2022.1.29
・・・この間、『夜会10周年』と題したインタビュー番組の映像を見た。夜会 Vol.10.『海嘯』(かいしょう)公演の時である。そのビデオでは最初に出て来るパーティーの場面の意味がよく判らなかったなあ、と思いだした。そこで、シナリオ本の『海嘯』を入手して読んでいるのだが、これはシナリオではなくて、独立した小説的な詩文なのであった。夜会ではホノルル(オアフ島)のレストラン経営者の繭さん(中島みゆき)がホストになって新年パーティーを開き、その場面でひと際目立つ魅惑的な女性が繭さんに声をかけた男性を強引に奪っていく、というシーンがあり、その後部屋に戻った繭さんに彼女の知り合いからの電話があって、彼女の両親を殺して旅館を奪った川口に復讐するというセリフが語られる。

・どんな人にも必ず夢は叶う
・一生にひとつだけ叶う
・引き替えに一生の何もかも失ってもかまわない約束で

・・・その後、その復讐を果たす為に飛行機に乗ってロサンゼルスに行く途中で喀血し、ハワイ島のヒロ市(日系移民の町)に降ろされる。「夜会」のメインはそこの結核療養所で津波に襲われるまでの話である。

・・・こちらの小説版『海嘯』では、復讐の決意に至るまでの彼女の両親や彼女自身の物語が詩文で長々と語られて、小説全体の半分を占めている。結局、あのパーティーの場面の意味づけは不明なままなのだが、長々とした詩文に付き合っている内に、ひょっとするとこちらの方が物語の核心なのかもしれない、と思え始めた。中島みゆきの歌には「海」がよく出て来る。ここでは海は人間よりもずっと時間スケールの大きな生き物として描かれている。その海の嘯き(うそぶき)に耳を澄ます。

・海はゆっくりと語る
・たくさんの事柄を次から次へと括って語り尽くすのは苦手なので
・ゆっくり ゆっくりとひとつの物語を語る
・あんまりゆっくりなので
・何も語っていないのと似て聞こえる

・・・中島みゆき自身の演じる人間世界のドタバタを静かに見守る目がこの海の嘯きで象徴されている。現実の生々しさを演じつつそれを超越した視点で語り、そこに切り口を入れる、という中島みゆきの歌のあり方そのものである。それが単なる現実逃避や切り捨てにならないところに彼女の「愛」がある。インタビューの中で語っていた「変わらないもの、しばしば忘れられてしまうもの、忘れてほしくないもの」である。

・・・さて、後半は 7.「献灯」 という詩で始まる。喀血し意識不明のまま運び込まれた結核病棟で目覚めるまでの夢うつつを詩にしたものである。夜の海原に漂う無数の灯り。それはパーティー準備に必要な灯りなのに、、、という焦り。病院の白いシーツ。結核?それはレストラン経営にとって致命的ではないか?足元には犬。廊下に出て歩くと献灯と修道女の姿。もはや出口も判らない。。。

・・・8.「影人形」 という詩が「夜会」の後半の始まりに相当する。夜会は2人の患者(郷子と鳩子)の視点からややコミカルに描写されるが、こちらは繭さんの主観的な視点で夢うつつのまま語られる。

・・・郷子は親の命ずるままに結婚して結核を患った結果離婚されてこの結核療養所に入り、患者の一人と恋愛して妊娠中。その人は亡くなった。繭が逃げ出すために盗もうとしたトラックの持ち主は中国人の医師で、彼(梁)は妻と子供を連れてこの島にやってきたのだが、津波の時に車を奪った日本人達に殺された。以来日本語が話せなくなった。鳩子は郷子の相手の男の友人で、彼に郷子を頼まれたので軽症者病棟から毎日世話をしにやって来ている。

・・・物語はこのあたりから急展開する。チリ沖で大地震が起きて津波が近づいている。バスや車で高台に避難する準備で忙しい中、繭はトラックを奪って脱出しようと計画している。そんな中、郷子の陣痛が始まった。更に悪いことに、鳩子を狙ったヤクザがやってくる。彼女は実は暴力団の跡取り息子で、女に変装してこの病院に隠れていたのである。しかし逃げることもなく、郷子が保護された2階の病室を津波から守るべく、水の入口にバリケードを築く。

・・・梁医師は人生に絶望してしまった郷子を励ます中で、海の声を聞く。

・誰を許せないか
・日本刀か 日本人か 日本語か
・おまえはとうに知っている筈
・おまえが許せないのは
・人を許せないおまえ自身だ
・梁 療病の民
・おまえがおまえから言われたかったひと言を語れ
梁医師は日本語を語る
・人を
・最後に裁くのは
・人ではありません

なお、「夜会」では、たどたどしく、「生き・・・なさい」と語っている。いずれにしても郷子はうなづいて生きる意欲を抱くのである。

・・・繭のただ一つの夢、許されてしまった川口夫妻の殺人を暴き、復讐すること。その為にはロサンゼルスに行って現金で支払いをして秘密の工事をしなくてはならない。脱出しようと初めてのマニュアル車で四苦八苦している繭。そこで突然空から白いものが降る。ジャカランダの花びらである。(日本人移民達はこれを桜の花びらに見立てていた。)紫の桜が語る。

・誰も知っていないと決めるのは
・少しだけ生きる者達のうぬぼれ
・それがおまえの夢の正体
・許せないのは 真実が誰にも知られないことか
・おまえの存在が誰にも知られないことではなかったか
・血の涙を流しながら
・短く生きる者達はうぬぼれる
・何も聞こえないのを
・誰も語ってくれないせいだとうぬぼれる
・何もないとしか思えないほど
・ゆっくり ゆっくりと 海は人をあやしているのに
・何もないとしか思えないほど
・永遠に永遠に 時は人をあやしているのに
・親を知らぬ子の哀しさは
・自分の価値を信じられないこと
・利用価値があれば求められることかと ひたすら錯誤することです
・私の値段は何ですかと
・尋ねるために生きて来たのは
・そんなことどうでもいいと言ってもらいたくてすねていたせいです

こうして、繭は救われる

・そこにいたのですね 透明なゆりかご
・これで私は私になれる
・誰一人私を看取る者はなくとも あなたがあやしてくれる

繭は逃げることを止めて、トラックを動かして、郷子を守るための防波堤にした。
津波がやってきたが、赤ん坊は無事に産まれた。

・・・「夜会」でも最後は桜が舞い散る中で中島みゆきが『紫の桜』を絶唱して津波に流されて、最後に赤ん坊の泣き声が響くのではあるが、繭の心がこういう風に救済されるというということは判らなかったから、今一つ桜の位置づけがすっきりしなかったのだが、この小説版ではよく判った。
<目次へ>
       <一つ前へ>    <次へ>