2020.06.07
中島みゆきの売り出し当時のライブを聴いて、昔聴いていた浅川マキを思い出して、CD-Rに移しておいたLPアルバムを聴いている。学生時代の僕が集中して聴いていた音楽は殆どがジャズで、その例外は浅川マキだったのだが、今振り返ると、浅川マキというのは、日本人としては唯一のオリジナルなジャズ歌手だったのかもしれない。(他は全てジャズの物真似であった。)ジャスはもっぱら『メルヘン』というジャズ喫茶で聴いていたのだが、それだけでは足りなくて、3畳一間の下宿では、2000円のレコードプレーヤーを買って、バッド・パウエルと浅川マキのLPを聴いていた。やがて、浅川マキの曲のメロディーを辿るために友人の真似をして小さな横笛を吹き始めたのが、フルートを始めるきっかけとなったのではある。

         図書館で本を借りてきた。『ちょっと長い関係のブルース−君は浅川マキを聴いたか』喜多條忠編(実業之日本社)。この本は浅川マキを追悼して語られた多くの人たちの思い出話である。こんなに多くの人達が聴いていたとは知らなかったし、背景に居た関係者の事も知らなかった。どうやら殆どが全共闘運動関係者あるいは共感者のようである。聡明な田中優子が社会学的観点から浅川マキ現象を整理している。以下、引用する。<今から振り返ると、この「いかがわしさ」が、全共闘の重要な部分だったような気がする。暴力学生と言われたが、暴力が重要なのではなく、むしろ被差別やアジアの貧しさの上に成り立つ経済成長や上昇志向や健康な成長神話を疑い、それには従わない、という「不服従」の方に力点があった。不服従のなかには、権威を笑い飛ばそうとする「笑い」や、頑張らないという「怠惰」や、自己否定からくる「悲哀」「衰微」、そして近代西欧社会の前向きな姿勢に抵抗感をもち、地に足をつけてものごとを考え直そうとする「後ろ向き=回帰」とがあった。この「いかがわしさ」を体現したのが浅川マキであった。「赤い橋」を作った北川修は、当時自分の作っていた歌詞には、その後自分が精神医学の中で展開した理論や治療方法、日本語研究の全体と見事に通底するものがあって、愕然とする、という。赤い橋は死への道である。浅川マキの存在感とぴったり一致する。70年代、全共闘運動の中に潜り込んでいた原理主義的で党派的な部分(スターリンに追い出された共産主義の分派達)が浮き上がって自滅した後、残された学生たちは今なお「不服従」に拘り、「別の生き方」を模索している。。。>

         まあ、そうだろうが、浅川マキ自身は何を考えていたのだろうか?多分、自分の理想とする音楽を追及していただけなのだろう。寺山修司にプロデュースされて世に出てからも理想に拘っていた。共演したミュージシャンはジャズ畑の人達で、後に中島みゆきの共演者とも重なる。専属の写真家は田村仁で、これも後に中島みゆきに引き継がれる。田村仁は動物写真家だから、この二人を珍しい動物のように撮影している。しかし、浅川マキは理想に拘り続けて、ついには新譜を出さず、ライブだけで生活していたらしい。また、彼女は希望や連帯や救いを直接歌わない。この辺が中島みゆきと異なるところであるが、何というか、やはり浅川マキは田中優子の言う「不服従」歌手の先駆けなのだろう。定かではないが、中島みゆきは「赤い橋」に刺激されて「あぶな坂」を作ったと言われている。確かに曲の雰囲気は似ているのだが、「あぶな坂」には「救い」の要素がある。

         小嵐九八郎の回想の中の K なる人物の弁「俺たちって『なんだかわア、わア、わア』って語尾を上げてアジっていたけど、心の7割は、叫びではなくて、ぶつくさ、ぶつぶつ、いろいろ胸の底へ囁いていただろう?それが、マキだったんだよ。今も。」

         加藤登紀子のエッセイも面白い。彼女はまだ青いワンピースで歌っていた浅川マキに仕事の現場を見て貰っていた。<歌う場を、誰かに仕切られるのではなく自分の世界にする執念のようなものを、初めて彼女から教えられた。>翌年1968年、寺山修司の演出で蠍座公演があり、そこから浅川マキの黒ずくめのスタイルが出来た。他方、加藤登紀子は藤本敏夫と出会い、結婚、メジャー路線に乗った。

         小椋佳の言葉。<浅川マキさんの歌は、開き直りの退廃、理不尽な権力に対する必死な非関与、誰をも傷つけることを意図しない反逆、本来極めて常識的と認知されるべき非常識、あるいはそれらの勧め、そんな感じで僕は受け止めています。>なるほど、そうなのかもしれない。しかし、当時の僕にはそんな感慨を持つ余裕はなく、ただ、優しいお姉さんという感じを受けていた。

         浅川マキを寺山修司に紹介して蠍座公演を手掛けた寺本幸司は浅川マキが亡くなる前日の名古屋公演を聴いている。彼女は翌日の公演直前にホテルの風呂で心筋梗塞で亡くなったのである。

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