2017.01.17

中島みゆき「問う女」(幻冬舎1997年)。

最初の章「峠」 
      主人公綾瀬まりあの高校生時代。転向が重なりクラスに打ち解けられない高校生が、攻撃的な言葉で人を傷つけてしまう。友人高橋八重が失語症に陥った。 

第2章「質問」
      北海道のラジオ局JBCのアナウンサーになっているまりあ。台本通りに喋ったり質問したりで、人との対話をしていない。対話が怖い。

第3章「誰だってナイフになれる」
      JBC の受付嬢だった小坂圭子は現在のまりあの恋人早川とは過去に付き合っていた。やがて、圭子は JBC を退職。早川はまりあの距離を置いた態度に疲れて疎遠になり、圭子と縒りを戻す。それを突き止めたまりあ。ディスクジョッキー係に圭子という女性から手紙が届いた。圭子が恋人の子を身籠りながら中絶した、という告白である。それをまりあは当てつけと解釈して、復讐心からディスクジョッキー中に実名で読み上げた。

第4章「誰か私の傍に」
      その日の夜、まりあは歓楽街を飲み歩き、帰る気にもならず、1人のタイ人ジャパユキさん(ミャオと呼ぶ)に出会い、言葉が通じないことに安心して、所定の代金を払って一緒にホテルに泊まる。

第5章「あなたの言葉がわからない」
      デパートでのミニコンサート。アイドル歌手に、突然の台本変更にしたがって、不本意ながらも不倫を追及してしまう。そのあと、昨夜のミャオが声をかけてきてお茶を飲む。またディスクジョッキー宛ての手紙にまた圭子の名があり、昨日読んだ手紙が想定した小坂圭子ではなく、全く別人の圭子であったと知る。その夜まりあはまたあのミャオを探し出し、自分の部屋に連れ込んで時間を過ごす。

第6章「永訣」
      新しく作られたスキー場の中継現場にまりあはミャオを連れて行って、テスト中のゴンドラに無断で一緒に乗ったが、事故に会う。ミャオは死亡、まりあは重症の上解雇された。

第7章「日本」
      退院してからまりあは JBC に赴いて事件がどう処理されたかを知った。あの時ゴンドラは安全を確認せず倍速で運転されていた。JBC はミャオの死に対してアルバイトへの補償という名目で彼女の働いていた店に支払いをした。しかし、実際に店に行ってみると、解決されたのはお金の話だけだった。彼女の買い集めたお土産は奪われていて、遺骨だけが残されていた。まりあはそれをタイに居る彼女の娘の元へ届けるために日本を出発する。ここで、彼女がエイズかもしれない、という話が出てくるが、はっきりしない。「ミャオを娘に返したら、私はきっと帰ってきます。日本人しかいなければ安全だ(これは酔客がエイズを怖がって言った言葉)と嘯く彼らの国へ、私は、日本人である私を、強制送還します。」が最後の言葉である。

      なかなか難しい筋書きである。「夜会」として使ったのであるが、あまりうまく伝わらなかったのではないだろうか?最初は、中島みゆきらしく、言葉というものの危うさや怖さを問題にしているのかと思っていた。実際、言葉を介さないことによってのみ通じ合えるミャオとの心の交流を描くのである。けれども、最終的には日本人の差別意識を問題にしているようにも読める。差別は本来的には言葉に由来する、ということだとすれば傷はかなり深い。よく考えてみると、こういうテーマ設定の流れ方は彼女のアルバムの多くに見られる。社会的な問題を扱った曲が最後に来るのである。

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