結果として余暇時間が増加したとしても、その余暇が「活動」や「観想」のために使われることはなく、ただ「労働」の裏面としての「消費」に使われるのみである。その結果として、「活動」や「公的領域」はますます衰退していき、「行政/管理」としての政治が社会を覆い尽くしていくであろう。この脱人格化された「事物の管理」が「無人支配」としての全体主義支配に繋がる。

    「労働」と「活動」という「人間の条件」を満たすための営みから「解放」されたとき、そこに訪れるのはマルクスが理想とした「自由の王国」ではなく、その反対に「誰でもない者」によって支配される全体主義的社会であるというのがアーレントの見通しであった。形を変えながらも西欧思想の中で脈々と引き継がれてきた「労働と政治からの二重の解放」というユートピアを克服しない限り、全体主義の脅威が消え去ることはない、という危機意識をアーレントは抱き続けていた。

    マルクスが理想としたアソシエーション社会は、アーレントが理想とした自律的な政治的共同体(評議会制度など)と共通する側面を有していたとさえ言えよう。アーレントはマルクスを批判しつつも、資本主義への批判や自律的統治の重視という観点においては、マルクスとほぼ同様の主張を行っていた。(だから、アーレントはマルクスを誤読しているとも言える。)

    アーレントは、「自由の王国」というマルクスの理想のうちに、西欧政治思想の伝統から継承された「労働と政治からの二重の解放」というユートピアを読み取り、このユートピアを強制的に実現しようとする試みが、全体主義支配というディストピアをもたらすものであると考えていた。このような全体主義への絶えざる危機意識こそがアーレント思想の核心であり、その批判精神ゆえに彼女はマルクスのユートピア、および「労働」が近代社会の中心的原理となっている状況に対して、誤読・強引な解釈を含む議論を展開していた。「労働と政治からの解放」というユートピア/ディストピアの傾向に抗い、「動物化」した近代人を生物的に「管理」する「無人支配」に代わって、人々の自律的な「活動」を政治のうちに取り戻すことこそが彼女の思想的課題であった。それは、「労働」が人間の本質的営みと見なされるようになった近代社会において「活動=政治」の意義を見直すと同時に、現代社会における「余暇」を我々がどのように過ごすべきなのかを考え直すという課題を有するものとなるであろう。換言すればそれは、「余暇」において人々が自発的に「活動=政治」に参加するような「世界」を構築するために我々は何を為すべきなのか、という課題でもある。

    僕はマルクスの勉強をしていないので、ざっくりとした理解をまとめておく。合っているかどうかは自信がないけれども。

    資本主義はルネッサンス時代でのヴェネチア商人の為替差益「利子」(金融資本主義?)から始まったらしい。これがイギリスでの産業革命期に製造業における「利潤」に置き換わったのが産業資本主義である。そこでは利用された生産設備+供された労働の価値と商品の市場価値との間に差分が生じて「利潤」となるのだが、マルクスが問題にしたのは、労働がそれ自身の充足感を失い、単なる利潤を得るための(資本家にとっての)手段と化すことであった。これを「疎外」と呼ぶ。

    マルクスはこのような産業資本主義経済全体の運動をシミュレーションして見せた。概念を定量的に定義してデータを集めて理論によって計算して結果をまた現実のデータと比較する、科学的方法(弁証法的?)である。同じ労働条件が続くとすれば、利潤が資本に変貌してつぎつぎと投資されるから、指数関数的に生産量が増加し、農村部の人口が都市の労働者へと吸収されていく。労働者の生活水準は限られた都市空間の中で劣化していく。生じた商品はマーケットを求めて未開発地域の制圧を促す。これは労働力の確保にもつながる。しかし、世界は有限であるから、どこかで限界がある。商品価値が下落して恐慌が起きて、企業が淘汰され、失業者が急増する。このような産業資本主義経済の荒波を合理的に解決するためには、ひたすら利潤を追い求める資本家ではなく、労働者が団結して生産の管理を行うという計画経済に変革しなくてはならない、というのがマルクス主義の基本なんだろうと思う。

    問題は「労働者が団結して生産の管理を行うという計画経済」というユートピアの中身だろう。そこにはどうしても「組織」の問題が生じる。言い換えれば「政治」の問題である。労働者はどうやってその政治に対して主体性を発揮できるのだろうか?労働が家事や育児や自給自足農業のような場合には生存の為の直接労働であるから自足しているのだが、産業資本主義における労働ではその成果物の行方に労働者が関わることができない。ならば、計画経済における労働者はどうだろうか?規模が小さければ組合組織に参加して政治的に関わることができるだろうが、国家レベルになると労働者はやはり政治的に疎外されてしまうことを免れない。まあ、それを誤魔化すために共産党があるわけで、国内津々浦々に共産党員が入り込んでいて、労働者達をうまく納得させなくてはならない。しかし、この国家による計画経済というのは結果的にはうまくいかない。原理的にはうまくいくはずなのだが、経済情勢の変動に対して計画が硬直化するからである。現在では国家規模の計画経済が機能する場面は非常に少なくて、殆どの国家が資本主義を取り入れているのだが、そうすると共産党自身の腐敗汚職に悩まされる。

    資本主義経済を棄てなかった国々では、マルクスの目論見が外れて、最初は帝国主義の方向、つまり国外に商品市場と労働力と資源を求めた。しかし、これが世界戦争によって行き詰まると、国内の労働者に利潤を分配して商品を消費させる方向に転じると共に、労働力と資源の問題を科学技術による生産性の向上で補った。こうして、労働と消費が裏腹となった「消費社会」が成立している。勿論、労働と消費を人脈で結びつけようという運動もあるのだが、流通産業の効率化には抵抗できない。そこには全体主義への萌芽があり、大きな経済的危機となれば、ポピュリズムによってそれが芽を吹くだろう、というのがアーレントの考えであった。

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