2016.08.05

● 中島みゆきの21枚目のアルバム「時代」(1993年)はセルフカバーアルバムであるが、選曲は、大きく変貌してきた自分自身の歌唱と曲調を再確認するためになされているように思われる。'70年台からは「時代」、「あたし時々思うの」、「流浪の詩」、'80年台からは「ローリング」、「雨月の使者」、「孤独の肖像」(ここまでは自分用の曲)、「慟哭」(工藤静香)。'90年台からは「風の姿」(中江有里)、「あどけない話」(吉田日出子)、「夢見る勇気」(雪村いずみ)、「かもめの歌」(パトリシア・カース)。

・・・歌唱という意味では、最初の「時代」でわざわざ昔の歌唱の出だしだけを最初に再録して比較することまでやっている。身体全体に共鳴しているかのような深い声質を獲得していることが判る。それよりもスタイルである。もはやかっての失恋のリアリズムや斜めに構えた批評は影を潜めた、というかそれらを受け止めた上で人生を積極的に生きることを促すメッセージを中心に据えている。「時代」を聴くと既にデビュー時にそういう曲を書いていながらも、敢えて失恋のリアリズムに拘っていたのだ、ということに気付く。失恋は、人生や社会の不条理に苦しむ人々への共感の手段、つまり、それらを自分の体験に近い恋愛の不条理に<置き換えて>表現するための手段だったのだろうと思う。そこから再び「時代」のスタイルに帰還するために、ロックに没頭する経験が必要だったということだろう。

・・・全ての曲が印象に残るが、各年代で1曲ずつにする。

・・'70年台では「あたし時々思うの」という初めて録音された曲。子供がふとしたきっかけで人生について考えて書き留めたものをそのまま歌にした感じが新鮮である。

・・'80年台からは「慟哭」。さすがにこれは失恋の痛手を歌ったものであるが、攻撃的なパワーが全開で、むしろ壮快感がある。

・・'90年台からは「風の姿」。まあ何とも詩的で感心した。恋愛模様の記述から突然<嵐が近い・・・>と来て、<だから、風の姿を教えて・・・>と、どういう意味だろうと思っていると、<数えきれない数の定義じゃなくて、たった一人の愛の言葉で私をうなずかせて>が殺し文句になっていて心に突き刺さる。言葉というものには実体が無い(恣意性)にも拘わらず、それでも人は言葉を必要としているということで、言葉に深く関わる中島みゆきの実感でもあるのだろう。

・・最後の「かもめの歌」は、ケラケラ笑っている女の心はあのかもめのように空を高く高く昇っていく、という事で、まるで自分を歌っているようでもある。パトリシア・カースがエディット・ピアフみたいに朗唱するシャンソン歌手として日本に紹介された頃、僕はCDを買ってよく聴いていた。このセルフカバーは勿論日本語なのだが、カースの歌い方を思わせる。中島みゆきがそれぞれの歌手の歌い方やイメージに合わせて作曲していることがよく判る。

● 中島みゆきの22枚目のアルバムは「LOVE OR NOTHING」(1994年)と題された。大ヒット曲となった「空と君のあいだに」はまあ良いとして、他の曲は何だか力み過ぎているような感じがする。歌の内容に比して歌唱が大げさなのである。何回聴いてもあまり好きになれない。(に感じ方が変わった。)

● 中島みゆきの23枚目の「10WINGS」(1995年)は1990年〜94年の夜会(シャングリラ)の舞台用の曲から選抜して独立した曲としてアレンジし直した曲集である。テーマソングとして毎回使っている「二艘の船」はなかなか良い。大海の波に揺られる感じが良い。歌詞は、別々の人生を歩んでいるとしてもお互いに気にしあっていて、それが生きる糧になっている、という事で、いかにも「男の友情」という感じ。これが何故夜会のテーマなのか?よく判らないけれども。他の曲はやはり舞台のストーリーを背景に聴かないと判りにくいし、夜会の映像を見た中で言えば、「泣かないでアマテラス」なども夜会での歌唱の方がずっと良い。中で例外的に独立しているのは「MAY BE」であるが、ここでの歌い方はどうも力が入りすぎている。これはシングル(1992年)や「歌でしか言えない」(1991年)でも歌われていて、そちらの方がずっとよい。総じて、この2枚のアルバムにおいて、彼女はまるで男になったみたいで、というか教祖様になったみたいで、しっくりこないのである。

● 中島みゆきの24枚目のアルバム「パラダイス・カフェ」(1996年)には脱帽である。素直な気持ちで思うところを歌っている感じで、全ての曲がすんなりと身体に入ってくる。また、このアルバムでも見せている彼女の声色の多彩さには驚くばかりである。基調になっているのは、つまり彼女の関心事は、生き方における「主体性」、ということだろう。

・・・「旅人のうた」は、ジェンダーやイデオロギーなどの2項類型に入らない者(さすらう者)にも生きる夢がある、と歌う。これは元気の無くなった吉田拓郎を<一度は夢を見せてくれた君じゃないか>と叱りつけた曲「永遠の嘘をついてくれ」に繋がる。「伝説」においては、文字や制作物といった有形の物を残すことのできない人たちが歴史に消えていく思いを歌う。言語という差異の体系に取り込まれないような人々の怨念や希望が語られている。彼らの思いは「嘘」としてしか語れないのである。

・・・「ALONE, PLEASE」はとても美しい旋律とささやくような歌い方が印象的であるが、<甘えるとか、すねるとか、心配してもらうとか>といった寄りかかりを拒絶する女を歌い、それは猫のような声色で歌う「なつかない猫」に通じる。この猫は多分中島みゆきの自画像である。また、この姿勢は「それは愛ではない」において最も明確に表現されている。世の中で生きていくのに疲れて誰かに寄りかかって人生を預けたくなるのだが、<それは愛ではない>と強く否定する。つまり、一般的に歌われている女の愛のありかたそのものを乗り越えようとしている。「SINGLES BAR」はそのような主体的な生き方を理想とする女がひと時を寂しく過ごす場所。

・・・「蒼い時代」は学生時代に結婚を約束した男が、その後他の誰かと結婚して、その親が謝りに来るのだが、そんな約束はどうでも良くて、その頃を懸命に生きていたということが大切なのだ、という話。独特の気怠い声色で歌っているのが何とも魅力的である。同じ事が、「たかが愛」において、過去の真剣な思いだけは捨ててしまえない、として歌われる。これが「旅人のうた」における<あの愛は消えてもまだ夢は消えない>にも繋がっていて最初に戻る。

・・・さて、最後の2曲は個人の生き方というよりも社会を主題にしているように見える。「阿檀の木の下で」は<遠い昔に戦軍(いくさ)に負けて貢がれた><この島>には阿檀の木が残るばかり、と(返還前)米軍統治下の沖縄を歌ったものである。最後の「パラダイス・カフェ」において、仮想空間に存在するような華やかなカフェが賑々しく歌われるのだが、多分これは沖縄の繁華街を想定しているのではないだろうか?この喧噪に満ちた歌い方は彼女なりの皮肉のように思える。歌でできることはここまで、ということだろうか。

● 中島みゆきの25枚目のアルバム「わたしの子供になりなさい」(1998年)。
・最初のタイトル曲はなかなか面白い。泣き出しそうな男の子を迎える母親の感じであるが、中島みゆきには男達の虚栄がそういう風に見えている、ということだろう。

・「下町の上、山の手の下」は景気の良いがなり声で楽しい。好きになってしまったけれども育ちが違うから話がかみ合わない2人だが、別れてしまうと今までの日常が味気ないものになってしまっていることに気づき、また会いに行く。

・「命の別名」はシングル盤とは違って怒号的な歌い方であるが、基本的には変わらない。僕は最初テレビ番組の中の中島美嘉の歌でこの曲を聞いたのだが、意味がよく判らないままに旋律が心に突き刺さって以来、聞く度に涙が出そうになる。一種の条件反射。知的障害者の事を歌っていると知ったのは大分経ってからであった。ただ、<くりかえす過ちを、、、>という歌詞は広く一般的に非人間的な行為そのものを、具体的には戦争などによる虐殺行為を指しているように思えるし、そこまで深読みさせるように意図的に言葉を選んだのではないだろうか?そうであれば、最後の「4.2.3」にも繋がる。

・「清流」は、タイトル通りに透明な声質で男が自己顕示や征服によって女の心を掴もうとする過ちを優しく諭している。最初の曲に通じる内容である。

・「私たちは春の中で」は2番目の曲のようながなり声で、青春の過ちを歌っている。

・「愛情物語」は、男のためを思って自分から決別する、という女の歌。それにしてもこの奇妙な声質は何だろう?

・「You don't know.」は消え入るような声で、友達関係にある男への密かな片思いの切なさを歌う。

・「木曜の夜」は恋する男の面影を求めて夜の街を歩く。ここでも何とも形容しようのない声質で歌うことで切迫感を表現している。

・「紅灯の海」は竹中直人に提供した曲らしい。放浪する旅人の歌。<海と名のつくものは優しい>という歌詞の通り、中島みゆきが海を歌った曲にはみな大きな波のようなリズムがあって、気持ちが良い。本来はこれでアルバムを終える予定だったのかもしれない。

・・・最後の長い曲「4.2.3」は、一年前、日本時間1997年4月23日の明け方、ペルー日本大使館で起きた日本人人質救出作戦のテレビ中継を見ての中島みゆきの感想である。彼女はその日の札幌公演の為にホテルに泊まっていて、公演の中では<私は歌手なので感じたことは歌で表現する>と宣言していたそうである。アナウンサーが日本人の救出に喜び画面に映る死亡した兵士の事を無視していたことへの違和感。日本人さえ良ければ良いのか?という疑念が、更に発展して<この国は危ない>という歌詞にまで至る。まあ、詩人の直観であるが、それが当たっていないことを願うしかない。ところで、タタタータタターというリズムと音程の動きは「生きていてもいいですか」の「エレーン」と似ている。暗い絶望を表現するときの彼女のパターンなのかもしれない。
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